登録を済ませた僕達は天竺の銭湯を借り、汚れた身なりを整えました。
さらに清潔な麻の衣装を貰い受け。天竺の案内役をかって出てくれたワンさんの付き添いのもと、街を観光しているのが現状です。
それにしても、天竺は本当にスゴイところですね。土の壁に、木の柱、平らな道に、整備された街並み。目抜き通りの様相を呈しているメインストリートには多様な出店が立ち並び。数多のプレイヤーが歩牛をなして、ゆるりと食道楽に興じています。
紛うことなき一国を、一プレイヤーが。それも子供が作ったというのですから、仰天です。
「あそこの小籠包めちゃ美味いネ。豚の替わりにイノシシ。皮は麦で生成した強力粉で作っているネ。西門の外は麦のプランテーション化に成功した畑があってネ。天竺の主食になっているヨ。他にも、衣服、飲み物、嗜好品。天竺にいればあらかた手に入れることができるネ」
アスアヴニールに来てから一週間以上。まともな料理をまったくもって口にしていない僕達が、魅力の源泉小籠包の、抗い難い香りに勝てるはずもなく。ワンさんの饒舌なんて歯牙にもかけず、「三人前ください!」
よだれをダァダァと垂らし、出店のお嬢に注文願うのでした。
「三百タオになります」
《ナオ君の真っすぐ》を使用しているため、会話に不備はありません。
「タオ? 天竺の通貨か何かか?」
「その通りだヨ。そしてお嬢、さらに一人前追加ネ」
「ワン様じゃないですか! まいどありがとうございます!」
ワンさんが懐から《紙幣》を取り出し、お嬢に支払いました。手渡された《厚紙》の船皿には、あっつあつの出来立て小籠包がいくつか乗せられており、すこぶる食指が刺激されます。ゴチになります!
「げっ!? 趣味悪いよワンちゃん! お札に自分の顔を印すなんて」
「そういうなヨー」
その言が気になり紙幣を伺うと、満面の笑みを張り付けたワンさんが刻印された、立派なお札がありました。偽造防止のためか、幾何学模様と数列が複雑に柄を編んでいます。
「現代でも通用する紙幣の印刷技術。食事用の皿に流用することもできる、丈夫な厚紙。ワン、このアスアヴニールで、どうしてこれほどの術を?」
と、一華さん。
この世界に近代的な機器類の類は一切なく。街を闊歩していても、現代科学の片鱗を感じることはできません。それはまるで、百数年前にタイムスリップしてしまったかのような。
「我は言ったネ? この街の運営は《ゲームマスター》に一任していると。ゲーマスの異能は、《シミュレーションゲーム》ネ。その実態、天竺という街を一つの《舞台装置》とし、高次元な視点から街の運営をシミュレートしているんだヨ。そうすることで、本来向き合わなければいけないはずの、九十九パーセントの問題をカットすることができているネ。医療問題、食料問題、衛生問題のあれやこれやをネ」
【シミュレーションゲーム(SLG) 運命に直接《干渉》できる唯一無二のジャンル。世界の未来を架空にシミュレートすることで、ありうべからざる《先》を視覚し、現実に《選択》という形で反映させ。いらない未来と、好みの未来を取捨選択することができる能力。SLGは勝鬨以外においても、特に《街の運営》などに優れている場合が多い】
つまり、《ありえるかもしれない様々な未来》の可能性をシミュレートすることで、《自分好みの未来》を選択できる能力というわけですか。
《良い未来A》と、《悪い未来B》を《視覚》し、《A》を選出することができる力。字面だけを見れば、かなりぶっ飛んだジャンルですが。
