「しくしく」
「もっと悲しそうに泣いてくださいよ」
「悲しいのを、ごまかしているんだよ」
もうまもなく、僕は制約によって、終わりを迎えます。それを悼んでか、抱きしめてくれるひとつちゃん。僕冥利に尽きますね。
「勝ちたかったなぁ。負けたくなかったなぁ。勝てていたら、死なせずにすんだのかなぁ」
「どうでしょう。それはそれで、つまらなくはありそうです」
「あはは、ダメじゃんけっきょく……」
えぇ、本当に楽しかったですよ。人生で、一番楽しい逢瀬でした。
明日部と一緒に遊ぶのは、楽しすぎて、楽しすぎて。すぎがいきすぎ、死んじゃうそうです。
「お別れだなんて出来ないよ。ナオ君はアタシの物だ。アタシの大切な宝物だ」
「えぇ、だからいずれは朽ちるのです。形あるものはなんとやら。おんぼろになって飽きられる前に。さんざ遊びを尽くして、壊れておくのが美談です」
「ほんでもって、アタシは失う悲しみに《支配》されちゃうってわけだ。オチがすばらで、もはや怪談だよ、まったくもう」
ひとつちゃんの髪の毛を。大好きだった栗色を。僕はくしゃくしゃと、撫でる。
「アンに怒られちゃうよ?」
「忘れられるよりかは遥かにいいです」
「ナオ君ってああいえばこういうよね。性格わるー」
「大好きですよ」
「──、本当に、わるい子だ」
そしてひとつちゃんは、僕の胸に顔をうずめ。わんわんと、泣きました。
「はぁ。泣いてもスッキリしないなぁ。こんなの、性に合わないよ。つまんなー」
困ったことを言う人だ。僕の気持ちが変わることはないと知っておきながら。僕の胸に罪悪の矢じりを突き立てる。その傷口をペロペロと舐めて、傷の舐め合いを名演している。
「んじゃ、ピロートークはこの辺にして。そろそろ本題にいこうかなん」
「本題?」
「そうさ。本題で、命題だ。ナオ君、君はアタシに嘘をついているね?」
「ぎくり」
「文字通りアタシは、君が産まれてきたときからの仲だから。君が嘘をつくのがへたなのも、とうぜん知っているよ」
もちろん僕も。ひとつちゃんに嘘をついても無駄だということを、知り尽くしています。だから僕は、《本当のこと》しか言わなかったハズだ。
「君は死ぬ。それは嘘偽りない真実だ。でも、《今死ななければいけない》理由は、一言だって説明していない。してくれていない。つまりナオ君は、《喋らない》という嘘をついた」
明日でも、来年でも、十年後でもなく。どうして今、明日部と敵対したのか。楽しみをとっておくという楽しさもあるのに。どうして思い立ったが厄日とばかりに、自死を選んだのか。
「喋らないことが嘘? 面白いことを言いますね。定義があやふやで──」
「ナオ君はアタシの玩具だ。そんなナオ君が主人に対して、黙秘を行使した。それは十全に、アタシ達の関係性に対する嘘になるでしょ」
うむ、論破されました。
「アタシは見逃さないよ。《ギャグ》なんかで片づけないよ。ナオ君、《あのとき》から、態度がコロッと変わったよね。いままで反抗なんてしたことのなかった君が、急によそよそしくなったよね」
あのときとはつまり、《ゲーマス》に出会ったときから。あの人に、キスされたときから。
「君はあのとき、話を露骨に挿げ替えた。正直者のナオ君がお茶を濁すのは、きまって《性癖をツッコまれたとき》か、《明日部のためを思って》いるときだ。だからアタシも無理には問い質さなかったけれど。もう一度聞くね。ナオ君、いったい君に、なにがあったの?」
「答えたくないです」
「『№9 ナオ君の真っすぐ。リスク:ナオ君は真っすぐな感情をぶつけなければならない』」
「ズルい人だ」
まったくもって卑怯です。
「わかりました。答えればいいんですよね。僕はあの時、塔の近くに座っていたお姉さん。大人な女性のゲームマスターに、キスされたんです」
「ベロは?」
「その情報いります? ベロベロでしたよ」
「ふぅん」
「抓らないでください痛いです! そ、それにですよ。ひとつちゃん、貴方がジェラシーを感じる必要性は無いんですよ。無かったんですよ。資格がないのだから」
「と、いいますと?」
僕はふぅっと深呼吸。息を整え、ありのままを伝えます。
「ゲームマスターは。あの人は。あの子は──、ひとつちゃん、貴方自身だったんですから」
「だと思った」
ほへ?
