ウェステの街を再び旅立って約半日。
シロ達は分岐点に差し掛かっていた。
目の前には鬱蒼とした木々が広がりその先にはうっすら山の稜線が見える。
その山を越えた先にケントルムがある。
「ねぇ、シロ。今回はどうする?私は任せるわよ」
アリスが皮の水筒に入れた水を飲みながらシロに意見を求める。
恐らく前回早々に迷ったのを気にしているのだろう。
「んー、今回は迂回した方がいいんじゃないかな?エヴィはどう思う?」
「俺も迂回でいいと思う。確かに早く着くかもしれないけどリスクは避けるべきだ」
前回は山を突っ切るルートを選んで失敗した。
だから今回は比較的安全にケントルムに着ける森を迂回するルートを進むというシロの意見にエヴィエスは同意する。
「そうだよね。じゃあ迂回する道を進もう」
「えー、エヴィ様!私は真っ直ぐ進んだ方がいいと思う!」
「ナイ……お前の意見は聞いてないぞ」
「えー」
緑色の髪の少女ナイはエヴィエスに意見を聞いてもらえなかったからか、口を尖らせて不満げな表情を見せる。
「まあまあ、エヴィ。じゃあ、ナイさんはどうして真っ直ぐ行ったほうがいいの?」
「んとね。真っ直ぐ行った方が近いから!」
「はぁ……」
屈託のない笑顔で山の頂上を指差すナイにエヴィエスは額を抑え深いため息を吐いた。
「えっと……」
「ああ、気にしなくていい。これはいつものことだから」
「なんでよー!そんな言い方酷いよエヴィ様!」
「さあさあ、こいつは無視して迂回路を行こう」
「うー!」
怒りをあらわにするナイを尻目にシロ達はエヴィエスに促され、再び荷物を背負い歩みを進める。
「まあまあ、ナイさん」
「あの言い方はないわよね」
ボソボソと小声でナイを慰める金髪の双子の声が僅かに耳に入ったがシロは聞こえないフリをしたのだった。
その後、シロ達一行は森を沿うように平地を進み続けた。
そして陽が傾いてきた頃、暗くなる前に寝床を確保した方がいいと言うエヴィエスの提案を皆が受け入れ、シロ達は野営の準備をしていた。
周囲が開けている草原では確実に安全な場所はない。
だから、たまに転がっている大きな岩を背後にして野営をするのが鉄則なのだそうだ。
そうすることで、突然背後から襲われることや敵に囲まれる可能性を減らすのだ。
シロとエヴィエスが枯れた草を集めて簡易なベットを作り終えた頃には夕焼けが辺りを包む。
風に揺れる草原の草花が夕焼けに照らされ美しい景色を作り上げている。
シロは背後の岩に寄りかかり、その景色をぼんやりと眺めていた。
地平線の先に力強く輝く太陽は1日の終わりを告げようとしている。
この美しい夕陽を見ていると嫌でもあの時を思い出す。
恐怖、絶望、死。
この世界全ての負の感情を凝縮したのようなオーラを纏った仮面のテラーのことを。
彼は一体何のためにこの美しい世界に絶望を振りまくのか。
それはどんなに考えてもシロには分からない。
「……ロ……シロ」
「ああ、アリス。ごめん、呼んだ?」
呼びかけに意識を引き戻されたシロは視線を上げると両手に器を持ったアリスが見つめていた。
「はい。今日のご飯」
「ありがとう」
アリスは両手に持つ器の一つをシロに手渡すと隣に座る。
器には温かいスープが入っており、器を通して温かさが伝わってくる。
「どうしたの?疲れた?」
「いや、大丈夫。ちょっとあの時のことを考えてたんだ」
「あの時ですか?」
シロと一緒に食べようと思ったのだろう。
器を持ったリリスがアリスの逆側に腰掛ける。
「うん、仮面のテラーのこと」
「あの時のことか……私は正直思い出したくないわね」
「はい、私もです」
相当な恐怖だったのだろう。
2人の表情が曇る。
「そうだよね。ごめん」
テラーはシロに物語を紡げと言った。
いつかまたあのテラーと対峙する時が来る予感がする。
それまでに強くならないといけないんだ。
もう誰も大切な人を奪われないために。
シロは真剣な眼差しで器に入ったスープを見つめながらズズっと啜った。
