終わった。本当にながき旅路でした。《始まりの浜辺》から《試練の森》に挑み、すでに七日。クレマチスを倒した後も、数名のプレイヤーと勝鬨を行いつつ、百数キロの強行軍。その旅路、ようやっとゴールテープを超えたのです。そして、待ちに待った《街》の全貌が明らかに。
先ほどまでの、複雑怪奇な大自然が嘘のよう。パロナマに広がる一面の草原。生い茂る芝と花の園。そのただ中には、木杭の柵で覆われた、《街》が絢爛と鎮座しているのでした。
吹き込むそよ風に身を仰がれ、暖かなぬくもりに目も冴えて。久しく別離していた直射の陽光が視界いっぱいのキラキラを瞬かせ。世界のすべてが、《街》の情緒を際立たせ。
「すごい……」
感嘆の喜びを、大の笑顔で表現するのです。
街は中華風。一昔前の乱雑さが見え隠れする瓦屋根が、不規則に連なり。そこから感じられる生命力はすさまじく。遠目からだというのに、圧巻の一言だけしか、零すことができませんでした。
「《天竺》。アスアヴニールにおいてもっとも所持ポイント数が高い、チーム《天竺》によって建国され、数多くのプレイヤーの活動拠点となることで、現在に至るまでその隆盛が続いている。天竺のメンバーの一人、《ゲームマスター》の《シミュレーションゲーム》によって運営されていることもあってか、アスアヴニールの街にしては珍しく、近代の様相を呈している」
一華さんが事務的に街の情報を《地図》から引用してくれました。
「《街》とは、アスアヴニール内にいくつか存在している《塔》の周辺に、プレイヤーが大規模な拠点を築くことで形成されるコロニーの総称ですね。《塔》とはプレイヤーの所持ポイント数に応じて、《ギフト》を与えるための建造物で、塔を中心とした半径一キロメートル圏内は、勝鬨を行うことが出来ないシステムになっています。街内のもっとも所持ポイント数の高いチームが《領主》となり、独自の《運営方針》で街を支配することが出来るらしいです」
つまり街とは、プレイヤーが運営する、勝鬨禁止の居住区だということですね。
それではいよいよ、アジアの風が息吹く《天竺》にくり出すとしましょう。と意気込んだ、その時──。
「《天竺》へようこそー。街内のどこにでも駆けつけます。素敵なアナタをお連れします。の、合言葉でおなじみ、《天竺運航サービス》でございまーす! 初乗り運賃もちろん無料! 『筋斗雲』の掛け声一つですかさず見参! ぜひお気楽にご利用くださいましー」
流暢な日本語を巧みに扱う、うら若きチャイナドレスの美少女が。《雲》にのって、僕達の頭上に降臨したのでした。
「く、雲の上にのってるよ! 悟空じゃん!」
「ゲームジャンル、レーシングゲームの能力か……」
「その通りです! わたくしは天竺を基盤にお勤めさせていただいているチームの一人。つまりあなた方は大切なお客様。どうです? 数百メートルほどの紀行にはなりますが、乗っていきませんこと?」
「ぜひ、お願いします」
流されるがまま、あれよあれよと《筋斗雲》に乗り込んだ僕達は、「うひゃぁぁぁー!!」
絶叫マシーンもかくやというほどの空中遊泳。腹の底からの楽しいを喚き散らした後。
「ご利用ありがとうございましたー。次回もまた御贔屓にー」
【クエスト2 試練の森を突破し、街にたどり着け】を無事クリアしたのでした。
「はぁはぁ。ああー面白かったー。またやろうね」
「う、ウチ苦手だ、あれ」
連れて来てもらえた場所は、天竺の《東門》。開け放たれた、龍の彫刻が目立つ門扉からは、何人ものプレイヤーが出入りし、あふれる活気をひしひしと感じます。
黙って中に入ってもいいものなのか、とあたふたしていると、親切なプレイヤーの一人が、街に初めて入る人はプレイヤー登録を済ましておかなければいけない。という情報を教えてくれました。さらにその足で東門付近に設置された登録施設の場所へと案内してくれたのです。
「あははー、都会に慣れていない田舎者みたいだねー」
えぇ、ほんとうに助かりましたとも。
親切なプレイヤーさんには、森で採れたワラビやらタケノコやらをお礼に手渡しました。困惑していました。
東門から西門へ貫く形で伸びるメインストリートから少し外れ。こぢんまりとした登録施設の戸を叩き、入室します。
「失礼します」
「ハーイラッシャーイ。日本人の皆々様、ようこそオコシー」
向かい入れてくれたのは、嘘くさい片言の日本語を扱う、ひょろっとした男性でした。年の頃はシカ耳と同じぐらい。しかし外見にさしたる特徴はなく。耳ですら人とあまり違いが見られない《猿の耳》。
