とぼとぼと歩く夜の道。踏みつけ歩む僕の影。頭の中では様々な感情が渦を巻き。もつれ、からまり、ぐちゃぐちゃです。
あのキスはなんだったのか。子供の僕ではわかりません。大人の彼女が怖いです。
「お、ナオ君、まちかねだよ! 塔に関する情報も知りたい所だけれど、ひとまずはお目目ひん剥いてこれを見るがいいさ!」
ひとつちゃん達との集合場所である居酒屋さんに向かってみれば、困り顔のワンさんと、茫然自失の一華さん。そして、喜色満面のひとつちゃんが、僕のことを待ってくれていました。
「す、すごい量ですね。いくらくらいあるんですか?」
ひとつちゃんの傍らには、山と積まれた金、金、金。
「おどろけもののけ! のべ三千万タオさ! 一振り一千万で売り付けてやったんだぜ。まいどあり!」「それは|我《ウォ》のセリフだヨォ」
どうやら交渉はひとつちゃんの勝利という結果に落ち着いたようです。これで数年は安泰。
「カス、塔のほうはどうだったんだ?」
「そうですね……」
ゲーマスとの一件を思い出し、僕は思わず身震いします。本来ならご褒美であるはずのキスも、あれほど熱烈なものとなれば。しかもファーストキスだったとなれば。なにか大切なものを根こそぎ吸い取られたかのような錯覚をしてしまい、奮する興もございません。
「どうしたんだい、ナオ君。浮かない顔して……。いいや、違うな。君のそれは《浮かれた顔》だ。ふぅーん。何かいいことでもあったんでしょ」
……。さすが鋭いですね。
「いろんなことが分かりましたよ。たとえば、《僕達》の正体だとか──」
「話を露骨に挿げ替えた!」
露出する恥部を隠すためなら。身を剥ぎ骨をもさらすまで。
では閑話本題。塔の起動コマンドを発動してみれば。すぐさまチームのポイント数に応じた沢山のギフトが《脳内》に流れ込んできて、大変困惑したものでした。
わかりやすい例をあげるのなら、やはりアンの《記憶の弾丸》になるのでしょうか。しかしギフトは、あれほど暴力的なものではなく。まるで夢の中で読書をしているかのような感覚を覚えたものです。
一度ギフトを受け取れば、システムが自動で記憶してくれるので、つつがなく視界にギフトが再表示されました。僕はそれを、皆に共有します。
『100 アスアヴニールに《島流し》されるプレイヤーは、十八歳未満の《子供》』
「ウチらの予想は的中していたわけか。それにしても《島流し》、変わった表現」
続きです。
『110 島流しされたプレイヤーは全員、強盗、強姦、殺人などを犯した、《重犯罪者》』
「これもおおかた予想通りだよん。《二十一人を撲殺》したイッチー。《父親を喰った》アタシ。’《人を八つ裂きにした》ななぎり君。《学校で銃を乱射した虐殺者》シカ耳。ナオ君は微妙だけれど。おおかたそんなアタシ達をかくまった罪って所なのかなー、知らんけど」「……」
僕にその発想はありませんでしたが、ひとつちゃんはどうやら推測を立てていたようです。そして犯罪者という共通項。失礼な話ですが、僕はワンさんの出自も訝しんでしまいます。
「我はちょっとばかし大掛かりな詐欺をネ。それも国を相手取ったネ。別に面白い話じゃないヨ」
すみません……。
にしても、犯罪者が集められた場所がアス島であったとは驚きです。そしてなるほど、だからこそ罪過の象徴、《島流し》という表現なのですね。
『120 プレイヤーの初期ポイント数は、犯した罪の重さに応じて、所在国が決定している。
例:刑期十五年の求刑をされた十五歳のプレイヤーは、島流しにされてから、実際にゲームを始められるまで、十五年間のスリープ状態下に置かれる(一年=1ポイント)。
刑期+年齢が初期ポイントであるため、このプレイヤーは30ポイントとなる。なお終身刑や死刑を言い渡されたプレイヤーは、所在国の平均寿命が初期ポイント数に設定されることになる。
