猿の内政官

~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
橋本洋一

子どもを想うと――

公開日時: 2021年3月14日(日) 22:19
文字数:3,374

 島が僕の家臣になって翌日。

 今一番、会いたくない人が屋敷を訪れた。


「雲之介さん……少しやつれましたね……」


 その方を居間に招いて、二人だけで正対する。

 心配しているのだろう、既に涙目になっている。


「ええ。自分でもやつれたと思いますよ――お市さま」


 それしか言えなかった。

 志乃と友人だった彼女には、言葉もない。

 それは負い目から来るのだろう。


「雲之介さん、あまり自分を責めないでください」


 本題に切り込んだお市さまは――無理矢理笑った。

 綺麗なものが歪んで見えるような心境。


「決して、あなたは、悪くないのですから」

「……ええ。悪いとすれば、志乃は運が悪かったのでしょう」


 僕は立ち上がって、閉めきった障子を開けて、庭を見た。小鳥がさえずり、きらきら輝く日光が池の水面に反射する。


「でもやりきれない思いがありますよ。もしも施薬院で働くことを反対していれば、死なずに済んだのかもしれません」

「……それは、詮の無いことです」

「それも分かっているのです。しかし、志乃がいない現実を受け止めるたびに、そう考えてしまうのです」


 今まで考えていた、どうしようもない想いを吐露する。


「僕はね、志乃のことを愛していたんです。いずれ上様が太平の世を築く。そんな日の本が生まれたら、何も思い煩うことなく、穏やかに、静かに暮らせるような、何気ない日々が来るんだと信じていました」

「…………」

「でもその未来は閉ざされてしまった。もう二度と訪れないのです」


 そう。志乃はもう居ない。

 僕に安らぎをくれる志乃は居ない。

 叱ってくれたり、慰めたり。

 僕以上に優しかった志乃は――もう居ない。


「お市さま。僕は何のために生きればいいのですか?」


 卑怯な問いだ。誰も答えられないに決まっている。己で答えを導かなければいけないのに、他人――それも初恋の人に委ねようとするのだから。


「志乃の居ない世界で生きていくのは――本当に悲しいです」


 お市さまは答えない。

 いや答えられないのだろう。


「比叡山攻めに僕は参加します」


 沈黙が続いてしまったので、話題を変えてみる。

 お市さまはそれにも答えなかった。

 相変わらず、僕は庭を見ながら、喋り続ける。


「志乃のために復讐します――いや、殺します。そうしないと心の寂しさを埋められない。復讐の充実感で埋めないと、寂しさで死んでしまいます」


 結局は自己満足なんだ。

 秀吉の言うとおり、僕が堕ちてしまえば、志乃は苦しむだろう。

 それでも――僕は、やらねばならない。


「もしも、復讐を果たしたら――」


 お市さまの声。強張っている。


「雲之介さんは、どうなさるつもりですか?」

「……分かりません」


 ざあっと木々が風に揺らぐ。

 薫風が身体中に当たる。

 心地良くなかった。


「復讐を果たしてみなければ、分かりません。志乃のいない世界で生きるかもしれません。でも、もしかしたら――」


 言葉を続けられなかった。

 後ろから、優しく抱きしめられた。

 お市さまだとすぐに分かった。


「死なないで、ください」


 お市さまは――涙声だった。

 前に回された手を、握ってしまう。


「志乃さんが死んで、雲之介さんまで死んでしまったら、胸が張り裂けそうです」

「…………」

「それに、晴太郎やかすみちゃんはどうするんですか?」


 僕の子供。志乃の形見。

 それこそ、胸が張り裂けそうになる。


「子供たちのことを大切にしてあげてください。あの子たちは、志乃さんが生きていたという証なのです」


 志乃が死んで、僕を嫌うようになった、かすみ。

 志乃が死んで、僕に嫌われまいとする、晴太郎。


「雲之介さんは、二人を愛していないのですか?」


 徐々に強くなる、抱きしめる力。


「……僕は、晴太郎とかすみを、愛しています」


 嘘偽りのない、真実の言葉だった。

 その証拠に、僕の目から、ぽろぽろと涙が流れる。

 止まらない涙。床に雫となって落ちる。

 ああ、ようやく泣けた。

 志乃が死んで、ようやく泣けた。


 

◆◇◆◇


 

