ルウムが前に進むことを決意した同時刻。
人々の実質的最高指導者であるラウドはギルドの階段を降っていた。
そこはシロ達がミズラフに旅立った部屋よりもさらに深く、カーミラさえ存在を知らない場所。
カツカツという音が響き、ランプの光が彼の彫りの深い顔をより鮮明に写し出す。
ラウドはある人物に会いに来ていた。
幾重にも鍵が掛けられた扉を開け、最下層に設置された部屋の中に入ると広大な空間が広がっていた。
広さはシロに初めて訓練を施した地下空間と同程度だが、大きく異なるのはその本の数。
壁一面、見渡す限りに本が並べられている。
それは、いくつもの滅びた国々からラウドが集めた物で今では人々の知識が最も集約された場所になっていた。
その本に視線を移すことなく、ラウドは迷わず部屋の中央部に置かれたベッドの前に歩み出た。
「おや、ラウドじゃないか」
ベットには腰まではあろうかという長い紫色の髪の女性が本を読んでいた。
薄い布を纏っただけの半裸の女性はこの世の物とは思えないほど妖艶な色気を放っている。
「アーチェ。聞きたいことがあって来た」
「なんだい?私は忙しいんだ。今いいとこなんだぞ」
アーチェと呼ばれた女性は煩わしそうに答えると手に持った本に視線を戻す。
彼女が読んでいる本は最近ケントルムで発行された男女の恋愛を描いた所謂恋愛小説だ。
「最近魔物が増えている。どういうことだ?」
「そんなの私が知ったこっちゃないよ」
「そう言わずに教えてくれないか?」
「……」
ラウドの問いかけに聞く耳を持たないアーチェは無言で本のページをめくる。
「頼む」
「……」
そう簡単に答えてもらえるとは思っていなかったが、本から視線を逸らさない彼女を渋い顔で見つめながらボリボリと頭を掻く。
するとラウドは自身の後方から誰かがこちらに向かってくる気配を感じた。
誰かといってもこの部屋に入ってこれるのは1人しかいない。
ラウドにはその人物の見当が付いていた。
「アーチェ。俺からも頼むよ」
ラウドの後ろからアーチェに話しかけた人物。それはヘリオスだった。
女性と見紛う程端正な顔つきがランプの光が照らされ鮮明に映し出される。
「ヘリオス!!」
ラウドには全くといっていいほど興味を示さなかったアーチェであったがヘリオスの顔を見るやいなや彼に駆け寄り抱きしめた。
「あぁ……ヘリオス……ヘリオス……」
ヘリオスの胸の中で恍惚とした声を上げるアーチェの両肩に優しく手を置く。
「アーチェ……ごめん。僕も知りたいんだ。教えてくれないかな?」
「もう……久しぶりなのに連れないねぇ」
そう言うとアーチェはヘリオスをパッと離し、ベットに座り直した。
紫色の長い髪を掻き分けながらヘリオスとラウドの2人に視線を送る。
「魔物の数が増えていると言っていたな?」
「普段より数も質も上がっている。今までこんなことはなかった」
アーチェの問いにラウドは静かに答えた。
「テラーは魔物を呼び寄せ、操る力があることは知っているな?」
「ああ」
「であれば、テラーが意図して行なっているんだろう。今が正常ではない状態だとすると誰かが手心を加えたとしか考えられんからな」
「だが、そんなことする性格のテラーなど居ないはずだが……」
良くも悪くもテラーは自分の欲求に忠実だ。
ラウドの知る限り、そんな周りくどい真似をするテラーは居ない。
「お前の知るテラーならな……だが新たなテラーが生まれたという可能性もある」
「そんなことあるのか?」
「テラー自体がどうやって生まれたのか分からないのだ。だとしたら新た生まれる可能性だって否定出来ないだろう?」
「新たなテラー……確かに一理あるな」
新たなテラー。
それはラウドにとって思いもよらない話だった。
顎に手を当てながら思考を巡らせるラウドの眉間に深い皺が刻まれる。
「まあ、いずれにせよ推測の域を出んがな」
「分かった。教えてくれてありがとう。アーチェ」
ヘリオスはベットに腰掛けるアーチェに歩み寄ると頬に軽く口付けをする。
「ヘリオス……」
ウットリとした表情の彼女はヘリオスの頬を優しく撫でた。
「ごめん。今日はもう行かないといけないんだ。また今度必ず来るね」
「ああ……今日お前に会えただけで十分だよ」
「じゃあ、ラウド戻ろう」
「おう」
ヘリオスに促されたラウドは部屋から出ようとアーチェに背を向ける。
「ラウド」
「ん?」
「私がお前に力を貸している理由……ゆめゆめ忘れるなよ」
「分かってる」
紫色の髪からのぞく瞳が不気味に輝いているのをラウドは見逃さなかった。
ラウドとヘリオスがアーチェの居る部屋の扉を閉めると、少し離れた場所にヘリオスのパートナーであるルーが待っていた。
「終わった?」
「うん」
ヘリオスはルーの問いかけに短く答えると地上へと戻る階段に足を掛けた。
ヘリオスに続いてルーが階段を登り始めたためラウドは彼女の後ろに続く。
「ねぇ、ラウド……アーチェの言ってた事どう思う?」
3人が階段を登る足音が静かに響くなか、ヘリオスがラウドに独り言のように問いかける。
「アイツの言うことだ。恐らく確信があるのだろう」
「そうだよね……僕もミズラフに残ろうか?」
「……いや、お前達はマーレの墓に行ってくれ。お前が居ない間はミズラフの戦力を厚くするさ」
マーレはラウドのパートナーだった女性だ。
そして、ヘリオスの姉でもある。
「分かった……ラウドもたまには姉さんの墓に顔出してやってよ」
「ああ、分かってる」
ラウドはヘリオスに静かに答えた。
人間と魔物の戦いは膠着状態が続いていた。
しかし、新たなテラーの出現によって事態が急変するかもしれない。
ラウドの胸には嫌な予感が渦巻いていた。
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