注釈:平均寿命の年齢は求刑時点のものとし、遡及しない。死刑制度がない国における、平均寿命を大幅に超える求刑においても、初期ポイント数は平均寿命とする』
「ふむふむ。だからイッチーの初期ポイント数は、日本人女性の平均寿命である《87》だったわけか。で、一緒に目覚めたアタシはイッチーより一つ年上だから《88》。中一のナオ君は《86》。んー? どうしてアタシ達は同時に目覚めたんだろ?」
双方共に重い罪とはいえ、二十一人と一人という数を比べれば、やはり前者の方が重罪です。
「アスアヴニールは三人一組のチーム戦ネ。そして明日部三人は皆仲良しネ。なら三人一緒にしちゃえ、という采配は、ここの運営ままあることヨ」
なるほど合点。
「刑期によってゲームを始められるタイミングが異なるために、他プレイヤーと開始のタイミングが合わないのですね」
「早く始められるほうがこのゲームやっぱし有利。つまり比較的罪の軽い犯罪者は早く始められて、死んだ方がいいほどの重犯罪者は相応のハンデをおうってわけか」
一華さんの二十一人殺しや、大量殺戮者であるシカ耳はもちろん極悪人です。 終身刑極刑判決は免れぬものであり。そうした二人の参加時期に、二年ほどの違いしかなっかったのは、しっかりと裏付けされた理由があったということですね。
そして、一人を殺したななぎり君や、あくまでも国が相手の詐欺(それは国家転覆なのでは)を働いただけのワンさんは、比較的早めにゲームを始められた古参メンバーなわけです。
『130~250 試練の森、試練の紅蓮の全域マップ開示』
試練系列のマップ上アンノウンがみるみる色づいていきます。以降大変便利シリーズ。
『260~470 特定の植物、動物の出現地域、水域情報をマップに示す。天気予報、時刻、空腹メーターを視覚情報に追加。目覚ましアラーム、ストップウォッチ、カレンダー機能の追加。自身を映す鏡、音声の録音、視覚情報を記録するカメラ機能の追加。音楽、漫画、小説などの電子媒体閲覧機能の追加。歩数計 温度計 コンパス機能の追加。サーマルモード、暗視モード、水中モードの追加』
せーの。
「「「スマホかよ!」」」
これはめちゃくちゃ嬉しいギフトですね。おもわず大笑い。
そして僕はごほんと咳払い。めぐるめく話の流れをいったんシャットアウトします。
「続いてのギフトを見る前に、僕から少し──。確かに僕達は、取り返しのつかない罪を犯しました。父殺しも、多数の撲殺も、死で贖うのが正当の罪過です。でも、それでも。やっぱり僕達は、まだ《子供》なんですよ。十五と、十四と、十三の子供なんです」
「子供であるということは、《少年法》によって守られている、ということ」
一華さんの言う通り。確かに年々厳罰化の傾向があるとはいえども。やはり少年法の対象者は、成人に比べてかなりの減免がなされることは事実。そのせいで、被害者、加害者、世間共々巻き込んで、長年論争が繰り広げられているのもまた事実。
「少年法に守られているにも関わらず。どうして、《重刑》? どうして《無期懲役》? それらは百歩譲っても。《死刑》はありえないでしょ。特に、チビの時に父を殺したアタシや、中一のナオ君は、刑事責任だってないじゃんね。なのに重罪って、おかしふかしぎだよん」
ひとつちゃんの発言は多方面に反感を買いそうですが、とりあえずは正論です。触法少女であることは間違いない。ですが、背負わなければいけない罪過としては重すぎる。
「その《おかしい》を踏まえたうえで、続きをどうぞ」