「しかし万能のシミュレーションゲームにおいても、少なからず欠点は存在しているネ。それは、《不可能を覆す》手段がない、ということだヨ。なにせ、本人自体は、《未来視》が多少できるだけの人間だからネ。《嫌な未来しか視ることが出来なかった》ら、もうどうしようもないネ。シミュレート回数にも上限があるしネ。でも、我のゲームマスターは一味違う。彼女は不可能を覆す《オリジナル》の持ち主ネ。その名も【因果天賦】。本来不可逆なはずの《未来視》に多少のエッセンスを加えることで、活発化する《可能性の群れ》を視認する能力なんだヨ。具体的に言えば、街の運営というシミュレーションに、《紙幣》や、《麦の種》という《プラスアルファー》を加算することで、《ありえないはずの可能性》を実現させる力ネ」
風が吹くだけで桶屋が儲かるように。蝶の羽ばたきが竜巻を成すように。シミュレートに《特異点》を置くことで、可変性を《爆発》させる、というわけですか。
「なるほど。だから時代性に不釣り合いな、プランテーションや高度な紙幣というオーバーテクノロジーが実在しているのですね」
「そういうこと。つまりだヨ。《マンパワーさえあれば、アスアヴニールに二十一世紀の北京を再現する》こともすらも、ゲームマスターがいれば可能になるのかもネ。君ら風に言うのなら、《東京》かナ?」
勝鬨に直接影響しない《利便性》であるからこそ、そうした《チート》が許されるという、《抜け道》。僕達とはまったくちがった別種。あるいは《異常》。
「夢、末広がりですね──」
「アタシは東京も北京も必要ない! 美味しいご飯が食べられる南京町のほうが万倍マシ! いつまでくっちゃべっているの!? 小籠包が冷めちゃうじゃん!」
と、ひとつちゃんおかんむり。花より団子、ロマンよりもご飯だ! と、意気軒高。そして、おっしゃる通りなのです。返す言葉もバイですね。
では、「「「いただきます」」」。あっちっち。
美味しい小籠包、チョコバナナ、タコ焼き、|御手洗《みたらし》団子をパクパクパク。すでに日も傾き、宵闇のとばりが降りようとする時刻。街中は|橙《だいだい》の提灯に彩られ、風情溢れる一枚絵が完成し。そうした情景は歩くたびにくるくるとスクロール、違った表情を魅せてくれます。端的にいってワクワクします。が、そんな僕達は、不躾にも《怒って》いるのでした。
「ゴメン、ゴメンヨー。でもさー、やっぱり《ゲームマスター》の異能は魅力的だったんだヨー。わかるでしょ?」
「おおいにわかるとも! だからこそ腹立たしい! できることならアタシが支配したかった!」
「ひとつちゃんの我儘を抜きにしても、さすがに横暴がすぎますよ」
なぜ怒っているのかといえば──。
「《アドバイザー》を、独占するだなんて……」
ワンさんが、《ゲームバランス》を崩壊させていた張本人だったからなのです。
ひとえにそれは、純粋な疑問から発展した《ふぁ!?》だったのです。
ワンさんは言いました。チームメイトである《ゲームマスター》の力を借りることで、天竺を運営することができていると。その話を聞き、まず一番にツッコまなければいけなかったのは、《ゲームマスター》という、出来過ぎた名前ではありませんか。
二つ名だか、本名だかは知りませんが。ことゲームであるアスアヴニール内において、その名称を掲げるということは。プレイする上での重要なキーマンになるであろうことは明白。なぜならゲーマスとは、《ゲームの進行などを取り仕切る人》を意味する用語なのですから。つまり、ゲーマスはかぎりなく悪魔に近しい、謎のゲームアスアヴニールの、運営サイドの人間であることが、おのずと知れるのです。そうした疑問をワンさんにぶつけてみれば──。
「その通りだヨ。ゲーマスは我らのような、《年少》プレイヤーではなく。アスアヴニールを出自とする《運営側》の《大人》ネ。ネバーランドで言うのならフック船長ネ。そして、面白いことにゲーマスは我らと同じ《ゲームジャンルシステム》に支配された《異能力者》だったのヨ。だから我思った。ゲーマスと《勝鬨》し、勝つことが出来れば、ゲーマスを仲間に引き込むことも可能? と」
シカ耳が勝鬨に勝利することで、ななぎり君をチームに引き込んだように。
