ナボの一撃をもろに受け。三半規管が壊死しするも、神様の能力で透明化し難を逃れる。だが、ウチは起き上がることができないでいた。
文句のつけようもないほどに、徹底的に打ちのめされてしまったのだ。
あばらは粉砕し。はらわたは傷つき。視界は白光し。意識は茫洋を漂い。感覚時間はゆるりと流れ。
だからだろうか。ウチは昔のことを、走馬灯のように思い出すのだ。
物心ついた瞬間という物を、ウチは明確に覚えている。四歳のとき、父に《殴られた》。それがウチ、仇花一華の始まり。
おそらく向こうはお遊びのつもりだったのだろう。だけれどその小突きが。ウチにとって人生で初めての、《他人に与えられた苦痛》であったことに間違いはなく。
泣きはしなかった。怒りもしなかった。父に対して抱いたのは、無垢な《殺意》だけだった。
この人を。ウチよりも強いこの人を。ウチの手で殺せたのなら、とっても楽しいだろうな。
それがウチの、物心──。
父のもつ力は、ウチよりもはるかに強く。そんな父を殺せたのなら、どれほど《楽しい》のだろうかと夢想した。目覚めた《怪物》に従い、本能をそらんずれば、どれだけ《気持ちいい》のだろうかと不幸した。
その日からウチは、父を殺すことばかりを考えて夜を寝た。
妄想つかない快楽と。想像尽きない逸楽が。ウチという夢見る子供を錬成したのだ。
実際、殺すチャンスも幾度かあった。包丁片手に忍び込む寝室。車から抜き取ったガソリンとマッチの箱。湯煙る浴槽の外で手に持つドライヤー。
だけれどウチは、そんな《殺し》で満足できるほど、出来た殺人鬼ではなかった。
《殴り殺す》。その限定にのみ、狂えるほどの執着を抱く異常者だったのだ。
ウチの始まりである殴打でウチの初めてを遂行する。ウチの処女性を、ウチの拳で打ち破る。それがウチの悲願。
だから努力を惜しむことなく。人を殺すためだけの暴力を、追い求めることができた。
不運にも父は格闘家で。ジムを経営していたことからも、トレーニングを積むための環境は十全であった。
将来の夢は世界チャンピョンだと|騙《かた》り、父の厳しい修練を誘致し。ミットに殺意という名のストレートをブチ当て続ける幼少を過ごし。
来る十三の夏。公式戦初出場を目前に控えたウチは、マスボクシングではなくスパーリングがしたいと父に申し出た。それを受け入れてくれた父と初めてリングの上で戦い、そして──。
ウチは半殺しの憂き目にあい、子宮全摘を余儀なくされた。
父を殺すため、ウチは全力で殺害に臨んだ。鼻をへしおり、後頭部を殴打し、金的を潰し。現役こそ退いてはいたが、それでも元格闘家の父は、そうしたウチに対し必至の応戦。
自分を本気で殺そうとする娘に対して、必要以上の反撃を行使してしまうのは、別に責められたものではなく。愛した我が子の狂気を垣間見た父の驚愕と、得体の知らない者に対する恐怖心を考慮すれば、《執拗に殴り続ける》理由も頷けるというもの。
そして当然、悪いのはウチ。
スパーの結果はウチの惨敗。ウチの夢はそこで潰えた。
人生で初めての、それは挫折だった。だがしかし、それだけで物語は終われない。
二人きりのスパーだったがため、父の防衛の正当性を証明できる人間はおらず。娘に手を上げたことに対する刑罰と、社会的に著名だったゆえの世間からのバッシングと。愛してやまない家庭の崩壊を恐れた父は、ウチの治療を違法な闇医者に任せた。
然るべき機関で、然るべき処置を施せば、子宮全摘という結果には至らなかっただろうが、結末は御覧のあり様。因果応報これ極まれりだ。
その後、生活に不和と亀裂を生む要因と成りうるウチを、父は家から追い出し施設に入れた。
