僕達はそのご天竺の外に出て、勝鬨可能な麦畑に移動してきました。
月明かりに照る、なびく金色の音を聞き。スゥっと深呼吸、もつれた思考を解きます。
アスアヴニールは僕にとっての理想郷です。ひとつちゃんの底なしの支配欲を満たすことができて。一華さんのあくなき闘争心を燃やすことすらできる場所だから。そんな二人をはたから見ることができて、僕はとっても楽しいです。
だけれどその理想郷は、《悪魔》、地球未来の運営が完全に《支配》した庭園だったのです。支配されることがなによりも嫌いなひとつちゃんは、そうした状況を『つまらん』と罵り、アスアヴニールを破壊すると断言しました。
方策はしりませんが、まぁそこはひとつちゃんやワンさんがいるので、どうにでもなるのでしょう。一華さんはひとつちゃんにぞっこんでどんな場所にもついていきますし、僕も面白そうだったので、彼女の方針に反句はありません。
ただ、ひとつ気がかりになる事案があったのです。僕の足りない脳は、気づいてしまう。《終わった先の世界》は、はたして楽しいものなのかと。
一華さんが懸念するように、完全消去されるかもしれませんし、はたまたワンさんが目指す、極楽の世が待っているのかもしれません。結局、そのどちらに対してもいえるのが、そこに《争い》がないということ。もちろん任意の殺し合いは可能なのでしょうが。現在よりもワクワクできるほどの、強迫観念はきっとない。
そんな未来に、ひとつちゃんは《気に食わない》という理由のみで、突き進もうとしている。まぁ、終わり行く情況すらも楽しんでいる僕がいるので、別にいいと言えばいいのですが。
そうした緩やかな気の迷いに一石を投じたのが、アンだったのです。彼女は僕に、もっと激しく、《もっともっと楽しそう》な未来を、示してくれた。それは──。
《明日部と敵対》するという、最高。
皆が楽しければ、僕も楽しい。それは間違いないことです。けれども、勘違いするのはいけない。僕は別に、《皆がよければそれでいい》だなんて盲信している、聖人君子では決してないのです。
ソレよりも楽しそうなことが目の前にあれば、厭わず喰らい付く、狗畜生なのです。
今回、その《楽しそう》が、人生初めて現れたにすぎず。明日部と殺し合いをすることに、特段深い意味はない。平常運転、いつもどおりの、娯楽です。
「自己弁護は終わったか? カス野郎。お前にどんな正義があるのかは知らない。馬鹿なウチには分からない。でも、《神様を泣かす》ことが《クソ》だってことだけは、分かるぞ」
眼前には、目尻をはらしたひとつちゃん。そんな彼女を背負うのは、不貞腐れた一華さん。
「かっこつけんな馬鹿。一華さんはただ単純に、《最強》との殺し合いを邪魔されて、拗ねているだけなんだろ」
「うぐ」
「図星なんだねー……」
ワンさんが僕達の言い争いを見かねて、「こりゃ面白くなってきたヨ」と居酒屋を飛び出してしばらく。
絶賛殺し合い中だった一華さんを、無理やり引っ張ってきた次第なのです。まだ八回ほどしか殺し合えていなかったらしく、絶倫の一華さんは満足しきっていないご様子。
「本当にいいの、ナオ君。アタシ達の《敵》になるんだよ」
「それがいいんですよ」
「カス……、お前、とうとう堕ちるとこまで堕ちたな。そしてようこそ同じ穴。きめぇムジナの面構えがよく見える」
「これで可愛い一華さんを、眺めれる」
「褒めても何もでないぞ」
「アンのほうが可愛いですが」
「ぶっ殺す」
「はいはいそこまでネ。水掛け論は不毛だヨ。憎まれ口を叩くより、もっと必要な会話があるでしょうに。尺、天目、アン子女、君たちは本音で語らうべきだ。後悔することのないように」
仲裁という立ち位置についてくれたワンさんの忠言。そしてその通りだとも思うのです。ここできっちり《殺し合っておかなければ》、僕はきっと後悔するだろうから。生きても生ききれない。
「ナオ、手、震えてる」
傍らに立つアンが、そっとその手を握ってくれました。そして気づくのです。