「チームメイトだった八重咲がチュートリアルで呼び出され、行方を暗ませたため、捜索ついでに我は《始まり》の場所に向かったネ。東の始まりの浜辺、西の始まりの黒峰。始まりの地は新規プレイヤーが目覚める場所。ならチュートリアルは始まりの地で行われるのが一番多いネ。そしてそこには、ゲームを効率的に進めるための《アドバイザー》が、それぞれ配置されていたんだヨ」
始まりの地。そこにはかつて、《大人》がいた。
「結果的に言えば、アドバイザーを仲間にすることは《可能》だった。つまるところ我は、八重咲の行方不明によって空いた一席を、浜辺担当の《ゲームマスター》で穴埋め。隷ぞ、もとい懐じゅ……。んーと、お友達にしたんだヨ」
言い訳が聞き苦しいですが、ようするに《運営サイド》の人間を抱き込んだということです。
「アドバイザーの役目は、《新規プレイヤーにコマンドの使用方法と、世界感、勝鬨、異能力の説明》を行うこと。簡潔に言えば《取り扱い説明書》ネ。質疑応答機能もあって便利だったヨ」
ではでは皆さまお立合い。どうして僕達が怒っていたのか。その理由が今明らかに。
「つまり、アタシ達が説明もなしに、理不尽とさえ言える状況下で、ゲームを始めなければいけなかったのは。もろもろのアドバイスをしてくれるはずだったゲーマスを、ワンちゃんが仲間にしていたから?」
「是的」
詰んでいてもおかしくないコマンド発見の難易度。ゲームシステムに対する不親切なまでの説明不足。パニックに陥る恐れもあるわけのわからない状況下。あれらのすべては、《アドバイザー》がいなかったせいなのです。
「よし殺そう」
「イッチーに賛成一票」
「僕も含めて過半数。どうします? ワンさん」
「ゴメンヨー。お詫びに食べ物たくさん奢るヨー」よし許そう。
というのが、事の顛末。
「ま、それでもアタシらはつつがなく天竺に到着できたわけだし。イビるのもほどほどにね」
「天目優しいネー」
「そうだな。ウチらは運が悪かっただけ。たまたまアドバイザーのいない浜辺でスポーンしてしまっただけ。そういうことなら、平常運転だ」
いつも通り運が悪い。いつも通りの不幸です。
「黒峰のアドバイザーを鹵獲できるヨ。という情報提供を条件に、五千ポイント越えだったチームクレマチスをサクリファイスに潰させ、得たポイントを天竺に横流ししてもらったという裏設定があるから、どのちみちこの世界にアドバイザーはいないネ」
一華さんの拳が飛んだ。
「痛いネ! まぁ、そうした私欲以外にも、もちろん打算じみた言い訳だってあるネ。その証拠に、我はアドバイザーの代理を、始まりの地に配置していないネ。アドバイザーの異能力がほしいだけなら、別のプレイヤーに代役を命じることだって、我にはできたのに。でもそうしていないのは。《この世界を良くする》ためネ。君らなら伝わるはずヨ。《このゲームはあまりにも殺し合いを推奨している》という事実に」
「当たり前だろ。だってこのゲームはPVP──」「それって別に《殺し合い》じゃないでしょ。それこそ勝鬨内容を将棋にすることだってできるんだし。でも、そうはならない」
「人を殺すための《異能》を用意して《戦え》というのだから、それは必ず《殺し合い》に発展するネ」
人を殺すための《異能》。その力が 《勝鬨で使える》というだけで、何も《使うことにこだわらなくて》もいい。平和的に将棋やババ抜き、ジャンケンにすることだってできるはずなのに。
確かに言われてみれば、その通りではありませんか。
「たちが悪いのが、《クリア条件が曖昧》なことネ。勝鬨で勝てばポイントが手に入る。ポイントが多ければギフトが得られる。《それがどうした》。ポイントを貯めればクリアだなんて、運営は一言も言っていないネ」
当然、クリアの存在しないゲームだってあります。魔王を倒しても、世界は続くように。なら、殺し合いは、本質的に意味がないとも言えてしまうでしょう。