『480 西暦2021年における、少年法に対する世論の反感はすさまじいものがあり。日本で有名な《少年N事件》などにおいては、被害者家族や心を痛めた市民による報復、制裁も発生するほどだった。それらの情勢を踏まえ、一般財団法人《地球未来》は、独自的、秘密裏に、《罪を犯した年少者たちの魂》の収集を開始した』
「ちょ、ちょっとタンマ! 割り入ってごめんね。でもでも、さすがに聞き捨てならないよ。なんのこっちゃさっぱりだよ。《地球未来》ってなに!?」
「明日部は我と同じ世代だから、当時はマイナー企業扱いだった地球未来についてはあまり詳しくないのかもネ。地球未来は日本支部の表記で、実際には《Earth Avenir》となるヨ。上のアースは英語で地球。下のアヴニールはフランス語で未来。つまり《アースアヴニール》は《地球の未来》という意味がある、造語というわけだネ。この世界、このゲーム、アスアヴニールはそのまま、このゲームを《運営》している会社の名前でもあるんだヨ」
「話が飛躍しすぎて、ついていけない……」
「今回ばかりはイッチーに同意するよ。ぶっ飛んだ」
僕もこれらの情報を得たときは、『まじか』と虚空を仰いだものです。今は泳いでいます。
「社訓は『素敵な未来が地球を廻す』。つまり、地球未来は《カルトチックなヤバめの集団》って認識でおkヨ」
とても分かりやすくなりました。では続きです。
『当時の技術力ではアストラル魂の抽出が難しかったために、地球未来は《物理的》に魂を収集せざるを得なかった。具体的には、《脳》を含めた《内容物》の回収である。健常の犯罪者は、悪しきにせよ正しきにせよ、法の下に裁かれることになるため、遺憾ではあるが、社の秘匿性を守るためにも地球未来の魂収集対象にはならなかった。しかし極まれに、《生きたまま死ぬ》少年犯罪者も現れていた』
それこそ、植物人間になってしまった少年N、ななぎり君の様に。
『植物状態、いわゆる脳死状態。並びに心身喪失をきたした廃人。そうした犯罪者達は、生きてなお死に、罪に問われることもない。日本では《少年N》。アフリカでは《狂人マサイ》。フランスでは《偶像崇拝ゼロ》などが知られている。そうした罰すべき悪魔たちこそが、地球未来の魂収集《対象》なのである』
「ようするに、《簡単に手に入る犯罪者の脳》ってことでしょ。えげつないことするもんだねー。常々謎だった、少年Nの死体の中身が《空っぽ》だったのって。絶対こいつらのせいじゃん」
『回収された犯罪者達の魂は液体窒素で冷凍保存。そしてきたる西暦2035年、ユダヤ人のラジエル氏が、人間の脳内にある情報群、《アストラル魂》の抽出に成功し、ノーベル医学・生理学賞を受賞した。アストラル魂は脳の疾患に関わらず抽出することが可能。さらにはコンピューター疑似脳にインストールすることで、再度意識を活性化させることすらできてしまうため、ラジエル氏の発明は、《植物状態、痴呆、脳疾患障害》を治療することすら可能となった。唯一の改善点は、身体障害が《魂》に完全記憶されている場合、アストラル魂の形状を第三者が変えられないことから、完治が難しいという課題が挙げられるが。目まぐるしく躍進する現代医学界を|慮《おもんぱか》れば、そういった問題が改善される日も近いのかもしれない。この一報を受け、地球未来の《構想》はとうとう外殻を得、本格的な活動を開始することとなった。満を持して、世界にその名を公にしたのである』
作り話にしては出来すぎで。嘘と疑うには根拠が足りず。だからこそ僕達は、すんなりとギフト内容を受け入れることができたわけですが。困する思考回路は相も変わらず渋滞中。
『アストラル魂はペタバイトにも迫る大容量情報因子となるが、二十一世紀中盤においては、エクサバイトを優に超えるスーパーコンピューターも頻出しているため、魂を《電子情報に変換、保存》することに関しては問題にならなかった。これにより、地球未来は冷凍保存された脳からアストラル魂を抽出し、少年犯罪者達を《アスアヴニール》へ、《島流し》にする目途が立った』
