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キーダー(能力者)田母神京子の選択
栗栖蛍
栗栖蛍

256 海の向こう側へ

公開日時: 2024年8月13日(火) 09:01
文字数:1,816

 アルガスに戻ると、入口で待ち構えた大舎卿だいしゃきょうりつが脱獄したと聞かされた。

 自らを傷つけて看守かんしゅを油断させ、飛び出したのだと言う。外からの援護や仲間の目撃情報はなく、護兵ごへいとの戦闘にもならなかったというのは、アルガス側が促した計画的な脱出劇だったのかもしれない。


 律が収監されていた場所について綾斗あやとは立場上詳細を話してくれなかったが、大舎卿はあっさりとそれが京子の故郷・郡山にある総合病院だと教えてくれた。

 徒歩で来ると考えればそれなりの距離はあるが、新幹線や車という手段を使えば数時間で東京に着くことが出来る。


「そんなに近い所に居たんだ。このタイミングで脱獄したって事は、彼女は来るって事だよね?」

「そう言う事じゃ。ともかく二人は準備して屋上へ行け。桃也小僧からの話があるぞ」


 「了解」と声を合わせて、美弦みつると階段を駆け上がった。

 これといった準備はないが、京子は一度自室へ戻る。


「またこの部屋に戻って来るよ。絶対にね」


 大きく深呼吸して、心を決める。交換した綾斗の趙馬刀ちょうばとうを胸に握り締めた。


 暗い空の下、ライトの点いた屋上には全員が揃っていて、コージのヘリもわんわんとブレードを回転させて出発の時を待っている。

 コクピット以外のヘリの乗員は4名までと限られていて、先発隊メンバーの変更はない。


「今、田中さんを現場へ向かわせてるんだけど、京子ちゃん達の情報に間違いはないようだよ。あのエリアは今も一般人の立ち入り禁止区域になってる。管理の大本と連絡は取ってみたけど口を開かなくてね、今回の事は周到しゅうとうに準備されてたみたいだ」

「一般の企業がグルになってるのかよ」


 苛立いらだつ修司に、美弦が「落ち着きなさい」と注意する。修司が律の脱獄に少なからず動揺しているのは傍目はためにも分かるが、彼女はいつになく冷静だった。

 海を見渡すフェンスの手前で、桃也とうや彰人あきひとが遠くに光る観覧車の一帯に顔を向ける。


しのぶって呼ばれてるあのヤロウは、サメジマの両親と縁を切ったとはいえ色々繋がってるんだろうな。出生についてや高橋の事もあって、肩を持つ人も一定数居るんだと思う」

「あの一帯の解体が進んでいなかったのは、この日の為だったみたいだね」


 ここから見える風景に変化はない。

 穏やかなオレンジ色の光は洒落た夜景の一角に過ぎなかった。


「あそこは今も廃墟なんだよね? ホルスには振り回されてばっかりだけど、そこで全てを終わらせることが出来るなら、それもアリなのかな」


 戦いに加わる能力者の数が、あの時の倍以上に増えている。

 もし戦場がアルガス本部だとしたら、浩一郎の襲撃時とはケタ違いの被害が出るだろう。それを湾岸の廃墟で完結させることが出来るなら、と期待してしまう。


「油断するなよ? そこで済むなんて確証は何もないんだからな?」


 桃也に釘を刺されて、京子は「分かってるよ」と返事する。その横で修司が「桃也さん」と手を上げた。


「高橋の作った薬を飲んで能力を得た人間は、敵とみなして構いませんか?」

「判断は個人に任せる。止めを刺さずに確保なんて甘い事言える相手じゃねぇ。自分の命を最優先させて戦って欲しい」


 ここにいる全員にその事を伝え、桃也は見送りの施設員と護兵が並ぶ方へ軽く頭を下げた。


「ここと現地の警備をお願いします。颯太そうたさんは後発で現場へ向かって下さい」

「了解。勘爾かんじさん達に同行します」


 端に居た颯太と大舎卿は、かつての先輩後輩という仲だ。

 ヘリで移動する先発隊の4人を外すと、その時点でここに残るキーダーは大舎卿・マサ・綾斗・美弦・久志の5人になる。そこから大舎卿とマサが陸路で現地へ向かう予定だ。

 広島から曳地ひきちが駆け付けると聞いているが、まだ姿は見えない。


 桃也が「それと」と数歩離れた綾斗の前に立った。


「お前には本部ここでの指揮を任せる。俺は多分、こっちの事まで頭が回らないから、お前が思うように動いてくれるか?」

「分かりました」


 綾斗の返事はどこか妥協したようにも聞こえる。


「じゃあそろそろ行きます。くれぐれも無謀な行動で命を落とさないように。生き残る努力をして戦って下さい」


 生き残って欲しいと繰り返す桃也の言葉は、一人一人の胸に刻み込まれる。

 「はい」と返事した途端、京子は急に込み上げた不安に胸を押さえた。それぞれに動く足音が響く中、綾斗が京子の空の右手にそっと掴む。


「大丈夫?」

「うん、ちょっと緊張してるだけ」

「俺も後で向かうから、待ってて」

「ありがと、綾斗」


 京子は彼の体温を握り締めて、「行って来るね」とヘリに乗り込んだ。




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