「アタシたちのような、《殺し合い》が趣味な人間なら、べつに現状のシステムに不満はないよね。でも、死にたくない、殺したくないっていうプレイヤーだって、必ずいるはず」
もうだれも殺したくないと願う、ななぎり君のように。
「そんな子たちが、半強制的に《殺し合う》のは違うネ。でも、武器を手にすれば、意識は当然殺し合いに向いてしまうヨ」
「運営が現状のシステムを続ける限り、その問題は決してなくなりません。なら、殺し合わせようとする《誘導》を、根本的に《なくせばいい》──」
「気づいたネ、我の真意に」
ワンさんがニヤリと口角をあげます。その表情は、常に笑顔をたたえるワンさんの。いみじくも《初めて見る》、心の底からの、《悦び》でした。
「確かに中には、明日部の様に自力で《ゲームシステム》を理解するプレイヤーだっているネ。でも大半は、《訳の分からぬまま》、世界を彷徨うことになるヨ。試練の森、試練の紅蓮で数か月間サバイバルしなければいけなくなるからネ。何度か餓死するかもネ。幾度か大ケガするかもネ。初心者狩りに痛ましく殺されるかもネ。そしてようやく、新米プレイヤーは《天竺》にたどり着くわけヨ。そしたら彼ら彼女らは、どう思うかナ?」
「ようやっと、地獄から解放された、ですか」
「その通りネ」
ワンさんがキザに指パッチン。
「天竺は《発展》が約束された、極楽ヨ。さらにアスアヴニール内で、プレイヤーは《不老不死》ネ。我、こう見えても半世紀以上生きているヨ。そうした現状において、いったいどれほどの子供が、安全安心の世界を飛び出してまで、《殺し合おう》とするのかナー」
街の中にいれば勝鬨は行わずに済む。街で暮らす限りにおいて、命の危機はやってこない。そうした居場所の中で、《わざわざ殺し合う》ための能力を発現させる必要性は少ない。
それにしても《不老不死》ときましたか。いよいよ現実離れしてきましたね。
「アドバイザーがいなければ、《殺し合い》を選ぶプレイヤーはぐっと減るかもですね……」
「そして天竺は、ヘロヘロの新規プレイヤーにこう誘導するネ。《街の運営に役立つ異能》を手に入れ、街の発展に《貢献》すれば、報酬として紙幣、《タオ》をあげるヨ、ってね」
悪魔の囁きと、天使の施し。普通の価値観を持つ人間なら、迷いなく後者を選ぶでしょう。
などなどの為政の甲斐あって、《天竺運航サービス》なる団体も生まれているのです。
「なるほどねー。そうすれば、《天竺》に仇なす《チーム》の絶対数は増えないし。街の利潤もがっぽがっぽってことか。一石二鳥じゃん」
「二鳥どころか、飛ぶ鳥を落とし続けるヨ。娯楽が沢山の天竺で、楽しく暮らしたいと思うのなら、年間で三百万タオぐらいは必要ヨ。そして三百万タオは、《1ポイント》で購入できるネ」
「うわぁ、とんでもないシステムですね。ポイントは一年で1増える。楽しく暮らすには1ポイントの支出がいる。つまり、生きているだけで、平和な人生が約束されるわけなんですね。そこからさらに贅沢したい強欲さんは、ポイントを余分に支払うか、異能で街の発展に貢献するだけでいい。天竺からすれば、《ライバルは増えない》し、《ポイントは増える》し、《街は発展し続ける》。ウィン:ウィンどころか、ウィン:ウィンウィンウィンじゃないですか」
誤解を恐れずにいうと、《弱そう》なワンさんが、それでも一万越えのプレイヤーであるのは、こうした理由があったからなのですか。まさしく《王》の器です。
「頭いいな、ワン」
「いいんだヨー。それに、旧態依然の殺し合い推しプレイヤーにとっても、《天竺》が提供する数々の娯楽は単純に魅力的だしネ。つまり我は、殺し合うばかりだった等活地獄を、アドバイザーの|傀儡《かいらい》化と共に《極楽浄土》に作り変えたわけなのヨ」
「よくやった! アタシはワンちゃんをなでなでするぜ」
「光栄だヨー」
うぅ、妬けますね。