「あっ!これ美味しいね!」
「本当ですか!?嬉しいです!」
リリスの顔がパァッと華やかになる。
「うん、すごく美味しいよ。リリスありがとう」
「あの、私も作ったんだけど」
「ああ、ごめん。アリス、ありがとう」
「もう、分かればいいのよ」
アリスはやや頬を赤らめながらスープを啜った。
「あー、これが両手に花ってやつだね?」
同じく器を持って近づいてきたナイは緩んだ顔つきで3人を見下ろす。
「なによ、いいでしょ別に」
「ナイさんも一緒にどうですか?」
からかわれたのが恥ずかしかったのか、怪訝な顔をするアリスとは違い、リリスはにこやな表情でナイを誘う。
「うん!私も一緒に食べたいと思ってたの!」
ナイは子供のように無邪気な笑顔でシロの正面に座る。
今までは彼女の顔をよく見る機会がなかったのだが、アリスやリリスの可愛らしい顔つきとは違い、目鼻立ちの整った美人といった印象だ。
しかし、その整った顔からは考えられない残念な言動をするのがナイという女性だ。
「エヴィ様ー!こっちで一緒に食べようよ!」
少し離れた場所で周囲を見張っていたエヴィエスに手を振りながら呼び掛ける。
「あの、ナイさん。前から気になってたんですけど、どうしてエヴィさんに様って付けるんですか?」
「あっ、それ私も気になってたわ」
リリスが不思議そうに質問をするとアリスも同意する。
「んー、エヴィ様は生まれた時からエヴィ様なんだよー。だから私はエヴィ様に付いていくの」
「……」
アリスとリリスが苦笑いでをしながら固まっている。
恐らく、何を言っているか全く分からなかったのだろう。
もちろん、シロにも全く分からなかった。
「はぁ、お前は相変わらず説明が駄目だな」
ため息混じりのエヴィエスがナイの隣にどかっと座る。
「ごめん、まだ言ってなかったね。って言っても大した理由じゃないんだ」
エヴィエスは手に持ったスープをゆっくりと啜る。
「俺は魔物に滅ぼされた国の王子なんだそうだ」
「え?そうなの!?」
アリスが驚いた声を上げるが、シロには王子という存在がよく分からない。
「あの……ごめん、王子って何?」
「いや、いいんだ。国はかなり前に全て滅んだからね。シロみたいになるのも無理はないよ。少し説明していいかな?」
一同は静かに頷く。
「まず、国は分かるよね?」
「うん、それは大丈夫」
救世主の物語にも出てくる国という存在は流石にシロも理解している。
「魔物に襲われる前、人間の国っていくつもあったんだ。その一つ一つの国を収めるのが王。そして、王子はその子供で次に王になる人のことを言うんだ」
「え!?じゃあ、エヴィはもし国が滅ぼされてなかったら王になってたの?すごいね!」
「……だから驚いたのよ」
アリスは呆れた様子で呟く。
「でもまあ、俺が生まれた時にはもう国は魔物に滅ぼされてたから実感はないんだけどね。その時に、俺の父親に最後まで付き従ってくれていたのがナイの親なんだ」
「イェーイ!」
ナイは満面の笑みでピースサインを作る。
「だからまあ、こんなポンコツでも俺の従者なんだよ」
「そうなんだね……」
「まあ、とても従者には見えないけどね」
「あー、アリスちゃんひどーい!くすぐっちゃうぞー!」
ナイはいつもの笑みを崩さず、素早く立ち上がると眼前のアリスに覆いかぶさる。
「ちょ!やめて!ははっはははは!!」
「でも、国っていくつもあったんだよね?救世主が魔物と戦ってくれたのに何で全部滅びちゃったの?」
アリスとナイの笑い声が響き渡るが、シロは2人の戯れに目を向けることなくエヴィエスを見つめる。
「確かにシロの言う通り全ての国が魔物に滅ぼされた訳じゃない。全ての国が滅びた最大の理由は救済の光なんだ」
「救済の光?でも、救済の光って人々を救った光なんじゃないの?」
「王ってのは人々を導く優秀なリーダーじゃないといけないんだ。だけど、王は子供から子供に受け継がれてきたんだ」
エヴィエスの表情が曇る。
