「遅い!」
ルウムが振るった曲刀がシロの手甲を弾き飛ばし、流れるような体捌きでシロに腹に回し蹴りを入れる。
「ぐぅ!!」
まともに蹴りをもらったシロは呻き声を上げ後ろに吹き飛ばされた。
「今日はここまでかな」
ルウムは人器を解放し、隣にケンプが現れる。
「はい……ありがとう……ございました」
息も絶え絶えなシロは上半身をゆっくり起こす。
「動き自体は悪く無いけど、やっぱり途中で動きが鈍るわね。でもこれは慣れるしかないと思うの」
「はい……こればっかりは仕方ないです」
2人との出会いから約1か月。
相変わらず、訓練は続いていた。
「リリス!」
「はっはい!」
人器から戻ったアリスがリリスを呼び寄せ、如雨露からシロの頭に水を注ぐ。
回復薬は金が掛かりすぎるという理由でリリスの人器で傷を治すことになったのだ。
そのため毎回シロは訓練の後、頭から水をかけ続けられている。
「じゃあ、私達は明日いないから訓練は休みね。ゆっくり休むのよ」
そう言うとシロ達に手をひらひらとさせながらルウムとケンプは街の方へ戻っていった
「いやー、毎回毎回派手にやられているねぇ」
水を掛けられているシロの横でフードを目深に被った少女が興味深々な表情でシロの顔を覗き込む。
「ああ、ルフ。来てたんだ」
ルフという少女は、奉仕活動の農園で出会った少女だ。
赤髪に真紅の瞳で絶世と言っても良いほどの美少女なのだが、いつもフードを目深に被っている。
シロ達とも年齢が近く仲良くなるのにそう時間は掛からなかった。
シロ達が人器使いとしての訓練をしていると聞いて、最近は良く見学に来るのだ。
「それにしても、シロはいつも動きが途中で鈍くなるよねぇ。最初は結構いい勝負してたと思うんだけどなぁ……それにあの2人はいつもくるくる入れ替わってるのにシロはアリスと交代しないの?」
「それは….」
「いや、アリスいいんだ」
シロはアリスを制止する。
きっと僕に気を遣ってくれたのだろう。
だが、最近は自分が人器がないということをそれ程気にしなくなっていた。
アリスやリリス。自分を分かってくれる存在がいるだけで、ここまで自分が変われるとは思ってもいなかった。
「僕……人器がないんだ。だからアリスが僕を行使するのは無理なんだよ」
そして、人器がないシロにはもう一つ致命的な欠陥がある。
人器使いと魂の関係は、グラスと水に例えられることが多い。
片方の行使者がパートナーのグラスに水を注ぎ、もう一方の行使者が注がれた水をまた注ぎ直す。
つまり、お互いのパートナー同士が交代することによって、魂を循環させているのだ。
もちろん、器の形はそれぞれ違うから無限というわけにはいかない。
しかし、シロには自らが注いだ水を受け取る器がないのだ。
じいさんから言われた水を注ぐ練習によって調節は得意だが、それでもシロは他の人器使いより戦える時間が短い。
「へー、人器がないんだ珍しいねぇ」
ルフはまるで私には関係ないよと言わんばかりの返事をする。
「ちょっと!ルフ!」
アリスは語気を強める。
それでシロがどれだけ辛い想いをしてきたか分かっているからこその反応だろう。
「ごめんごめん。気を悪くしたなら謝るよ。でも、人器なんかなくたって人には力がある。見てみてよ!」
ルフが示した先には農園が広がり、色とりどりの作物が実を結んでいる。
「これだけの物を作れる力があるって凄いことなのになぁ」
「でも、戦わないと魔物に殺されるのよ」
「んー、確かにそうだねぇ。でも私はいつかこの大地に生きる生き物みんなと一緒にご飯を食べたいんだけどなぁ」
そう言うとルフは屈託のない笑顔を見せた。
その笑顔にシロは不思議な魅力を感じていた。
◆◆◆◆◆◆
ーーその夜。
シロはアリス、リリスとは別行動をしていた。
ある店に入り店内を見渡すと茶色の髪を短く切り揃えた男がシロに向かって片手を上げる。
その男の身体は一際大きく、遠目でもすぐに気がついた。
