猿の内政官

~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
橋本洋一

初めてのもてなし

公開日時: 2021年1月29日(金) 12:28
文字数:3,228

 茶の点てかた。

 茶釜ちゃがまの湯が沸騰し、場が整理された時点で始まる。

 茶入ちゃいれから茶杓ちゃしゃくで抹茶を掬い、茶碗の中に入れる。

 今回は覚慶さまお一人なので量を少なくし、薄茶にする。

 茶杓で抹茶を馴染ませたら、茶碗を置き、茶入の蓋を閉め、その上に茶杓を置く。

 そして茶釜のお湯を柄杓ひしゃくで注ぎ、茶筅ちゃせんでかき混ぜる。

 小手先ではなく、腕全体を使って、丁寧に、大胆に。

 適度に泡立ったら、茶筅を引き上げて、脇に置く。


「――どうぞ」

「うむ。いただく」


 覚慶さまは作法どおりに茶碗を回して、音を立てながら茶を飲む。


「美味しいな。流石に宗易殿の弟子ではある」


 褒めてくれた。そう思った矢先に「しかしまだ半人前なようだな」と指摘された。


「飲みやすいようにと薄く点てたつもりだろうが、貴人を相手にする場合は濃茶が基本だ。既に貴人と理解しているのに関わらず、どうして薄茶にした?」


 覚慶さまは僕を試している。

 もしくは何かを期待している。


「おっしゃるとおり、貴人を相手にする場合は濃茶です」


 僕は覚慶さまに自分のもてなしを語る。


「しかし覚慶さまは自身を貴人扱いされたくないと感じました」

「……何故だ?」

「僕なりの推察ですが――あなたは自分の地位や立ち位置を嫌がっています」


 僕の言葉に覚慶さまは何も言わない。


「兄弟間の贈り物なのに、煩雑なやり方でしかやりとりできない。僕は覚慶さまの兄君がどのような立場なのか、分かりません。でもそんな僕でも、兄弟の絆だけは感じられます」


 井戸茶碗を改めて見る。


「見事なかいらぎ。おそらく名物に等しいのでしょう。これを見ればどれだけ覚慶さまを想っているのかは想像できます。それを煩雑なやり方でも渡したいという心は素晴らしい」

「…………」

「それと薄茶にしたのは理由があります」

「……? まだあるのか?」


 僕は笑顔で言う。


「秋とはいえ、あれだけ笑い、そして喋れば、喉が渇くものです。なので飲みやすく薄めたのです」

「――っ! あっはっはっは! まことそうだな!」


 膝をたたいて覚慶さまは大笑いなされた。


「確かに濃茶は喉に張り付く! うむ、気に入った! 雲之介、宗易に伝えよ!」


 覚慶さまはにやりと笑った。


「客が一人の場合は貴人相手でも薄茶にせよ! 覚慶からの提案だと言え!」

「わ、分かりました!」


 茶道の作法が変わっちゃうけど、いいのかな?

