****『不幸が殺した不幸は死んだ。明日に向かおう走馬のごとく』****
夢を見ます。いつも同じ夢を見ています。僕は最近ようやっと、これが悪夢なのだということを知りました。
薄暗くて、カビの匂いが滞る、汚れた和室。隣接する路線を通り過ぎていく電車の振動で、部屋が震える。ガタガタと、ギィギィと、つんのめる音がこだまする。
けれども、僕にとってはその騒音だけが人間を感じる唯一のすべで。四半刻に一度の激動を、楽しむことしか許されない世界に、僕は生きていたのです。
空気もよどんでしまうほどの現実から、脱するための出口はなく。閉ざす雨戸はどんな城壁よりも強固な壁で。囚われの僕は、圧倒的な力で畳の上に押し付けられて。
父という肩書の男に、毎晩、毎夜、抱かれていたのです。男として、犯されていたのです。
母という名の機械は、直一という名前の人形と、名もなきヌイグルミをあやすことにのみ注力し、虚ろな瞳で、子守唄をすさみ続けていました。彼女の中では、僕はいまだ、抱きしめられるがままのいといけない赤子だったのでしょう。
物心ついた時から、僕の世界はそれだけでした。他の幸福を知らず。他の喜びも知らず。唯一の救いは、僕自身が、不幸の概念すらも知らなかったこと。なにせ、僕を獣のように犯す父は、とってもとても、楽しそうに嗤うのだから。
だからこそ、愛だけは《一身》に受けていましたとも。僕は、両親の愛を知っているのです。
いつでしたか、そんな、父と母である人が、警察に連行されていきました。二人の所業がどこからか明るみになり、逮捕されてしまったのです。
めまぐるしく動き出す正義の渦中。
残された僕は優しい大人たちに匿われ、《常識》という名の重たい衣服で、ドレスコート。数年間、特殊な施設の中で、倫理の着せ替え人形にされていたのです。
そしてあくる日、学校という名の農園へ、放逐されることとなりました。
ランドセルほど重いものを、僕はいまだに知りません。
父の身体より肥大。背負うだけで気が遠くなる鈍痛。後ろ髪を引く重荷。
ソレが僕にとってのランドセル。恐怖の象徴。
学校は僕にとって、地獄そのものでした。イジメはあったし、暴力も受けました。迫害と絶え間ない悪口、僕を避け、いないもののように扱う同級生。
なにが一番辛かったと言えば。やはり、苛烈なイジメを受けてなお《心が一切動かなかった》ことでしょうね。
不幸であることは分かるのに。不幸に病める心がなかった。地獄という言葉の真意は。地獄であることすら分からなかった僕の在り様。
それでも、父と母であった人たちに、別段恨みはないのです。むしろ、僕が不幸で、可哀そうで、汚れた存在であるのだということを、ご丁寧に教えてくれた優しい大人たちのほうが、よほど気持ちが悪かった。
善意も偽善も当然も。僕の知らないものばかりだから。
僕が不幸であることを。世界は諸手を挙げて突き付けてきたのです。レッテル貼り貼りのランドセルは、本当に、重たくてしかたがありませんでした。
『親だと思って』。お決まりなセリフ。保護先の孤児院の方は優しくて、博愛に満ちた善人でした。
けれど、その人が良い人であればあるほど。かつての両親を否定され。僕の存在を拒絶されたように感じてしまい。僕はきちんと、嘔吐するのです。
どれほど首を横に振ったとしても。やはり、実の親も育ての親も。牢獄の冷たい檻の中に囚われた、あの人たちだけなのですから。僕は毎晩毎夜、二人の陰に縋り、失禁するのです。
僕はとっくに。手の施しようがないほどズタズタに。壊れていたのです。
『どうして君は、自分を殺しているの?』
そんなおりに声をかけてくれたのが、当時中学二年生だったひとつちゃんでした。
漠然と生きているだけだった僕を。死ぬ理由ばかりを探していた子供を。一人歩く帰り道、ひとつお姉ちゃんは、見つけてくれたのです。
車椅子に座って。
どうして車椅子?
