****『正直者が馬鹿をする』****
殺し合いの開始とともに、僕は背負うひとつちゃんの《手札》を、すかさず確かめます。ひとつちゃんは脚部が不自由なため、僕が彼女の足替わりをしているのです。
ひとつちゃんの選んだ異能力はTCG。アスアヴニールからその能力を授かるのと同時に、僕達の《視界》には計四十四枚のカードが視えるようになりました。
視える。つまり、実在するわけではありません。ネームプレートと原理は同じです。《視覚情報》でのみ、存在しているカードだということですね。カードは《木の葉》型のデザインが施されていて、とてもオシャレな仕上がりになっています。タヌキに木の葉はよく似合う。
そんな、数十枚のカードを一つのデッキとし。戦闘の開始と同時にデッキの中から《ランダム》で五枚のカードが選出され、五つの選択肢を駆使して戦っていく、というのが、ひとつちゃんの異能方式なのです。その名は【八十八箇所巡り】。
『№1 最初の切り札。リターン:このカードは勝鬨開始時に必ず手札となる。使用することで以後すべてのリスクが無効化される。№1以外のカードを使用すると、このカードの能力は失われ、別のカードに置き換わる』
『№10 文福茶釜。リターン:対象の体の一部を変化させる』
『№16 糸車。リターン:自身が受けたリスクを、対象にも付与することができる』
『№18 狸寝入り。リターン:味方を仮死状態にする』
『№19 誰彼噂(ハクション)。リターン:対象にくしゃみをさせる。回数はランダム』
計五枚が、勝鬨開始時の、ひとつちゃんの持つ《手札》の内容でした。
カードを一枚使用するたびに、デッキからランダムで一枚のカードが手札へ補充される仕組みだそうで。ここまでは一般的なトレカとさしたる違いはありません。
オリジナルなのはここからです。カードの《裏面》には、カードがもつ能力の《リターン》が刻まれており。『いちか 87』と同じように、視界に映る謎の文字がリターンを常に表示してくれているのです。つまり、敵であるアンも、手札のリターンが見えているわけですね。
リターンは勝鬨開始時に、戦闘に参加している全プレイヤーの視覚情報に組み込まれるそうで。ひとつちゃんの姿を捉えていない場合においても、逐一確認できるようです。
「ふむふむ。物は試しだ、これでもくらえ!」
ひとつちゃんが『№10 文福茶釜』を、アンに対して使用しました。すると──。
アンに《ウサギの尻尾》が生えました。もふもふで丸い、もふもふが可愛い。
「か、神様!?」
一華さんの驚愕。というよりも呆れに近いですかね。殺し合いには不釣り合いの癒し、されどやむなしです。なぜならば──。
『№10 文福茶釜。リスク:変化の内容が自身の趣味になる』のですから。
カードの《表面》には能力の《リスク》が刻印されています。ひとつちゃんが《見てもいい》と許可した人にしか、それを認識することはできません。表面に書かれた《リスク》の開示がなされているのは、現在、僕とひとつちゃんだけ。一華さんは脳筋ですから、煩わしい情報はカットです。裏面のリターンと、表面のリスク。一枚のカードで二つの能力。それが四十四枚で、【八十八箇所巡り】というわけですね。
「おふざけするのオタクら?」
「ふざけているわけではありません。ひとつちゃんの趣味がもふもふなだけです」
僕も同じ趣味の持ち主であったことは内緒です。
「あははー。馬鹿だねー」
「そろそろ、アンは始める?」
「とうに始まっていますよ。ごめんなさいね、茶番に付き合わせてしまって」
では、ガチで行きましょう。
『最初の切り札』以外のカードを使ったことで、『№1』が他のカードに置き換わり。四枚となった手札に新たな一枚が追加されることで、新規の葉札が二枚増えました。リスク込みで確認します。
『№17 腹鼓。リターン:囃子の音を奏で、味方の気力を上げる。リスク:お腹いっぱいになり、二日間はご飯が食べられなくなる』
『№5 イッチーのバチバチ。リターン:勝鬨終了まで、いちかに任意のタイミングで出し消しできる太鼓ばちを付与する。いちかの異能に攻撃力を低倍率付加する。リスク:いちかは自身の気持ちに正直にならなければいけない』