 お市さまが帰った後、尾張国の雨竜村から文が届いた。

 雪隆と島、そしてなつめが居る前で、僕は文を読む。


「なんて書いてあるんだ?」


 雪隆が僕に聞く。


「志乃の死を知らせた――その返事だよ」

「……だから、なんと書いてあるんだ?」


 言いたくないけど島まで聞いてきたから、言わざるを得なかった。


「弥平殿とお福さん――志乃の両親の様子が書いてある。弥平殿は許さないと言っている。お福さんは毎日泣いているらしい」

「……ま、当然よね」


 なつめがあっさりと言う。伊賀者らしい割り切り方だった。


「自分の娘が死んだのだから、その反応は――」

「なつめ、止さないか」


 島が厳しい声で制する。そして話をすぐさま変えた。


「それで、俺たちを呼んだのは、比叡山攻めのことか?」


 僕は頷いた。みんなに話さないといけなかった。


「参加したくなかったら、しなくていい。別に責めたりしない」


 誰だって悪僧とはいえ、僧侶を殺したくないだろう。

 せめてもの配慮だった。


「水臭いことを言わないでくれ、雲之介さん。俺は参加する」


 雪隆は真っ先に言った。


「志乃さんの仇は俺たちの仇だ。それに主君の奥方の仇を討つのは家臣の務めだろう?」

「よく言った雪隆。俺も同じ気持ちだ」


 島も力強く頷いた。


「遠慮するな。仏罰がなんだというのだ。そんなもの大したことはない」

「雪隆……島……」


 すると意外なことに「私も参加するわ」となつめも言い出した。


「戦うのは苦手だけど、ま、なんとかなるわ」

「どんな風の吹き回しだ? てっきり嫌がると思っていたが」


 島の疑念になつめは「信心深く見えたかしら?」とおどけた後、真剣な顔になる。


「私だって、志乃さんのこと、嫌いじゃなかったんだから」


 僕は「子供たちの面倒を見てほしかったけど」と言う。


「でも、その決意は無駄にできないな」

「そうねえ。珍しく血迷っているのかもね」


 話がまとまると、雪隆が訊ねた。


「それで、いつ比叡山を攻めるんだ?」


 僕は「八日後だ」と答えた。


「でも出立は明日だ。一足先に僕の部隊は京へ行く」

「どうしてだ? 京の治安維持のためか?」


 島の問いに「それもあるけど」と肯定した。


「秀吉に無理言って、先に京に向かうのは、理由があるんだ」


 三人は僕の言葉を待った。

 僕は一呼吸してから言う。


「志乃の死について、詳しく聞かないといけないんだ」


 

◆◇◆◇


 

 京の施薬院。僕はそこで明里さんに会った。

 道三殿と玄朔にも同席してもらった。そのほうが話しやすいと思ったからだ。


「……話ってなんですか? 雲之介さん」


 明里さんは目を伏せて、もじもじしている。

 何か隠しているのだと、一目で分かった。


「志乃が死んだときのことを、詳しく聞きたい」

「……以前、話しましたが」


 僕は「あれでは分からない」と早口で言った。


「あれでは説明のつかないことがある」

「……なんでしょうか?」

「晴太郎のことだ」


 身体をびくりと反応させる明里さん。そして小刻みに震えだす。


「晴太郎は、優しい子だ。しかし母親が死んだのならば、毎日泣き続けるだろう。でも晴太郎は、この僕に『捨てられる』ことを恐れている」

「そ、それは――」

「何かあったのだろう? 教えてくれないか?」


 明里さんの呼吸が荒くなる。そして助けを求めるように道三殿を見た。


「道三殿。あなたは当時、施薬院に居なかった。それは確かか?」

「……ええ。そうです」

「玄朔も同じだね?」

「そうです」

「ならば明里さんしか知らないのか。志乃が死んだ光景を見たのは。いや、患者たちも知っているはずだな」


 僕は天井を見上げて、溜め息を吐く。


「仕方ない。患者たちに聞くことにする。何、相手は動けない人間だ。素直に吐いてくれるだろう」

「な、何をするつもりですか!?」


 玄朔は驚いた目で僕を見つめる。


「僕は、何でもやるつもりだ。そう、何でもやる」

「そ、そこまでして、どうして知りたいんですか!?」

「晴太郎の苦しみを知らないと、あの子を救えない」


 僕は三人を睨みつけた。

 明里さんは目を逸らした。

 玄朔は睨み返す。

 道三殿は受け止めた。


「あの日、志乃が死んだときのことを全部話してくれ」


 しばらく黙っていると、明里さんが「分かりました……」と言ってくれた。


「約束してください……晴太郎くんを、責めないと……」


 涙混じりに言う明里さん。

 僕は「実の息子を責める親がどこに居る?」と問う。


「僕は晴太郎を愛している」

「……あの日、僧兵の一人が、施薬院に来ました」


 語り出した明里。

 知らねばならない、妻の死の原因を、僕は――

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