事実上、ウチは家族から捨てられたのだ。そして知ることになる。ウチの中に巣くう怪物性を、《家族のみんなは気づいていた》のだという哀れ。
なぜなら、母も、兄弟たちも、父の下した選択に、異議を唱えることはなかったのだから。
ウチを送り出す際の母の安心しきった表情を、ウチはたぶん、一生忘れることはないのだろう。
だがその別れにさしたる悲しみはなかった。ウチにとって真に家族と呼べたのは父だけだったし。そんな父を《殴り殺す》という夢も、依然揺るぐことなく、血潮に巡っていたのだから。
人はそう簡単に変われないというけれど。そんなの怪物だって同じことだ。死にかけた程度のことで変われるはずもなく。たとえ死んだとしても、きっと変わることなんてできやしない。
だからウチの殺意、衝動は。施設に入ったからと言っても、なんら形を変えることなく、裸体に落胤を焼きつけていて──。
誰でもいい。誰でもいいから、人を殴り殺そう。
父と距離をあけ、欲望の行き場をなくしたウチは、耐えることができず。死んでしまいたくなるほどに喉を締め付ける願望を発散するべく。人を殴り殺そうと、夜。他の子供が寝ている施設の部屋に忍び込んだ。
すこやかな寝息を立てている少女の顔面目掛けて、拳を振り落とそうとした、その時──。
その瞬間に、ウチの人生は、ウチの物語は、ウチの性欲は。変革し、革命し、命脈が胎動しはじめることとなった──。
『殴るのならアタシを殴ればいい』
窓から差し込む月明かりに怪しく照らされた女は。ウチと同じ施設に入っていた、|天目一《あめのまひとつ》。
小さい施設だ、もちろんその子のことは認知していた。よく皆にイジメられている、か弱い子。そうした印象を、ウチは天目一に抱いていた。
が、それは間違いだったのだと、すぐさま認識を改めることとなった。彼女の狂言によって。
『アタシの全部を君にあげよう。アタシの命も、アタシの身体も、アタシの全部を、君にあげよう。生殺与奪の権を君にたくそうと言っている。好きに弄んでくれてかまわないよん』
わけがわからなかった。意図がくめなかった。なんの目的があってそんなことを言うのか、皆目見当がつかなかった。それでも。本能が、奴は危険だと、警鐘を鳴らしつづけていて。
『死にたいのなら勝手に死ね。イジメでヘラっているのかしらないが、お前の自殺願望にウチを巻き込むな』
野生に近しい危機察知能力が、ウチと天目一の交差点をひた隠そうとする。
『死にたいんじゃない。《死んだ方がいい》んだ。アタシや、君のような《怪物》はね』
見透かすような、気味の悪い笑顔。不愉快なものの喋り方。グロテスクなまでの、誘惑。
『お前とウチが同じ? そんなわけがないだろう』
『いいや、アタシも君と同じ異常者さ。その証明は簡単。これ、なにか分かる?』
そう言った天目一は、衣服をまくり上げて、その《傷》を見せてきた。へその下から股間にかけて伸びる縫合痕。帝王切開の術痕によく似た、ウチと《同じ》傷。
『君の裸を見るチャンスは幾度かあったからね。どうしてそんな風になったのかはしらないけれど。《子宮》がないことは察せられたから。アタシ、君と仲良くなるために、《お揃い》にしてみたよん♪ 別に子供なんていらないしねー』
声が出なかった。言葉にならなかった。天目一の一挙手一投足がただただ気持ち悪かった。
なのに……。それでもウチは、彼女の姿に見惚れてしまったのだ。彼女の邪悪にときめいてしまったのだ。
心に鳴り響く警鐘は、されど彼女の鼓動と共鳴してしまったのだ。
『ロリの子宮が欲しいっていう変態さんは意外と多くてね。父のバイト先の闇医者に依頼して、売っぱらったんだ。二十年は遊んで暮らせるくらいのお金でね』
