本来であれば人が立ち入る事はない数多の木々によって閉ざされた森の奥深く、太陽のように輝く満月が2人を照らす。
鈍色の髪の青年は戸惑いを隠せない表情で立ち尽くし、泥に塗れた茶色い髪の青年は蜘蛛の糸に縋り付くような表情で懇願する。
シロとエヴィエス、2人の視線が交差する。
「……分かった。行こう」
ただ事ではない雰囲気を察したシロは青年の申し出を迷わず受ける。
小高い丘の麓では集落を焼き尽くす炎が煌々と光を放つ。
「……ありがとう」
茶色い髪の青年は一言だけシロに言うと燃え盛る集落に向かって小高い丘を駆け下りていった。
シロもその後を追って丘を駆け下りようとすると、頭の中にアリスの声が響く。
(ちょっとシロ!待ちなさい!)
(ああ、アリスどうしたのそんな声を荒げて)
シロは右手に持った金色の銃に視線を落とす。
(どうしたの?じゃないわよ!これから魔物の群に飛び込むのよ!そんな簡単に引き受けるんじゃないわよ!)
まるで金色の銃が喋っているんじゃないかと錯覚するほどアリスは声を荒げ捲し立てる。
(まあまあ、姉さん。シロさんが決めたんですから……)
(リリス!アンタは黙ってなさい!)
(ひっ!姉さん……)
リリスはアリスに凄まれて黙ってしまう。
(……アリス。心配してくれてるんだよね。ありがとう。いいんだ……)
シロの視線の先には懸命に集落へと向かう青年の背中が見える。
(あの人の必死な顔を見たよね?あの人にも大切な人がいるんだよ。大切な人を守りたいって気持ち分かるからさ)
シロは静かに目を閉じる。
アリスとの砦での戦いの時。
リリスを探して二重同調を会得した時。
仮面のテラーとの戦い。
どこで死んでいてもおかしくなかった。
でも、その全てを乗り切れたのは大切な人を守りたいという思いが力になったからだ。
人を助けられる人になりなさい。
じいさんが残してくれた言葉の一つ。
そして、シロが好きな言葉の一つでもある。
シロには今、力がある。
他人が助けて欲しいと手を伸ばした時に差し伸べてあげられるだけの力が。
シロには少しだけその言葉の意味が分かった気がした。
(あの人の力になってあげたい!行くよ!アリス!リリス!)
シロは身を屈めて足に力を込める。
その瞳には一切の迷いはない。
(……もう、分かったわよ!)
(はい!行きましょう!シロさん)
……魂を注げ
シロは全力で地面を蹴った。
◆◆◆◆◆◆
「フィオー!!バールさん!!」
燃え盛る炎の中、エヴィエスは懸命に2人を探していた。
集落を焼き尽くす炎の勢いは留まることを知らず、吸い込む息で肺が焼けると錯覚するほどの熱気に包まれている。
それでもエヴィエスは懸命に2人に呼びかける。
周囲にいくつもの魔物の気配を感じるがそれを気にしている場合ではなかった。
いくつもの獣人が血溜まりの中で事切れている。
もう二度と動くことがないそれは一緒に訓練をした人達ばかりだ。
ついさっきまでみんな笑っていた。
誰に迷惑を掛けることなく、静かに暮らしていただけなのに、それをなんで壊す。
この人達が何故こんな仕打ちを受けなければならないのか。
エヴィエスは身を焦がすほどの怒りに身体を震わせながらバールの家の前に着いた。
バールの家は幸いにも火の手が回ってきておらず、扉の前に置かれた傾いたテーブルが周囲の炎にゆらゆらと照らされている。
よく3人で外の世界の話をした傾いたテーブルだ。
あの穏やかだった時間、フィオやナイの笑い声が脳裏を過ぎる。
「フィオ!!バールさん!!」
エヴィエスは2人の名前を呼びかけながら建物中に入る。
「はぁはぁはぁ……」
2人からの返事はなく、エヴィエスの荒い息だけが響く。
エヴィエスが目にしたもの、それは重なり合うようにして倒れた2つの影だった。
「クソ……クッソぉぉぉぉぉ!!!」
フィオの純粋な笑顔。
その世界を見てみたいという彼女の願いはもう叶う事はない。
そして、彼女の幸せを願っていた心優しい老人の願いも魔物によって踏みにじられた。