「ところでワンちゃん、アタシ達も天竺で優雅な生活が送りたいわけなのだけれど。いつまでもパトロンでい続けてもらうのも悪いし。どうすればまとまったお金が手に入るのかな?」
「前述したとおり、1ポイントを三百万タオに換金することができるネ。それが嫌なら働くネ」
「本当にそれだけ? アタシとしてはー、ポイントの支払いも、労働もお断りしたい所なんだけれど」
「ニート根性ここに極まれりだヨ」
「食べ物や娯楽品を提供してくれるお店があるのなら、その逆、《貴重品を買い取ってくれる》窓口も、あったりするんじゃないのかな?」
なるほど。ポイントを支払わず、労働も行わず、楽して資金を得ようと思うのなら。資金と交換できる物品を質に入れればいい、という考えなのですか。さすがTCGのセドリで資金調達をしていたひとつちゃん。この手の事柄はお手の物です。
「あるにはあるけれど、相当なお宝でもないかぎり、潤沢な金利はえられないヨ。相応の市場価値が必要になるからネ」
「それはムーマンタイだよん。数百万以上の値はかならずつくであろう貴重品を、アタシ達は《三振り》ももっているんだから」
「八重咲の刀ネ……」
正しくはシカ耳の、ですが。腰にぶら下げた刀を掌の感触で確かめます。
「切れ味は言わずもがな、この刀さえあれば、木々の伐採はお茶の子さいさいさ。建築物に必要になる資材の採集効率ははねあがるかもね」
物質なら必ず切れる刀であるからこそ。本来必要になるであろう力学は激減し。労働者の負担が減るということは、イコールで仕事の効率アップにつながるのです。
ななぎり君も、実際に大木を容易く切り落としていましたし。なにより、《同じ異能を設定できない》というアスアヴニールの特性上、シカ耳が天竺に刀を手渡さない限り、けっして同種の道具を手に入れることができない、というプレ値も加算されることでしょう。
「いいや、刀の価値はそれだけにとどまらないネ。地下施設を作ることも、カッティングした石材を集めることも。これまでは難しかった河川の灌漑化や町の開発も、総じて可能になるネ。有用性をあげはじめれば切がないヨ──」
ワンさんが、《王》の目つきになりました。
「いいじゃん、楽しくなってきたよん。イッチー、ナオ君、アタシはワンちゃんと大人のお話がしたいんだけれど。たぶん長くなるだろうから、さきに《塔》に行っといてくれないかな」
もたもたしていては夜も更け、お眠の時間に。それを危惧したひとつちゃんは、本来の目的である《塔》の確認を済ませるために、いったん別行動をとろうと言っているのです。
「ウチらがいなければ誰が神様の足になるんだ。ウチは残る。勝鬨が出来ないのなら、肉体疲労も問題にならないし。頭脳労働はカスに任せた」
「任されました」
ということで、何気にアスアヴニールで初めてとなる、単独行動の開始です。
食欲をそそる食事処の香りを潜り抜け。艶やかなお姉さんたちのお誘いを死に物狂いで切り抜けて。メインストリートを真っすぐ突き進んだ先に、その《塔》はあったのです。
東西に延びる目抜き通りが交わる《中央》。つまりは、天竺の中心地点に位置する開けた広場にて。十数メートルはあろうか、飾り気無い四角錐のモニュメントが、天をつくように伸びていました。
灰色の塔は古式ゆかしい街の外観とは趣を異にし。つぎ目のない一本柱で、近代的です。先の街の喧騒と、塔のある広場はどこか隔絶された空気感があり。不気味な静けさがしんしんと降りていました。
なによりも。街と塔が不釣り合いである違和感も当然とありますが。塔から放たれる、故もしらない《悲しさ》に。独特な《冷たさ》に。僕はどうしてか、心がゆすぶられたのでした。
まるで、一人ぼっちの世界で、ただ独り、誰かを《待ち続けている》、かつての僕の様に見えて。
「いやいや。僕は建物に感情移入できるほど、できた人間じゃないでしょ。らしくないぞ」
きっと、久しぶりのボッチのせいで、ナイーブな気持ちになっているだけなのです。泣くな。いつから僕はそんな殊勝な人間になったんだ。