僕達のファンタジーは完膚なきまでに死姦され、みごとSFに生まれ変わったのでした。
「地球未来は脳から魂を取り出し、コンピューターにインストール。そしてアス島に放逐した」
「仇花子女の言う通りネ。つまり我らが見て感じる物は、総じてPCから送り付けられた電子情報にすぎないんだヨ」
「電脳空間であるからこそ、《死んでも生き返る》し、《ケモミミや視覚のみに存在する文字》も生み出せます。《物理法則を無視した異能力》を扱えることにすら説明がつくのです。不老不死なんてそれこそ余裕。なんでもありの世界だから、なんだってできる」
「異世界転生なんて生易しいものではなく、道徳ガン無視のヴァーチャルリアリティーだったってわけね。下手なラノベが書けちゃうよ。とほほがすぎるね、とほほぎすだね。まさか屋上から飛び降りただけで、こんなことになっちゃうだなんて」
アスアヴニールのプレイヤー人口が、世界中の少年犯罪者数に対して少なすぎるのは、《植物状態の子供》という非常に狭い範囲のみで括られているからなのですね。
「屋上──。そうか、違和感の正体はコレか。神様、カス、ウチらは確かに《屋上》から飛び降りて死んだはずだ。それなのにどうして、脳から何とか魂ってやつを抜き取れたんだよ」
なるほど盲点でした。死んだのなら、魂は地獄に真っ逆さま。輪廻の渦に飲まれて終るはず。
「日本の校舎がどれくらいの高さがあるのかはしらないけれど。飛行機の事故で空中に放り出されたのにもかかわらず、生還した人だっているんだヨ? 死ねない確率なんて、ソシャゲで高レア当てるよりも高い高いネ」
たしかに、打ちどころが悪くて死ぬことができず。植物状態であったために、地球未来に脳を回収されたというストーリーはたやすく描くことができます。三人が三人とも、というのは多少出来すぎた話ですが、確率論で語れてしまう以上、絶対否定することは出来ません。
「我なんてドカンの中に入れられて、コンクリート詰めにされた挙句、海に捨てられたのに今があるヨ。これ以上の罰なんてないはずなのに、結局がコレネ。オーバーキルがすぎるヨ」
どちらかと言えばキルよりザオリクですが。そしてそれが真実なら、僕らは何も言返えません。どんな人生だよ。
「まぁ結果論にはなるけれど、アタシ達は三人そろって生き残れたわけだし。地球未来さんには感謝こそすれ、恨む理由は別にないよね。肉体の方は今頃よぼよぼだろうけど。いや骨か」
もはや粉なのでは? あまりにも突飛な真相解明に、戸惑いたい心も迷子です。
『490 地球未来がこのような犯罪行動に手を染めるのは、ひとえに未来で起こりうるであろう《少年法を利用した計画的犯罪》を抑止し、なおかつ罰せられることのない加害者少年らに相応の《罪》を背負わせるためである。地球未来は正しく健全ですこやかな社会を目指しているため、いかなる理由があろうと、重犯罪が許される社会構造を認めることはない。|悪辣《あくらつ》とも捉えられる手段を迷いなく選ぶことができるのは、より良い未来を実現させるという確たる信念の賜物である。二十二世紀現在、地球未来の同志達は世界各国に存在し、社員はすでに五十万人を超え。資産は一国を運営することが可能なほどである』
犯罪行為を許さないために、犯罪行為に手を染める。本末転倒、自家撞着の在り様を、それでも《大儀》であると容受しているのが、地球未来の歪な構造なのです。
この段階にもちまして、僕達の情報許容量は超過。開いた口が塞がらないどころか、そこからアストラル魂が漏れ出しそうになるほどでした。