あえて言うのなら、中華系の人であるということ。長く伸ばした髪は後ろでまとめられ、麻で編んだ簡素な服装で身を包み。演じるような笑顔を張り付けた物腰柔らかい男性。しかし驚くことなかれ、いたって平々凡々、少しの覇気すら感じられないこの人。その正体とは──。
「あきらかモブっぽい見た目なのに、《ポイント数》えげつないね、君」
「よくいわれるヨ。我はカナシ」
『《斉天大聖》ワン 12500』
紛うことなき、絶対《強者》なのでした。アンの十倍以上……。さっそくインフレです。
一万越え……。道具屋に買い物行ったら、ラスボスの魔王が薬草買っていた並みの衝撃ですよ。間違いなく、こんな小屋で消化していいイベントではありません。
「何者なんだ、お前」
「だれも何も、我は《天竺》の王なんだヨ。この街の支配者兼、名実ともにトップはってる人。そう警戒しなさんな。とって食いや……。いや、よくよく魅れば、食べたいくらいに可憐なお嬢さん方じゃない。つっ立ってなさんな、ほれほれ早く座るネ。茶でも淹れるヨ」
僕達の顔、おもに一華さんの美貌を受けて、ワンさんはすかさずエスコートの姿勢に入ります。女の人が好きなんですね。気が合いそうです。
それにしても、まさかまさかです。ワンさん、《天竺》のリーダーだったとは……。魔王どころか、本当に一国の王じゃあありませんか。
「どうしてそれほどの身分の人が、こんなところで雑務をこなしているんだい?」
玉座にふんぞり返っているのが本来あるべき形。シカ耳のほうがよほど王者たれでした。急須で茶を淹れてくれる紳士ではどう嗅ぐ嗅ぐしても、王様の風格は漂いません。いい匂いです。
「だからこそだヨ。民草と戯れるのは、我の生き甲斐だからネ! まぁぶっちゃけると、マツリゴトのすべてをチームメンバーの『ゲームマスター』に一任しているから、お飾り王様の務めがないだけネ。だからこうして、暇つぶし」
「暇ならウチと、殺し合う?」
おっと。さっそく一華さんが喧嘩を吹っ掛けました。彼女は典型的な、《強者を見れば殴りたくなる畑》の戦菜ですから。
「ごめんだヨ。我、《ボードゲーム》のプレイヤー。殺し合いなんてできないネ。だけれど君たち日本人。都合よく、我シャウチーや囲碁よりもコッチのほうがお得意」
非戦闘職であるため、直接的な勝鬨ができないと説明したワンさんは、なんと棚から《将棋盤》を取り出してきたのでした。殺し合うかわりに、将棋で手合わせしようということですか。
「どう? できる? なんなら六枚、落としてもいいヨ?」
「なめてるなー。ま、アタシは駒の動かし方くらいしか知んないから、とてもじゃないけれどまともな対局にはならないよ。それに将棋って、自分の持ち駒が敵の物になっちゃう遊びじゃん。そんなの支配からは程遠いぜ。性にあわない。イッチー、ナオ君。技量のほどはいかほど?」
「う、ウチしってるぞ。自分の駒で相手の駒を挟むと、ひっくりかえって色が変わる遊びだろ」
「それオセロじゃん」
「たしかにと金に成れますけれど……」
「高飛車だネ」
さすが脳筋。インテリジェンスな娯楽は無知蒙昧。
「僕はそこそこ得意ですよ。本気でやっている人には到底かないませんけれど。施設でよく練習していましたから」
頭を使えば、不幸から目を背けることができたから。
「ではでは一局。飛車角金銀の六枚落ち、ご了承」
「承りました」
しからば、一礼。
「ちなみに、待ったなしネ」
先手のワンさん。六枚落ちの定跡どおり、四筋の金を上げてきました。僕はすかさず角道を開け──。
「おい、なに勝手におっぱじめている。ウチらが暇になるだろ」
「そーだそーだ」
僕は長考癖があるので、皆には辛い時間を過ごさせてしまうかもしれません。
「大丈夫ネ。対局と並行して、申請手続きも済ませるヨ」
するとワンさん、パシッと鋭い一手。一見意図が読み取れない定跡外の指し手ですが、なんと、数手先の僕の狙いを潰すための妙手だったのです。むむむ……。
「我は強いヨ。将棋大好きだからネ、日本愛すネー。この世界で不自由なく暮らすのなら、日本語、英語、中国語、ロシア語、タイ語、韓国語、ベトナム語。この辺りは、マストで習得ヨ」
アンが日本語を扱えていたことを想起します。彼女と意思疎通がとれたおかげで、スムーズにチュートリアルが行えたことを鑑みると、なるほど多言語を扱えるメリットはなかなかのものですね。だからこそ、その利便性を早期に見抜いてみせたひとつちゃんは、《ナオ君の真っすぐ》なる翻訳能力を設定したのでしょう。ぬかりないですね。
