****『アンフェア』****
目の前に隕石が落下したのではないかと。そう錯覚してしまうほどの轟音。視界を一瞬にして覆いつくしたまばゆい閃光。なにごとかと、光転した瞼をゆっくりと開いてみれば──。
「ビアンヴェニュー アン 《アスアヴニール》──。んー? ちがうくないない。正解は、こっち。ようこそ アスアヴニールへ」
息を忘れてしまうほどの、美少女が立っていたのでした。名前は《アン》というそうです。なぜわかるのかというと、『アン 900』の文字が彼女の頭上に浮かんでいたからです。ブロンドの髪、透き通るほどの白い肌。翡翠の光彩を讃える両眼。
どこからどうみても、日本の人ではありません。そんなレディが、ようこそアスアヴニールへ、と挨拶してくれたのです。
なるほど、《此処》の名前は、《アスアヴニール》、というのですね。
そしてなんと──。
「う、うさ耳。かわいいです……」
ウサギの耳が、はえていたのです。
一華さんとタメがはれるのではというほどの眉目秀麗。そんなアンのうさ耳がもつ破壊力はすさまじく。あやうく初恋の人が決まってしまいそうになりました。
「カス、神様を守れ」
「いよいよ現実離れしてきたね。喜々だね!」
さすが頼りになる女性陣。惚ける僕をしり目に、すかさず臨戦態勢を取りました。
「オタクらが呼んだのはアン。ないない、その仕打ち。 ボンジュール、ジャポネーズ」
「ではではボンボヤージュだ、お嬢さん。アタシは君に用がない。せっかく三人でこの状況を楽しんでいたというのに。とんだ闖入者がきちゃったものだ」
楽しんでいるのは貴方だけです。
「アンは、べつにかまわぬ? なれない日本語、つかれるし。ただ、困ったなのは、オタクたち。せっかくの《チュートリアル》。使うなら得」
アンはどうやら、日本語を扱うのは苦手。ですが、聞き取るぶんには問題なさそうです。
安全が定かではないこの状況。前に出て皆を庇う一華さんが武力、ひとつちゃんが外交と、それぞれ役割分担をしています。僕はいまのところ無能。しっかりと存在意義を示さねば。
「ひとつちゃん。ここはひとまず、アンの話を聞いておきましょう。今すぐに、僕達をどうこうしようというわけではないみたいですし」
とらえどころのない空気感と、思考の読めない虚ろな表情。目鼻立ちのクッキリした造形と、生気の感じられない仕草があまりにもミスマッチすぎて。
襖の先にある闇を覗いてしまったかのような、いやな不気味が背筋を這います。フランス人形のような人だと、感想付けます。
そんなアンは、それでも受け身と、僕達の行動を待ってくれているように見受けられました。
「いいやだめだ。可愛いだけのケモミミには興味ない。暇を要求するとしよう」
ひとつちゃんの言葉をとらえあぐねたのか、アンが顎に指を当てて、小首をかしげます。
「ふうむ。オタクらとの会話、日本語だけでは不足。アン、面倒くさく思う。帰る?」
「物事には順序がある。会話を始めるためには、《どっちが上》なのかを決めなければね」
でた、神様づら。ひとつちゃんのいい癖です。
「アン、ひとつちゃんは対話をする意思があります。だけれど、そのための《情報》があまりにも不足している。急な展開に、頭がついていけていないのです。どうか、ご説明を」
対等な会話を成立させるための前提条件。《情報》が僕達には欠けている。アンの話を粛々と受け入れるしかないこの状況、心ない嘘にも対抗できない今の今。
つまりはアンフェア。
ひとつちゃんは、ソレを拒んでいるのです。どのようにしてかと言えば──、《狂者》を演じてまで。
まぁ、演じるというよりも、この場合は《素をひけらかす》、のほうが正しいですが。逆でしたね。
「おいおい。アタシの通訳をするとは、良い度胸じゃないかナオ君。宣教師を務めるのには、ちっとばかし役不足のきらいがあるけれどね」
だとしても。心を鬼にして、ひとつちゃんの奇行をとめるのです。愛でるだけが愛じゃない。
「オタクらがアン、呼んだ。格上の《プレイヤー》を呼び出し、指導鞭撻、うながす制度。それがチュートリアル。頼むのはオタクら。帰るのはアン。立場をわきまえろ」