「何でだ!何でなんだ!」
必死で問いかけるが、その問いに誰も答える事はない。
ふらりと家を出ると、咆哮を聞きつけたのかオークがエヴィエスの眼前に迫る。
「グルオォォォォォォォ!!!」
迫りくるオークを見るやいなやエヴィエスはナイの人器である突剣を握りしめ、オークに向かって突進し渾身の突きを放つ。
しかし、ギィンッと音を立てて突きはオークの野太刀によって阻まれる。
オークはその突剣を振り払うかのように野太刀を大きく回転させる。
その動きに素早く反応したエヴィエスは身を屈めて横薙ぎを躱すとガラ空きなった喉元へ向かって再び渾身の突きを放った。
「ガッガァァァァ!!」
その一撃はオークの喉元を貫き、オークから苦悶の声が漏れる。
しかし、オークの瞳からは光りが失われていない。
「!?」
危険を察知したエヴィエスは突剣を抜いて距離を取ろうとするが、首元を貫いた突剣が抜けない。
首の筋肉で止めているのだろう。
エヴィエスは全身に力を込めて突剣を引き抜くと、貫いた喉元から血が吹き上がる。
だが、引き抜く為に力を込めた一瞬はオークが形勢を逆転するには十分な間であり、その隙にエヴィエスは自身の腕をオークに掴まれてしまう。
「くっ!!」
尋常ではない力で締め付けられ腕の骨がギシギシと悲鳴をあげる。
鈍い痛みに顔を歪めながら掴まれた腕を振り解こうとするが、びくともしない。
「なら!」
エヴィエスは再度突剣でオークを貫こうと試みるが僅かな傷を付けるだけで貫くことができない。
突進の勢いがないエヴィエスの純粋な筋力だけの突きではオークの屈強な身体を貫くには力不足なのだ。
腕を掴む醜悪な顔の魔物はニィッと笑みを浮かべ、エヴィエスを軽々と振り上げ地面に叩きつけた。
「ガハッッ」
ドンッという音と共に全身に激痛が走る。
しかし、オークはそれでやめる事はない。
もう一度エヴィエスを振りかぶると地面に叩きつける。
その後、エヴィエスは何度も何度も地面に叩きつけられた。
掴まれた腕の骨は潰れ、肩の骨は外れてしまっているだろう。
全身を襲う痛みで朦朧とするなか、手に残る突剣の感覚だけがエヴィエスの意識を繋ぎとめていた。
勝利を確信したオークはまるで壊れた玩具を投げ捨てるようにエヴィエスを放り投げた。
投げつけられたエヴィエスはバールの家の扉の前に置かれた傾いたテーブルに叩きつけられ、テーブルはバギィと音をたてて砕ける。
力を失ったエヴィエスは瓦礫の中、空を見つめていた。
今日は美しい満月だ。
「……俺は弱いなぁ」
結局、誰も助けられない。
揺るぎようのない事実を突きつけられたエヴィエスの視界に映る満月は水面に映されたかのように歪んでいた。
「エヴィ様!!」
涙を流しながらナイはエヴィエスに覆い被さる。
「……ナイ。お前は逃げろ」
「駄目!!エヴィ様が一緒じゃないと!!」
「いいんだ……俺は。もう誰も助けられない。今まで尽くしてくれてありがとう」
全身を襲う痛みに顔を歪ませながらエヴィエスは懸命に腕を伸ばし、ナイの頭を優しく撫でる。
「嫌!!」
ナイはそれを力の限りで否定し、エヴィエスを投げつけたオークを睨みつける。
「エヴィ様を殺すなら私を殺してからにして!」
オークは新しい玩具が現れたと嬉々とした表情でナイにゆっくり近く。
「おい!ナイ!!」
「嫌!!」
死が一歩一歩近づいてくる。
だが、ナイは怯む事はない。
「逃げろ!!」
「嫌!!」
醜悪な笑みを浮かべるオークがナイに手を伸ばした瞬間ーー
ナイの眼前に水色の閃光が走り、オークを一瞬のうちに消し去っていた。
雨のように猛烈な水滴が降り注ぐなか、キョトンとした表情で閃光を放った主を探す。
すると、遠くから銃を構えた鈍色の髪の青年が駆け寄ってくる。
「大丈夫?探したよ。魔物はあらかた片付けたからもう大丈夫」
ナイにとってその姿は英雄そのものだった。
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