ごっつい絵になる。
勉強に疲れてからっぽになった頭でも、そう思う。
夕飯を食べ終えて、皿を洗った後そのまま勉強机で黙々と理系科目と格闘していると、時刻は既に夜の8時を過ぎていた。開けられた窓からは涼しい風が流れ込んでくる。一年間ずっとこの気温と湿度でいて欲しい。そう願ってやまないレベルの快適さだ。
「変わらないな」
言って、勇者さんはボーっと窓から見える丸い月を見上げている。
独り言なのか、僕に喋り掛けているのか判断し辛い声量だった。でも、ちょうど区切りのいい部分を終えていたので、応じることにしようか。
「何?」
「月だよ、月」
「ああ……」
……ああ?
とりあえず頷いてみたものの、言っている意味が分からない。
月の満ち欠けの周期は凡そ30日くらいだったはずだ。なので、そういった意味では『変わらない』とは言えない。でも、兎が餅をついている形が変わらないといった意味では、なるほどと頷ける。
「変な深読みすんなよな」面倒くさそうに勇者さんは言った。「多分、どこの世界にもあんだよ、ああいうの」
「ああ」
衛星のことか。
「こっちには一つしかねぇみたいだけどな」
「あぁ……う、ん? え? 勇者さんの住んでた世界にはもっと月があるの?」
「二つだけな」
へぇ。
すご。なんか。
二つ以上あると潮の満ち引きだったり、畑に種をまく適切なタイミングがバグってしまいそうだが、いい感じにデバッグできているのだろうか。
確かに言われてみれば、僕が異世界に転移した時に、月らしき衛星が空に二つほど浮かんでいたような、浮かんでなかったような……。
正直覚えていなかった。
「まぁ、そういうもんだろ。私もつい最近までアレが空に一個しかねぇってことに気づかなかった」
「そういうものなのかな」
「だろ」
「夜、散歩してる時に気づいたの?」
「ん」
勇者さんはよく、泣く子も寝るような時間帯に散歩に出かけている。勇者さん曰く『寝れねぇから』とのことだが、きっと人を探すのも兼ねているのだろう。
人。それは、異世界からこちらに転移してしまった人のことだ。その人に関する情報は、何も与えられていないらしい。そんな絶望的な状況なのに、勇者さんは全然悲観的になっていない。
「でも、いい感じに紛れられてんだよな。影も形も、手がかりも収穫も、今のところなしだ。情けねぇ」
「全然見つけられない?」
「ああ。実際のところ、どこかで死にかけてたり、ヤケになって一発ドンパチしてくれるのを期待してたんだけどな。そういった立ち回りはしないらしい。謎だよな」
「急に物騒な話になったけど」
「でも、そうだろ。いきなり訳分からん世界に飛ばされて、『よし、ここで頑張って暮らすか』なんて簡単に切り替えられねぇだろ、普通」
そういうものなのかもしれない。
一か月外国へ移住するのことを想像したら頭が痛くなるけど、RPGをたまにプレイする立場からすれば、環境の変化くらいは対処できるような気もする。『実際にやってみないと分からない』というのが本音だ。
「個人的には、僕の生きてる世界でドンパチドンパチされるのは困るけどね」
「そうか?」
「治安が悪くなるのは嫌だし、科学的に説明できない現象を起こされると、色々とマズい」
「そのための科学なんじゃねぇのか?」
「科学はそんなに都合よくできてないよ」
「本当かよ」勇者さんは笑った。「私からすれば、魔法より科学の方がよっぽど魅力的だけどな」
「そういうものかな」
「そういうもんだろ」
異文化交流は難しい。
こちらの文化では絶対的に正しいとされていることが、あちらの文化でも適用できるとは限らない。余りにも当たり前すぎる価値観を共有しようとした行為が、相手にとってはそれを押し付けられていると感じている可能性がある。それらのことを頭の中でおさえながら会話に花を咲かせることは、少なくとも、勉強し終わった後で簡単にできることじゃない。
