出来損ないの人器使い

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13話「リリスの憂鬱3」

公開日時: 2021年1月25日(月) 00:32
文字数:3,869

「リュバルくーん、リュバルくーん」


 普段は囁くようにしか喋らないリリスは精一杯声を張り上げる。

 こんなに声を張り上げたのはいつぶりだろう。慣れないことをしているせいか喉がヒリヒリと痛い。


 アンやホーザが遊んでいたと教えてくれた森に入ってかなり時間が経った気がする。


「ここにも居ない……どこいったの?」


 街から近いとはいえ、人の手の入っていない森だ。そこまで遠くに行っているとは到底思えない。

 しかし、その見立ては甘かったと言わざるを得なかった。


 太陽が傾いてきている。

 それに空はいつの間にか厚い雲に覆われ、ますます森全体を薄暗くしていく。

 今にも雨が降ってきそうだ。


 普段とは異なる表情を見せ始める森や木々にリリスは急に不安になってきていた。


 でも、リュバルはもっと心細いはずだ。


 リリスは気持ちを奮い立たせ、より森の奥へ歩みを進めるのだった。


 ◆◆◆◆◆◆


「リリス見てない?」


「いや、見ていないよ。どうしたの?」


 シロとアリスは農作業を終え下宿している教会へ戻ってきていた。

 シロは廃墟での戦い以降、アリスが教会内に用意してくれた空き部屋に住まわせてもらっていた。

 狭く、簡素なベットしか置かれていない部屋だったがシロには十分すぎるほどだ。

 ベットに腰掛け、じいさんの残したノートを開いていたところにアリスがやってきた。


「リリス。居ないのよ」


 いつもの修道服に着替えたアリスはどこか不安げな表情をしている。


「え!?」


「うん……いつもならそんなに気にしないんだけど、ちょっと心配で……」


 もしかするとアリスの予感の通り、リリスは何かに思い詰めていたのかもしれない。


 シロはベットに腰掛けたまま窓から外を見る。

 空は暑い雲に覆われ、少し雨が降ってきている。もしかするとこれから本降りになるかもしれない。


 アリスの不安げな表情を見て、シロも不安になってきていた。


「そうだね……雨も降ってきているし心配だ。探しに行こうか」


 シロがノートを閉じて立ち上がったその時、


「アリス姉ちゃーーん!!」


 外から必死な叫び声が聞こえる。

 アリスはすぐさま部屋の窓から身を乗り出し声の主を探す。


「ちょっ!落ちるって!」


 シロは窓から落ちるのではないかと思うくらい身を乗り出すアリスの腰を後ろから支える。


「アン!ホーザ!どうしたの!?」


「リリス姉ちゃんが戻ってこないんだ!!」


 その憔悴し切った叫びを聞き、シロは嫌な感覚に襲われていた。


 ◆◆◆◆◆◆


 少しずつ降り注いでいた雨はいつの間にか土砂降りに変わっていた。

 降り注ぐ雨は木々にあたり、大音量の雨音を奏でる。


 もうそろそろ太陽が沈むのだろう。

 リリスは弱々しい微かな明かりを頼りに街へ戻っていた。


「ごめん……リリス姉ちゃん」


 リリスに背中ではリュバル涙を流している。

 森の奥深くでやっとリリスはリュバルを見つけていた。

 リュバルの手には綺麗な花が握られている。

 少年はアンの誕生日に贈るため、花を探していた。

 綺麗な花を見つけて驚かせようと、森の深く深くに進んだ。

 しかし、やっとのこと見つけた時には、自分がどこにいるのか分からなくなってしまっていた。

 焦って帰り道を探していたのだが、途中で転び足を挫いて身動きが取れなくなってしまっていたのだった。


「大丈夫……お姉ちゃんが……いるから……」


 しかし、薄暗い中子供を背負って森を歩き続けたためリリスの体力はかなり消耗していた。


 降り頻る雨が額を伝い、目に流れ込む。

 リリスはその水に目を細めながら、足元を確認する。

 自分が転んで怪我をすれば2人とも帰れなくなってしまうからだ。


 雨水が身体の熱を奪い、冷えていくのを感じる。

 しかし、リュバルと触れる背中だけが焼けるように熱い。


 リュバルを助けられるのは私しかいない。

 私がなんとかするしかない。


 その熱がリリスを突き動かす。


 その甲斐あってか、もうすぐ森を抜けるところまで進んできていた。

 少しずつ木々が少なくなり、周囲が開けてくる。

 その開けた木々の隙間から僅かに街の明かりがわずかに見える。


 明かりも僅かな今、街の明かりは何よりも欲しかったものだ。


「リュバル君……街……もうすぐだよ」


「本当だ!」


 街の明かりを見たリュバルの声が一気に明るくなる。


 時間は掛かったけど、自分の力でリュバルを助けることができた。それは、リリスが初めて何かを成し遂げた経験だった。


 自分抱えている悩みの答えが出たわけではない。

 帰ったら姉さんに正直に話してみよう。そう思えるほど不思議と気持ちは晴れやかだった。


 その時、リリスは僅かな異変に気がつく。

 草木の隙間から薄っすら光る2つの点が見える。


(あの光……さっきも見たような……)


 今までは転ばないように歩く事が必死だったので気に求めていなかったが、ずっと付いてきているような気がしていた。


 リリスはその点を見つめ、一歩後ずさる。


「リリス姉ちゃん?」


 一瞬の緊張を悟ったリュバルがリリスに問いかける。


「大丈夫……大丈夫だから……」


 リリスはその点の正体に気がついていた。

 すると隙間から点の正体が現れる。


「グルルルル……」


 低い唸り声を上げながら灰色の狼が1匹茂みから現れる。

 魔物ではないのは幸いだが、この状況では魔物も獣も大差ない。


 リリスは武器も何も持っていないのだ。


 獣は爛々とした瞳で2人をまっすぐに見つめ、牙を剥き出しにしながら少しずつ近づいてくる。


 何かできることはないか?

