ひやりと、冷たい風が頬を撫でて、俺は思わず肩をすくめた。
……え、いなかったの? ホタル人族。
ギルベルタがホタル人族の先輩のことを説明するも、先輩給仕たちは顔を見合わすばかり。
あまつさえ――
「あなたはすごいわ、『誰も教えていない』ことまでちゃんと出来ちゃうんだから。だからね、私たちも、その、ちょっと、やっかんでいた部分も、正直……あるのよ」
そんなことを言われたそうだ。
「……いなかった。確認したら、そんな先輩は、どこにも」
会場が、静まり返っていた。
ギルベルタ…………お前、マジのヤツじゃん、それ。
まさか、本物の幽霊なんて……はは、まさかな。
さすがに作り話だろうとルシアを見ると、軽く口角を上げたルシアが再び舞台へと上がってきた。
「当時、私も気になってな、自分なりに調べてみたのだが、先々代の領主が婦人のためにとこっそり雇っていた『お手伝い』がホタル人族だったそうだ」
「当時はさらに気になったはず、周りの目が。だから『お手伝い』。給仕ではなく、特別な扱いをされていた、そのホタル人族は」
先々代の領主婦人ってことは、ルシアの祖母だ。
もしルシアの祖母がルシアと同じように虫人族を大切に思うような人間だったとしたら、こっそりと側仕えに虫人族を一人雇うようなことはあり得るかもしれない。
もしそうなら、スアレス家の者たちは代々人種間の軋轢を憂いていたということになる。貴族としては珍しい。祖父母の代ならシラハよりも年上のはずだし、あの『悲劇』以前から虫人族に心を砕いていたのだとすれば、思いやりのある一族なのだと言えるだろう…………って、そんなことはどうでもよくて!
祖父母の代に仕えていたヤツが『先輩』なんて気軽に呼ばれるような容姿でギルベルタの前に現れるわけがない! 実在するなら相当な高齢のはずだ。それはもう『先輩』ではなく『師匠』の域だ。
うわぁ~、確実に、それもう、この世の者じゃないじゃん……うわぁ~……
はい、今日の夜窓開けられない。物音聞こえたら泣いちゃう。はい、確定。
「……お前ら、さっさと三十五区へ帰れ」
普段ふざけ倒してるくせに、こんな時ばっかり真面目に怖い話しやがって……マグダを抱っこして寝るぞ、このやろう。
やっぱアレなのかな?
ひっそりとはいえ、領主婦人の側仕えなんてやってると相当なやっかみを受けたりして、それを苦に……そして、同じ境遇のギルベルタの前に現れて……道連れに…………いゃぁぁぁああ!
「思う、私は……先輩は……助けるために現れた、私の前に」
ギルベルタがにこっと笑う。
「仲良くなれた、先輩給仕たちと、あの事件のあと。全部、おかげ、先輩の」
そう語るギルベルタの瞳はとても穏やかで、先輩に対する感謝の念以外の何物も感じ取れなかった。
すごくポジティブに受け止めてるんだな、こいつは。
実際に触れ合ったギルベルタがそう感じているのなら、本当にそうなのかもしれないけれど……
「強い思いが時として過去のモノを引き寄せることがある――我が家に保管されている古文書に、そのような記述がある。人であれ物であれ、強い思いによってめぐり合うことは決して珍しいことではない」
故人を夢に見るなんてことはよくあるだろう――と、ルシアは言う。
強い思い、か。
そういえば、俺も不思議な真っ白の空間で親方や女将さんと…………
うん、あながち間違いではないのかもしれない。魔法なんてものが当たり前に存在するこの街でなら。
漫然とそんなことを考えていると、ギルベルタが俺の袖を引いた。
「描いてほしい、友達のヤシロ、先輩を」
「いや……描くけど……」
「目はこんな感じ、少し垂れてまんまる。卵型、顔は」
「がっつり似顔絵描かせる気だな、お前?」
刑事ドラマで被害者が犯人の顔を説明するかのごとく丁寧な説明を寄越してくるギルベルタ。
架空のオバケを面白おかしく描く分にはいいんだが……こんなリアルな幽霊の顔を、それもそっくりに描くのは……なぁ?
「お椀型、おっぱいは」
「もうちょっと詳しく聞かせてくれるか? まずは大きさを……」
「はしゃぐな、カタクチイワシ。まったく、しょうもないな貴様は」
なんか俄然やる気が出てきた!
ギルベルタの恩人だもんな、可愛くぷるんぷるんに描いてやるぜ☆
――で、言われるままに似顔絵を描いていったのだが。
「ほしい、これが」
相当似ていたらしく、ギルベルタが黒板に張りついて取れなくなってしまった。超強力な磁石より強力だ。
「そんなに似てるのか、この似顔絵?」
「知らぬ。私は見ていないからな、実物も、まやかしも」
自分以外の者に執着するギルベルタが少々気に食わないようで、描いた俺を睨みつけてくるルシア。
俺のせいじゃねぇだろ、どう考えても。
ベッコが模写した色付きのイラストを受け取り、ギルベルタが嬉しそうに触覚をピコピコ動かす。
「ありがとう、おっぱいの街の人」
「うぅむ……どうやら、区外へのイメージがヤシロ氏に埋め尽くされておるようでござるな、我が四十二区は」
「馬鹿、ベッコ。俺じゃねぇよ」
四十二区のイメージを決定づけている要因は、領主であるエステラと、何かと話題に上る陽だまり亭の店主であるジネット、この二人が主だ。ツートップと言ってもいい。
ジネットとエステラを並べてみろよ、誰もが真っ先におっぱいを見ることだろう。「えっ、こんなにも!?」と。
「ジネットを見て、その後エステラを見て、もう一度ジネットを見れば、誰もが『おっぱい』と口にすることであろう」
「ヤシロ、口を閉じないと退場させるよ?」
「ちらっ、チラッ、ちらっ、『おっぱい』……はっ!? 本当ですね、つい口から滑り落ちるように……」
「よし、ナタリアとヤシロ、二人まとめて退場するといいよ!」
推論を実証してみせたナタリアに八つ当たりするエステラ。
あいつは科学に否定的だな。科学? 心理学? いや、人体力学か?
「口から『おっぱい』って言葉がぽろりと零れ落ちるから、これを『おっぱいぽろりの法則』と名付けよう!」
「やはりおっぱいの街、四十二区は」
「うむ、やはりヤシロ氏のイメージでござったな。まったく困ったものでござるなぁ、ヤシロ氏のおっぱい思想も」
俺のせいじゃないということを立証しようとしたのに、俺のせいだと確信を持ちやがったベッコ。
あいつはきっと、学問ってもんが理解できないのだろう。所詮ベッコだし。
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