でも、楽しい。めちゃくちゃ楽しい。はちゃめちゃに難しくて、果てしなく面倒なのに、やめられない。
「先風呂、入るぞ」
「あ、うん」
「なんなら、一緒に入るか?」
「あほか」
「あほじゃねぇし」
「身体拭いて髪も乾かした後に、そのまま出てこないでね」
「はいはい」
「シャンプーないからって、フラフラ出てくるのもダメだからね」
「わーったよ」
でも。
いくら住んできた場所が違うからといって。いくら価値観が違うからと言って。
譲れないラインがある。
正直、『朝くらいはちゃんとしたものを食え』という勇者さんの主張に対して僕は懐疑的だったのだけれど、朝ラーメンと朝ご飯で、これだけ体調の変化が訪れるとは思ってもいなかった。
ボーっとしない。横断歩道を横切ろうとした直前に赤信号になった程度でメンタルはビクともしない。なんだか今日は全ての物事が上手くいきそうな気がする。
そんなポジティブな気持ちで学校までの道のりを歩いていると、見慣れた顔にエンカウントしてしまった。
「あ、おはよー」
「おお」
常陸が現れた! 一緒に登校して欲しそうな眼で、こちらを伺っている。
「おはよう」
「うっわ、また単語帳見てる。マメだなー。朝くらいもうちょっと無駄なことやっても、誰からも責められないと思うけど」
「だからこそ、今の時間帯にやればライバルと差がつくと思わないか?」
「シュショーな心掛けダナー」
と、全然感心してなさそうな眼で、こちらを伺っている常陸。器用な奴だ。
常陸はいつものように僕の左につけた。僕はいつも道路側。常陸はいつも端っこ。その位置関係を崩さないことはお互いにとってほとんど不文律と化しているが、多分、特に意味はない。
「でもね。やっぱり、メリハリは大事なんじゃない?」
「メリハリ?」
「そ。勉強しない時は遊び呆けて、勉強する時はしっかり集中したらいいんじゃないかなって」
「なるほど」
一理ある。
同じ作業をただひたすらに繰り返していると、マンネリズムに陥ってしまう可能性がある。実際、英単語をノートに書き写して覚えているつもりでも、ただの作業になってしまっている時が往々にしてある。
だから、そういったメリハリをつけることは、継続して質のいい勉強を続ける上では大切である、と。
などと、生きることが器用そうな人が言っている。
「いやいや、なんで急に卑屈になってるし。もっと勉強量減らしてもいいんじゃないかな。英単語だって、覚えちゃてる単語をどれだけ覚えなおしても時間の無駄っしょ。実際、引くくらい勉強してるじゃん。休憩中も。先生の授業合間の歓談の最中にも」
「別に、年がら年中勉強してる訳じゃないよ。帰ったら普通にアニメとか漫画とか読んでる」
「その休憩時間をもうちょっと学校の中に割いてみた」
「今はいいかな」
「んー……、そっか」言って、常陸はわざとらしげに腕を組んだ。「まー、あたしもほとんど同感なんだけどね。どうでもいい相手と喋る時って、なんか疲れるじゃん。どうでもよくない相手より、逆に」
「逆に?」
「うん」常陸は頷いた。「逆に」
言われてみれば確かに、最近は常陸が他のクラスメイトと喋っている姿を見かけた記憶が、あんまりない。
結構、モテそうなんだけどな。コイツ。
「多分、あたしたち、幼なじみが居なかったらヤバかったかもね」
「……」
その言葉に。
同意しようとしたのに、何故か。
言葉が、胸の奥でつっかえた。
苦しい。
胸の痛みは、すぐに引いていった。
「? どしたの?」
「……あ、い、いや」
こっちが聞きたいくらいだった。
今、僕は。
何に対して痛みを感じたのだろう。
「なんでも」
きをつけの姿勢の間に謎に一回休めの姿勢を挟むやつあれ何の名残なんだろ
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