天目一の傍に近づき、彼女のお腹を手で撫でて。そこにはもう、何もないのだと実感し──。
『あぁ……。貴方もウチと同じ、《怪物》だ。みとめるほかない』
『でしょでしょ。死んだ方がいい異端でしょ。だから、アタシのことを殺してもいい権利を、君に。イッチーに、あげる』
だから。
『イッチーの全部を、アタシにちょうだい』
『よろこんで』
そうしてウチは、彼女の所有物と、なったのだ。
彼女の奇行を心の底から嫌悪したのは本当。だけれど。心酔してしまうほど、天目一の生き様を魅力的に感じたのも本当。だから、一緒に生きてみたいと思った。一緒に死んでみようと、そう思ったのだ。
『いつか我慢が効かなくなったら、アタシを殺してくれればいい。だけれどそれまでは。せめて《明日》くらいは。二人で生きていたいよねー』
『そうだな。それで、貴方のことをウチは何と呼べばいい?』
『アタシは君のためだけの《神様》さ──』
『そうかい。惚れたよ、神様』
『よろしい』
そうしてできあがったのが、ウチら怪物達の唯一の居場所、《明日部》。
その行く末は、太鼓の超人が故障して。我慢が効かなくなって。それでも神様を殺したくなかったウチによる、大量殺戮。実家の《父》と、神様をイジメていた施設の子供達全員を殴り殺すという、しょうもない結末におちついた。
これがウチの全部。神様の神話と違って、なんの面白味もない、犯罪。
つまりだ。ウチにとって、神様はウチの全てなんだ。髄骨なんだ。
片割れ? 片翼? いいや違う。半身? 本体? いいや否だ。
神様は、ウチにとっての《世界》そのものなんだ。だから。
どんなに血を流そうと。どれほど苦痛に焼かれようと。神様の《危機》を見過ごす理由にはならず。
ならば示せ、仇花一華の存在理由──。
「『虎狐』」
そして立て。しからば駆けろ! ウチの欲望のためではなく。ウチの《神様》のために。ウチは最強を、《殴り殺せ》!
『よし』と。神様の赦し聞き。透明化が解除されると共に──。
「らぁぁぁぁ!!!!」
ウチの全てを、ウチの魂を、七十センチ先の生き様に込め。振るえ──。
「開闢するは我の胆」
ナボはその拳であっても、《受け止めた》。異能まとわぬ素体であったとしても、奴は強い。
「破却するは貴公の臓」
あぁ知っていたとも。全てを賭したとしてもまだ《足りない》ということは──。
故に。
「立てナオカズ!」
「はい!」
ウチ専用の後輩を呼びだすとしよう。
カスは《不死身の死体》の効果で植物状態となっていた。その効果が《よし》によって消えた今──。
生き返るぞ、ウチらの《カス》が。
来るぞ、ウチらの《怪物》が。
スパーしたもんな。たくさん練習したもんな。なら、AIなんてなくたって──。
「シッ──」
いいパンチだ。
カスの拳は不可視の奇襲となりてナボのテンプルを撃ち抜き。最強の《一秒》を奪う。
そして目を見開け、しかと聞け。ウチらの神様、その天啓を。
「明日部が遊ぶ!」
バン──。
拳銃は拳より強し。ナボは脳天に風穴を開けて、ようやく死んだ。
「異能がなけりゃ、さすがに銃弾で殺せるもんね。いぇい勝ち勝ち!」
勝ちはしたが。その勝利に《ロマン》はない。粋じゃないから、イカしていない。
気持ち良くない。すがすがしくない。腑に落ちない。であっても、能書き垂れる意味もない。
《勝った》のだから、ナボの死体でもぶん殴って、誤魔化せ暴欲。
それでもいつか。『いつか殴り殺す』と、今は泣く。
最強に死は似合わないが。最悪に不幸は付き物だし。
ふぅ。眠たい。
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