「え、え、ええ!? 今の、けっこう衝撃的告白だったでしょ!?」
「そして推察できた事象だね」
うわぁ。混乱するなぁ。ペースが乱されるなぁ。頭を抱え、どうしたものかと四苦八苦。
「まず一つ目。これはあえて伝えていなかったことだから、かなーりアンフェアな情報開示になるのだけれど。じつはアタシの異能、【八十八か所巡り】。アタシが|吟味《ぎんみ》する前から、すでに詳細な内容がアスアヴニール側に設定されていたみたいなの。その証拠に、八十八もの能力を、ナオ君やイッチーのシンプルな異能力設定と同じ時間制限で、決めることができていた」
つまり、ひとつちゃんの異能力を運営が事前に用意していて。さらにいえば、その内容がひとつちゃんの想定していたものと、ほぼ一緒だった、というわけですか。偶然ではありえないですね。
「ということはだ。当然の帰結として、《アタシの好みを熟知している何者か》が、運営サイドにいるという、考察がたつんだよ。そしてその容疑者は、わずか二人しかいない。こういうとき、友好関係が狭いのって便利だよねん。まず一人目が、ナオ君、君だ。アタシの怪物性を愛してくれた君なら、【八十八か所巡り】を独自に完成させていたとしてもなんら不思議じゃない。そして二人目が、《アタシ自身》。これも至極当然だよねん。あ、イッチーは除外してあるよん。あの子、言語化能力もアウトプット能力も皆無だから」
死んでいるのにひどい言われようだ。
「次に二つ目の根拠。ナオ君ほどの女好きが、女の子にキスされたのに、《興奮》しないだなんて在りえない。キスがエロ過ぎたから? 急なことで余裕なかったから? はっ、ないない。ナオ君はソレが雌なら、犬にだって興奮できる変態だ」
生きているのにひどい言われようだ。
「興奮しない。つまり、キスした女性が性的対象ではない。ナオ君の関係図において、そんな奴はごく少数。実の親と、《明日部のメンバー》だけよん。明日部は家族以上の間柄。自身の片翼だから。《自分に興奮する》ナルシストではないかぎり、性的対象にはなりえない」
まったくもって論理的ではない推理です。がしかし、現代犯罪史において、心理学が重要な根拠になっているのは本当で。陳腐なミステリの完成ですね。さよなら僕のファンタジー。
でも一つだけ心外。僕はひとつちゃんのことも、一華さんのことも、大好きですよ。
「ほかにも色々あるけれど、大きく括ればこの二つかなん。つまり、アスアヴニールには《別の明日部》がいる可能性が非常に高かったのよ。それが今、君の口から証明されたってわけだ。へぇー、この世界には、もう一人のアタシがいるんだねー。しかも大人の。いったいどうして? その疑問は、このアタシをもってしても皆目見当つかないよん。ナオ君、続きは頼んだぜ」
「ハイです。サクリファイスのクイーンは、魂を切り分けることもできる異能力の持ち主です。つまりですよ、その異能を可能たらしめている運営も、まったく同じことが出来て然るべき」
「だねー」
「であれば、アストラル魂の《コピー》を作ることすら、成功しうる」
大切なデータのバックアップをとるように。魂の複製を鋳造することも、可能。
「道理だね」
「すこしショッキングな話かもしれませんが。ハッキリ言います。ひとつちゃん。貴方はオリジナルの天目一から複製された《コピー》なんですよ」
「ん? 普通に面白いじゃん」
その一言で片づけられるのは、世界広しといえども貴方しかいませんよ。
