あくる日、二つの《肉団子》が、自宅に届けられました。
刀の売却費用で購入した、瀟洒な建物の一室。その前にポツンと。無造作に放りだされていたのです。
深刻な表情を浮かべるワンさんとアンをしり目に、僕はそのお団子を眦で射止めます。
薄ピンク色の肉塊がツミレのようにこね丸められ。赤い血がじわじわと地面に広がっていき。ぬめりとした外表から飛び出す管、そこから生々しい匂い風がひゅうひゅう……。
僕はこのお団子が何なのかを知っています。コレは、スズメバチが獲物を咀嚼し、噛みちぎり、丸めて、固めて。
ぐちゃぐちゃに、ギトギトに。裂いて崩して壊して殺して、そして料理する、あの《肉団子》なのです。
お団子は生きているかのように脈動し。呼吸するかのように膨らみを変え。
お団子は叫ぶようにキィキィと鳴き。見つめるように飛び出した眼光で僕を映し……。
お団子は。疑問。お団子は。不認。お団子は。虐遇。お団子は││。
「見ちゃダメ!」
アンが僕に覆いかぶさる。それでも小さな胸元では。僕の視界を遮ること叶わず。
見る。見てしまう。両目で。ハッキリと──。
二つのお団子の上に表示されている、『いちか』と『ひとつ』の文字を……。
「え?」
涙ではない。激情でもない。渦巻くナニカが、視覚を殺そうと眼球を赤く染めていく。
自分の爪で額を深くえぐり、血のヴェールで現実をシャットアウトしていたと気付くのに、しばらくの時を有してしまう。
肉団子は。僕の命よりも大切な二人の、変わり果てた姿だったのです。
アンの胸に嘔吐する。つんざく絶叫がこだまする。
泣き声なのか。叫び声なのか。苦しい。怒りの咆哮なのか。拒絶の叫喚なのか。苦しい。
嗚呼、きっと全部だ。
僕は二人に縋りよる。いつものようにひとつちゃんを膝の上にのせる。
いつもと同じ温もり。いつもと変わらぬ生気の無さ。いつもにくらべて、はるかに軽い。
服に血が染み込む。彼女の色が心に沁み込む。
僕は一華さんを抱きしめる。人生で初めて、おバカなじゃじゃ馬を抱きとめる。
寝顔がとても可愛らしい一華さん。寝ているときは天使な一華さん。ねぇ、貴方の寝顔はどこにある?
「なんて悪趣味な……」
ワンさんの声。かすんでおぼろな、彼の声。
かろうじて僕の耳に届き。それでも潰れた喉では、懇願の声を上げることすら出来なくて。それを察してか、彼は静かに。ありのままを、答えてくれました。
「サクリファイスの駒、彼らの仕業ネ。変わったオリジナルが多いと思っていたけれど。かけ合わせればこんなことも出来てしまうのか……」
「ポーン七騎、【瓦解】、【結合】、【融解】、【溶接】、【作図】、【軟化】、【硬化】。ルーク二騎、【延命】、【固定】。ナイト二騎、【操血】、【情操】。ビショップ二騎【増強】、【再生】。全部を使えばたぶん、人を生かしたまま、《丸めること》もできる……」
「言葉の、使い方を、間違えるなよ《サクリファイス》。でないと、殺してしまうぞ」
「うぅ。ごめんなさい」
「尺、気持ちは分かるが、当たる相手を間違えているのは君ネ」
そんなこと言ったって。そんなことを言われたって……。
──そうですね。今のは僕が悪い。八つ当たりがすぎました。冷静になるのは正直無理です。でも。それでも。考えることだけは、放棄しちゃいけない。
「二人を、元に戻す方法はありますか……」
「《形》を【固定】され、【延命】で長生き。さらに【再生】するバフがかけられている。殺して、リスポーンさせたとしても。元の形に戻ってしまうと思うのが……、アン」
「一瞬にして二人を灰燼に帰した場合ならば、【再生】する肉片もないため可能かもしれないヨ。でも、この世界にそれほどの火力と爆発力を生み出せる科学技術はなく。そしてそんな《異能》も当然ないネ」
「能力の解除は、かなりのパーセンテージを食う。多分、サクリファイスの駒たち自身も、元に戻せない」
詰み、ですか。これが、僕達怪物に。罪人に与えられた、《罰》ですか。
「そしてこの所業は、サクリファイスによる、《宣戦布告》でもあるネ」
