ラテッサがいないことに気づいたのは、高台に避難が終わった直後だった。
ヤクが気づいたのと、ほとんど同じくらいのタイミングで、ラテッサの両親がラテッサの不在を騒ぎ始めた。避難場所にいると思ったのだろう。
ヤクは気づいた瞬間に走り出していた。ラテッサはいつも夕刻になると、花におやすみなさいを言うといって、村の花壇を回っていたのを思い出したのだ。
きっと花壇のそばで動けなくなっているに違いない。
もちろん、ラテッサも避難の練習はした。しかし、大人に手を引かれてだ。きっと一人でいた時に、いきなり緊急時の鐘が鳴ったことで、怯えて動けなくなってしまったのではないか。
村に花壇は三つ。どの花壇にいるかはわからないので、向かう順番は賭けになる。
賊に見つからないよう、物陰に隠れながら花壇へ向かう。賊に見つかったら終わりだ。自分はまだ戦うことはできない。自分の力のなさがもどかしい。
村の中には、いくつか赤い光が生まれていた。賊が燃やした建築物だろう。
よくも俺たちの村を。
怒りのようなものがこみあげてくるが、自分には何もできない。情けないが、やつらを倒すのは自分の師匠である恭之介に託すしかない。
恭之介は今も村を守るため、駆けずり回っているだろう。恭之介がやられることなど、ヤクは微塵も想像できない。恭之介が賊を倒し、追い出すのは確定された未来だと思っていた。
だが、村人全員か無事かそうじゃないかで、結末は変わってくる。
恭之介がラテッサを保護していれば安心だが、恭之介はラテッサが迷子になっているのを知らないはずだ。見つけてくれることを期待できないだろう。それは自分がしなければならない。
賊のものと思われる声が村中に響いていた。大きな声がすると思わず身をすくめてしまう。こんなことで怯えていてはいけない。自分を叱咤しながら、必死に駆け続ける。
今までの自分よりも、長く速く走れるようになっていた。わずかだが、鍛錬の成果が出ているのだ。こんな時だというのに、少し嬉しくなる。すでに息は切れているが、足は止めない。
一つ目の花壇に着いた。小屋などがあるところから少し離れていることもあり、賊の姿はない。そのことに少しホッとする。
ラテッサはいるだろうか。周囲を見回す。名前を呼びたいが、声を出すわけにはいかない。
近くの茂みで何かが動いた気がした。そちらへ近づく。
ラテッサだ。
目には大量の涙を浮かべ、自分の口を押さえていた。泣き声を上げてはいけないとはわかっていたのだろう。
「ヤクぅ~。う、う、ひっく」
ヤクを見て安心したのか、ラテッサは泣き声を上げそうになる。
「ラテッサ、声を出さないで。見つかっちゃうから。もう少しがまんできる?」
「うぅ……うん」
「よし」
ラテッサは再び自分の口を押さえた。
良かった。一つ目の花壇で見つかったのはラッキーだった。あとは賊に見つからないように戻るだけである。
「これからレンドリック様のおうちまで行くからね。自分で歩ける?」
「うん」
ラテッサの手を引き、動き始める。
当然、さっきのようには駆けられない。身を隠しながら、高台へ向かう。
一人の時より緊張と恐怖が増した。ラテッサの命を預かっているからだろうか。ここで賊に襲われたらなす術もない。ラテッサともども殺されてしまうだろう。
そんなことにならないよう慎重に歩を進めた。
しかし、無情にもヤクは聞きたくなかった声を聞くことになる。
「ガキども、どこ行くんだぁ」
=====
二人はどこにいるのか。
きっとヤクのことだからラテッサを探しに行ったに違いない。無事に出会えていればいいが。
恭之介の姿を見つけた賊たちが向かってくる。急いでいるが、やらないわけにもいかない。ほとんど速度を落とさず、駆けながら斬っていく。
「先生っ!」
微かな叫び声。ヤクだ。
声の方向を見ると、遠くからヤクがラテッサの手を引き、こちらに向かって走ってくる。
しかし、安心したのも束の間、二人のすぐ後ろから賊が迫っていた。それを見て、背筋が凍る。
遠い。必死に駆ける。
全力などとうに越えていた。足の筋繊維がみしみしと悲鳴を上げるのがわかる。
しかし、遠い。間に合うのか。
「邪魔だ!」
目の前に現れた二人の賊を一息で斬り倒す。
だが、今はその一瞬が命取りだ。