「なるほどねー。つまるところ、《大人なアタシ》、ゲーマスは、アタシのオリジナルなわけだ」
話が早くて助かります。理解が早すぎて恐怖です。
「僕たち三人は、あのとき屋上から飛び降りて死にかけました。そう思いこんでいましたが、真実は違っていた。ひとつちゃん、貴方は飛び降りてなんかいなかったんですよ」
「は? マジ?」
「マジです」
「いや、そんなわけないっしょ。だって言い出しっぺアタシだよ? もちろんアタシ自身も死ぬつもりだったし」
「別に責めるつもりはありません。貴方が飛び降りなかったのは、頭からお尻まで、説明がつくことですし」
「詳しく聞かせて。アタシがアタシを嫌いにならないために」「御意」
ひとつちゃんの足が《不自由》だということは、僕や一華さんのように、《ピョイ》っと飛び降りることすらできないという事実を意味し。
自分の力のみで落ちるためには、腹ばいになるしかないのです。つまり、《数秒》、僕達よりも投身自殺するタイミングが、遅いのです。数秒もあれば、僕と一華さんは、一足先に着地していることでしょう。
僕達はお手々を繋いで自殺していない。一緒に死ぬからといっても、死を強要しない程度の節度はありましたから。だからこそ、ひとつちゃんが《下を覗く》のは、必然だった。
匍匐姿勢という都合上、どうしても先に着地した僕達を、《見て》しまう。
ならば、《死にきれなかった》僕達の姿を目視することにも、つながる。
《三人とも死ねなかった》のは出来すぎにしても、《二人して死にきれなかった》のならば、可能性は飛躍するのですから。
死にきれない。つまり、救急搬送され、医療というザオラルで、《生き返される》可能性が危ぶまれた。
地球で生きることが難しくなったため、明日部は死という逃避行を選んだのに。生き伸びてしまったら本末投身。痛い分、損しかない。
「だからアタシは、死ぬ前に、二人にトドメを刺そうとした。そういうこと?」
首肯。
「足から着地した一華さんは死にきれず。一華さんの真上に落ちた僕は、彼女の身体がクッションになって生き永らえた。そういう顛末だったそうです。まったくもって」
「運が悪い」
ですが場所は屋上。いくらバリアフリーが進んでいる校舎であったとしても、下半身不随のひとつちゃんが一階へ降りるのには、相当の時間を有してしまう。
そして地に辿り着いたころには時すでにおそく。二人の身体は回収され、血だまりだけが残されていた。
後にオリジナルのひとつちゃんは知ることになるのです。僕ら二人の身体は、救急車でも、義賊でもなく。大量殺人鬼の一華さんが警察によって逮捕される前に、身柄を確保しようと動いていた、地球未来が回収していたのだという事実を。
そこからはお話が加速します。ひとつちゃんは僕らの魂を取り戻すために、地球未来に入社しました。その後、彼女の持ち味である天才性とカリスマ性、怪物の発想をいかんなく発揮し、アスアヴニール運営課の重役というポストにまで上り詰めたのです。
僕達の魂はすでに抜き取られており蘇生は困難だった。でも、もう一度明日部のみんなに会いたかった。
だから大人に成長したひとつちゃんは、アドバイザーという形で、自身すらもアスアヴニールに島流しされることを目論んだのです。
僕達に対する自殺教唆という罪過も詳らかにし、自身のコピー体を罰することも、強引に認めさせたらしいです。そうしてそして、現在に至るというわけですね。
大人な彼女と、子供の彼女が共存するという歪な世界観の、誕生秘話ヒストリー。