「かつては優秀な王だったかもしれないけど、その子供達が優秀とは限らない。救済の光で人器を得た人達は王が自分と対して変わらない器だってことに気が付いたんだ。王は従う存在が居なくなったら終わり。それで、残った国は全て滅びたんだ」
「はぁはぁはぁ、まあ人器はその人の魂を具現化するって言われてるからね」
ナイから解放されたアリスが息を切らしながらエヴィエスに同意する。
「でも、それじゃあ……」
自分と同じじゃないかと言いたかったが、シロは思わず言い淀む。
「ああ、シロの言いたいことは分かってる。人間の価値は人器じゃない」
エヴィエスの力強い言葉が心に響く。
そして、隣に座るリリスが何も言わずにシロの手を握る。
その熱が分かっているからと言ってくれているような気がした。
「だけど、当時の人々には余裕がなかった。魔物の脅威に晒され、救済の光で戦う力を得た。誰もが王は素晴らしい人器を持って自分達を導いてくれるって疑わなかったんだよ。みんな毎日を生きるので必死だった。だから誰も悪くないんだ」
「しかも、その混乱の真っ只中に獣人の反乱が起きたのよ」
「そう。当時の人間は皆を率いるリーダーがいなかった。だから人間達は大混乱に陥ったんだ」
「そう……なんだ」
「外から魔物。中では獣人に襲われ大混乱に陥る人々の姿は話を聞くだけで想像に難くない」
「その大混乱はどうやって終わったの?」
「それを終わらせたのが、これからアンタが会いに行く人よ」
「え!?ラウドさんって……そんなに凄い人だったの!?」
自分が会いに行く人がそんなに偉大な人物であったことを知らなかったシロは目を大きく見開いてアリスを見つめる。
「すごいなんてもんじゃないさ。大混乱する人々をまとめあげて獣人と戦争を終わらせたんだ。その後はギルドを創設して魔物に対抗する組織を作り上げたんだから。救世主と同じくらいの英雄だよ」
「そうなんだ……」
自分の目的の人物が救世主に並ぶほどのと英雄。であれば、仮面のテラーのことも知っているかもしれない。
「……少し長くなっちゃったね。明日も早い。今日はここまでにしようか」
周囲はもうすっかり暗くなり、料理に使った焚き火が少し離れた場所で僅かに燃えている。
「うん、ありがとう。エヴィ」
「いやいや、じゃあ俺は見張りに戻るからシロ達は先に寝ていていいよ。行くぞナイ」
「はーい」
エヴィエスとナイは立ち上がり、焚き火の方に向かっていく。
「じゃあ、私達は交代するまで寝ましょうか……ってリリス寝てるじゃない。もう、リリス!一旦起きてちゃんと横になりなさい。疲れ取れないわよ」
横を見るとシロの手を握ったままのリリスがこっくりこっくりと首を振っていた。
「あっ、姉さん。シロさんの手温かくてつい……」
「もう……ついじゃないわよ。でもまあ、慣れないことしたし疲れたんでしょ。一度横になって休みましょう」
「ふぁい」
リリスは欠伸をしながら立ち上がると、シロが作った簡易のベットに横になる。
「シロさん。おやすみなさい」
「うん、おやすみ。リリス」
「じゃあ、私も寝るわね。おやすみ」
「うん。また明日ね」
2人がベットに横になったのを見送ると、シロはすっかり冷えてしまったスープを飲み干し、2人の隣のベットに寝転び空を見つめる。
雲一つない暗闇の中に宝石のように星々が散らばっている。美しい星空だが、空の闇を見つめていると吸い込まれそうな気持ちになる。
救済の光。
救世主が残した人器化の力は人々を救う力だと思っていた。
だけど、その光がもたらしたのは必ずしも良いことだけではない。
シロと同じように不幸になった人だっている。
だとしたら、救済の光とは何なのか?
それはシロの心に言いようのない影を落としていた。
またまだ知らないことが多すぎる。
ラウドさんに会ったら聞きたいことが沢山ある。
それを考えているうちにシロは眠りに落ちていた。
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