と、顔に疑問符を浮かべていた僕の表情から察してくれたのか、ひとつちゃんは教えてくれました。
両親からの過度な暴力を受け、脊髄を損傷。どれほどリハビリに励もうが、もう、両足を動かすことは叶わないのだということを。
その言葉を聞いたとき、世界が一段と広がったのを感じ取りました。
《僕よりも不幸な人間がこの世界にいたのか》と、見識が広大したのです。
なにせ僕は、走ることもできるし、駆けることだってできたのだから。
《可哀そうな人なんだな》と同情。自分がされて一番嫌だった《決めつけ》を、彼女にもしてしまった。
自惚れですね。
『僕が死ねば、傷つくのは僕だけですむ。僕が不幸で、完結することができる』
憐れむほどの不幸者。その免罪符が僕を殺しに駆り立てた。僕を殺し僕が死ねば、僕の不幸は押し黙る。犯す相手が父から不幸になっただけの。それだけの差異。それで世界は平和。僕はそう誤答した。
そうした背景があったからこそ、ある程度は耐えられた。自分を殺すことで、不幸に傷つく痛烈を耐えていた。
決壊した堰から、心から、無味乾燥の涙を流し。身が裂けるほどの痛哭を、頑なに無視し続けて。
つまるところ、ひとつちゃんに見つけられたのは。だれも見向きもしない泣き顔を覗き込まれたのは。衝撃だったのです。驚天動地だったのです。涙を拭ってくれたことが。さもあたりまえと対等でいてくれたことが。途方もないほどに驚きで。
ただただ、僕は嬉しかった。
《可哀そうな子》だと疎まれていた僕は、僕と対等の不幸者に劇的し、嬉しかった。
僕はその日初めて、《嬉しい》という感情を、覚えることができたのです。と同時に。《許すこと》もできなかったのです。自分より不幸な人間がいるという事実に。同族と出会えた喜びはあれ、同族を嫌悪する怒りも、強かに同居していたのです。
世界一の不幸者。地獄の御落胤。その肩書があったからこそ、僕は僕を殺せた。けれど。
僕より不幸なひとつちゃんがいる。なのに僕殺しを続けてしまうのなら。ひとつちゃんの不幸を、《見殺す》ことと同義になる。
ひとつちゃんの数少ない理解者である僕が、目を背けてしまえば、虐殺し続けてきた僕の不幸を《容認》してしまうこととなる。
僕にはそれが、どうしても許せなかったのです。痛いだけの。悲しいだけの僕の平穏を。彼女は徹頭徹尾、凌辱した。
その事実に蓋をして。気づかないフリをして。忘れちゃったと自己暗示して。知らぬ存ぜぬを通すこと。無視に慣れ親しんだ僕ならできたのでしょう。でも。ひとつちゃんの存在すらも殺せてしまえるほどの、常識のある倫理は、僕にはありませんでした。
ひとつちゃんとの出会い。その瞬間。僕は彼女の不幸と向き合わなければいけなくなってしまったのです。呪縛されたのです。呪われたのです。
一生をかけて、一生懸命に、縋らなければ。不幸を否定するために。僕にトドメを刺すために。対話をし続けなければ。
僕はひとつちゃんに、依存したのです。
ひとつちゃんはたったの数秒で。僕の知らない、哀れみと、喜びと、怒りを、教えてくれました。
地獄を知るために、地獄へ向かう呉越同舟が、進みだし──。
そんなこんなで、同じ釜飯喰らいのひとつちゃんが。僕とは違い、自身を殺さず、のうのうと生きていられる事実に、俄然興味がわいたのです。僕は彼女に問ました。
『貴方は、どうして生きていられるのですか?』と。
『んー。ゲームが楽しいからかなー』
閉ざす口が見当たらず。あんぐり大いに驚きましたね。
だって、ひとつちゃんの言葉は。これまで大人が語り続けてきた、ありがたい説法とは随分と違っていたのだから。精神論でも、根性論でもなく。自己啓発や、自己肯定とも様相を異にし。心地の良いきれいごととは完全にあり方を別つ、物理の伴った《娯楽》だったから。
『トレカが好きなんだー。めっぽうたまらん好きなんだー。戦略が肝になるし、デッキ構築にはセンスがいる。環境を先読む先見の明や、カードの価値を見抜く審美眼も必要だね。ついでにいうのなら、勝つための大局観とかもいるのかも。でも、一番の好みは、しょせん《運ゲー》ってところだよ。勝つ幸福も。負ける不幸も。しょせん運。だから好き。楽しい』
もちろん僕は、トレカなるものが何なのかは知りませんでしたが、遊ぶ約束を交わした後日、ひとつちゃんが僕に『あげるね』とデッキをくれたことで。トレカに対する造形を深めるキッカケとなりました。初戦はコテンパンに負かされて。しょせんは運ゲーなハズではと笑い合って。
数十枚のカードを組み合わせたデッキ。その《山札》から五枚ほど《手札》としてランダムにカードを引き。限られた選択枝の中から、ターンを重ねて対戦相手と戦っていく、トレカ。トレーディングカードゲーム。デュエリストたちの戯れ。たしかに、ハマる理由もわかります。それくらいには、面白かったです。ただ、僕といえば。沢山の絵柄のカードを眺めている方が、ずっと楽しかったというだけのこと。