「んー、どうして大人アタシは、子供アタシを作ったの? 普通にオネロリを楽しんでいたらよかったのに」
「かつての自分を作ることで、失った時を取り戻す、とかいう深い意味があるのかなーとか妄想していたんですが。本人曰く、オネロリもできて、子供自分が明日部で楽しんでいる光景も眺められて、一石二鳥だ! っていう邪な理由だそうです。わんちゃん、子供自分も味わえますし」
「うぇ、さすがアタシ」
ひとつちゃんの名ゼリフ。『抱きしめるだけだなんて物足りない。《リアルにチューっと》しちゃえるくらいに。アタシはナオ君を壊してやりたいぜ』
そして僕は大人ひとつちゃんに抱きしめられ。キスもされて、壊された。
大人になってもかわんないな。かわり映えなく楽しいな。
「うん、わかった。理解した。それでナオ君は、大人エロいアタシにキスされて、どう変わったの?」
とりあえずは性癖ぶっ壊されたことと。
「ひとつちゃんの意外なシャイさが知れました。ひとつちゃん、貴方は偉そうな口を叩いておきながら、《僕達が死んだとき》。自分のせいだと自責し、自暴自棄になって、自傷癖に廃するほど、自分自身を追い込んでいったそうなのです。罪悪感に支配されて、自由を手放すほどに」
ゲーマスの纏う、どこか厭世的、排他的な空気感は、おそらくそのせい。ようするにヘラったのです。
「へぇ、新たな一面。ま、確かにナオ君とイッチーに先立たれて、その原因が自分にあって。おまけに再会の希望に縋るあまり、死ぬこともできないとくれば。壊れてしまってもおかしくないね」
「他人事のようにいいますが、これは《ひとつちゃん》、貴方自身のことなんですよ」
「なにが言いたいの?」
「今の貴方だって、《僕が死ねば》、壊れてしまうということです」
「え? 本当になにを言っているの? ナオ君、君は今、現在進行形で死のうと」
「はい、その通りです。自分の意志で明日部と敵対し、自分の価値観の元、正しく悪しき自殺を遂げようとしているのです。そこに《ひとつちゃん》の介入する余地はない。一切合切僕の責任だ」
「わからない。全然わからない。アタシにもわかるよう説明して!」
「だから。ひとつちゃんが世界を壊したとき、僕はつまらなくて死ぬんです。そしたら貴方は、きっと《アタシのせいだ》って、自分を責めるでしょ。そうなる《未来》を、僕は知ったのだから。なら、やることは一つです。僕の死因を、《ひとつちゃん》のせいにしないこと」
ひとつちゃんのせいで死ぬのではなく。僕が勝手に死ねばいいという物語。筋書。そのためにアンの愛を利用した。
「いや、暴論だよ、それは。お願いすればいいだけじゃん。アタシに頼めばいいだけじゃん! 世界を壊すなって。しょうもない我儘でつまらなくするなって。ナオ君のお願いなら、アタシはどんな意志だって曲げられるよ? どんな愛撫も受け入れるよ? それくらい、ナオ君はアタシにとっての大切なんだよ?」
「知っています」
「な、なら──」
「でも、貴方の障害にはなりたくない。進む先の邪魔をしたくない。それは、死ぬほどつまらないことだから」
その言葉が引き金となったのか。一発のビンタと、一生分の抱擁で、好き染められる。
「ふざけんな!」
「ふざけたほうが楽しいですよ」
「真面目な顔で馬鹿言うなぁ」うぅ。
「アタシの将来を壊さないために。百年後の死を、いま前借した。ナオ君、それは馬鹿だよ」
ああいわれても。抗しません。僕は黙って、彼女の嗚咽を呑むのです。