手札を確かめたと同時に、アンが動きます。リボルバー式ハンドガンのハンマーを落とし、引き金を引きました。視界にマズルフラッシュが瞬き、《死》を実感します──。
「虎狐」
一華さんが僕達の前へ躍り出て、《能力》を使用しました。左手の中指、薬指、親指をくっつけて、《狐》の顔を作ります。すると、彼女の前方に、和太鼓の《面》が。狐色の巨大なサークルが、出現したのです。面はアンの銃撃を見事受け止め──。
「嫁狐」
そして反撃の開始です。一華さんは出現したサークルを、《殴り返し》ました。
再び響く銃撃音と鼓音。一華さんはなんと、アンの銃弾を受け止め、あまつさえはじき返してみせたのです。威力はさすがに弱まっているようですが、それでも元は弾丸。とてつもない攻撃力のカウンターを、アンにお返しですね。
「ッ──?!」
が、されど歴戦のプレイヤー。アンはすかさず身をよじり、弾丸の直撃を免れました。かすめた頬に赤のライン。アンの《眼》が変わります。僕達を、殺すべき敵だと認識した瞬間です。
「ただの人間。銃弾防いだ?」
「曲はすでに開始している──、ドンドン行くぞ」
ケモミミが聞くミュージックは童謡『からすの赤ちゃん』。戦闘中に歌が流れ始めるのも至極当然。一華さんのゲームジャンルは音楽ゲームなのですから。
太鼓の超人のように、彼女の視界には太鼓を叩くための譜面が矢継ぎ早に流れているはず。そんな一華さんのオリジナルは、《手で狐を作れば防御。出現した面を叩くと反撃》です。狐を作る《虎狐》。面を叩く《嫁狐》。
バリアと、バリアで防いだ衝撃を返すカウンター。異能名はそのまま、【虎狐嫁狐】です。
虎狐も、嫁狐も、一華さんの視界に流れている譜面が《叩け》と命じるタイミングでしか、発動することはできないようです。
《ドン》と、《カッ》のタイミングでしか、能力が使えないということですね。
いたってシンプルで。だからこそ強い。さらに、音ゲーの能力で、《コンボ》数に応じて、様々なバフやデバフがプレイヤーに上乗せされていくという効果もあり。時間がたてばたつほど、一華さんは強くなっていくのです。
これがもし、《一秒間に数十回》も叩くタイミングがやってくるであろう《鬼》畜な譜面であったのなら、強すぎるという理由で異能の設定ができなかったのかもしれない。が──。
だけれど。それでも。それなのに。《一華さん》は、許されている。
なぜならば──。
「悲しいですね。とても太鼓の超人が好きなのに。とってもとても、下手糞だなんて」
好きなことと、上手いことは、比例しないからです。一華さんは、絶望的に音ゲーの技能が死んでいるのです。超人ではなく、凡人ですらなく、死人。でも、笑わないでくださいね。年に数百回から、千回近く、太鼓の超人をプレイしているのにも関わらず。《かんたん》な譜面しか、未だにクリアできない人がいたとしても、おかしくないはずですから。
「それはおかしいよ、さすがに。悲しいほどに、才能であふれているよ、下手っぴの」
ひとつちゃんが、オリジナルを強くするためにテンプレを弱めたのなら。《プレイヤー》が弱すぎるあまりに、オリジナルが強力であっても問題ないケースだってある、ということなのでしょうか。異能は独立した力であり。プレイヤーの強さで左右されるものではない。その前提すら覆ってしまう、一華さんの《不幸》。せめてゲームだけは、なんとかプレイさせてあげたいと望む、アスアヴニールの特別処置。あぁ、運営さえ憐れむ一華さん。悲しすぎます。黙とう。
「お前ら全員ぶっ殺す!」
祈りもほどほどに。さすがに戦闘を注視します。死闘はすでに、始まっているのですから。
「虎狐!」
「一定のタイミングでしか、コンコンできない。なら、それ以外が隙ほうだい」
素晴らしい観察眼を発揮したアンは、すかさず一華さんの能力の《弱点》を突きます。虎狐を発動したのと同時に姿勢を低くし、一華さんのひざ元へ屈み込んだのです。
一華さんの能力は確かに強力。けれど、音ゲーという特性上、どうしても虎狐と嫁狐の《間》が無防備になってしまうのです。叩けと叩けの《間》があるからです。
それでも僕たちは知っている。弱点をふまえた上で、一華さんが強いのだということを。
「その《隙》を、アタシのイッチーが考慮していないはずがないっしょ」
僕らの一華さんは、その《間》こそが、《強い》。
「ふん!」
「なっ!?」
