「もう村には慣れたか、リリアサ」
リリアサが村へ来てから数日後、レンドリックは彼女を村の散策に誘った。
本人がそう希望したこともあり、リリアサの呼び方は他の村人と同じように呼び捨てにしていた。
「おかげさまで。ここは本当に良い村ね。居心地がいい。レンドリック君の手腕がよくわかるわ」
「そう言ってもらえると誇らしい」
レンドリックの姿を見かけた村人たちが、おだやかな笑顔であいさつをしてくる。それぞれに簡単ではあるが、しっかりと言葉を返す。
少しずつ村の外れに向かう。人のいない場所で話したいことがあるからだ。
「わざわざ散策に誘うってことは何か話があるのかしら。まさか慣れたかどうか聞くだけじゃないわよね。何かしら~」
これまでよほど退屈だったのだろう。一つ一つの出来事が楽しくて仕方がないという表情だ。
「あぁ、一つ聞きたいことがあってな。もしかしたら気を悪くする話かもしれないが……」
「気を悪く?何かしら?」
「君は、あのユニ・リリアサだろ?」
今現在、この世界で当たり前に使われている回復薬『ポーション』を、千年ほど前に開発した天才魔術師ユニ・リリアサ。その功績で、彼女は今このウルダン王国では聖女として祀られていた。
「あら、わかっちゃった?」
リリアサは何でもないことのようにあっさりと白状する。
「あ、だからって千歳の女とか言わないでよ。見た目通り二十代でよろしくね」
「……君はこの世界に復讐をしに来たのか?」
これを確認したかったのだ。
回りくどい言い方などできないレンドリックは、ストレートに聞く。
レンドリックが持つ、人の善悪を見る力で調べた限り、リリアサは善だ。しかし、リリアサの逸話を考えると聞かないわけにはいかなかった。
今でこそ聖女として崇められているユニ・リリアサだが、その最期は悲惨なものだった。
当時、回復魔法をほぼ独占していた教会が既得権益を守るため、誰にでも容易に使えるポーションを危険視した。その結果、発明者であるリリアサを異端扱いし、死に追いやったのである。
リリアサへの処刑方法は、生きたまま火あぶりという残酷なものだった。多くの人間を救う発明をした功労者に対しての仕打ちではない。何度聞いても胸糞が悪くなる。
しかし、それが長い年月を経て、今では、ユニ・リリアサはポーションの発明者として多くの人間を救った聖女になったのである。皮肉なことだ。
「あぁ、私の最期のことを言っているのね」
リリアサは笑みを浮かべたままだ。表情は変わらない。しかし、心の中までは当然わからない。
「思い出したくもないことかと思うが、私もこの村を危険に晒すわけにいかない。許してほしい」
「えぇ、構わないわ。レンドリック君の心配もわかるし」
「実際のところはどうなのだ?恨みはあるだろう?」
リリアサはレンドリックから目をそらし、少し遠くを見る。その顔は少し寂しそうにも見えた。
「……時の魔女になって、はじめの百年は、この世界のことを見ることも考えることもできなかったわ。目も心も閉じてた状態ね」
「そうか、まぁ当然のことだろう」
「でもね、時間ってすごいのよね、少しずつ自分の気持ちが変わっていくのがわかったわ。心の闇が晴れていくっていうのかしら。で、それに合わせるように、少しずつこの世界のことを見始めた」
再びこちらを見たリリアサは、さきほどと同じような穏やかな笑みを浮かべている。
「そしたらね、私の作ったポーションが色々なところで役に立ってるわけ。やっぱ良いものは広がるんだなぁ」
「あぁ、まさしく世紀の大発明だ」
実際にポーションによって救われた人数は、とんでもない数字だろう。彼女の功績は偉大だ。聖女という表現に何の誇張もない。
「まぁそんな様子を見てたらね、私の最期なんて別にどうでも良くなっちゃった。実際に私が作ったポーションが、たくさんの笑顔を作ったからそれでいいじゃないと。それに教会も反省して、私のことをしっかりと聖女にしてくれたしね」