ラテッサが転んだ。ヤクが必死になって抱き起こそうとするが、賊はすでに二人の目と鼻の先だ。
間に合わない。
怒りと焦りで身体が熱くなるのを感じた。
目の前で子どもが殺される。
自分は何をやっているのだ。何のための力なのか。こんな時のための力ではないのか。
だが、間に合わない。なんという無能。
賊が剣を振り上げる。
ヤクがラテッサの前に身体を投げ出した。
ラテッサの叫び声。
一つ一つの動きが憎らしいほど鈍重に流れる。
間に合わない。しかし、なんとしても助けなければ。
その時、一つの閃き。
恭之介はその場に立ち止まった。
諦めたからではない。
「はっ!」
恭之介は閃きに従うまま、鋭く息を吐き、暮霞を振るった。
賊の首。
今まさに剣を振り下ろそうとしていた賊の首が、すっぱりと飛んだ。
飛ぶ斬撃。
リリアサが必殺技と言っていたのを思い出す。新しいアーツ。
暮霞を下げたまま、恭之介は二人の下へ駆け付けた。
「大丈夫か!」
「はい、大丈夫です!先生、ありがとうございます!」
ヤクは返り血で染まっているが、大して動じた様子もない。袖で顔を拭ってやる。
「きょ、きょうのすけさまぁ!」
ラテッサが泣き声を上げながら、恭之介の足に抱きつく。ひどく震えていた。無理もない。
「良かったよ。本当に、良かった」
恭之介はラテッサを抱き上げる。
ラテッサの体温が、恭之介自身をも救ったように感じさせた。
それを見たヤクもほっとしたように大きくため息をついた。
「先生、新しいアーツですか?」
賊を倒した一撃のことを言っているのだろう。
恭之介と出会ったからか、ヤクはすでに落ち着きを取り戻していた。
「あぁ、寸前に閃いたんだ」
「斬撃を飛ばしましたよね」
「うん、威力はあまり高くないけど、便利そうだ」
「威力も十分ですよ」
「遠斬りって名づけようかな」
「えぇ……そんな、また簡単な名前を。せっかくのアーツなのに」
「いいさ。さ、こんなことを話している場合じゃない。とにかくレイチェルさんのところへ急ごう。ラテッサ、自分で歩ける?」
「うん」
「よし、ここからは私が一緒だから、絶対に大丈夫だ」
「……うん!」
ラテッサが口を強く結びながらうなずく。
「先生、みんなは無事ですか」
「あぁ、ヤクとラテッサで最後だ」
「そうですか、良かった」
ヤクが安心したようにため息をつく。しかし、何かに気づいたように言葉を続けた。
「倉庫は?倉庫はどうなっていますか?みんなが集めた食料は?素材は?」
「わからない。有事の時、優先するのは人とレンドリックさんと決めていたから」
「そうですよね。でも」
「言いたいことはわかる。二人を送ったらすぐに見に行くよ」
「俺も何かできれば……」
「十分やっているよ。ラテッサを見つけて、守ったじゃないか。ヤクが動かなければ、きっとラテッサはまだ一人で怯えていたはずだ」
「……ありがとうございます!」
ヤクは納得したように数度うなずいた。
「ラテッサ!」
「ママ!パパ!」
レンドリックの家まで連れていくと、ラテッサが両親の下に駆け寄る。
「ヤクが最後までラテッサを守っていましたよ」
「いえ、俺は、何も」
「ありがとうね!ヤク」
ラテッサの母親が、お礼を言いながらヤクを抱きしめる。ヤクは恥ずかしそうにするも満更ではなさそうだ。
「レイチェルさん、倉庫を見てきます」
「みなさんの命さえあれば、なんとでもなります。物資を持って行きたければ持って行かせても」
「いえ、あれも村人の命のようなものです」
「……そうでしたね。すみません、恭之介様」
「いえ、これも私がやるべきことです」
「お気をつけて。みなさんの命の中に、恭之介様の命も入っているのですよ」
「そうよ、恭之介さん!死んじゃ駄目よ」
「無理すんなよ!」
村人たちが各々声をかけてくる。
誰かにここまで命の心配をされたことがあっただろうか。常に死と隣り合わせで生きてきた自分には、何とも不思議な感覚だ。
だが、悪いものではない。
「いってきます」
恭之介は村人たちを安心させるため、力強く声を発した。
そして、うまく笑えただろうか。
お読みいただき、ありがとうございます。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!