『アスアヴニールで施行される刑罰は、電脳空間内で完結することができるため、割かれるリソース、施設面積、コストは非常に少なく済み、税金を無暗に浪費することはない。このことから、近年では多方面から称賛される画期的なシステムとして認知され。国連加盟国はすでに、成人受刑者に対して、地球未来の《島流し》システムを導入し始めている。電脳空間内においては《不老不死》の実現も可能ということで、各国の重鎮たちが次々にアストラル魂の抽出を行っていた地盤もあり、地球未来の方針が民間人に受け入れられるのも、そう難しいことではなかった。だがしかし、依然少年らに対して島流しを施行することは倫理的な問題があると懐疑的な思想を抱く国も多く。地球未来にはさらなる飛躍が求められた。そのため、地球未来は少年犯罪者に対する島流しの一形態として、実験的に君たちが行っているような《ゲーム形式》を採用している。つまり君たちは、《経過観察中》のラットなのである。ある程度の自由を与え、幽閉や厳罰ではなく監視を目的としたゲームであるのなら、倫理的問題をクリアすることもでき。有用性を知らしめたのなら、少年犯罪者に対する島流しの制定を進めることもできる、というのが地球未来の狙いである。さらに言えば、地球未来も財団法人であるため、運営には潤沢な資産が必要。ならば多数の賛同者の借り手が必須となり。そのための方策として、地球未来は君たちの《刑罰》を、《エンターテイメント》に昇華し、民間人に提供する計画を立てている。そうすれば、莫大な財を得ることが可能となり。だからこそ、《ゲーム形式》が最も相応しいのである。現在は有権者の重鎮たちのみに公開しているが、ゆくゆくは全国放送化も視野に入れている。これは各政府も差し許していることであり、君たちの助力は将来的に《新少年法》を施行、あるいは撤廃するための偉大なる礎となるであろう』
490のギフト終了です。これを持ちまして。
【クエスト1 アスアヴニールの謎を解明しろ】。
『なぜアスアヴニールに来られたのか』
アンサー:地球未来が魂を電脳空間に封じたから。
『なぜ明日部がプレイヤーに選ばれたのか。他のプレイヤーとの共通点は何か』
アンサー:少年法に守られた《犯罪者》、なおかつ意識のない植物状態であること。
『なぜ悪魔はデスゲームを執り行っているのか』
アンサー:犯罪者たちに罰を与えるため。
『なぜプレイヤーの初期ポイント数が微妙に違うのか』
アンサー:人によって刑期が違うため。
『なぜゲームの開始期間が、プレイヤー同士でまちまちなのか』
アンサー:右に同じ。
『なぜシステムがゲームとしてはかなり破綻しているのか』
アンサー:ワンさんが壊したため。
『なぜ、生き返ったり、異能力が使えたり、ケモミミが生えていたり、謎の文字が見えていたりするのか』
アンサー:なんでもありの電脳空間であるため。
クリアです。ではでは、最後の疑問を解消するために、より深い虚空へと潜水しましょう。
「ワンさんが、ギフト内容を皆に教えたがらない理由が分かりましたよ。こんな情報を無暗に流せば、保つべき秩序は瓦解し、天竺は《崩壊》します」
「そうなのヨー。そしてその意見は、五百ポイント越えの中堅チームも全員同じネ。仇敵であるサクリファイスでさえも。皆には『異世界転生しちゃった!』って曲解してもらうことで、現状の《楽観的平和》を維持しているんだヨ。その不文律は、いまだ破られていない鉄の掟ネ」
「ようするに現実逃避か」
「仇花子女手厳しいヨ……」
いつかゲームをクリアすることができるかも。ずっと楽しい今が続けばいいな。そう思うことができれば、どれほどの幸せか。自分たちの生きている世界が、《地獄》だとも知らずに。無知に笑い続けることができれば、どれほど楽か──。