ひざ元へ屈み込み、出現していた虎狐の面の内側から、一華さんの眉間を打ち抜こうとしたアンを。
彼女は慈悲すらみせず──、《踏みつけ》にしたのです。
一華さんを相手にしているというのに。無理な姿勢で近づくのは悪手です。自殺行為です。一華さんが他殺します。
「がはっ!」
「殺しても、いいんだ」
そこからは防戦一方。いいや、アンは、防御することすら叶わなかった。一方的な凌辱が、始まったのです。一華さんは、アンの頭を踏みつける──。
アンの頭を踏みつける。 「殺してもいい」
アンの後頭部を踏みつける。「殺してもいい」
アンの頸椎を踏みつける。 「殺してもいい」
アンの肺を踏みつける。 「殺してもいい」
「殺してもいい、殺してもいい、殺してもいい、殺すのがいい!」
踏んで、蹴って、捩じって、穿って、踏んで、蹴って、捩じって、穿って。
楽しそうに。可笑しそうに。嗤いながら。一華さんはアンの身体を踏みつけます。
「あは、あはは。最高だよイッチー」
狂っている。気狂いしている。間違いなく明日部で一番やばい奴。そんな一華さんを一言で表すのなら──。
「生粋のシリアルキラーですねからね」
殺すのが好きで。傷つけるのが好きで。死なせるのが大好きな。そんな女の子。
「生粋のバトルジャンキーだもんね」
戦うのが好きで。殴りつけるのが好きで。殺し合うのが大好きな。そんな女の子。
「人を殺したいという欲望があって。人を殺せる技術もあって。人を殺すための努力は惜しまない。イッチーは、世界で一番不幸な、《天才》なんだ」
そんな子の、唯一の《ストレス発散》方法が、太鼓の超人。一華さんは、太鼓を叩き続けることで、欲望を押さえつけてきた。ストレスを発散し続けることで、あふれんばかりの《殺人衝動》をごまかしてきた。
もしもそれが、《故障》してしまっていたのならば。果たして誰が、彼女の《殺人》を、とめられたというのでしょうか。
「神でも無理だよ、アレをとめるのは」
『人を殺してしまった』。僕達の物語は、彼女の言葉から始まりました。二十一人の撲殺。一つの物語の開幕。それを成せるほどの《埒外》が、一華さんなのです。
断言できます。僕達の物語において。もっとも破壊力のあるキャラクターが誰なのかと言えば。主人公でも。ヒロインでも。ラスボスですらなく。仇花一華、その人なのです。物理的にも、精神的にも。
『人を殺してしまった』悪気なく。
『人を殺したかった』切実に。
お菓子を我慢できずに、食べちゃった子供のように。悪鬼は、人殺しを犯したのです。
楽しかったのでしょう。嬉しかったのでしょう。人生で初めて、彼女は、満たされたのでしょう。《死んでもいい》と思えるほどに。
楽しかったのです。嬉しかったのです。人生で初めて、彼女は、人を殺してもいいという《許し》を得たのです。《殺したいんだ》と叫べるほどの。
「狐の赤ちゃんなぜ泣くの?」
一華さんは、されるがままのアンをいたぶりつつ、異能《虎狐》を展開。
「三日月おばさんに 木の葉でかんざし かっとくれ」
本来《敵の攻撃》を《防御》するための虎狐の面を、一華さんは《自らの拳》で殴ります。
「小石で花ぐし 買っとくれと」
その目的は、《コンボ数》を稼ぐのと。《嫁狐》の威力を上げるため。
「こんこん なくのね」
ゾクリと全身が粟立ちます。三日月のように弧を描く、一華さんの口元が、あんまりにも《恍惚》としていて。
「悍ましい。悍ましい。悍ましい。悍ましい。だからどうか──」
そんな一華さんに《トキメク》僕の心が、あんまりにも《気持ち悪く》て。醜いことだと分かっているのに、自身の指先を、とめることなど出来なくて。
「もっと逝け」
そう叫ぶ僕自身が、震えるほどに《悍ましかった》。
そしてなにより──。
「発動します。『イッチーのバチバチ』」
一人の少女が殺されて行く様を。可愛らしい少女が徒花と散り行く様を。美しいと思ってしまったことが、なによりも、《楽しかった》。だから僕は、《もっと強く殴れ》と、カードを発動してしまうのです。
一華さんの《衝動》。その気持ちを包み隠さず、《正直》に、ぶつけてほしいと僕は願った。自分を殺す痛みなら分かるから。生きる悦びに殉じる《楽しい》が分かるから。
「嫁狐──」
振り下ろされた、バチ。拉げる肉片。砕ける骨髄。弾ける臓物。迸る鮮血。