やはり、《チュートリアル》という言葉が、今の事態の原因のようで。ケモミミは、僕の発した言葉を認識したことで、チュートリアル。つまり、《先駆者による教育》を開始したのでしょう。
そんな僕達の教官としてシステムに選ばれた人が、目の前のアンだったというわけですね。
まさしく《ゲーム》の様相を呈してきた世界を目の当たりにし、瞠目を禁じ得ないですが。ひとまずは、その制度に甘え、アンにチュートリアルを執り行ってもらうのが得策です。次の一歩を踏み出すための道を、みすみす見逃すわけにはいかない。
「メリットデメリット、優先順位を正しく取捨選択できる力があるのなら、アタシたちは今ここにいないよん。得策かどうかは関係ない。アタシを《下》に見ているマドモワゼルが気に食わないの」
めずらしく、ひとつちゃんが怒っています。どうしてなのかと目線でうかがうと。
「あんなに愛いなうさ耳を、撫でられないのが気に食わない!」
「欲望に忠実ですね!」
けっきょく貴方もアンにトキメいた口か……。可愛いすぎるんですよ、あの子。
「アタシがアンに求めているのは、《この場をさる》か、こうべをたれ、《跪く》かの二択だけよん。撫でやすいようにね!」
可愛いだけなのには興味がない。可愛いを苛めなきゃ楽しくない。ひとつちゃん、相変わらずの変態ですね。
そういうところがやっぱ好き! そう叫びそうになった僕は。それでも次の瞬間、思い知ることになるのです──。
やはり僕たちは、とんでもなく《不幸》なのだということを。不幸に呪われ、不幸に愛された、無幸の血族なのであるということを。
血の原書文字が、魂に調印されて。あまりにも遠い、追い求める普遍が。途方もなく遠方へ、言い訳が、言い逃れていく。
僕達は自覚する。自覚して、自棄になる。《アン》が、僕達のチュートリアルに選出されたプレイヤーであったことは、類もみないほどの、《不運》であったのだということを。
「弾の無駄、嫌。時間の無駄、嫌。でも、《嫌いな人》とお話するの、もっと嫌。ひとつのお口、アンいらない」
ガシャリと、アンが懐から《ソレ》を取りだした。
誰でも知っているというのに。嫌と言うほど理解しているというのに。
それでもお初の、高純度の絶望。人の持つ鬼胎の頂点にして、恐怖の腫瘍。
現実味のない《ソレ》と直面し、思考が壊死する。その一瞬が、生死を別つと、理解しておきながら。
でも、しかたがないですよね。致し方ないですよね。痛し痒しなんですよね。なぜなら僕たちは、《日本人》なのだから。《ソレ》に対する危機感は無きに等しく。
だからこそ、出遅れた──。
「カス! 守れ!」
「ひとつちゃん、伏せて!」
一華さんの警告と、僕の行動。それと時を同じくして、《撃鉄》が振り落とされる──。
そうです。アンはひとつちゃんに、《銃》を向けていたのです。リボルバー式の、ハンドガン。
ひとつちゃんを庇うために前へ出た僕は、銃口と、目が合う。そして──。
アンは、逡巡の迷いすら見せずに、撃った。
火花。そう認識するのと同時に──。
「っぁぁああああ!」
流れる血と。奔る熱波と。途方もない、痛み、痛み、痛み、痛み、痛い、痛い、痛い──。
大腿部を穿たれた。弾丸が動脈を貫通した。骨を砕き、肉を抉り、神経を通して、直接魂に痛烈を叩きこんできた。
あふれだす血と、涙と、よだれと、汗と。うぅ……。失禁と。
「ナオ君!」
よかった。間に合った。なんとか、守ることができた。痛いけれど。死にそうだけれど。存在意義を示すことができました。
「はずした、アンが。いいや、はずされた、弾が。いい判断、だけれど次はない」
「ぶっ殺す」
再びひとつちゃんに狙いを定めるアン。それを許さずと距離を詰める一華さん。一触即発。
このままでは一華さんの身が危険。万が一にでも、彼女の命が脅かされてしまうようなことがあれば。《僕の不幸》が無駄になる。痛い身体が無下になる。それはだめだ。僕はもう、自分の悲しいを殺させはしない。
なおかつ、一華さんが傷つくの、見たくない!