自覚こそありませんでしたが。もしかすると産まれて初めての《楽しい》は、このひと時だったのかもしれませんね。ピカピカ色に輝くカードが、僕に楽しいを教えてくれたのです。
『あきたよー。ナオ君、プレミばっかりするんだもん、張り合いがないー。きっと、向いてないんだよ、このゲーム。勝利への欲がないから。いいや、欲する《自分》がないからかもね』
言っていることの要領はつかめないのに。どうしてかひとつちゃんの言葉には、頭から離れない不思議な力強さがありました。どういうことなのかと尋ねてみれば。
『ナオ君には《欲しい》がない。幸せが欲しい。当たり前が欲しい。安らぎが欲しい。
美味しい食べ物、可愛い女、くつろげる空間。そういった《欲しい》が、君には欠如しているんだ。なにせ、求めるための。我欲の《我》がないんだから。自分がないんだから。
だからこそ、《空っぽの自分》。殺して、死んじゃった、《死体みたい》な自分を、許容し続けられるんだ。普通は無理だよ、そんな自殺。とてもじゃないけれど、耐えられない』
ひとつちゃんは、不幸の理解者でこそあれ。自殺の友ではありませんでした。
『君はすでに死んでいる。アタシ達が出会うのには、遅すぎたんだ』
僕はすでに壊れていた。友情、またはそれ以上を育むための芽は、とうの昔に摘まれていた。
『なら、《初めまして》をする必要があるね。ナオ君は、おギャーって、産声をあげる必要があるね。今はできなくても。中学生に上がるころには。君はきっと、ちゃんと《自分》ができているだろうから』
どうして分かるの? 当然の疑問。僕は確かに、ひとつちゃんとの蜜月を通して、自分を殺すことに、ある種の抵抗を覚え始めていました。僕殺しは、ひとつの見殺しだから。けれどもそんな心境の変化。ひとつちゃんどころが、当時の僕だって自覚していません。
『アタシが神様だからさ』
当たり前といわんばかりの、その帰着。意味の分からぬ回答に。それでも僕は、強く惹かれたのを、今でも子細に覚えています。ひとつちゃんが、本当にキラキラの神様に見えたから。
『これ上げる。《誰かに成る》ためのツールを、君に上げる。気休めみたいなものだけれど。君はコレで一歩前進できるんだぜ。ナオ君、君はもう一度アタシと出会うために、明日を生きろ。死ぬ理由を考えるよりも、生きるための言い訳を探せ。君は、君だけの君になるんだ。なんてね。啓示啓示ー』
抽象的で耳当たりの良い言葉を並べたのち、シャキッと背筋を伸ばしたひとつちゃんは、僕の頭をゴシゴシと撫でつけて。
『立てる足があるのだったら歩けー。歩けるのだったら走れー! まっすぐに、一直線に、地平線の彼方まで。君の《楽しい》を極め抜け。そしたらいずれ、このアタシにだって追いつける。したらご褒美に。ギュッと、抱きしめてやるぜ』
そう語ったひとつちゃんは、『《明日部》にて君を待つ』、とハニカんだ後、帰路につきました。
風と共に去りぬひとつちゃん。彼女が残していった影響は甚大で。できる限りの枕詞が付いてしまいますが。僕はもう、自殺することは、極力やめようと努める腹積もりでした。かといって、死なないことが、生きているとは言えません。僕は産まれなおす必要があった。ひとつちゃんと再会するために。しっかりと、《初めまして》をするために。
なおかつ、抱きしめてもらうために。
僕は懸命に自分を探して。探して、探して、探し続けて。つい最近、ようやっと、見つけることが出来たのです。尺直一は、《生きる言い訳》を、なんとか見つけられたのです。
《ひとつちゃん達と生きる》。
明日部で生きる。ただただ駄弁る。それが僕の喜びで。生を喜べる男が、僕なのです。明日部にいるのは楽しい。ひとつちゃんと一華さんと、一緒にいるのはとても楽しい。死んでいるときには無かった、楽しいと思える心が今はあるのだから。《楽しい心》が、僕なんだ。
新生を自覚し、オギャーと大粒の涙を流す。
僕は《楽しい》を極め抜く。《楽しい》で生き抜く。
生き抜きしながら、楽々と。真っすぐと。
ひとつちゃんにギュッとしてもらうために。
でも、もうその夢は叶わない。ひとつちゃんと一華さんが死ぬからです。すこし悲しく。一緒に死ぬのは、でも楽しい。覚めない悪夢に微睡む明日部が、僕は好き。好きで楽しい。
─────、グシャ。
ちなみに、ひとつちゃんが僕にくれたのは、レトロな《RPG》で。ドハマりしました。
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