 そう考えるが、自分にはどうすることもできない。


 やっぱり無理だったのかな……


 諦めの感情がリリスを襲う。

 最初から駄目だったのだ。

 私は何もできない。

 何も持っていない人間なんだ。


 ここで終わるのが私の運命……


「リリス姉ちゃん!!」


 背中のリュバルの声でリリスは正気に戻る。

 狼に気がついたのだろう、声には恐怖が混じっている。


 そうだった……


 背中の熱が……首に回された腕が教えてくれる。

 後ろには震えている小さい子供がいるのだ。


「リュバル君……ちょっと待ってて……」


 リリスはそう言いながら膝をつきリュバルを下ろす。

 そして、掌ほどの石を握った。

 これから獣と戦うにはあまりにも心許ない武器だ。

 本当は震えるほど怖い……誰かに助けてもらいたい。

 でも、今ここで守れるのは私しかいない!


 リリスが意を決するのと同時に狼がリリスに襲いかかる。


「あぁぁぁぁぁぁ!!!」


 リリスは恐怖を振り払うかのように声を上げると獣に向かって石を振り上げた。


「サンダーフィストォォォォ!!」


 狼がリリスに触れる寸前、突然横から現れた黒い影によって狼はバチっという音ともにに大きく吹き飛ばされていた。


「ああ……」


 何が起きたのがよくわからないリリスはその場にへたり込む。


「心配したよ……リリス」


 金色の手甲を纏った鈍色の髪の少年は安堵したかのような優しい微笑みを向ける。

 水が伝う金色の手甲は街の微かな光を反射してキラキラと輝いている。


「シロ……さん」


「うん、もう大丈夫。頑張ったね……」


 手を差し伸べるその姿は小さい頃に憧れていた英雄のようにも見えた。


 リリスは差し出された手を掴み、ぐいっと引き上げられる。

 ありがとうと言おうとした時、唐突にパンッと乾いた音が鳴り響き、頬にじんじんとした痛みが走る。


「姉……さん」


 リリスは無言でリリスの頬を叩いていた。


「ごめ……」


「アンタ何やってんのよ!!どれだけ心配したと思ってるのよ!!」


 リリスの言葉を遮り、烈火の如く捲し立てる姉は体を震わせ激昂していた。


「アリス姉ちゃん!僕が……」


「アンタは黙ってなさい!!」


 アリスはリュバルを一喝し、庇おうとしたリュバルにも鋭い視線を向ける。

 

 姉が自分の事を心配している事は分かっている。

 しかし、リリスの中でいくつもの想いが入り混じり、何かが弾けた。


「説教はあと!!さあ帰るわよ」


 リリスの腕を引っ張る姉の手をリリスは思いっきり振り払った。


「リリス?」


 アリスは驚いた声を上げるが、アリスがどんな表情をしているのか見えない。


 顔を上げられない。


「姉さんにとって私は何なの……?」


 姉に叩かれた頬が熱い……


「姉さんにとって私は何!?姉さんにとって邪魔にしかなってない!!私も一緒に戦いたい!!でも……私は一緒に戦えない!!私の……私の居場所は……どこにあるの……私も….私も……一緒にいたいよ……」


 自分でも何を言っているのかよくわからない。

 しかし、それはリリスの心の底からの叫びだった。


「リリス……」


 見たことのない表情のリリスに姉は言葉を失っていた。


 木々を打ち付ける雨音がよりいっそう強くなる。


 その沈黙を破ったのはシロであった。


「アリス……囲まれてる」


「魔物!?」


 アリスはハッとした表情でシロに顔を向ける。


「いや、多分狼だ。さっき倒したのは群の1匹だったんだと思う」


「狼か……リリス!この話の続きは街に戻ってからにしましょう!」


 そう言うと姉は姿を消し、シロの腕に手甲が現れる。


「リリス……君がそんな事を思っていたなんて知らなかった。気付いてあげられなくてごめん……」


 ただただ力なく立ち尽くすリリスにシロは優しく語りかける。


「……」


「あなたの人器貸してもらえませんか?」


 シロは膝を付き、頭を下げながら手を差し伸べる。


 それは、シロがリリスを初めて行使した時の言葉。

 しかし、シロの腕には金色の手甲が装着されている。


「でも……」


「大丈夫。僕を信じて……」


 その言葉とシロの真っ直ぐな瞳はリリスを信じさせるに値する力強さと優しさが込められていた。


「は……い」


 リリスはゆっくりシロに手を伸ばす。


 その夜ーー

 人器を持たない出来損ないと正反対の双子による奇跡が起きる。

 救済の光によってもたらされた人器はまだ人々が知らない力を秘めているのだ。

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