「ケンプさん。すいません。遅れて」
「いや、いい」
シロはいそいそと席に着き、ケンプはウェステ特産のエールという酒を飲みながら静かに答える。
特訓が始まって以降、シロとケンプは定期的に2人で飲みに来ている。
ルウムとケンプは酒が好きなのだが、ルウムは酒乱でいつも酔うといつも大変な事になるらしい。
それはそれで良いのだが、たまには静かに飲みたいこともある。
それでシロが誘われたのだ。
しかし、それは建前で本音はシロのことを気にかけてくれているのだろう。
語らないまでもケンプの雰囲気でシロはそれを察していた。
「あっ同じものを」
シロはケンプと同じエールを注文する。
酒はケンプに誘われた時に初めて口にしたのだが、このエールという酒はとても美味しいと感じていた。
店内はすこし薄暗く、落ち着いた雰囲気の店だ。
物静かなケンプが気にいるのもよく分かる。
「どうだ?最近は?」
「ケンプは低く落ち着いた声でシロに尋ねる」
「難しいです。やっぱり戦える時間は限られてしまうと思います」
「そうか……」
魂の総量は先天的に決まっており、量を増やす方法はない。
「だが、お前1人で戦う必要はない。仲間と戦えばそこまで気にならないだろう」
「仲間ですか……」
「ああ、俺達も仲間と共に戦ってきたんだ」
「それは、獣人戦争の時ですか?」
「ああ……」
ーー獣人戦争。
それは今から約10年前。救済の光以降で唯一の人器使い同士の戦争だ。
これまで人間の奴隷として扱われていた獣人が独立するため、各地で蜂起したのだ。
救世主は人間に魔物と戦う力をもたらしたが、獣人に人間と戦う力ももたらしていたのだ。
奇跡の力でお互いを傷つけ合うというのは、なんとも滑稽な話だとケンプは笑っていた。
結局、その戦争は獣人が西の果てに自らの国を作った事によって終結した。
以後、人間と獣人の交流はない。
その時からケンプはルウムとパートナーを組んでいるのだ。
「その時の仲間は今何しているんですか?」
「……死んだよ」
「……」
シロは言葉を失う。
「ある者は獣人に殺され、ある者は魔物に殺された。獣人との戦争が終わっても魔物との戦いは終わらないんだ」
ケンプはゆっくりとエールを口に含む。
薄暗い照明がケンプの彫りの深い顔に影を作る。
「だから、お前には強くなってほしい。大切な者を目の前で失わないようにな」
シロは初めて会った時、殴られたことを思い出していた。
彼はどれだけ大切な者を失ってきたのだろうか。
「でも……ケンプさんにはルウムさんがいるじゃないですか」
「ああ、そうだな。あいつは……俺のすべてだ」
側から見ていてもケンプがルウムをどれだけ大切にしているか分かる。
そんな恥ずかしいことをさらりと言えるケンプにシロは男として器の大きさを感じる。
「お前はどうなんだ?」
ケンプは丸太のような片腕をテーブルに乗せ、ぐっとシロに体を近づける。
「え?僕ですか?」
「アリスにリリス。2人ともかなりの上玉だと思うぞ」
「僕は……まだ分かりません」
アリスもリリスもかなり魅力的な女性だということは分かる。
だが、シロにとって恋という感情そのものがまだよく分からないのだ。
「でも……2人とも大切にしたい。守りたいと思っています」
シロは率直な想いをケンプに伝えた。
「ならいい。だが、この街は平和だが東は常に魔物との戦いが続いている」
ケンプは残っているエールを一気に飲み干す。
酒が回ってきているのか、少し顔が赤くなってきている。
「……いつ何があっても後悔はしないようにな」
「はい」
その言葉をシロは強く胸に刻んだ。
「ところで、東の街の魔物ってどんな魔物が居るんですか?」
「それはな……」
シロとケンプの男2人の会話は深夜まで続くのであった。
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