心が、怖がっている……。
いくら最高に楽しいからとはいっても、それと等価値に、命を壊そうとすることが、僕は恐ろしいのです。
「大丈夫。なにがあっても僕は、アンと一緒」
「ナオ、たぶんだけれど、たぶん好き」光栄です。
アンは僕の二番目。けれどもアンは、僕を一番に置いてくれている。ならば僕は、一番を取っ払って、彼女の手を取るべきなんだ。揺るぐことのない根幹など、クソったれた淀みだから。
僕が生まれてきた理由なんて、彼女を抱きしめるためという、ただ一点のみで、説明できるのです。
「ナオ君にとって明日部は生きる理由。明日を目指す言い訳、それは間違いないよね」
「はい」
「それを壊すのは、きっと、とんでもなく気持ちよくて、楽しいことなんだろうさ。自害するほどの自慰だなんて、ゾクゾクするほどの極点だ。でも、そんな一過性の快楽に身を委ねるのが、ナオ君にとっての本当だというの?」
「たとえ偽りであったとしても。本気であるのに違いはないですよ。本当だとか、偽物だとかは意味をなさない。楽しいを極め抜くのが僕の生き様」
「このさいだから、はっきりいうね。ナオ君、その先には破滅しかないんだよ。アンには悪いけれど。アンの求愛が、《明日部》よりも面白いはず、ないんだから。明日部にいる方が、はるかに楽しい。そしたらきっと、ナオ君は比べちゃうよね。アンよりも、明日部にいたころのほうが楽しかったなって、泣いちゃうよね。そして、《つまらなく》なって、君は死ぬんだ」
《僕が楽しめなくなったとき、魂もろとも、僕を殺せ》。
その制約は、着実に、死の鎌首をもたげている。明日部を殺したその時が、僕の命の終わり時。
アンにはそのことを話していません。能力の詳細こそ伝えていますが、僕の目標については何も語っていない。つまり、アンは無情にも、僕に死んでといっているのに等しく。べつにいいよと答えたのが僕だから、ひとつちゃんはあんなにも怒っているのです。
「ナオ、どういうこと?」
「さぁ。あの人不思議ちゃんだから、スピリチュアルなことなんじゃないですかね」
「茶化すなカス。つぎ舐めた口叩いたら、ウチは泣くぞ」
「……すみません」
ですが。アンに本当のことを話すつもりはないのです。僕が死ねば、きっと自責に押しつぶされて、アンは衝哭する。初めてが、自分のせいで死んだと罪悪する。彼女の泣き顔を、僕は見たくない。だから、死んだ後にでも泣いてくれ。
「醜い言い争いは、もうなしにしよう。ナオ君、君の気持ちは理解できるものだよ。でもけっして、アタシはそれを認めることはないの。だから、君の言葉で、ハッキリと言ってほしい。ナオ君。ナオ君。ナオ君──。君は、《アンとアタシ》、どっちのために、死んでくれるの?」
その二択に対する返答はただ一つ。僕はアンの両手を握り、彼女の唇を──、「ん!?」奪うのです。
それは僕にでもできる、微笑ましくも痛ましい、子供の青いキスでした。
「そう。話してさえくれないんだ。わっかった。もういい。《狂依存的支配》は諦める。ナオ君、アタシは今から君を殺す。殺して、愛して、死なせて、犯す。もう二度と、アタシ以外のことを考えられないようにしてやる。《絶対的支配》の甘美で、味蕾をイかす。一華、手伝え」
「応」
──《勝鬨》可能。開始するためには、《チーム名》と、《勝利時のポイント譲渡数》、《試合形式》。最後に《思いの丈》を述べてください──。
「チーム《明日部》、ポイント譲渡数《オールイン》。試合形式《サドンデス》。勝った方の命令に絶対服従。思いの丈? お前らにくれてやる言葉はないよん」
「チーム《アンとナオ》。ポイント譲渡数《オールインコール》。試合形式異議なし。アン、あれもう一回してみたい……」
──以上をもって勝鬨とし、《殺し合い》を開始します──。
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