「本当にこの辺り?」
シロとアリス、リリスの3人は森の木々を掻き分けながら奥へ進んでいた。
「うん……多分この辺りだと思うんだよね」
シロは周りをキョロキョロと見渡しながら独り言のように呟く。
木々の隙間から陽光が降り注ぎ、心地よい緑の香りが鼻腔をくすぐる。
今日は久しぶりに心休まる一日を過ごせそうだ。
ルウムとケンプとの特訓が始まって数日が経過した。
特訓と銘打った実践で毎日のように殺されかける日々が続いていたのだが、今日2人は別の仕事のため訓練は休みだ。
そこで、3人は農園の奉仕活動も休みをもらい、街外れの森に来ていた。
ここへシロは忘れ物を取りに来ていたのだ。
「あっ!あったあった!」
湖畔にほど近い小さな木の下に、焚き火の跡が残っている。
その隣には見慣れた布袋が無造作に置かれていた。
ウェステの街に来た初日の夜、シロはカーミラの人器を使ってフェンリルを撃退した。
しかし、そのまま気を失い街に運ばれたため、荷物が置き去りになってしまっていたのだ。
それ以降、アリスとの廃墟での一件やルウムとケンプの訓練があったので取りに来るタイミングを逃してしまっていたのだ。
「汚い布袋ね……そんな大事な物が入ってるの?」
「んー、大したものは入っていないんだけど一つだけね。あったあった!」
シロは皮袋の中から一冊の汚れた本を取り出す。
「本……ですか?」
リリスは不思議そうな表情で本を覗き込む。
「そう。これはじいさんがくれた本なんだ」
シロは本をパラパラとめくる。
ーー負の感情に囚われるな。
何度もめくった頁には、じいさんの口癖が書かれている。
「この本には僕と一緒とじいさんの思い出が詰まっているんだよ」
「へぇ、見つかって良かったじゃない。どんなことが書いてあるの?見せてよ」
アリスはシロに向かって手を差し出すが、とシロは本を胸に抱き一歩後ずさる。
「……駄目」
「え?なんで?」
「じいさんから誰にも見せるなって言われているんだ」
頑なな表情のシロにアリスは少し驚いた表情を見せるが、フッと息をして手を出してもどす。
「……理由は分からないけど、まあいいわ。でも、会う機会があったら紹介しなさいよ」
「分かった。約束するよ」
その言葉にアリスの表情はパッと明るくなり、両腕を上に上げて伸びをする。
「んー、じゃあ探し物も見つかったし、そこの湖のところでお昼にしましょうか。今日は私とリリスでお弁当を作ってきたのよ」
「ええ……そうしましょう……」
リリスも控えめに頷いた。
3人は湖畔を見渡せる場所に並んで座り、双子が作った昼食を渡される。
パンに野菜を挟んだ所謂サンドイッチだ。
「美味しい!」
シロは感激していた。
山で暮らす時間が長かったシロは、食べ物のことも良く知らない。
もちろんこの昼食もシロにとって初めて見る食べ物だった。
「2人とも料理上手なんだね!」
「べっ……別にそんなことないわよ」
「ありがとう……ございます……」
アリスとリリスはそれぞれの反応をする。
気が強い性格のアリスは、その内面はとても臆病で繊細な感情を秘めている。
気が弱く引っ込み思案のリリスは、思いやりに溢れている。
双子で容姿も瓜二つだが、ここまで違うものなのかと疑問に思いながらシロは湖畔に目を向ける。
今日は風はなく、日向に居ると少し熱さを感じるが、日陰に入ると心地よい。
湖畔の水面には青空と雲が映り、対岸の緑と青の対比が美しい。
しかし、きれいな楕円を描いていた水際は大きく歪んでいる。
「あれ……シロさんが……したんですよね?」
「うん、でも必死だっからそんなに覚えていないんだ」
「全く凄い威力ね。こんな威力見たことないわ」
3人はシロがカーミラの人器を使って開けた穴をぼんやりと眺めながら食事を続ける。
「ところで、カーミラさんってどんな人なの?」
「よく分からないのよね」
「分からない?」
「うん、ギルドの職員で首都から来たってことは知ってるんだけど、それ以外何も。パートナーも居ないみたいだし……」
「そうなんだ……」
あれだけの人器であればパートナーになって欲しいと言われることも多いはずなのだが不思議だ。
シロは寝転んで空を見つめる。青い空に汚れを知らない真っ白な雲が漂っている。
「シロ……さん」
「ん?どうしたの?リリス」
「あの……じいさんって……どんな人……だったんですか?」
「ああ、それ私も知りたい」
リリスとアリスはシロの顔を覗き込む。
長い前髪の隙間からリリスの大きく優しそうな瞳が覗く。
目元の印象は違うが本当に2人ともそっくりだ。
「んー、ずっと僕が人器がなくて差別されてきたっていうのは同調で知ってるよね?」
「……」
2人は無言で頷く。
「物心ついた時からずっと1人だった。どこに行っても差別や軽蔑の眼差しを向けられ、誰も手を差し伸べてくれる事なんてなかったんだ……」
ーー約10年前
子供はゴミを漁っていた。
もう何日も食べ物を見つけられてない。
その身体は餓死寸前まで痩せ細り、骨が浮き出している。
しかし、そんな子供に人々は手を差し伸べる代わりに汚物を見るかのような視線を浴びせる。
子供には分からなかった。
なぜ、自分はこんな所に居るのか?
