帽子が取られたのを感じたフィオはすぐさま顔を上げると、帽子を持ったリュバルが驚愕の表情を浮かべていた。
「えっ……あ……」
そのリュバルの驚きと恐れが入り混じった表情を見てフィオは逃げるように走り出していた。
「おいっ!フィオ!」
リュバルが静止するのも聞かず、フィオは只々闇雲に走った。
どこにも行くあてなどないのに。
これまでの日々がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。
ルウムに手料理を食べてもらい美味しいと言ってもらったこと。
アンと一緒に服を買ったこと。
リュバルが……リュバルが手を引いて街へ連れ出してくれたこと。
2ヶ月という短い期間ではあったが、そのどれもがフィオにとってかけがえのない日々だった。
もうあの日々には戻れない。
獣人と人間、所詮は相入れる事は出来ないのだ。
「お姉……ちゃん」
ルウムの笑顔が過った瞬間、フィオの大きな瞳から大粒の涙が溢れ出ていた。
「待って!!待ってったら!!」
リュバルが後ろから追いかけてくるのを感じる。
しかし、リュバルの顔をもう一度見るのが怖った。
「!?」
しかし、涙で視界がぼやけたフィオは石に躓て盛大に転んでしまう。
「フィオ!!」
慌てて追い掛けいたリュバルが駆け寄ってくるのを感じる。
受け身も取らずに地面に転んでしまっため、全身が痛い。
でもそんな痛みが気にならないくらいフィオの心は締め付けられていた。
「大丈夫!?」
「うっ……うっ……うわぁぁぁぁぁん!!!」
涙が止まらない。
心が痛い。もうみんなと一緒には居られない。
であれば自分は何処に行けばいいのか?
そんな思いがぐるぐると巡り、フィオはただ泣く事しか出来なかった。
「ここは危ない。とにかく街の近くに戻ろう?な?」
「……うん」
「立てるか?」
そう言いながらリュバルはフィオの肩に手を添える。
「……うん」
ヨロヨロと力なく立ち上がったが、涙が止まる気配はなく、フィオは地面を見つめたまま顔を上げることは出来ない。
「行こう」
その様子を察したリュバルはフィオの手を力強く掴んだ。
その手から伝わる熱だけが、フィオが唯一感じる感覚だった。
◆◆◆◆◆◆
「ひっく……ひっく……」
リュバルに手を引かれたフィオはウェステへの帰り道を進んでいた。
リュバルは魔物や獣に遭遇する可能性がある森からは一刻も早く抜け出したいと思っているはずだろう。
しかし、力なく歩くフィオを気遣ってゆっくり歩みを進めていた。
風が木々を揺らし、その隙間から木漏れ日が降り注ぐ。
フィオはそんな穏やかな側面を見せる森が好きだった。
街の外へリュバルを連れ出したのは、自分が育った森が恐ろしい場所ではないという事を知ってもらいたかったのも理由の一つだった。
だから無理にでも街の外へ連れ出したのだ。
木々が揺れる音。小鳥の囀り。流れる水の音。それらが奏でる森の音楽を聴いてもらいたかった。
しかし、その目論見は脆くも崩れ去った。
そして、もう人間と共に暮らすことは出来ない。
時の経過と共にその事実が重くのしかかり、フィオの足取りを重くしていた。
「おっ街が見えたぜ」
森を抜け、近くにウェステの田園地帯が見える位置にまで戻ってきたリュバルは安堵の声を上げ、手頃な大きさの石を見つけるとその上にゆっくりと腰掛けた。
「ほらっフィオも」
自分の隣に座るのを促すように石の上をペシペシと叩く。
促されるままフィオはリュバルの隣に腰掛けた。
「あの……ごめんな……帽子」
「……うん」
フィオは俯いたまま囁くように呟いた。
リュバルはフィオの栗色の頭に付いた丸みを帯びた耳に視線を向ける。
「これ……本物なんだよな?」
「……うん」
「ルウムさんとかシロ兄ちゃん達はこのことって……?」
「……うん……うっ……うぅ」
ルウム、シロやエヴィエス、皆の顔を思い浮かべたらまた涙が流れてくる。
人も獣人も関係ないと言ってくれた皆とはもう会うことが出来ないのだ。
「俺馬鹿だからさ……よくわかんないんだ……」
いつも元気一杯のリュバルとは打って変わり落ち着いた口調でフィオに語りかける。
「ねぇ、フィオ……教えてもらえないかな?フィオのこと……知りたいんだ」
「……うん」
どうせ此処から出て行かなければならない。
そんな投げやりな気持ちからフィオはこれまでの事を話すことにした。
ポツリ、ポツリとフィオは言葉を紡ぐ。
森の集落でのこと住んでいたこと。
エヴィエスやシロ、ルウムとの出会い。
そして、ウェステに住む事になった理由。
ボソボソと喋るフィオの言葉にリュバル無言で耳を傾け続けていた。
「分かった……」
一頻り喋り終わった後、リュバルは一言そう呟いた。
喋っているうちに気持ちが落ち着いてきたフィオはリュバルをチラリと見ると彼は真剣な表情で街の方角を見つめている。
その横顔は今まで見たことないほど真剣な表情だった。
「しかし……シロ兄ちゃんは凄いよなぁ。あんなに強くてカッコよくて……」
「……エヴィ兄ちゃんもカッコいい」
「ああ、あの茶髪の人?前に会った時は全然話できなかったから今度会ったら紹介してくれよ!な?」
だが、自分には次などない。もうエヴィエス達には会えないのだ。
「もう会えない……」
「えっ?どうして?」
「だって私が獣人だから……もう……もう一緒には暮らせないょぉぉぉ……」
枯れたと思った涙がまた溢れ出てくる。
バールを失った時にはエヴィエス達が居た。しかし、今回は本当の意味で1人になるのだ。
「でも、知っちゃったのは俺だけだろ?俺が黙っておけば大丈夫だから!なっ?なっ?」
「でも……獣人は怖い……でしょ?もう一緒には……」
「そんなことない!!!」
突然の大声に言葉を遮られたフィオは、ビクッと反応し恐る恐るリュバルの顔を見つめた。
真っ直ぐで真剣な眼差し……それは優しくて温かいエヴィエスの眼差しにどこか似ている気がした。
「獣人だからとか人間だからとか……難しい事は分からない。だけど、俺はフィオを怖いと思った事なんてない」
「でも……」
「でもじゃない!!じゃあ今からルウムさんのとこに行こう!さぁ帽子被って」
そう言いながら立ち上がったがリュバルは持っていた黒の帽子を頭に押し付けるように被らせる。
そしてフィオの腕を掴み強引に引き上げた。
「ちょっと!」
「さあ、行こう!」
リュバルはフィオの手を掴み強引に走り出す。
「ちょっと待って!!」
「いいから!早く!」
引っ張られようにフィオは街へ走り出していた。
手を引っ張られて走る感覚……確か前も味わった事がある。
(そうだ……初めて会った時……)
フィオはリュバルと初めて会った時の事を思い出していた。
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