「ルウムさん!おはよう!」
「ああ……おはよう……悪いんだけどさ、水取ってくれない?頭痛くって……」
ベットの上で毛布をかぶった膨らみがモゾモゾと動きながらフィオに答える。
「んもぅ、また遅くまでお酒飲んでたんでしょ……」
フィオは呆れた様子で床に転がっている空の瓶を拾い上げ、軽くため息を吐いた。
「それに、こんな散らかして……そんな事だろうと思って二日酔いに効くスープ作っておいたから取ってくるね」
「うぅ……ありがとう」
フィオとルウムがウェステの街で暮らし始めて約2カ月が経過していた。
暮らし始めた頃は、親代わりだったバールや村の皆を失った悲しみを片時も忘れることはなかった。
しかし、ルウムの良く言えば分け隔てない、悪く言えば何も考えていない性格が功を奏したのか、いつしか彼女は本来の快活さを取り戻していた。
人間であれ獣人であれ環境に適応出来なければ生きていけない。彼女の生存本能がそうさせたのかもしれない。
「はい……これ」
「ありがとう……あったかい」
酒を飲み過ぎてガラガラになった声のルウムはフィオから受けったスープをゆっくり啜った。
「これミールって言う薬草なんだけど、昨日八百屋のおじちゃんがくれたの。お姉ちゃんにって」
「そっか……今度お礼言っておくよ」
ルウムとフィオはこの街では生き別れの姉妹という事になっていた。
流石にそれは無茶ではと思っていたのだが、意外にもそれを疑う人は居なかった。
魔物の襲撃や獣人との戦争による混乱で家族がバラバラになる事自体は珍しくないのだ。
そのため、今ではズボラな姉を支える健気な妹ということですっかり街に馴染んでいた。
「ところで……今日はどうするんだい?」
「リュバル達と出掛けてくるよ」
「まあアイツとかい?まあ、いいんじゃない?子供は遊ぶのが仕事だからね」
そう言いながらルウムは受け取ったスープをズズッと飲み干した。
「でも、ルウムさんは仕事しなくていいの?いくらお金に困ってないっていっても毎日酒を飲んでばかりじゃ身体に良くないよ」
「そう言われるともっと頭が痛くなるよ……」
ルウムはシロが旅立って以降、毎日自堕落な生活を過ごしていた。
ケンプを失ってもギルドから仕事の依頼は来るのだがどうにもやる気が起きなかったのだ。
「おーい!フィオーー!!」
建物の外からフィオを呼ぶ少年の声が聞こえてくる。
「あっ来たみたい。じゃあ、行ってくるね!」
「あぁ、気をつけて行ってくるんだよ」
フィオは栗色の髪にピョコンと飛び出た耳を隠すために黒い手網の帽子を深々と被りながら、ルウムの寝室から出て行った。
「ごめん、お待たせ!」
フィオが玄関から出ると短髪のいかにも悪ガキといった見た目の少年が腕を組んで待っていた。
「あれ?アンとホーザは?」
「あの2人は今日は居ないんだ」
「どうしたの?」
「あの2人はダニアさんに捕まってる」
リュバルとアンとホーザは身寄りをなくした孤児院で暮らしている。
ダニアというのはその孤児院の院長であり、リュバル達にとっては母のような存在だ。
今日はダニアの買い出しを手伝う予定だったのだが、リュバルだけは逃げ出してきたとのことだった。
「……それって戻らなくてもいいの?」
「帰ったらどやされると思うけどまあ大丈夫だろ」
「そっかぁ、まあリュバルはいつも怒られてるしね……じゃあさ、行きたいところがあるんだけどいいかな?」
「おっ!お前が行きたいところがあるなんて珍しいな。いいぜ!どこ行きたいんだ?」
「んっとね……街の外」
「え!?」
一瞬固まったリュバルをフィオは真っ直ぐに見つめる。
「なに?嫌なの?」
「えっ……いや、嫌じゃないけど、街の外は危ないぜ?」
リュバルは過去、街の外で怪我をして動けなくなっていたところをリリスやシロに助けられた事があった。