「悪魔はどっちだよ。要するに島流しシステムは、地獄の再現ってことじゃんか。悪いことをした人は、地獄に落ちる。そんな因果応報を陳腐に妄信して、人々は悪人が我が物顔で闊歩する世を耐えてきた。でも実際には、地獄があるかどうかなんてわからない。そんなものは実在しないかもしれないし、罪に罰はくだらないのかもしれない。こんなにも曖昧なものに、縋り続けるのは無理だよね。だから地球未来は作ったんだ。人口的に、悪人を永久と罰し続ける《地獄》を」
子供達に凶器を手渡し、《殺し合い続けろ》と命ずる正義。《死》という救いの存在しない愛。それらを一般人に公開することができれば。悪人の顛末を愉しむという人々の暗い欲望を満たせて、なおかつ《あぁはなりたくない》という抑止力にもつながるのです。
仮に、《ゲーム性》に感銘を受け、アスアヴニールで遊んでみたいという変態が現れたとしても。犯罪者予備軍をあぶり出すことに成功したともいえるため、むしろメリットのほうが大きい。
「ま、そうした惨状に座らされたアタシだから言えるけれど。《アチラ》のほうがよっぽど地獄だったよね」
だというのにもかかわらず。ひとつちゃんはアスアヴニールのほうが《現世》よりも良いという爆弾発言。
「誰にも理解されず、排除されるばかりで息苦しく、生きた心地なんてしなかったし。特に日本は異端に礫を投げるのが、許されていた国だしねー。そう考え、開き壊れれば、《コチラ》のほうが、よほど分かりやすく黎明で、いっそすがすがしいよん。悪魔さんくー」
その言葉が苦し紛れではなく、心の底から言っているのだと分かるからこそ、楽しいですね。
この地獄は、あくまでも常人が考えて作った《地獄》。普遍の尺度で描いた煉獄。そんな場所が《怪物》にとって、正しく機能するはずもなく。性欲を遺憾なく発揮できるこの地のほうが、僕らにとってはよほど故郷。
嗤えるくらい、皮肉が効いています。
そして、運営を《悪魔》と呼称した僕らの冗談は、正しく射抜くべき的を貫いていたわけです。民衆は悪魔と契約することで、正義を代償に、悪を地獄の底に叩き堕とした。
『アスアヴニールとは何なのか』
アンサー:人口的に作られた地獄。
すべてのチャプターは解消し、ようやっと【クエスト1】のクリアです。
「そうした現状も、いつまで続くかわからないだろ。いまは《実験途中》なだけで、《結果》によっては、《地獄》の温度がさらに増し増すかもしれないし。それに、電脳世界にいるってことは、《コンセントが抜かれる恐怖》を、常に抱き続けなければいけないということと同義だ」
一華さんが言いたいのはようするに、電源が切られる、シャットダウンされる恐怖、ということです。僕達は、神となった運営の判断一つで。ボタン一押しで。存在をまるごと抹消される立場にあるのですから。
「捨てたハズの命が拾われた。だけれど掌の上、か──。まぁしゃーない」
「でも、気に喰わない。そうですよね、ひとつちゃん」
今の惨状を、それでも彼女は、《しょーもなっ》と、断頭するのです。
「うん、その通り。アタシは気に入らないんだよ。《支配》されている現状が、頭に来るくらい楽しくないんだよ。大いに|癪《しゃく》に障るよ。腹の虫が抑えきれずにゲロロだよ。とってもとても、虫唾が奔る」
支配することを悦ぶ彼女は。支配されることが滅法苦手。
「神様、ウチらが聞きたいのは、不満怠慢の言じゃない。ウチらが聞きたいのは──」
「皆まで言うな。わかっているよ。だから今、ここで、ハッキリと断言してやるんだ。ナオ君、イッチー、一緒にこの世界を────」
ひとつちゃんが大きく電子情報を吸う。始業の鐘を打ちならすように、喜々として。
「一緒にクソったれた明日を────」