少し意地悪そうにほほえむ。
「あの時の私は、この世界に嫌われちゃったけど、今は違うみたいだし、何より、私自身は今も昔もこの世界が好き。だから、復讐なんてしないわ。この世界に戻ってきたのは、私が好きなこの世界で、もう一度ちゃんと生きて、ちゃんと死にたかったから。それだけよ」
「そうか。あんな仕打ちを受けてなお、好きと言えるか」
「言葉だけになっちゃうけど、信じてもらえるかしら」
「……あぁ、信じる。変なことを聞いてすまなかった」
「別にいいわよ。むしろ腫れ物をさわるように扱われる方が嫌だし。あ!そうだ~、せっかくこういう話になったから、私からも質問していいかしら?」
リリアサがこちらに向け、指を一本立てる。
「質問?構わんが」
「レンドリック君って、オールビーを名乗ってるけど、あれ偽名よね?実際の家名はノアサグトでしょ?実家とはこれからどうするの?」
「……さすがに知っていたか」
「ごめんね。時の魔女をクビになる前まで、この世界を見てたからね」
ノアサグト伯爵家。レンドリックの実家である。オールビーの名は、身を隠すための偽名だった。もっとも、今ではその名をすっかり気に入っている。自分はオールビー・レンドリックだ。
父の死により、長兄のネイハンがノアサグト家を継いだ。
ネイハンはノアサグトの歴史の中でも随一の傑物である。レンドリックも彼の力を疑ったこともなく、彼が伯爵家を継ぐのに何の不安も不満もなかった。
「お兄さんのネイハンさん、すごいやり手ね。今じゃ完全に王の右腕よ」
「そこまで成り上がったか。まぁ兄上の実力ならそう驚くこともない。仮にもこの僕に一度は死を覚悟させた男だからな」
「……猜疑心が強いって本当なのね」
「あぁ、それがあの兄上の唯一にして最大の欠点だ」
ネイハンは、レンドリックを恐れた。レンドリックの持つ図抜けた戦の才を恐れたのだ。
自分の野心の邪魔になりそうなものは、芽のうちに、いや芽吹いてなくとも潰す。
対抗できる者がいなければ、能力の高いネイハンがのし上がるのは自明のことである。きっと今もそうやって王の右腕にまで登ったのだろう。
人の使い方は極めて上手いが、その反面、自分が御せそうにない飛び抜けた才を嫌い、その者に対して強い疑いを持つ。
しかし、当のレンドリックには何の野心もなかった。
戦場へ出る気も、冒険者として身を立てる気もなく、ただ実家でのんびりと暮らせればそれで良かったのだ。
ネイハンの下で働くことだって、面倒だとは思っただろうが、命令されればそれ自体を拒絶するつもりもなかった。
しかし、能力がある野心家のネイハンは、能力があるのにそれを活かそうとしないレンドリックが、本当に無欲などと信じられなかったのだ。
ネイハンは、レンドリックが無欲のふりをして虎視眈々とノアサグト伯爵の地位を狙っていると考えていた。
その結果、レンドリックは命を狙われることとなったのである。まぁよくある話と言えばよくある話だ。
ネイハンの襲撃は執拗で、かつ周到だった。レンドリックでさえ、あと一歩で死というところまで追い込まれたほどである。
だが、レイチェルの助けもあり、危機一髪のところで何とか命をつなぐことできた。
一応、都を逃げ出す前に、死体を利用してレンドリックが死んだと偽装したが、きっと兄のことだから、これについても半信半疑だろう。
「なるほどね~、厄介なお兄さんね」
「あぁ、あれほどの実力を持っていて、何を怯える必要があるのか」
「まぁ仕方ないんじゃない。地位がある人はどうしたって裏切りの恐怖から逃れられないし」
「それで何故、僕の家のことを聞いたのだ?」
「……お兄さんに復讐したいんじゃないかなって」
意趣返しのつもりなのだろう。意地の悪いほほえみは、いたずらに成功した子どものようだ。
「なるほど……そうきたか」