そして上がるのは、絶叫──。
「あぁぁぁあああ!!?」
響き渡る悲鳴。残滓する金切り音。《ソレ》を前にした僕は、吐き気を催した。
心臓が波動し、鼓膜が揺さぶられ、命が模糊した。
《ソレ》という《疑問》に、押しつぶされたのです。
「ど、どうしてソレで、生きていられるのですか……」
一華さんの全力、プラスアルファー、ひとつちゃんの異能が加算された攻撃は。《アンの腹部》に風穴を開けた。だけれどいまだに、アンは《痛い》と叫んでいる。叫んでいられる。即死の一撃を、《痛い》で終わらせている。
「アイヨォ。アイヨォ。死にたくないよぉ。アン、死にたくない」
ドンと、銃声。
「嫌だよ、死ぬの。嫌だ、痛いの。嫌々だよ、合切。嫌なのは、嫌いだよ」
ドンと、銃声。
「死にたくない。死ぬの嫌。死なないのアン!」
ドンと、銃声。
また銃声。
またもや銃声。
何度も、幾度も、青空に赤が散っていきます。
「っち。あと一手足りなかったか。イッチー、いったんアンから離れたほうがいいよ!」
一番の衝撃を受けたのは、一華さん本人。あれほどの必死を受けて、それでも生き抜いたアンの生命力に。
『ウチはこんな怪物、知らない』と、忌避の念を、零したことでしょう。
「なおれ。なおれ。なおれ。《思い》、届け」
届ける思いは《ゼロ距離》です。なぜならアンは、《自分の身体》を、銃弾で撃ち続けているのですから。シリンダーの中身が空になっても、すぐさま充填して。ドンと撃つ。
けっして即効性があるとは見受けられない《治癒》。だけれど着実に、アンの肉体は《人間》に再構築されていくのです。
泥から人を捏ね繰り作るように、肉片が寄り集まって、《穴》を防いでいく様は。
グロテスクながらも、ある種の神聖を感じることさえ出来ました。アンは、異能【シシリアンディフェンス】を発動し、自己の修復を試みているのです。《治ってほしいな》の《思い》の弾丸を、こめかみに、撃ち込んでいるのです。
「悠長に感想言ってんな! かなりまずいよ。アンの奴、完全に《イッてる》じゃん」
半身を起こせるほどに回復したアンと、目が合う──。
僕は彼女を、フランス人形の様だと形容しましたけれど。今は全く別種の感情を抱きました。
「《獣》──」
欲望のままに生き。渇望のままに喰らう。捉えどころのなかったアンの輪郭が浮き彫りとなって。
《激情》が熱を帯び。気化し、宙を舞い、吸引した僕のモツを煮る。
「《逃げろ》と言っているよ、魂が」
ぐつぐつと。ぷすぷすと。生臭い血霧がアンの血管から吹き出し。砂浜を緋色に染めていきます。
その光景、恐怖以外の何物でもなかった。アンのエガオと、僕を犯す父のエミが重なる。
「い、今しかない。奴を倒すのは」
「イッチー、もう手遅れ。仕留めるのには、幾ばくか遅かった。認めざるを得ないよ。アタシらは《ビビり》すぎたんだ」
アンはとうとう完全復活し、金色の髪をかき上げて。それでも静かな声音で、呟くのです。
「ぷっつんしたのがアン」
トキメキます。ドギマギします。危うく僕の倫理が惚れそうです。キレたアンが、格好良かったから。キマってたから。
僕のタイプは、ヤバい人です。わかりやすい心です。
「ジェヴォーダンの獣に対抗できるのは、現時点ではイッチーだけ。アタシらも極力サポートするけれど、負担背負わせちゃうことになるね」
「カスのほうがよほど重いものを背負っている。ウチなら大丈夫だ」
「アタシは重くないよ」
「言ってる場合ですか……」
とはいっても実際問題、僕は今すぐにでも、一華さんと共に戦いたい気持ちはあったのです。けれど、一華さんとアンの戦いに、無理に介入しようとすると、かえって邪魔になる。足手まといになるのがオチ。レベルが違うのですから。僕らはただ、ジッと耐えるしかないのです。
アンがゆらゆらと。ゆらゆらと。左右に揺れつつ、ジリジリと僕たちに詰め寄ってきます。
ゆったりとしたその動きは、《加速》していく戦場の兆し。おっとりと、おっとり刀。
「『№17 腹鼓』発動よん。イッチー、気脹れ!」
「御意」
僕のお腹を器用に叩くひとつちゃん。不思議なことに、そのお腹から快々の音色が響き渡り、気力、ないし《集中力》が格段と増しました。腹鼓のリスクは、『満腹になり、飯が食えない』。はたしてそれはリスクなのですか?