それ以来、シロやダニアとの約束を守って街の外には出ていなかった。
「大丈夫よ。最近はめっきり魔物も減ったって聞いたしね」
「でもさぁ、魔物だけじゃなくて獣も出るんだけど……」
「じゃあリュバルは待ってればいいじゃない。私1人で言ってくるから」
「いやいや、俺は師匠からフィオのこと守ってやれって言われてるんだ!1人で行かせるなんて事できないよ!」
「じゃあ決まりね」
「おっおう」
こうして2人は街の外へ抜け出す事を決めたのだった。
◆◆◆◆◆◆
街を隠れるようにして抜け出したフィオとリュバルは西にある森に入った。
フィオの目的地はその森に入って程なくした場所にある湖畔の辺りだった。
「この湖が来たかったところなのか?」
思いのほか近かったからだろうか。
リュバルは安心したような声色でフィオに問いかけた。
「うん……たしかこの辺りのはず……あっ!あったあった!」
何かを探す素振りをしていたフィオは湖の水際に生えていた草に近寄ってしゃがみ込む。
「これを探しに来たの?」
「うん。これ、ミールっていう薬草なの。煎じて飲むと二日酔いにに効くんだよね」
「そうなんだ。でも買えば良くない?」
フィオの肩口からミールを物珍しそうに見つめるリュバルが不思議そうに呟いた。
「この薬草。二日酔いに以外には大した効能がなくてあまり出回らないんだって。そんなにお酒を飲むのはお姉ちゃんくらいしかいないからさ」
「そっか、師匠の師匠ずっと酒飲んでるもんな……」
「私今までお姉ちゃんが貯めたお金で暮らしてるから、少しでも役に立ちたいって思ってたの。ごめんね。付き合わせて……」
「いや、そういう事なら俺も手伝うぜ!なんてったって師匠の師匠だからな!」
そう言うとリュバルはフィオの隣にしゃがみ込み、ミールを摘み始める。
その一生懸命なリュバルの横顔を見て、フィオはニッコリと微笑んだ。
その後、2人は一心不乱にミールを摘み続け、持って帰れるギリギリの量を収穫した。
これだけあれば当分困ることはないはずだ。
「ありがとう。手伝ってくれて」
「いいや、全然大丈夫だよ。時間掛からなかったしな。さあ、早く帰ろうぜ」
一度森で獣に襲われた経験のあるリュバルは森の危険を理解している。出来ることであれば直ぐにでも帰りたいのだ。
「そうね……」
一方、森で育ったフィオも危険については理解している。
しかし、人間より獣人の方が気配に敏感であり、今のところ魔物や獣の気配は感じなかった。
焦る必要はないとは思うものの、リュバルが早く帰りたがっているのは、自分の身を案じての事だろう。
それに、怖いと思っているのに自分に付いて来てくれたのは素直に嬉しかった。
とはいえ、ずっと安全とは限らないのは確かだ。
そのため、フィオはしゃがみ込んで摘んだミールを街から持ってきた籠に手早く入れていた。
その様子を眺めていたリュバルは、フィオの帽子に草が絡まっていることに気づく。
きっと夢中で摘んでいたから気がつかなかったのだろう。
「おい、フィオ……帽子に草が付いてるぞ……」
そう言いながら、リュバルはフィオの黒い帽子を取った。
その瞬間、帽子の中に纏められていた栗色の髪がパサっと落ち、獣人の証でもある耳が飛び出てしまった。
本来であれば絶対に帽子に触られる事などしない。
しかし、ルウムの役に立ちたいという想いとリュバルが付いてきてくれた嬉しさで完全に油断していたのだ。
恐る恐る顔をあげると、驚愕した表情を浮かべたリュバルがこちらを見つめていた。
「フィオ……お前……」
恐怖が入り混じった視線と声色でフィオは全身から血の気が引くのを感じていた。
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