猿の内政官

~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
橋本洋一

猿の内政官

公開日時: 2021年3月19日(金) 10:49
文字数:2,821

 ごめん、秀吉。

 先に逝ってしまう僕を許してくれ。

 太平の世を一緒に見ることができない僕を許してくれ。


 そしてありがとう、秀吉。

 洞窟で出会って本当に良かった。

 悲しいことやつらいことがたくさんあったけど。

 それ以上に嬉しいことや楽しいことが山ほどあった。

 一人きりで生きていた――いや、生きていなかったのかもしれない。

 秀吉と出会ったことで本当の意味で生きることができた。


 もう淋しくないし、秀吉の言ったとおり一人前の大人になれた。

 感謝しかないよ。

 ありがとう。僕は――幸せだった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「雲之介さん。おはようございます」


 目を開けたとき、そこにはお市さまが居た。


「……極楽、浄土、ですか」

「あら。私もあなたも死んでいませんよ」

「お市さまが、天女に見えた……」


 お市さまは笑顔だったけど、長年の付き合いで悲しみを隠しているのが分かった。


「雲之介さん。もう、あなたは――」

「永く、ないですね……」


 喋るたびに肺を刺す痛みに襲われる。

 痛くて痛かった。

 だけど、まだ生きている。


「家族は、居ますか?」

「……ええ。あなたの家族は、全員居ますよ」


 目で周りを見ると、そこには家族が居た。

 悲痛な表情の秀晴。

 涙に覆われているかすみ。

 かすみに抱かれている霧助。

 なつさんに抱かれている赤ん坊――雷次郎かな。

 そして気丈な表情のはる。

 最後に僕を見つめている雹。

 家族が僕を看取るために、ここに居る。


「秀晴……丹波国は……」

「……家臣に任せています」


 僕を看取ることは全てに優先されるという口調だった。


「そうか……」

「父さま。話すのがつらいのでしたら……」


 秀晴が止めようとするのを僕は「良いんだ」と言う。


「話さなきゃ、いけないこと、あるから……」

「父さま……」

「秀晴……僕の息子……」


 視線を合わせて、秀晴を見る。


「丹波国を任せた。大変な役目だけど、君なら何も問題ないと思う」

「……父さまが遺してくださったやり方に従っているだけです」

「それでも、上手くやっていると、聞いているよ」


 僕は秀晴――晴太郎に言う。


「晴太郎……君はどこに出しても恥じることのない、自慢の息子だよ」

「――っ! 父さま!」

「僕の息子に生まれてきてくれて、ありがとう」


 秀晴の目からどっと涙が溢れた。


「俺は……父さまに認めてほしかった……褒められても、認めてくれていなかったと思っていた……」

「馬鹿なこと、言うなよ。僕はいつだって、認めていたさ」


 僕はかすみのほうに目を向けた。

 顔中を覆うように涙を流していた。


「かすみ……僕の娘……」

「うん。ここに居るよ、父さま」


 かすみは僕に寄った。

 胸の中の霧助はなんだか淋しそうだった。


「君も、僕の自慢の娘だよ。嫁入りさせるのが、つらいぐらいに」

「うん。うん……!」

「昭政と一緒に浅井家を、霧助を守っておくれ」


 かすみは「うん……!」とだけしか言えなかった。

 僕は微笑んでかすみに言う。


「志乃に似て、本当に可愛らしいな。それから、霧助も。母親似だ」

「父さま……」

「長生き、してくれよ……」


 僕は「はる……どこに居る……?」と右手を上に挙げた。


「お前さま。私はここに居る……」


 はるが僕の手を握ってくれた。


「そのまま、握ってくれ」

「…………」

「はる。君が嫁に来てくれて、良かったよ。志乃を失った穴を、塞いでくれた」


 本当に感謝しかなかった。


「はるは、たくさんの幸せを、くれたよね」

「……お前さまのほうが、たくさんの幸せを、くれたよ」


 はるが僕の手を強く握った。