さっそく集中力が乱れた矢先、アンが動きます。ゆらゆらはどうやら、僕達に近づくための疾走のタイミングを、掴みにくくするためのカモフラージュだったようで。しかしながら、集中力の増している一華さんの動体視力を凌駕すること叶わず。
「虎狐」が発動されました。
「見飽きたのがソレ」
アンはバックステップ。サークルから距離を取り、銃を構えます。押してダメなら引いてみろ。突撃してダメなら銃撃。鮮やかな切り替えしです。
アンは、虎狐が消えるのを、待って、待って、待って──、ドン。
「見くびっていた。見落としていた。《眼中》になかったから。でもねイチカは、アンの敵」
「称賛と受け取っておく」
しかしそれすらも、身をよじることで一華さんは避けたのです。
「撃たれるタイミングが分かっているのなら、避けるのはたやすい。二曲目、『天国と地獄』」
なお、その理論は一華さんに限定します。普通は分かっていても避けられません。
「さすがプロ格闘選手の愛娘だね。身体能力が群を抜いている」
新たな設定を明らかにしたところで、戦闘はさらに激化。今度は一華さんのほうから攻撃を仕掛けました。
距離のあるアンへ向かって、ひとつちゃんの能力で生み出した《バチ》を投げつけたのです。クルクルと回転するバチ。しかしそんなヤワな攻撃、アンに通用するはずもなく。戯れの如く躱します。
「バチは二本ある」
「悪手なのがそれ」
一本だけの投擲ならばまだしも。なんと一華さんは残りの一本をも投げました。自ら武器を手放す愚行。さりとてさほど強くもない悪あがき。
のように、《見せた》のです。
「リセット──」一華さんはバチを消し。
「リスタート──」再び手元に戻します。
「あはは、なるほどね! そんな使い方もあるんだね!」
『№5 イッチーのバチバチ。リターン:勝鬨終了まで、いちかに任意のタイミングで出し消しできる太鼓ばちを付与する』
その効果は、常にバチを握っている状態では不便だという事情を鑑みた結果の能力です。
バチは嫁狐を叩くための物。それ以外の場面で使い道は少ない。なら、出し消し出来たほうが便利だよね、という思惑だったのでしょう。それがまさか──。
「投げ終えてからバチを《消し》、再び生み《出す》ことで、手元に戻す。《永久機関》の出来上がり。まさかアタシの異能を、《応用》してみせるだなんて。イッチーは天才だ」
いくら異能の力と言えども、《物質》を生み出す、という超常には驚かされるばかりです。が、いい加減、なんでもありのアスアヴニールの在り方にも慣れてきた頃合いです。
意識を深く沈めろ。目の前の激闘のみに集中しろ。眼前の《楽しい》を、見逃すな。そう自分に言い聞かせる。一華さんは、生み出したバチを再度投げつけます。避けることに注力するアン。その間隙を見逃さず、一華さんは距離をより縮めます。
「変わらないの、悪あがき」
アンは一華さんに向けて銃を構える。虎狐──、発動できず。
譜面の都合上、使えるタイミングではなかったようです。このままでは銃撃される。まずいですね──。
「『№19 誰彼噂』発動します」
アンがくしゃみ。回数はランダムで、今回は一回です。その一回が、生死を別けました。
「くしゅん」
「よくやった!」
引き金をひく時間が、くしゃみ一回分、出遅れた。──ドン。
「虎狐」
銃弾を阻止。アンは次撃を狙うも──。
「嫁狐」
反撃することで防ぎます。
一華さんはジグザグ走法で、アンに手の届く距離まで接敵しようと奮闘します。
「エイムアシストある、関係ない」
「鼻水吹けよ、なさけない!」
狙いを定める銃口に向けて、一華さんがバチを投げました。アンは避ける。そのため、銃が打てない。
「アン、殴るのも得意」
近づく一華さんに向けて、ガチンコ特攻を挑むアン。とうとう近接戦闘の始まりです。
一華さんの殴打。アンのローキック。
一華さんのラビットパンチ。アンの左フック。
どれもこれもが、屈強な女体に掠ります。それでも、掠るだけ。
クリーンヒットすることはなく。彼女たちは、すべての攻撃をすんでのところで避けきっているのです。殴りつつ避ける。避けつつ殴る。肉切り骨断ちの応酬。次元が違う……。
「やっぱり初心者。《異能使い》が雑」
アンが余裕しゃくしゃくといった態度を笑みで表現。
「イッチー、殴り合いになってから、能力使えていないよ……」
ひとつちゃんの呟き。一華さんは、ボックスに慣れている。慣れすぎていて、《能力》が介入する余地がないのです。
「なら、コレが届く──」
アンが、腕を振り下ろしました。その手にはハンドガンの銃口が握られています。《銃床》で一華さんの頭部をカチ割ろうとしているのです。
「っち!」
攻撃を躱すため、一華さんは無理に半身を後ろに反らします。しかし、《殴り合い》の最中の武器の使用に、目測を見誤ってしまい。
ドゴ。
ハンドガンの端が、瞼を掠めた──。
銃撃の注意は怠っていなかった。だとしても、銃で《殴られる》だなんて、予想できるはずもなく。
意識外の攻撃は、ダメージ以上のストレスを一華さんに与えます。
「これで終わり?」
アンは銃をくるりと回転、狙いを定めます。
「虎狐」
なんとか能力を使用。
「コンコンもう見切った限った」
アンは撃たない。虎狐が消えるのを待つ。
「そして避ける」
虎狐が消え、銃弾を躱すために身を倒す一華さん。アンは撃たない。倒れ終わるのを待つ。
「棒でも投げる?」
アンは撃たない。一華さんが必死の抵抗、バチを投げ終わるのを待つ。
「ひとつも使う?」
アンは撃たない。フォローに回るひとつちゃんの行動を視認。運が悪いことに、この状況を打破するためのカードはありません。アンが能力のリターンを目視できているからこそ、打開策がないのも筒抜けです。
裏技のツケがここにきて廻ってきた形……。
「なら撃てる」
「ちくしょう」
「チェックメイト」
ドンと──。
一華さんの胸に薔薇の深紅が咲きました。せめてもの抵抗に、葉札を一枚《使用》するも、間に合わない。
蛇口をひねったかのように、血が胸部から洪水する。赤抜けた一華さんの身体が。ただでさえ雪の様に白く美しい彼女の肌が。見る見るうちに漂白され。そして、こと切れる……。
「ふがいないね」
「えぇ、まったく」
悔しくて、悔しくて。唇を噛みしめ。掌に爪を食い込ませ。涙を呑む。
「イチカ、強かった。でも、アンのが強い。アンが銃構えたら、イチカはコンコンするしかない。守ることしかできない。銃弾を撃つ権利、アンにある。アンが先手で、アンが必勝」
「うるさいなぁ。もう、終わりにしませんか? 一華さんが死んだ、アンが勝った。それだけでいいじゃないですか」
お互いに、長ったらしい戦況報告はなしにしましょうよ。
「次は僕達が相手だ」
「ところを望む」
僕はレベル1。一華さんと違い、戦闘力も皆無です。ひとつちゃんのおかげで多少役には立っていましたが、それは一華さんの奮戦あってこその話。格上相手に僕はなすすべがない。
勝つのは難しく。比肩するのは高望み。縋ることすら厳しくて。挑むのも億劫になるほどの万里。
強い敵、勝てない敵、負けイベント──。
でも、《楽しい》のも、本当だから。
「遊びましょう」
ロールプレイングゲーム。《AI戦闘モード》を実行。ガンガン行きます。
思考する機能はそのままに。肉体を動かす権利のみ、AIに移行。まるで他人に体を乗っ取られたかのような感覚。だけれど違和はない。非常に、《心地がいい》。親和率が高いといいますか。なんといいますか。そうですね、《思った通りに、体が動く》万能感があります。
高度なAIがコンマ数秒で、現在のひとつちゃんのカードをリスク込みで知覚します。
『№16 糸車。リターン:自身が受けたリスクを、対象にも付与することができる。リスク:選んだ対象に手作りのマフラーをプレゼントしなければならない(一年以内)』
『№20 幽体同離脱。リターン:対象を三十秒間透明にさせる。リスク:対象は三十秒間攻撃できない』
『№21 三位三体。リターン:任意のカードの効果が三倍になる。リスク:選んだカードの効果が発動されない。なお、これらの効果は勝鬨以降も引き継がれる』
『№30 起死回死。リターン:死にかけている人と、自身の状態を入れ替える。リスク:死にかけること』
『№32 お手。リターン:相手にお手させる。リスク:効果発動中、仲間は攻撃できない』
計五枚。以上の条件から、《勝てる》道筋をAIが算出。その答えは──。《一つだけ》。
「ひとつちゃん、僕を信じてください」
「うん!」
「アンに、カードの《リスク》を開示してください」
「おけ!」
ひとつちゃんが、リスクの秘匿性を解き、アンに第二の能力を呈します。
「わからない目的」
「相手のことをよく知りもしないのに、フォークダンスは踊れない。つまりはそういうことですよ」
「全然わからないよ。ナオ君節が効いているよ」
オクラホモミキサーは踊れない。
「オクラとホモをミキサーにかけるなよ。それを言うならオクラホマミクサーでしょ」
では、第二ラウンドのゴングが鳴ります。『天国と地獄』もいよいよクライマックス。
「ナオカズはイチカじゃない。強くない。これでお終い」
アイアンサイトごしに、可愛いアンと目が合います。では、《銃口にキスする》としましょうか。
「『№32 お手』」
能力はつつがなく発揮され。強制的に、お手をさせることに成功しました。お手をするのはアンの《右手》。そしてアンは、《右利き》です。当然、銃を握る手も、右。
アンとの距離を詰めるのと同時に。彼女の銃撃をも防ぐ一手。
「ボンジュール、マドモワゼル」