なぜ、自分は生まれてきたのか?
なぜ、自分は生きようとしているのか?
そして、自分は何者なのか?
どうすれば答えが出るのかすら分からなかった。
ある日、凍えるように寒い夜。
子供は震えながら路地の片隅に横たわっていた。
もう死のう。そう思いながら子供は目を閉じる。
負の感情が子供を支配していた。
しかし、不意に力強い腕が子供を抱き上げる。
白髪の男は抱き上げた子供を真っ直ぐに見詰める。
「……なぜ僕はここにいるの?」
「大丈夫。君はここにいていいんだ」
男は泣きながら子供を抱きしめた。
それが、シロがじいさんと呼ぶ人物との出会い。
それから、子供は白髪の男に山奥の小屋に連れられ一緒に暮らした。
暮らした時間は長くはなかったが、子供は多くのものを白髪の男からもらった。
1人で暮らしていく術を。
獣と戦うための技術を。
文字を読むための知識を。
そして、シロという名前を。
それは子供にとって初めて触れた人の温もりだった。
しかし、その時間は唐突に終わりを告げる。
ある日突然、白髪の男はいなくなってしまったのだ。
一冊の本だけを残してーー
「あれからじいさんには会えていないけど、いつか会った時、僕は何者かになったって伝えたいんだ….…ごめん、長くなっちゃって……」
シロは体を起こし2人を見てぎょっとした。
2人とも泣いていたのだ。
「同調でアンタの気持ち知ってるから当然じゃない……」
アリスは涙を手で拭いながら強がり、リリスはただただ啜り泣いていた。
「アリス……リリス……ありがとう。僕は大丈夫だから」
2人の気持ちが、ただただ嬉しかった。
◆◆◆◆◆◆
昼食も食べ終わり、帰り支度をしていた時シロは2人について疑問に思っていたことを聞くことにした。
「そういえば、2人は何でポンコツって言われていたの?」
その言葉を聞いて、2人は一瞬固まる。
2人と初めて会った時、カーミラが言っていた言葉だ。
これだけ仲の良い姉妹なのだから、僕が居なくても人器使いとしてやっていけるのではないか。シロはそう考えていたのだ。
「まあ、アンタに隠しても仕方ないわね。見せてあげるわ」
「え?お姉ちゃん……本当にいいの?」
リリスは不安な表情で姉を見る。
「良いのよ。一度見せてあげたほうが早いから。さあ、早く!」
「アリスはリリスに向かって手を伸ばす」
「う……うん……」
リリスがアリスの手に触れると、アリスの手には如雨露が現れる。
シロが使う時と変わらない、青く丸みを帯びた如雨露だ。
「じゃあ、シロ。手を出して」
シロは言われるまま手を出す。
手には草木を掻き分けた時にできた小さい擦り傷があった。
「癒しの水」
シロの手に如雨露から水が注がれる。
「ん?これ治ってる?」
シロが使うときは水が傷口を覆うが、その水はそのまま手からこぼれ落ちてしまっている。
これでは、水をかけているのと変わらない。
「んー、ほんの少しね。だから実戦で使ったりするのは無理よ」
「そうか……」
「じゃあ次、リリスと交代するわね」
そう言うと、アリスの金色の手甲を纏ったリリスが現れる。
「あ……」
その姿を見て気がついた。
アリスの武器は素手で戦う所謂近接武器だ。
リリスの性格で近接戦をするのは不可能だろう。
「ん!!」
リリスは人器に力を込める。すると電流がリリスの周囲に広がる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
その瞬間、シロは感電していた。
「つまりはそういう事よ」
地面に倒れぷすぷすと煙を上げるシロにアリスは如雨露で水を注いでいた。
「うん。これは駄目だね」
ずぶ濡れになりながら、シロはどこまでも青い空を見つめていた。
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