「お前さまのおかげで家族を持てた。雹だって――」

「雹。僕の娘……」


 雹は唇を一文字に結んでいた。

 泣くのを堪えているようだ。


「雹。こっちに来なさい」

「…………」


 雹ははるの隣に来て、その小さな手を僕たちに合わせた。


「母と一緒に。兄妹と助け合って。幸せになるんだよ」

「父上……」

「君は幸せが分からないと言ったけど、最後に教えてあげる」


 大きく呼吸した――刺すような痛みが襲うけど、無視した。


「幸せは知るものではなく、感じるものでもなく、ただ漠然と隣にあるものなんだ」

「…………」

「何事もない平凡な日々。その中で喜びを覚えられたら――」


 言い終わる前に喀血してしまった。


「父さま! 玄朔さん、どうか――」


 秀晴が大声で玄朔を呼ぶ。

 それを「良いんだ」と制止する。


「このままで、構わない」

「父さま……」

「僕が家族を作れるなんて、思わなかった」


 思い出すのは、原初の記憶。

 河原で倒れていた頃の幼い僕。


「みんなが居てくれて、楽しかったよ」

「父さま! 死なないでください!」


 秀晴は取り乱してしまった――涙を流しながら僕に縋りつく。


「まだ教えてもらっていないことがたくさんあります!」

「……秀晴」

「父さまだって、未練があるでしょう!?」


 僕は微笑みながら「未練、か……」と呟く。


「ああ。たくさんある。未練なんて、いくらでもあるさ」

「そうでしょう! だから生きて――」

「でも僕は、たくさん人を殺めてきたんだよ」


 本圀寺で初めて人を殺してから。

 直接的にしろ間接的にしろ。

 たくさん殺してきた。


「鳥取城のこと、覚えているだろう?」

「あ、あれは――」

「この病は罰とは言わないけど、少なくとも道半ばで死ぬのは、仕方ないかな」


 秀晴は顔を悲しみで歪ませた。


「でも、未練があって死ぬことは、悪いことじゃない」

「どういう意味ですか……?」

「思うに、人の一生とは、未練や悔いだらけのもので、生きることは戦いだったんだ」


 悟りではないけど、素直に心に思うことを言う。


「人は、後悔しながらも、状況を打破するために、生きる。戦うために、生きるんじゃなくて、生きているから、戦うんだ」


 だからこそ。

 生きていたんだ、僕は。


「生きて。精一杯生きて。未練を残しながら、死ぬ。未練は生の執着じゃなくて、戦ったことの証だと思う。だから、未練は消せなくて、生きたいと思う気持ちも消せない」


 正勝の兄さんとの会話を思い出した。


「未練があっても、生きたくても、死ぬ。それは悲しいことじゃなくて、生きていた証明だから、残ってしまうんだ」


 一瞬、意識を失いかける。

 なんとか保って、家族に言う。


「僕は、家族を遺せて、未練を遺せて、良かったよ。それこそが、僕の生きた証なのだから。夢が叶ったと、言ってもいい」


 自分でも分かる。

 目を閉じたら――もう終わりだって。


「父さま……」

「う、うう、うううう……」


 秀晴とかすみの泣く声。


「お前さま……」

「……父上」


 はると雹の温もり。


「秀吉、みんな……」


 僕は最期に言う。

 今わの際に散り際の最期の言葉を言う。


「次は、どんな夢を見ようか……」


 そう言い残して――僕は目を閉じた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「まったく。早すぎるわよ」


 志乃が、目の前に居た。


「ごめん。僕もこんな早く死ぬとは思わなかったよ」

「まあ私が言えた義理じゃないけどね」


 志乃は僕の手を握った。


「さあ。正勝さんや半兵衛さんが待っているわよ」


 僕はその手を握った。


「ああ。行こう」


 光の向こうで、正勝と半兵衛さんの姿が見えた。

 僕は振り返ることなく、彼に続く道を歩んだ。

 志乃と一緒に、二人で――

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート