僕の幼なじみ、異世界育ち。

菓子子
菓子子

十話『竹馬』

公開日時: 2020年9月5日(土) 20:00
更新日時: 2020年9月5日(土) 23:39
文字数:3,730


 その涙の理由はなんだったのか。

 完食した上に、メニューにはないはずの替え玉を頼み、それもまた一瞬で平らげてしまった勇者さんとのディナータイム中に、聞き出すことはできなかった。

 というより、勇者さんもいきなり自分が泣いてしまった理由が分からないみたいだった。

 夏至が近いとは言っても、すっかり夜も更けてしまった帰り道を歩きながら、先程あったことを思い出す。


「なんだよ、こっちをジロジロ見て」

「なんでもない」


 気になると言えば嘘になる。

 食べ物を食べて涙を流す人を、リアルで見るのは初めてだったから。

 とは言え、知らないことを聞き出すことは無理難題だ。今は別のことを考えよう。例えば、常陸の勉強を見ることとか。


「あ、スーパー……寄っていいか?」

「うん。荷物持つよ」

「はは。私より非力なくせに、よく言う」

「ぐ……」


 完全に図星なので、何も言い返せない。


「まぁ、持ちたきゃ持てよ」

「そうする」


 なんでそんな強情なんだよ、と言いつつ、勇者さんはスーパーに入っていく。

 僕は空のカゴを入れられたまま放置されているカートを手に取って、勇者さんについていく。

 通り過ぎる勇者さんを、奇妙な目で見送る人を二、三人見かけた。無理もない。こんな田舎で髪を真っ赤に染めている人なんて、そうそう見かけない。真っ赤に染めているのに、髪型や質には気を遣っていないので、チグハグ感が否めない。


「勇者さんってさ」

「あん?」

「それって地毛なの」

「ああ」勇者さんは頷いた。「物心ついたことから、ずっとこれだ」

「へぇ。親譲りなのかな」

「まぁ、そうだろ」

「うん」

「親の顔なんて見たことねぇけどな」

「……! ……あ、ごめん」

「気にしてねぇ。でも、勝手に同情だけはすんなよな。ウザいから」


 言いながら、ポイポイと買い物かごへ食材を入れていく。なかなかに豪快だ。

 

「昨日から気になってんだけど」

「うん?」

「タピオカ……って、何の卵なんだ?」

「あれ卵じゃないよ」

「へぇ。何?」

「うーんと……なんかの芋を、こう、いい感じに丸めるとできるらしい」

「やけに凝ってんな」

「ね」

「そのまま食えばいいのにな」

「でも映えないから」

「バエる?」

「えっと……写真うつりがよくないから」

「はぁ」納得がいっていないらしく、首を捻っている。「写真うつり、ねぇ」


 無理もない。異世界で写真をアップロードできるようなSNSが発達しているとはとても思えない。もしそんなものがあれば、レアモンスターを写真に収めるべくダンジョンに潜るイカしたイン〇タグラマーが現れるに違いない。で、その折に恐ろしいモンスターに出くわしてしまい、勇者さんなりなんなりに助けられたものの、炎上案件の憂き目に遭うに違いない。そんな益体のないことを考える。

 因みに自分は、初めて行ったラーメン屋さんでは写真を撮りたくなってしまうから、その人たちの気持ちはほんのちょっとだけ分かる。


「あのさ」

「ん」

「勇者さんってどうして、僕のアパートに留まってくれてるの?」

「おん?」

「帰らなくていいの?」

「お前が言うか、普通」

「うん」僕は言った。「そうだね」


 ふん、と鼻で笑いつつ、勇者さんは野菜コーナーから精肉コーナーへと歩みを進めた。僕もそれに追従する。

 無感動な目で鶏肉牛肉豚肉を眺めて、ポツリと勇者さんは呟いた。


「人を探してんだ」

「人?」

「ああ」勇者さんは頷いた。「異世界に行った時、使ったろ。時逆の指輪。あれはな、『周囲にいる「人」を、念じた術者がちょっと前に居た場所へまるごと転移させる指輪』なんだ。これを例えば、そうだな……ダンジョンん中に居る要救助者に私の近くで使わせたら、私がちょっと前に居た場所、つまりダンジョンに入る前へ戻ってこられる。まぁ、私たち勇者の必須アイテム」


 時逆の指輪。

 確かに、異世界で僕の記憶が飛ぶ一歩手前、勇者さんにそのような指輪を渡された気がする。

 あれは、そういった便利な機能がついている指輪だったのか。

 で、十数分前に、原因は分からないがそちらの世界へ転移してしまっていた僕に使わせたところ、僕のアパートに戻ってきてしまったと。


「あの時なぁ、私が使っていればもうちょっと話はこじれなかったのかもしれねぇな。……でもなぁ、あんとき、私ダンジョン行って戻ってきた帰りだったんだよ。指輪使ったつもりが、ダンジョンの最下層へお前と転移なんて、それこそ絶望だろ?」