最敬礼として手の甲に口づけする仕草を取ります。
「セニョリータ、左手でも打てるのがアン」
アンは銃を左手に持ち替える。
「銃は撃てたら強いけれど。撃てないのなら玩具にも劣るよん」
僕達は『お手』のリスクの効果で、攻撃することが出来ない。が、《妨害工作》はそのかぎりではない。ひとつちゃんは銃を握るアンの左手を両手でグッと持ち上げました。トリガーを握るのを防ぎ、同時にターゲットを僕達から空に変えさせたのです。
「痛い目みるのが見くびりる」
アンは僕の足を引っかけました。FPS、それもサバイバルモードの恩恵として、身体能力が増しているアンの膂力は、容易に僕達を地に下します。
「はなす!」
それでも僕は手を離さない。
それでもひとつちゃんは手を離さない。
僕達は二人で一つ。だけれどやはり、二人いることに違いはなく。ひとつちゃんは、僕から離れてまで銃口を掴み続けてくれました。
僕もよりいっそう握る手に力を籠めます。これでアンは両手を塞がれた状態。
「ファインプレーです」
AIは間髪置かずに反撃。浜の《砂》をアンの両目に投げつけます。
「大癪なのがソレ」
両手を塞がれた状態のアンが砂の投擲を避ける手立てはなく。顔面に砂化粧をちりばめます。
これで数秒間は行動を抑制できるでしょう。
すかさずひとつちゃんを背負い直し距離を取る。
近づけたとしても、アンには近接戦闘の技術がある。そして離れたら、銃弾でハチの巣にされる。
アンにダメージを与えられる手立ては、近距離、遠距離、双方において存在しない。このままでは勝機がない。そのことが今の数舜でよくわかりました。
だとしても。問題は山づみですが、答えを求めるための《数式》はすでに完成しているのですから──。
勝ちにいきましょう。
「《目》みえなくても、《思い》で当たる」
視えているかどうかは関係なく、アンの能力は発動するようです。彼女はトリガーを引き絞ります。だけれど撃鉄は、カチッと腑抜けた音をあげるのみ。戸惑うアンを嘲うひとつちゃん。
「あははー。弾は抜かさせてもらったよん。馬鹿みたいにスパスパ銃を撃つんだもん。いい加減おぼえちゃったぜ。ついでに『№21 三位三体』発動っと」
アンが自己蘇生のために何度も行っていたリロードを、ひとつちゃんは注意深く観察し。空薬莢を輩出するための工程を、しっかりと記憶していたのです。
銃を握ることができた好機を見逃さず、彼女は巧みにもシリンダーから弾丸を抜き取っていたというわけですね。
そんなひとつちゃんは『三位三体』を発動。リターンがリスクに相殺、いや虐殺され、対象のカードの効果が発動しなくなってしまうという能力。このカードの必要性を問い質したい所ですが、なんとその選択こそが《正解》なのです。
勝つためのロードマップが順調に進みます。
「イチカより弱いのに、やりにくいのがオタクら」
食えない奴らとまではいきませんが、味が悪いのが僕達です。クレバーに楽しみましょう。
「でも残念。弱いのが弱点」
ため息を零すアン。彼女は見抜いたのです。僕達が、もう《詰んでいる》のだという事実を。なぜならば、銃弾を防ぐためのカードも。アンを仕留められるレベルの武器も。手札には来なかったから。
デッキから、強力なカードを手繰り寄せることが出来なかったのです。
TCGの、運ゲーたる所以。理不の尽きることない《不幸》が、とうとう鋭利な鎌を、首筋に当てがったのです。
「アンはもう、見えているのが『Fin』の文字」
アンは早々にケリをつけようと、撃鉄を降ろすことすらせず。トリガーを力任せに握り、ダブルアクションで銃弾を連射してきました。
ドン──。
『№20 幽体同離脱』発動。だけれど、僕とひとつちゃんの姿は消えない。アンはすぐさま、『三位三体』の効果のせいで能力が顕在しないのだと理解します。
ドン──。
最後の抵抗。されどどこまで行っても僕たちは《不幸》の申し子で。状況を打破するための、神のカードがやってこない。ディスティニードローなんてできやしない。
ドン──。
運命力が足りていない。主人公補正なんて在りえない。僕たちは、太陽にも見捨てられた、不運の寵児。
ドン──。
詰めろのかかった必至の局面。もう、《僕達》ではどうすることもできない。
ドン──。
装弾数の余すことなく打ち切り、すべてが体に《命中》。
「おどろいたのが、自己矛盾」
「……オ君。よく、やった──」
アンの《当たればいいな》の弾丸は、寸分の誤差すらなく、しっかりと的を射抜いてみせた。それでも僕は立っている。なぜかといえば──。
「ひとつを庇ったのがナオカズ。どうしてひとつが盾になる?」
僕がひとつちゃんを前に突き出し、盾の様に扱い、弾丸を彼女の身体で防いだからです。
「ねぇ、どうして?」