「アレは、嘘だったの? 明日部と敵対するのは楽しいとか。アンのことが好きになったとか」
「まるきし全部本当で。全部が全部、言い訳みたいなものです」
ひとつちゃんは、死せる僕を初めて見つけてくれたとき。がらんどうだった世界を、色とりどりの明日へ変えてくれたとき。こんな言葉をくれました。『死ぬ理由を考えるよりも、生きるための言い訳を探せ』と。
それが結局、死ぬための言い訳を探しているのが僕なのですから、とんだ不幸者で、とんでもないカスですね。
「今からでも、考えを変えられる? アタシの為に」
「無理ですよ。もう明日部と戦う。貴方と愛し合うという最高を、身をもって感じちゃったわけですから。どんな妥協も、つまらなく感じてしまうのが未来です」
「苦しい。悔しい。悲しいよ」
「ほら、とてもつまらない感傷だ」
泣くことはつまらない。あふれる涙が、楽しくない。
「それなら──」
ひとつちゃんは、絞るように。懇願するように。上目づかい。
「最後に、アタシにできることは、なにかある?」
「本音を言えば、貴方に僕を殺してほしかった。この勝鬨で、僕を殺して、僕を終わらせてほしかった。それなのにアンの奴、強すぎるんですよ、まったく──。だからそうですね。最後に、最後だから。僕の手で、貴方を殺したい」
「よろこんで」
泣きたい心を。零れる涙を押し殺し。懸命なつくり笑顔で僕を見とらえ──。
『№6 狗神刑部。リターン:このカードが山札、手札にある場合、すべてのリスクがアタシを愛してくれる人に行く。リスク:このカードを使用した場合、アタシは愛する人に殺される』
「な、なんですかこれ」
「あはは、ナオ君もイッチーも、アタシの支配に慣れすぎて、初歩的な疑問を見落としていたんだよ。どうしてアタシの《異能》なのに、リスクは二人に向くんだろうって。つまるところー、アンの尻尾はアタシの趣味じゃなくて、ナオ君の趣味だったわけさ」
「手札に来ても使わなければいいだけなので、実質ノーリスクなのでは……」
「このカードだけは、子供アタシが自分の手で考えたトンデモなんだぁ」
「化け物が」
というわけで、僕は右手に現れた鋭利な《竹尺》で、いまからひとつちゃんを殺すのです。
「ナオ君大好き。だからどうか、《苦しませながら》、アタシを殺して」
「わかりました」
僕は彼女のお腹を、かっぴらく。ピンク色の中をかき混ぜ、えぐり、愛する。
死ぬほど楽しくて。可笑しいくらいに面白くて。僕は人生で初めて、絶頂しました。
ことを済ませ、あとはただ死を待つだけでいい宵中。星空を見上げて、電脳空間の白々しさに、感嘆する。
血に濡れたぬくもりが、徐々に冷えていく。凍えを覚えたその時が、僕の死です。もうすぐ、もうすぐ、もうすぐだ──。
「あぁ、死ぬのって、本当につまらないなぁ」
一華さんが死んで。ひとつちゃんも殺して。また三人一緒に死ねるのに、どうしてこうもつまらないのか。人間やるのって、難しいな。
そうしてしばらく風が吹き。涙も枯れて。声も上げられぬその空に。僕は強い怒りを抱くのです。恨めしい。それはそう、《世界に対する》、底なしの憎悪。
アンの抱く黒と同質の、血色。
「どうして、死なせてくれないんだ」
幾星霜と待ちわびた終わりを。それでも世界は、許してくれなかったのです。そのとき僕はハッとする。彼女たちの残した因果に気づくのです。
「まだ、クエストが残ってる──」
【クエスト3 *重要 アンの二つ名を考え、手作りのマフラーを完成させろ】
