ウタと別れた後。
エヴィエスは彼女が指し示した方角へひたすらに走り続けていた。
全身の筋肉が引きつり、悲鳴を上げる。朝からずっと走り続けているから当然だろう。
何度も転んでは起き、転んでは起きを繰り返すうちに身体は泥まみれになっている。
それでもなお、足を止めることはできない。
一歩一歩進むしかない。
そう言い聞かせながらエヴィエスは歩を進めた。
やがて陽が沈みかけた頃、エヴィエスはウタが言っていた小高い丘の頂上に着いた。
緑色の草木で覆われたその丘は、一面が白い花が咲き誇っている。
その花が夕陽を反射し、宝石を散りばめたように光輝いていた。
まるで神の世界に足を踏み入れたかのような幻想的な風景の中心に1人の女性が立っていた。
見間違える事などない。
彼女に会うのは夜以来なのに随分久しぶりな気がする。
「ナイ!!!」
エヴィエスは彼女の名前を叫びながら駆け寄ろうとするが、その声にピクッと反応した女性は振り返るやいなや逃げようとする。
「待って!!おい!ナイ!!!」
遠ざかるナイの背中を懸命に追おうとするが身体がついてこない。
遂には脚がもつれて盛大に転んでしまった。
「ナイ!!!行くな!!!」
エヴィエスは地面に倒れながら力の限り叫んだ。
もし、これでナイが逃る足を止めなかったらエヴィエスには追いつく事はできない。
これが永遠の別れになるのだ。
それを理解したエヴィエスの胸がドクっと波打つ。
顔を上げるのが怖い。しかし、上げなければ何も始まらない。
ゆっくり顔を上げると、草木の間からエヴィエスが立ち上がるのを待っている女性の姿が見えた。
「エヴィ様……どうして来たの?」
「お前を連れ戻しに来たに決まってるだろ」
エヴィエスはゆっくり立ち上がりナイを見つめる。
「でも……私みたいな足でまといが一緒に居たらエヴィ様が……」
「足でまといなんかじゃない!!!」
その言葉を遮るようにエヴィエスは力強く答えた。
エヴィエスはゆっくりとナイに向かって歩みを進め、目の前に立った。
身体は大きくなったが、地下で震えていた時の瞳と変わらない。
そう……この美しい緑の瞳の女性を守る為に俺は強くなりないと誓ったんだ。
エヴィエスはナイを力一杯抱きしめた。
「エヴィ様……ごめんね」
「ああ……分かってる」
「私……私……」
嗚咽にも似たナイの声がエヴィエスの心に響く。
「ああ……もう何も言わなくていい」
今腕の中で泣いている女性。
彼女を守る為に俺は強くなると誓ったんだ。
こんな簡単な事なぜ忘れてしまっていたんだろう。
でも、今なら言える。
そして、もう2度と忘れる事はないだろう。
「ナイ……俺はお前を愛している」
エヴィエスは涙で腫れた緑色の瞳を真っ直ぐに見つめて自分の思いを伝えた。
「エヴィ様……エヴィ様ぁぁぁぁ!!!」
ナイは大粒の涙を流しながらエヴィエスの胸に顔を埋めた。
「大丈夫……大丈夫だから……」
そう言いながらエヴィエスはナイの頭を撫で続けた。
柔らかな髪の感触を確かめながら、もう絶対に離さない。そう強く心に誓った。
一つに重なり合った2人の影が夕陽に照らされ、長く伸びていた。
「ウォォォォォォォ!!!」
唐突に魔物の叫び声が轟き、エヴィエスが顔を上げると、オークがこちらに向かって来る。
「オーク!?何でここに!!」
首都に近い場所はギルドの人器使いが常に魔物を討伐し続けており、魔物に出くわす事は稀だ。
しかも5体。
エヴィエスにとってはフィオの村で敗北した苦い経験のある相手だ。
訓練の成果で1体なら倒す事が出来るかもしれないが、この数を相手にすれば勝てる見込みはない。
「エヴィ様……」
腕の中のナイが恐怖が入り混じった声を上げる。
恐らくナイもエヴィエスと同じく勝てる見込みはないと悟ったのだろう。
逃げるか……?
今ここでナイを人器化させて全力で逃る。
もしかしたらそれで生き残れるかもしれない。
だがそれでいいのか?
逃げて何が得られる。
この腕の中の大事な人を守る為には逃るだけじゃ駄目だ。
戦って掴み取るしかないのだ!
逃げずに戦う。
それはエヴィエスにとって意地にも近いものだったのかもしれない。
しかし、戦うと決めた途端、不思議と心が軽くなったのを感じていた。
「ナイ……人器化出来るか?」
「うっ……うん」
「大丈夫。俺に任せて……」
不安げな表情で覗き込むナイにエヴィエスは穏やかに微笑みかけた。
「行こう……ナイ……」
人器化という手法は、大切な人と共に戦うということである。それは、大切な人を危険に晒すとことと同義だ。
守りたいという意識が人一倍強いエヴィエスはいつしか一番守りたい大切な人から目を背けてしまっていた。
人は大切な人がいるから強くなれる。
その根本を失っていたエヴィエスが強くなれるはずがなかったのだ。
しかし、今のエヴィエスは違う。
全ての歯車が噛み合った今、奇跡が起きる。
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