「なるほど?」

「で、その判断が裏目に出た。指輪を使った時、私たちの近くにもう一人、『ヒト』が居た

「え?」


 ということは、つまり。


「転移した人が、僕達の他にもう一人いたってこと?」

「そうらしい」勇者さんはため息をついた。「帰ろうとした時に、ギルドから連絡が来てな。あん時、確かに三つのマナの消滅があったんだと」

「マナ?」

「誰しもが体の中に持ってる、魔法を使うためのエネルギーみたいなもんだ」

「ま、魔法」


 魔法て。

 唐突なファンタジー要素だった。


「ああ。大なり小なりヒトはそのマナを体内に取り込んでる。で、そのマナの動きをギルドお抱えの魔術師の中に感知できる奴がいる。そん時、確かに三つのマナが消えたんだと」


 勇者さんと一緒にモンスターから逃げようと飛んだ時。気配こそしなかったものの、もう一人誰かが近くにいた。彼は僕達と一緒にこちらの世界へ転移する羽目になり、今のところ、彼はまだ見つけられていない。どこかの公園で生き永らえているのか。もしくは勇者さんみたいに、どこかの家に居候させてもらっているのか。


「で、そのもう一人の捜索願をギルドが私に寄越してきてる。まぁ、自分のケツは自分で拭かねぇとな」

「だとしたら、僕にも責任があるんじゃ……」

「お前が原因不明の転移を食らっている限り、それはない。お前は被害者だよ」

「でも、」

「でも、じゃねぇ。……一応釘を差しておくが、ソイツを探すみてぇな、危ない真似はすんなよな。もし見つけられたところでお前にはきっと捕まえられねぇし、もしソイツに目をつけられたら、怪我じゃ済まないかもしれない。言ってる意味、分かるだろ?」

「? いや、普通にその人は、異世界に帰りたいと思ってるんじゃないのか?」

「多分、それはない」勇者さんは首を振った。「だとしたら、現場――つまり、私たちのいるアパートに一度は足を運ぶはずなんだ。あそこが転移した場所だからな。だのに、いつまで経っても現れない」

「つまり、帰る気がない?」

「ここで何をするつもりかは知らねぇけどな」


 ふむ。

 その可能性は確かに、あるような気がした。でも、この世界で一体何をするつもりなのか。


「……もしかして、何か悪いことをするつもりなのかな」

「そうかもな」

「それって結構ヤバくない?」

「あぁ、ヤバい。けど今のところ、音沙汰はない。……私は恐らく、そのまま穏やかにここで暮らすつもりなんだって思ってる」

「……えぇ?」僕は勇者さんを見た。「その解釈は流石に、楽観的すぎない?」

「案外当たってると思うぜ。ここは私たちのいる世界より何倍も住みやすいからな。殺人も滅多にないし、モンスターもいない。食料も簡単に手に入るし、教育もしっかりしてる。いいことづくしだ」

「……」


 その言い分はちょっとだけ衝撃的だった。

 でも……当たり前のことなのかも。

 いい意味で、魔法が必要ない世界なのだ、ここは。


「……だから要するに、まぁ、お前は被害者面しとけ。変な気はおこすなよ」

「被害者、か」確かに、モンスターにマルカジリされそうになったりと、危ない目には遭った。「でも、損した分は戻って来てるしなぁ」

「どういう意味だよ」

「ほら。毎日勇者さんのご飯を食べられてる」

「……は」一瞬虚を突かれたような表情を見せたあと、ふわりと破顔させた。「確かに、そうだな」

「うん」


 真面目に僕は頷くと、また勇者さんは愉快そうに笑う。

 ラーメン屋さんの近くで勇者さんが僕を見つけられたのもきっと、その異世界人を探していたからなのかもしれない。それが勇者さんの今のメインクエストだから。でも厳しいことに、泊る宿と食料は自力で調達する必要があった。そこに、たまたま『料理を作ってくれ』と無理なお願いをしてくる変な人がいた。勇者さんはそれに乗っかって、『食料と泊る場所をもらう』という条件を出した。その取引は、ものの数秒で成立した。

 あの時はまだ勇者さんが異世界から来たことを受け入れられていなかったっけ。あの時といっても、まだ二日しか経っていないのだけれど。

 それなのに、勝手に勇者さんに対して親しみを感じているのは何故なのか。これが馬が合う、ということなのかもしれない。

 ――あ。

 そう言えば、忘れていた。


「勇者さん」

「なんだ?」


 言わなければならないことを忘れていたことを忘れていた。

 人としてしなければいけないことを、保留してしまっていた。


「ありがとう」

「は? ……んだよ、藪から棒に」

「多分あの時……森でモンスターに追われていたあの時。勇者さんが来てくれなかったら多分、僕は死んでいた。だから……その……助けてくれたことへの、ありがとう、だ」

「……なんだよ」


 何故かそっぽを向いてしまった勇者さんの表情は、見ることができなくて。


「遅ぇよ」


 でも、その声から嬉しそうな気持ちが漏れているような気がしたのは。

 多分、僕の勘違いじゃない。

ちくま

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