まったく。ひとつちゃんの残したリスクは、なんて重たい代物なんだ。でもほんの少しだけ、楽しく思うのも、まことだった。ひとつちゃんの、死人のような死体を、抱きしめる──。一緒にいこうか。
「終わらせてくれたのがナオ。明日部を捨てたのもナオ。ナオはもう、アンと同じ?」
「最低のカスですが、人間らしい人間です」
目の前のアンは、可愛らしい無表情と、ピコピコのウサミミで僕を出迎えてくれました。思わずギュッと抱きしめて、頬ずりしたくなるほど愛いですが、両手が塞がっているので難しい。
「大好きなアンへ。僕から贈り物があるのです」
「ワクワクと興奮するアン」
僕は両手を、アンの背中に回します。そうです。手作りのマフラーを、アンの首元にまいてあげたのです。細長く、ぬめりけのある、愛に満ち満ちた手作りマフラー。
「これは?」
「ひとつちゃんのハラワタです。よく似合っていますよ」
「ありがとう。暖かい」
気に入ってくれてなによりです。すぐ腐ってしまうでしょうが、それも一つのオシャレです。
「二つ名ですが、こんなのはどうですか? 《愚者》。僕の遊び人と似ていて、アンの愚かさも表現できて。我ながらいいと思うんですが──」
僕にとびつくアン。幼稚なキスで喜びを表現する僕の恋人。
「センスがいいのかはわからないアン。でも、ナオが考えてくれたのなら、なんでも嬉しいと喜ぶアン!」
うん、とっても愚かだ。では、僕の役目はここまでです。
明日部なら、きっとアンを悪いようには扱わない。それにあの二人なら、僕のことなんて置き去りに、どんどん前へ進んでいってくれることでしょう。
では、さよならです。
「バイバ──」
「っとまったぁぁぁぁ!!!!!」
「ぶごふっ!???」
その一撃は唐突に──。
僕は《ひとつちゃん》に、顔面を殴り飛ばされたのです。ひとつちゃんを背負うのは、もちろん我らが一華さん。え? どうして? お別れ会でも開いてくれるの?
「ま、まにあった! タッチの差だね!」
「パンチだったろ」ナイスツッコみです。
「はぁ、はぁ。ナオくん、ナオ君!」
「は、はい!」
「殺してじゃあね。死んでさよならって。そんな寂しいこと、言わないでよ……」
粒の涙をぽろぽろ零し。年相応に泣きじゃくるひとつちゃん。いつもの余裕綽々な笑顔は押しやられ、くしゃくしゃの相貌で僕に怒鳴りつけるひとつちゃん。僕の大好きな、女の子──。
「つかさー、そもそもさー。またね、バイバイ、で、終わらせるわけがないじゃん! このアタシがよ!」
うぅむ。説得力がパナいです。
彼女達は彼女達は生き返ってすぐさま、僕にそれを言うためだけに、駆け付けてくれたのです。さよならと別れ。それでも《イヤだ!》と、走ってくれたのです。
「そう言われましても、僕、そろそろお迎えが来そうなんですが」
「ナオ君、君は言った。『もうこれ以上楽しいことはないだろうから、今気持ちよく死んどきます』って。『妥協で延長した未来に興味はないです』って。それならアタシは、君にこう言ってあげなきゃならなかったんだ!」
一華さんの頭に乗り上げてまで、彼女は僕のために、大呼してくれた。
「《もっともっと、もぉぉぉぉーーと楽しい未来》を、君に魅せてやるって!」
そして僕の魂が今、歓喜の歌を合唱し始める──。
その叫びは。ひとつちゃんのその叫びは。心を震わす咆哮は、勝鬨は! あぁ、あぁ、ああ!!
「くわしく聞かせてください!」
産声をあげたときと。いや、それ以上の《楽しそう!》を、僕にもたらしてくれたのです!