ひとつちゃんと一華さん。そしてナボさんの三人は、サクリファイスとの戦争を想定して、かのチームが攻めてくるであろうポイントの防衛にあたっていたのです。
僕とアンとワンさんが天竺に残っていたのは保険。街から動けない《ゲーマス》の死守と、三人が落とされた場合の最終戦力という要石。そんな僕らの元に、前線部隊の二人が届けられた。
つまりは、《今かお前達を攻める》という、鏑矢だというわけです。
「敵チームはどうして僕の住処が分かったのでしょうか。どのようにして天竺の目を盗み二人をここまで届けたのでしょうか。そして、どうやってあの《ナボ》さんを切り抜けた……」
「ゴメンヨ。我も正直、わからないネ。それでも一つ言えるのは、目の前の事実を受け入れるしかないということだけヨ。尺、君には辛い話かもしれないけれど。天竺は今回の挑発を受け、反撃を開始せざるを得ない。もうそれは変えられない運命ネ。ナボの肉塊がないということは、アイツはまだ健在だという事実の裏返し。幸運にも我の能力があればすぐにでも呼び出すことができるネ。我とアン、そしてナボの三人で、この戦争を終わらせる。尺、君にはしばらく一人になる時間が必要ヨ。食事などは無償で手配するから、今はゆっくり休むネ」
「ナオ、ごめん。この戦争だけは、なんとしてでも勝つのがアン。時間があれば、一緒にいられる。でも、戦いが始まってしまったら……」
二人の優しさに救われて。アンの抱擁に涙して。僕は大丈夫だよと言えたなら、どれほどよかったか。けれど。今の精神状態では、使い物にならないこともひしひしと感じ取れて……。
「すみません、甘えさしてもらいます。アン、ありがとう。暇なときにでも僕を抱きしめにきて。そしたら僕、我慢できると思うから……」
「都合のいい女がアン。いつでも呼んでと笑うアン」
「あはは……、その言葉に頼ってしまったら、いろいろ不都合なのが僕ですよ」
作戦会議を開くため、宿舎を後にした二人。僕は彼らの背中を見届けたのち、ひとつちゃんと一華さんを部屋の中に運びます。いつまでも冷たい地に放置しておくわけにはいかない。
ベッドに二人を置き。懺悔するように膝を折る。
「なんですか、二人して。サプライズがすぎますよ……」
口のきけない二人に。僕はそれでも、静かに語り掛ける。聞こえていなくてもいい。伝わらなくても構わない。それでも僕は、語るのです。僕が壊れてしまわないために。死んでしまわないために。
「うぬぼれたのですか? ナボさんに勝って、自信過剰になってしまったんですか? アンに貰った二つ名、返した方がいいですよ」
《皆滅死灰》ひとつ。《打打打打駄々っ子》いちか。
お団子の上に掲げる名としては、いささか格好が良すぎます。
「ぜったい、元に戻しますからね。どんな手を使っても、二人にはまた笑ってもらいますからね。だからどうか、どうか……」
血と涙が混濁する視界。気分が悪くなるほどの心音。血の気が引いて、中腰すらままならない。口からは何度も内容物を反芻して。言葉と一緒に汚い心が零れだす。
とまらない涙、とどまらない情意。つまらない、ぞっとしない。生と死の境で反復横跳び、どちらからも拒絶される僕の魂。
このままではまずいと思い立ち、楽しまなければと気持ちを切り落とす。
二人の前で踊ってみよう。ダメでした。
二人の前で唄ってみよう。ダメでした。
二人の前で自慰してみよう。ダメでした。
二人にかぶりつくのは。うん、ほんの少し楽しかった。
「アン、アン。どこ? どこにいるのですか?」
血と涙? すでに視界は闇色に覆われて。いいや、僕自身が眼球を抉り取っていました。
肉の香りは? とうに鼻は匂いに慣れて。いいや、僕自身が鼻頭を叩き折っていました。
聞こえないよ? かねて耳鳴りが鳴りやまず。いいや、僕自身の叫びで潰していました。
味がない? 今まで食ってた二人がいなく。いいや、僕自身で舌を噛み切っていました。
みんなはどこ? 五感のすべてが消失し。いいや、僕自身で自分を殺していたのでした。