停滞した世界に彩りが息吹き、僕らの明日部が今始まる。視界の端にチラつく、最後のギフトをギロリと睨む。
『500 せいぜい苦しみ藻掻き、阿鼻叫喚と泣くがいい』
その文字は、世界で一番敵に回してはいけない。《怒らしてはいけない》人の、逆鱗に触れたのです。僕らの神の、僕らがひとつ。支配の権化、私欲の化身。その名こそは──。
「《ぶっ壊そう》!」
僕ら愛しのひとつちゃん。
「天目一。その言葉をもって、我ら《天竺》の血盟は果たされた」
ワンさんがドッと立ち上がる。唐突な彼の勇ましさに驚き呆けた僕達は。それでも《何かが始まる》喜びに。静かに拍動を高鳴らせ、吐息を奄々、ほぅっと熱く吐くのです。
「我はずっと、その《決意》を待っていたんだヨ。ある者は言った。『明日部は世界を崩壊に導くトリックスターになるかもしれない』と。ある者は言った。『支配されるくらいなら死を選ぶ、世界で一番自由なお姉さんたちがいる』と。そしてある者は言ったネ。『アタシは皆を信じている』と。そんな君たちが。アスアヴニールという地獄を、絶対的な支配を、《壊す》と言った。だとするのなら──、死力を尽くして協力せざるを得ないヨネ! 友として!」
「よく言ってくれた! とっても気持ちのいい言葉だよん! でもねワンちゃん。アタシ達側に付くということは、《不幸》の道を行くということだ。天竺すらも巻き込んで終わるかもしれないということだ。それでもアタシ達の我儘に、付き合ってくれるというのかい?」
「天竺は我の夢ネ。我の誇りネ。我の矜持ヨ。生前果たせなかった、《全員が笑ってられる場所》に、限りなく近い理想郷ヨ。大切さ。本当に大切な場所さ。この地を守るためなら、命であっても捨てられる。魂でさえ埋没できるほどに。五十年だ。半世紀だ。我の人生こそがここなんだ。それを君たちは壊すと言っている。生まれてたった十数年の、ちっぽけなガキが、向こう見ずの我儘を|嘯《うそぶ》く様は。あぁ、あぁ、あぁ! なんともおぞましく、そして無邪気な渇望か! 耳を傾けることすら罪深いとさえ言えよう。だが、それでも──」
指折り数えるように。ワンさんは瞼を閉ざし、宝物を夢想する。静かに。静かに。死すかのように。
本当に大切な場所なのでしょう、天竺は。それはきっと、僕達にとっての、《明日部》と同じほどに。
「それでも──、《ガキの我儘》を、聞くのが大人だ」
まさしく、ワンさんにとってのそれは決意表明、勝鬨であり、自由への咆哮。
「血盟たる我の駒たちよ、今この時、現時刻をもって《宿願》は解禁された。ならばこそ、我の《召喚》に応じヨ。異能力【八十一の王道】発動! 《飛車】駒、『《最強》ナボ』。そして《角駒】、《サクリファイス》のポーン、№『アン』!」
ワンさんは《ボードゲーム》の異能力、《将棋》の使い手であり。視覚情報にのみ存在する八十一マスの将棋盤から、《飛車》と《角》の大駒二枚を、《王》の傍らに寄せたのです。
その指し手と時を同じくして、轟雷爆ぜる炸裂音が、鳴り響く。
背後には、二人の気配。二つの殺気。ガバッと後ろを振り向けば──。
「刮目せし男児が剛力を唄うのなら、熱烈たる骨髄を白熱にすら燃やすのだろう」
訳の分からない言語をのたまう、アフリカ系の偉丈夫と。
「アン、びりーばぼー」
訳の分からない言葉を話す、我らが《アン》が、立っていたのでした──。
ワンさんは、はなから《世界を壊す》つもりでいた。もしもその野望に賛同者が現れたのなら、手を取り合おうと考えていた。だからこそ、そういった人材が現れるのを、登録舎で待ち続けていたのです。
そしてその担い手に、僕達が選ばれた。
地獄に住まう怪物たちが、いまパレードの火ぶたを切った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!