もちろん、リスポーン機能があるからです。生き返るのなら、死んでもいいという価値観の変化に、柔軟と対応したまで。
それにAIが、そうするしかないという判断を下したから、という理由もありますね。
だけれどそんな理由、ただの《言い訳》に過ぎないことも、僕自身が一番、よく分かっています。
嘘はもういい。自分殺しはうんざりだ。本音を吐け。
「ひとつちゃんは、僕に怒ったんです。アタシのために《苦しむな》と。自分の為に《楽しめよ》と。僕の楽しいは、ひとつちゃんと楽しいことをすること。今のひとつちゃんは、僕の選択した非道を、心底楽しいと思っている。だから僕も、同じぐらいに楽しい」
ひとつちゃんを前へ突き出しているため、僕から彼女の表情は覗えません。
でも、僕には分かるのです。彼女は今、満面の笑みを浮かべているのだということを。
ひとつちゃんが死ぬのは楽しくない、だから庇った。けれども、その《庇う》行為が、ひとつちゃん本人はつまらなく感じた。
ひとつちゃんが楽しんでくれたほうが、僕はもっと楽しい。
ただ、それだけの理由。それだけの理由のみで、僕はひとつちゃんを殺せる。
《僕が楽しめなくなったとき、魂もろとも、僕を殺せ》。死なないためにやったとは言いません。ただ僕は、自分の《楽しい》に、正直でありたいだけなのです。
「あは──────」
持ち上げていた彼女の身体から、脈動が途絶えたのを、触れる肌から感じ取ります。五発の銃弾は、ひとつちゃんの息の根を止めた。
血みどろになった彼女を、そっと胸に抱きしめる。
「無理なのが理解。悪いのが気持ち。どうしてそこまで、《最悪》でいられる」
「僕たちは常に、《最悪の状況》を前提にしています。《幸運》を行動指針にする《不幸者》が、どこにいるというのです──」
ではこの勝鬨、そろそろ幕引きと行きましょう。三十秒経過──。
僕はひとつちゃんのカードを使用します。たしかにひとつちゃんは鼓動を止め、死の道をたどりました。けれど、現代医学的に言うのなら、《脳死》こそが死亡の判断基準であり。つまり、ひとつちゃんの能力の使用権はいくばくか残されている、ということなのです。
『№30 起死回死。リターン:死にかけている人と、自身の状態を入れ替える。リスク:死にかけること』発動。
アンはひとつちゃんが生き返ることを危惧してか、彼女の屍体に警戒を示します。
「デコイですよ」
その瞬間──。
全身に想像を絶するほどの激痛。呼吸すらままならない痛覚と、熱の暴力が心臓を蹂躙する。
それでも──。
《目》だけは、見開くんだ。眼前の《楽しい》を、直視するために──。
そして驚け。おののき、刮目しろ。
「あとは任せろ」
そこにはあったのです。《一華さん》の凛々しい後ろ姿が。
「なっ──」
唐突に《現れた》、殺したはずの一華さんに戸惑うも。
さすがというべきか、その奇襲攻撃に、アンは反撃を合わせてしまうのです。
すぐさまリロードしたハンドガンで、一華さんを銃撃。
だけれど、狙いは外れ。弾丸は虚空を駆ける。なぜならアンの異能は、《思い》の弾丸だから。《吃驚》に支配され、混乱と困惑の渦巻く思考力では、精神力を由来とする異能の発動が出来なかったのです。
そう予想したからなのか。はたまた一発ぐらいの銃弾なら意に返すまでもないという、鋼の度胸からなのか。
一華さんは身を案ずることすらせず、突撃刺激の突貫を仕掛けます。
狙うのは飽くまでも《嫁狐》の一発、ということなのでしょう。サークルはすでに顕現しており、あとは渾身の一撃を振るうのみ──。
アンはなんとか冷静さを取り戻し、再び銃撃を試みます。その間、コンマ数秒。もはや達人の域です。だけれどほんの少し、《僕》のほうが早い──。
あぁ、僕は弱いとも。弱くて、頼りないですとも。レベル1。その結果、可抗力とはいえ、大切な人を死なせてしまった。
ひとつちゃんを殺したのは、アンではなく、僕なのです。
弱い。弱すぎる。あまりにもあんまりに。怒れるほどに。虚しいほどに。ただただ純粋に、僕は弱い。弱くて、ちっぽけで。けれど──。
弱いことを言い訳にして。《弱い》自分を許容するのは、《楽しくない》。
もがけ──。
「『№16 糸車』発動です!」
リターンは、自身の受けたリスクを敵にも付与すること。僕は糸車の力で、『起死回死』のリスク、《死にかける》を、アンにも行使します。
「うっ!?」
吐血するアン。その数舜、その刹那、一華さんの拳が決まる──。
神様の死を無駄にするな。自身の《殺人欲求》を解き放て。今、この瞬間に、ウチのすべてを拳に込めろ。彼女はその《楽しい》を、馬鹿正直な気持ちのままに、振るうのです。
いけ、真っすぐに──。
「嫁狐」
ドン、ドン────。
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