 まあお師匠さまが受け入れなければ、変わらないと思うけど……


「良き茶であった。褒めてつかわす」

「ありがとうございます」


 僕はお師匠さまの言葉を思い出していた。


『技量や名器でもてなすのではなく、心でもてなすのですよ』


 何となく分かったような気がした。


「愉快な子供だ。こんなに愉快なのは久々だ」


 上機嫌になった覚慶さま。そしてこんなことを言い出した。


「では今度は私が茶を点てて進ぜよう」

「本当ですか? ではありがたくいただきます」


 覚慶さまは「遠慮しないのは美徳だぞ」と言って立ち上がった。

 位置を交換して覚慶さまの所作を見る。

 はっきり言って僕よりも手馴れていた。


「覚慶さまは茶をよく点てられるのですか?」

「いや。ここでは私の茶を飲んでくれる者はおらん」


 僕の前に茶碗を差し出す。もう点て終わったのだ。


「考えてみると兄上を除いて、そなたが初めてだな」

「そうですか。僕も覚慶さまが初めてです」

「なんと! これは嬉しいな!」


 僕は差し出された茶を飲む。

 とても爽やかな味がした。

 まるで初めて飲んだときを思い出す。


「一つ相談だが、そなた――雲之介、私の友になってくれぬか?」


 飲み干したとき、覚慶さまが僕に頭を下げた。


「…………」

「頼む。私には友というものがいない。ここに居る連中は身分を気にして、近寄ってくれぬのだ」


 このとき、ようやく気づいた。

 疲れた顔をしていたのは、友達が居なかったからだ。

 もっと言えば孤独に苛まれていたからだ。


「……分かりました」


 そんな孤独なお人を僕はほっとけなかった。


「おお! 感謝いたす!」

「覚慶さま。友達になることに感謝など要りません」


 一瞬、呆然とした覚慶さま。だけどすぐに悪戯っぽい顔になる。


「友ならば『さま』は要らぬだろう?」

「――分かりました。覚慶殿」


 それからいろんなことを語り合った。

 僕の記憶がないことも。

 覚慶殿の日頃の愚痴だとか。

 素性は隠されていたから、分からなかったけど、それはそれでいいと思った。


「おお、もう遅い時刻だな。今日は寺に泊まるか?」

「いえ。源五郎さまも待っていると思いますので、お暇させていただきます」


 丁重に断ると覚慶殿は淋しそうに「そうか……」と落ち込んだ。


「また会えるか?」

「ええ。縁が合えば、会いましょう」


 門の近くまで見送りに来てくれた。

 他の僧侶も僕たちを見ている。


「覚慶さまがあのように笑われておられる」

「あの子供は何者なんだ?」


 最後に覚慶殿は気になることを言った。


「そういえば、最初に会ったときから思っていたが、そなた以前どこかで会ったことがあるか?」

「いえ。記憶にございませんが……」

「まあそうだろうな。しかしそなたに似ている人を、どこかで見たような……」


 しばらく考えていたけど覚慶殿は顔を振って「まあ気のせいだろう」と結論付けた。


「それでは堺まで気をつけてな」

「覚慶殿も息災で」


 そして門が閉じられて。

 僕と覚慶殿は別れた。


 

◆◇◆◇


 

「おっ。雲。帰ってきたのか」


 堺に帰り、お師匠さまの元へ行こうとすると、家の中で源五郎さまと会った。

 当たり前のように言うものだから「お久しぶりです」とつい言ってしまった。


「そうだな。五日ぶりだ」

「お師匠さまはいずこにいらっしゃいますか?」

「ああ。師匠なら茶室に居る。おつかいの報告でもしてこい」

「分かりました。では後ほど」


 茶室に行くとお師匠さまと宗二殿、そして与一郎さまが居た。


「雲之介さま。首尾はいかがでしたかな」

「はい。覚慶殿にきちんとお届けいたしました」


 覚慶殿という言葉に与一郎さまが反応した。


「ふむ。なかなか親しくなったようだな」

「はい。友となりました」


 正直に言うと、宗二殿以外は驚いたように目を丸くした。

 宗二殿は二人が驚いているのを奇妙に見ていた。


「……あの方は自らの素性を明らかにしなかったのか?」

「えっ? ええ、そうです」

「友になりたいと申したのは、そなたか?」

「いえ、覚慶殿からです」


 与一郎さまは苦笑いした。


「これは……良いこと、なのだろうな」

「弟子が出すぎた真似をして申し訳ございません」


 お師匠さまが頭を下げた。宗二殿も同じく頭を下げた。

 何が何だか分からないが、僕も謝ったほうが良いのだろうか?


「いや。謝ることではない。むしろ感謝している」


 与一郎さまは僕に向かって言った。


「あの方と友になってくれて感謝いたす」

「いえ。僕も仲良くなれて良かったです」


 それからどうもてなしたのかを三人に言う。


「薄茶の件、承知しました。宗二、次の茶会からそういたしましょう」

「よろしいのですか?」

「良きものは取り入れる。それが侘び茶です」


 そして最後にお師匠さまは「下がって良いですよ」と言う。

 僕は一礼してから、茶室を後にした。

 部屋に行くと、書物を斜め読みしている源五郎さまが待っていた。


「おう、雲。門跡殿はどんな人だった?」

「結構俗っぽいお方でした。僧とは思えませんね」

「まあ元は武家だからな」


 僕は荷物を下ろしながら「へえ。そうなんですか」と応じた。

 すると源五郎さまは怪訝な表情で言った。


「なんだ。門跡殿の素性を知らんのか?」

「ええ。知らないです」


 すると呆れた感じで言われた。


「門跡殿は十三代将軍、足利義輝公の弟君だぞ」

「……えっ?」


 僕は、とんでもないお人と、友になってしまったらしい。


 

◆◇◆◇


 

 それからしばらくして。

 修行も一段落ついた春の日。

 僕と源五郎さまはお師匠さまに呼び出された。


「修行は一時中止とさせていただきます」


 毅然とした声で、お師匠さまは僕たちに告げる。


「織田家からの手紙で、今川義元公が上洛のため、近々尾張国に進攻するとのこと。雲之介さまは急いで国元へお帰りくださいませ。源五郎さまはここで保護させていただきます」

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