だから──。
「まったです!」
まったをかけるのです。
泣きながら。それでも唇をかみしめて。やせ我慢して。耐えることはできないけれど。生きることは、なんとかできているから。
「アン、あなたの目的は、ひとつちゃんの閉口。なら、これでいいですか」
僕は、ひとつちゃんを羽交い絞め。彼女の口に手を当てて、黙らせます。
「カス、お前」
「一華さんも、矛を沈めて。僕達は、あまりにも無知が過ぎる。それはいけない。ならない。不幸を知らないことが、地獄であることは。僕達が一番よく知っているはずでしょうに」
知らなければならない。知りたくなくても、理解しなければならない。僕達はどう不幸なのかを。
「アン、僕の命はもって何分ですか」
ジタバタと抵抗するひとつちゃんを、懸命に抑える。
「出血、多い。命、ドバドバ。もって、十分?」
「なっ!?」
「──」
「そうですか……」
さようですか。やはりそんなもんですか。わかっていますとも、僕の命が長くないことは。大腿部を通る動脈。そこを弾丸で穿たれたのですから。大型のハンドガンで、それもおそらく弾丸はマグナムで。容易に僕の足を引き裂き、致命傷を与えることができるのでしょう。
すでに意識は酩酊し、末肢の感覚が薄れていくほどです。なんとか、あと少しだけもってくれ。
「ひとつちゃん。あなたのせいですよ。あなたが我儘をいったから、こんな目にあったんだ。大戦犯ですね──。でも。それでも。あなたのそういうところに惹かれたのが僕なのですから。あなたの口からだけは、《ごめん》の言葉を聞きたくない。だからほんの少し、黙っとけ」
慈しむように。敬愛するように。愛するように。ギュッと、腕に力を籠める。ひ弱な彼女は、これでもう動けない。
「カス、だめだ。お前がどれほど耐えようと。ウチのほうがダメだ。がまんならない。こいつを、今すぐにでも殺してやりたい」
「なら、手前を殺して黙っとけよ。うぜーんだよ。いちいち、入ってくんな、馬鹿が」
「うぐっ」
ダメですね。僕の悪癖がでています。キレたら口が、悪くなる。
「アン、僕は格下だ。だからどうか、教えてほしい。《何を聞けばいいのか》もわからない僕たちに、あまねくすべてを、教えてほしい」
僕は、ひとつちゃんに覆いかぶさる形で、慈悲を請う。ようするに、二人羽織土下座です。
「いいよ。アン、気に入った。苦手なのはひとつ。でも君は違う。ナオカズはちがう。《一番怒っている》。そのことを一番わかっていないナオカズ。アンはとても、面白く思った」
「カス、お前、どうして、口から……」
一華さんの言葉で気づかされます。口から血が、あふれ出していたことを。
僕は自身の奥歯をかみ砕いていたのです。アン曰く、怒りから。けれど、こんな激情、僕は知らない。感じたことがない。
ひとつちゃんが教えてくれた《怒り》は、《他人に対する怒り》だったから。でもこれは違う。わからない。
血の味、鉄の味、僕の味。とっても、苦いです……。
ふつふつと、身が焦げる。僕の愚かさが、心に来る。……あぁ、そういうことですか。
この怒りは、《自分》に対する怒りだったのですか。なにも出来ない、不甲斐ない《自分》に対する。
「ゲームなこの場所、《アスアヴニール》。ゲームだから、死んでも平気。リスポーン機能、あるもん。だからお話、後でいい。《異能力》もらうために、いっぺん、死んできて」
ドン、ドン、ドンと。三人の脳漿がはじけ飛びます。
人生ってなにが起きるかわかりませんね。まさか一生のうちに、二度も死ねるだなんて。またしても三人で、死ねるだなんて。
なんてすばらしい不幸でしょう。僕達は、アンに脳天を打ち抜かれ、即死したのです。
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