「アス島ってば。人種、国、宗教関係なしに、世界中の人たちがあつまっているもんねー」
「それも《成人未満》のジャリばかり」
ひとつちゃんと一華さんが核心をつきます。まぁ、さすがに薄々勘づいてはいました。なにせ少女アン、青年シカ耳に、小学生程度のななぎり君。運航サービスの女性に、街の人々。そして眼前のワンさんと僕達。みな一様に、《子供》だったのですから。気づかないほうが難しい。ある種のネバーランド。
「なぜと聞いたら、ワンは答えられるのか?」
「可憐なる仇花子女、ゴメンだヨ。それは秘密なんだ」
「つまり知っていると?」
「答えられない、っていうのが答えネ」
子供しかいない。その理由が答えられないものであると。《隠しておきたい》事情であると、ワンさんは言うのです。子供だけしかいない。恣意的なその在り方には、《悪魔》の意を感じます。
「ヒントはあげる。その答えは、《塔》にあるヨ。《ギフト》としてネ」
「つまんないのー」
「ゴメンゴメンヨ。でも大丈夫、《サクリファイス》の《ポーン》であるアン子女を追い詰めることができた君たちなら、すぐにでも欲しいギフトが得られるヨ」
「なぁーんでアタシ達がアンと戦ったこと、知っているのかなぁ?」
当然の疑問です。
「なに。簡単な推理だヨ。ここは街の《東出入り口》。つまり君たちは《西側》からやってきたということになるネ。君たちが西側のリスポーン地点、《始まりの浜辺》で目覚めたビギナーだと仮定するのなら。徒歩で《試練の森》を踏破するのに、《地図込み》で最低一週間は必要になるヨ。そして一週間前といえば、全プレイヤーにアン子女の《千ポイント越え》アナウンスが通知されたタイミングと重なるネ。アスアヴニールは滅多に新規プレイヤーが参入しないゲームだっていう事情を考慮すると、逆算的に君たちが《アン子女》と戦ったと考えると辻褄が合うネ」
「ん? ウチはよくわからないんだが。森を抜けるのに一週間かかるのと、一週間前にアンが千ポイントを超えたことが、どうして《戦った》ことに繋がるんだ? たんなる偶然かもしれないだろ」
「説明欲しい? 長くなるヨ?」
暇ですから、かまいませんよと、承知します。
「まず一つ、チーム《サクリファイス》のメンバー。それも悪名高いアン子女と、好き好んで多量のポイントをかけて戦うプレイヤーは稀、というメタファー。なにせ、サクリファイスは最強の《天竺》の、最大のライバルなのだからネ。つまり、アン子女と戦ったのは、アン子女のヤバさと、ポイント数の重要さが分かっていないビギナーだという仮説が出来上がるネ」
そ、そんなにすごいチームに、アンは所属していたのですか。
「そして二つ目が、《地図を使って最短一週間》ってところかなん。つまり、地図を使わないと《もっと》時間がかかっちゃうっていうことになるよね。その証拠に、アタシ達は地図がなければ、《街》の方角に進むことすらできなかったんだから」
一週間前の迷子を思い返します。
「そして地図が使えるということは、《コマンド》を扱えることと同義になるよん。さらに言うのなら。ビギナーがコマンドを扱えるということは、先輩プレイヤーから《チュートリアル》を受けることができた、という式も立つんだぜ」
「アン子女のチュートリアルを受け、《街の方角》と、《耳の使用方法》、《異能力》の詳細を教えてもらえた場合のみ、君たちが一週間以内に森を抜け、街にやってくることが可能ネ」
「でもそれは、《アンと戦っていた》可能性がある、というだけで、《確証》ではないのでは? チュートリアルコマンドに気づけず、数か月以上、森の中をさまよってしまい。幸運にもご親切なプレイヤーにアス島の説明をうけ、やっとこさ街にたどり着けた可能性もありますよね」
「ないない。数か月、森を彷徨った《身なり》じゃないネ、君たち。衣服は汚れて、戦闘で傷ついた痕跡こそあるけれど。劣化はしていないヨ。爪はさほど伸びていないし。肌の垢も、頭髪のふけも少ないネ。匂いは芳しいけれど、耐えられるヨ。それに現世の靴を不自由なく履けていることが、一番分かりやすいネ。数か月間もあの森を彷徨ったのなら、どんなに丈夫な靴であっても、ヤブレカブレになるのが必定ネ。だから、君たちは短期間で森を踏破したんだと、説明がつくヨ」
「すごいね! なかなかの観察眼じゃあないか! そして頭も切れると見た。臭いのは一言余計だけれどね。これでも一応乙女なんだから。でもでもさー、やっぱりそれだけじゃー、《アン》と戦ったことの理由にはならないじゃんね。付け加えるのなら、ワンちゃんは《善戦》した、とも断言していた。どうして知っているのー? 見ていないのに。ねぇどうしてー?」