自殺。自殺。自殺。ことあるごとに自殺する、僕の十八番。
自殺。自殺。自殺。もうしないと戒めた自分殺しを繰り返す、僕の特技。
「抱きしめて。僕を抱きしめて」
呼吸するたびに絶望し。一秒たつごとに死にたくなる。死んじゃう度に二人の顔がチラついて、その都度、罪悪感に苛まれる。ありきたりな、《可哀そうな僕》を羅列して。自己の不覚に言い訳し。目を逸らし、言葉を噛み、必死に決死に、楽しむふり。
「あはは、あはは」笑うふり。
「あはは、あはは」生きるふり。
楽しいな。楽しいな。あはははは。あはは、あははは、あはははは。あは、はは──。
「なに一人で笑ってんの? 気持ちが悪いよ」
その言葉と共に、僕を抱きしめてくれた人がいた。
パッと視界に光が灯り。心の闇も、脳裏のもやも晴れていく。まぶしすぎて、何も見えない。
でも──。
顔を見なくてもわかる。声を聞かなくとも知っている。この温もりは。この人肌は。僕の凍えを暖めてくれる、彼女だけの熱量。摂氏35度8分──。
「ひとつちゃん」
「はい。ひとつちゃんですよ。ナオ君が困っていると聞いて、かけつけてきちゃったぜ。ワンちゃんに頼んで、飛ばしてもらったんだぜー」
そのハグに。軽薄な声音に。それでも救われた、心があった。ひとつちゃん。《生きていてくれた》ひとつちゃん。大人になった、お姉ちゃん。
「過去の自分との再会。それがまさかこんな形になっちゃうとはね。情況的にも、外見的にも」
お団子になった二人をみて。ふんっと嘆息するゲームマスター。
「いい女になりましたね。ずっと抱いていてくださいな」
外套を脱ぎ、あらわになった彼女の素顔。たれた目と、その奥にある見透かすような瞳孔と。
髪は伸び。背丈も大きくなって。身体つきもふくよかになってはいますが。飢餓に近しい支配欲は健在のご様子。先ほどから僕を抱く手つきがいやらしい。
「このままナオ君の初めてもらっちゃおうか」
「ベッドはお二人の指定席ですよ。また今度」
「5Pでいいじゃん」
「ちと業が深すぎますよ、あなた」
年食って変わったどころか。年重ねて煮詰まりやがった。あいもかわらず怪物ですね。
「慰めにきてくれたわけではないのでしょう?」
傍観者を決め込んでいた彼女が、今になって表舞台に上がるということは。それ相応の理由があるのでしょう。
「だねー。ナオ君、単刀直入に言うね。二人を救う方法なら、《ある》」
「……。詳しく聞かせてください」
ふってわいた大人ひとつちゃん。彼女の纏う闇は、絶望色さえ呑み込んで││。
「これは正直いって、《賭け》なんだ。チビアタシの残りの《能力》があれば、わんちゃん二人を元に戻すことができるかもっていうね」
「残りの能力……。未だ《手札にさえ》やってこない、№38から№44のカードですね」
「その通りさ。どうよ、そのカード、いい趣味してんでしょ。徹夜して考えたんだからねー」
先のナボさんとの勝鬨。一週間という期限の中で、子供ひとつちゃんは手札に《待て》から《よし》の五枚をそろえるため。その他のカードを消化し続けていました。
五枚揃うのがギリギリになってしまったのは、もはや不運な彼女のご愛敬ですが。その一週間においてさえ、38~44までのカードが手札に来ることはなかった。それはひとえに、それらのカード群における《リスク》のせい。
「『僕が《賢者》になるまで、手札にやってくることはない』、ですか」
「ナオ君が自身のオリジナルを《転職》にすることは分かっていた」
転職。RPGではおなじみの機能。キャラクターの職業を、別のものにするというシステム。
「《遊び人》から、《賢者》になるであろうことも、推測できた。だからそれに、合わせてみたよん。ねぇナオ君、これらのカードがあれば、お団子を元に戻すこともできるよね? ならさ」
ならば──。
「あとは君が、《賢者》になるだけだ──」
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