意識を切り替え塔に近づき。思い人の頬に触れるような心持ちで、そっと掌をかざしたその時──。
「塔を起動するのには、コマンドコード『起動』を行う必要があります」
「うわっ!?」
唐突な声掛けに、身体がピョンと跳びはねました。今の今まで気づけませんでしたが、どうやら塔の真下に備え付けられた腰かけに、一人の女性が腰を落としていたようです。
女性は全身を覆う皮布の外套で身を包み。目深に被るフードが、素顔にヴェールをかけています。物静かな立ち居振る舞いもあってか風景に溶け込んでしまい。そのせいで存在に気が付けなかったのでしょう。
命が希薄と言いますか。人間味を感じないといいますか。広場を彩る装飾品の一つにさえ見えてしまう。
ですが、神秘的な女性の正体だけは、すぐさま悟ることが出来たのです。なぜなら女性は、腰を下ろしているのにもかかわらず、起立する僕と同じ高さに目線があるほどの高身長、《大人》であることは確実で。
なによりその《名前》をみれば瞭然。《ゲームマスター 9850》とだけ記されたネームプレートから、この女性が件のゲーマスであることは、ほぼ間違いないと見ていいでしょう。またしても一万近いポイント……。
「は、初めまして」
「……」返事がない。ただの屍のようだ。
んー、無視するべきか悩ましいところですね……。されているのは僕ですが。
「どうして、こんなところで座っているのですか?」
「塔の使用方法をプレイヤー様に伝達しているからです。それと並列して、天竺のシミュレートも行っています」
「そ、そうですか」
なんとも味気ない返答。まぁ、別段聞きたいこともありませんし、さっさと用事を済ませるとしましょう。
そう自分に言い聞かせ、ゲーマスから目を離し、塔に向き直ろうとした僕ですが。その視線は、されどゲーマスに、釘付けにされたのです。
釘で撃たれ、胸撃たれ。ネイルガンは拡散する思考をただ一点にのみ集約し、固定する。
ゲーマスの、その《足》に。
轢かれた子猫を見たときのような、息苦しさ。冷たい空気を鼻孔いっぱい吸いこんでしまったかのような、痺れ。声をあげて泣き叫びたくなる、魂のすり傷。日常の中の些細な絶望が、零れだす……。
別段無視してもよかった。気にも留めずに、思考の端に追いやって、見過ごすことだってできたはずです。なにより、そっちのほうが絶対《楽》ですし。
でも、僕の心は、それを決して許さなかったのです。僕が、僕であるために。
腰を落とし、両の手で、ゲームマスターの《素足》を、そっと包み込みます。
「温暖なアス島でも、夜は冷えますよ。それも裸足で。大丈夫ですか?」
ぶらりと宙に垂れ下がった足元に靴はなく。血流が滞り、濡れ咽ぶ白の足甲が寂しくて。
ただひたすらに座り続けたのであろう。無窮の時を過ごしたであろうその冷たい素足を。僕は決して、認めないのです。認めて、なるものか──。
だって僕は、足の感覚がなくて。冷えていることにさえ気づけない、女の子を知っているのだから。
「足元が冷えてしまえば、心も端から冷たくなります。それはきっと、楽しいことではありません。ゲームマスター。楽しいことは好きですか?」
彼女の表情を伺うために上を向くと──。
そこには、ポタポタと涙を流す、優しい微笑みがあったのでした。
「君は、好き?」
「大好きです」
ゲームマスターは僕をギュッと抱きしめて。ギュッとギュッと抱きしめて。苦しくなるほどに抱きしめて。ただただ撫でて。戸惑う思考と、火照る心を置き去りに。やわらかな香りと、人のもつ温もりを置き土産。
そして──、夢に見そうなほどの、熱いキスを、僕と交わすのでした。
「──?!!」
「アタシも好き」
僕の知らない、それは大人のキスでした。
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