「君たちとアン子女がチュートリアルを行ったと断言できているのは、ゲーム性故ネ。勝鬨は基本的に三人一組で行う《チーム戦》。一対多は非常に珍しく、それこそ《チュートリアル》か、ポイント格差が激しい場合の《ハンデマッチ》として稀に行う程度ネ。それを裏付ける証拠として、《サクリファイス》の戦闘方式があげられるヨ。サクリファイスは、メンバーをチェスの《駒》として見立て、ポーン、ナイト、ビショップ、ルーク。以上十四名がそれぞれ独立したプレイヤーでありながら、異能力により、《一人》としてカウントされている特異なチームネ。キング、クイーン、その他のピース、計三名のサクリファイスは《数で殺す》。我は常にそうしたサクリファイスの動向を監視し、キング以外のポイント数も常に把握しているヨ。全員一律《900》だったはずネ。勝鬨の勝利ポイントは、参加した勝利チーム全員に、均等に配られる仕組みネ。けれどネームドプレイヤーに成れたのは《アンだけ》。つまりアン子女は、《単身》で勝鬨を行った、ということになるネ。物量戦に重きを置くサクリファイスが、わざわざ不利になるハンデマッチを行うとは考えづらい。なら、アン子女がチュートリアルに呼びだされたのは確定的ネ。仮に端数の1ポイントが偶々アン子女に振り分けられ、彼女だけがネームドプレイヤーに成れたのだとしても。1486ものポイントを賭けられる中堅チームは、すべて天竺が把握しているネ。全プレイヤー三千人ほどしかいないのがこのゲームだから、掌握は容易ヨ。そして残念なことに、中堅チームがサクリファイスと接敵した、という報告は我の元に届いていないヨ。よって、君たちはアン子女と戦ったことになる。以上、説明終り。ゴメンヨ、日本語慣れない。説明長いネ」
かえって分かりやすかったと思います。ただ、すさまじい情報量に困惑しているだけで。
「次にアン子女と善戦できた理由だけれど。こっちは簡単ヨ。君たちは、あの森を《勝って》超えてきたネ。それはポイント数をみれば明らか。初期ポイントは三人でも多くて二百後半。それなのに現在の君たち、500ポイントも有している。驚き桃木ヨ。アン子女に敗れはしたものの、それでも《試練の森》を狩場にしているプレイヤーを切った千切ったとなぎ倒すことが出来た、ということになるもんネ」
僕達はあの後、連続して数チームとの活劇を演じたのです。
やはり、街に近いという地理もあってか、森を拠点に《初心者狩り》などを行っているプレイヤーが大勢いて。勝鬨を行うたびに、ひとつちゃんがいたずらに《オールイン》を行うものですから、いまではチーム総合五百オーバー。ちゃっかり勝っているあたりが僕ら流。
「それを抜きにしたとしても。君たちはあの《八重咲》をも切り伏せてみせたネ。我と八重咲は旧知の仲。彼は《天竺》の前身チームである《仮》の初期メンバーだから、我との付き合いは長いヨ。そんな彼はここ数年、行方を暗ませていた。チュートで呼び出された後、消息を絶っていたんだヨ。でも、つい先日ひょっこりと顔を出した。かと思えば、『日本人のお姉さんたちに救われた』と言い残し、息つく暇もなく旅に出ていったネ。で、八重咲は、君らと同じ《刀》を持っていた。つまり、君たちが件の日本人お姉さん達であることは、確定的ネ。彼、けっこう強いヨ? そんな彼を倒した君たちが、アンに競る力の持ち主であり、接戦を演じたのは明白ネ」
以上、QEDです。そして僕達三人は、拍動を高鳴らせ、《慟哭》するのです。《とんでもない人》と、出会ってしまったのだと。出会うことが出来たのだと、《喜んだ》のです。
気に入った理由は。たった数回の会話で、僕達の軌跡を丸裸にされたこともそうです。が、なによりも重要なのは──。
「君たちと遊べたら、きっと、とても、面白いヨ。だから我、今、勃起しているネ」
《はちゃめちゃ楽しそう》な人であるということ。
「はいヨ、尺の詰みネー」
「負けました」
「一昨日行くネ」
礼法として互いにお辞儀。
その盤面、なんと僕の玉以外の、《すべての駒》が、僕の玉を、咎めていたのでした。
「天目と尺、仇花子女は、もう我と友達。これからは当分、我と一緒に暮らすネ」
そ、それはいけません。 僕のハーレムに男はいりません。
「そんなこと突然言われましても。ちょっと待ってほ──」
「待ったなし」
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