「正直ね、この村は小さいけど、集まってる人材は超級よ。鉄壁の守りのレイちゃんに、中長距離で強力な攻撃ができるレンドリック君、回復補助が得意な後方支援にもってこいの私、極めつけは一対一じゃ無敵の天下無双恭之介君。この四人だけでも、かなりやれちゃうと思うのよね。加えて、もう少し人を集めて、ウルダンと仲の悪い隣国トゥンアンゴと手を組んだら、上手くやればかなりの領土をかすめとれちゃうわよ」
「兄上に復讐するならばもってこいのシチュエーションというわけか」
「えぇ、あなたなら考えないわけないと思うのよね。」
考えたことがないと言えば嘘になる。
だが、それは兄への復讐心ではなく、村を守るための方法の一つとしてである。
自ら戦の渦中に身を投じるというのは、レンドリックの中にはない。争い事など真っ平ごめんだ。
「僕はこの村を守りたいだけだ。実家や兄などどうでもいい」
「領土の野心もないのね」
「一切ない。この村で十分だ」
「そ、信じるわ」
あっさりと言う。元々疑ってもなかったのだろう。
「ちなみにお兄さんは、国の中枢に入っちゃったからね、今相当忙しいみたい。あなたに手を伸ばす余裕はないはずだから、もうしばらくはここも安全だと思うわよ」
「そうか、それは良かった」
「私もレンドリック君が無欲で安心したわ」
リリアサは自分の頬に両手を当て、おおげさに顔を傾ける。
「だが、それにしてもずいぶんと僕の家のことに突っ込んできたな。あまり人のことに干渉しないタイプのように思っていたが」
「う~ん、まぁ正直言うとね、恭之介君を利用されたら嫌だなって思ったのよ。彼はあの通り純粋でしょ?レンドリック君に恩を感じているでしょうし、レンドリック君に頼まれたら、なし崩し的に戦に巻き込まれそうだなって」
それを聞いて、レンドリックは笑いが込みあげるのを抑えられなかった。
「はっはっは!同じようなことを考えていたのだな!」
「同じ?」
「あぁ、村のこともあったが、それと同時に僕も、恭之介がリリアサの復讐に付き合わされないか心配だったのだ。あいつはお人よしだからな」
「ふふふ、なるほどね」
二人して、大きく笑い声を上げた。近くを歩いていた村人が怪訝そうに見てくる。
「やつに欲に満ちた剣や復讐の剣は似合わない。やつの剣は人を護る純粋な剣だ」
「そう、その通りよ。私は恭之介君の大ファンだからね、変なことをされて幻滅したくないの。だからしっかり見守らないと」
結局、とんでもない強さを持ちながらも、純粋でどこか抜けたところのある音鳴恭之介という男が、レンドリックは好きなのだった。おそらくリリアサも同じなのだろう。
「二人して何だか楽しそうですね」
聞き慣れたのんびりと落ち着いた声。
噂をすればなんとやらというが、恭之介がレイチェルとともに現れた。
「お兄様もリリアサ様もここにいらっしゃったんですね。探していたんですよ」
「一角兎を取ったので、良ければいっしょにどうかなと。今ヤクが水場でさばいています」
恭之介が水場の方向を指さす。
「恭之介君から誘われて断るわけないじゃない。ぜひぜひ~」
「おぉ、まもなく冬だからな、新鮮な肉を食べられる内に食べておかねば」
「そう、冬なんですよね」
恭之介が少し困ったというように腕を組む。
「冬は魔物も少ないし雪もあるしで、狩りがほとんどできないんですよね。私は何をしましょう。不器用だから室内の作業も苦手だし……」
「恭之介様、苦手でも丁寧に少しずつやれば大丈夫ですよ。冬は長いですから時間はたくさんありますし。私で良ければお教えします」
「そうですか。じゃあ、ちょっとがんばってみようかな。でも立ち合いだといくらでも辛抱強くできるんですが、細かい作業だとついついせっかちになってしまいます。う~ん、不思議なものです」
真剣な様子なのだが、恭之介の言い方は妙におかしい。
さっきまで不穏な話をしていたのが嘘のように、朗らかな笑いが辺りを包んだ。
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