「ナオ君にとって明日部は一番! アンは二番! だから君は、一番をぶっ殺して、アンを一番の人にしようとした。いいね!?」
「あ、アン二番?」
「当たり前だろ。なんだよその首飾り。カスの奴、死ぬ前に超絶しょうもねぇブラックジョークかまして、お前で遊んでいるんだぞ」
「兎にも角にも、いいね!?」
「は、ハイです」
「なら発想の転換だ。ナオ君、君は一番を殺すという馬鹿を選んだわけだけれど。そんなことをする必要はなかったんだ! だってそうだろ!? 明日部を落とさず、《アンを一番》に上げれば良かっただけなんだから! 同率タイ? 違う違う! 明日部は特別枠? 断固否だ! 完全無欠の最強ワンマン、輝ける頂点の金星さ! アンを、《明日部》に入部させればいいんじゃないか!」
なんという極論。なんという暴論。そしてなんというほどの、正論だ──。
「お、落ちついてくださいひとつちゃん。口で言うのは簡単ですが、アンが僕達と同じ怪物にはなれないと、さんざん説明したでしょ! なら、仮初の入部になんの意味があるのですか!」
アンは決して、僕達と同じ怪物にはなれない。彼女は人間。
「だからこそじゃないか、ナオ君。いまからアタシ達がしようというのはね、世界の破壊なんかよりも、数億倍楽しいことなんだよ! アタシ達は今から、これからの人生すべてを賭して! 大好きなアンを、人間を──、アタシ達と同じ生粋の怪物に、《堕とそう》というのだから!」
「な、な、なんていうことを」
人間であるアンは、怪物には決してなれない。その《絶対》に、貴方は。ひとつちゃんは、挑もうというのですか。
貴方は言っていた。怪物性は先天的な物であって、後天的な性質ではないと。その法則を、《ぶっ壊そう》と、つまりはそう言っているのですか。
そんな無謀、そんな最悪。いったいどれほどの《罪》を背負えば、《悪》を孕めば、可能になるというのか。
「壊した先の世界が心配? つまらないかもしれない? ふざけるな! このアタシを誰だと心得る! アタシの夢を、アタシの一番が、馬鹿にするな──」
「貴方は《一つの世界を、支配する》!!」
僕は無意識のうちに、張り裂けんばかりの大声で、そう絶叫していたのです。脳に反響し、連峰にとどろき、僕の魂を、震わせるほどの。
「おうともさ! なら、《つまんない未来》なんてありえない! アタシは断言するぜ! このアタシ、天目一は、アスアヴニールの新たな《神》になる!」
心臓がドクドクと踊り狂っている。脳内麻薬に犯された思考が、トロトロと鼻血となって零れだす。
せっかく立ったコロンブスの卵でさえ、彼女はグツグツつくづく、ゆで卵。やばい、やばい、これは本当に、やばいことになるぞ──。
「さぁさ応えるがいいナオ君よ! 君の死ぬ理由はまだあるか!」「ない!」
「アタシ達に気を使って、殺す自分はどこにいる!」「いない!」
「明日部より、優先してしかるべき宝は落ちているのか!」「見当たらない!」
「悲観に暮れる青空が、君の頭上にはあるのか!」「キラキラです!」
「ヤバい未来を見届けぬまま、死んでバイバイできるのか!」「生きたいです!」
「アタシにこんなつらい思いをさせて、なにか言ってみろよ馬鹿野郎!」「ごめんなさい!」
「今どんな気持ちか、一直線に叫びだせ!」「────」
何があれ以上の最高は二度とないだ。ぬかせ。今抱くこのトキメキのほうが、極点乗に──。
「楽しいです!」
僕達三人は、アンも一緒に巻き込んで。抱きしめ合って。もつれ合って。
「うぁぁぁ、よかったよぉ、ナオ君とまだ生きていられるよぉ」
「ばか、あほ、くず、カス! 心配かけるなよ! お前が、お前がいなくなったら、ウチはだれとお話すればいいんだよ……」
「うぅ、と、とりあえず、みんな好きと叫ぶアン!」
「不肖僕、ただいま帰ってまいりました! これからも、どんどん楽しいことしていきましょう!!」
すべての悩み。すべての覚悟。すべての決意を、僕はゴミだと捨てられる。なぜならそれに足る《楽しそう》が、見つかったのだから。
神になろうとするひとつちゃんと一緒にいることのほうが、絶対楽しい。ならば、くだらないシリアスで死ぬよりも、ウケる神話で生きるまで!
こじつけがすぎるぜ、僕達の物語!
「「「おかえり!」」」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!