「カエルって可愛いな」
「は?」
監獄を離れ、人気のない道を歩きながらそんなことを言うと、エステラが俺の額に手を当て、まじまじと顔を覗き込んできた。
「うわ、面白い顔」
「熱診てたんじゃないのかよ」
いらんわ、そんな感想。
「カエルが可愛いなんて言う人、初めて見たよ」
「そりゃ、お前らにとってはそうなんだろうけどさ」
カエルになると人生が終わる。
その事実がある限り、カエルは恐怖の対象でしかないだろう。
「俺の故郷ではカエルは日常に溢れているただの生物で、ペットとして飼育しているヤツもいるくらいメジャーな生き物なんだよ」
ベルツノガエルやヤドクガエルは人気の高いペットとしても有名だ。
そうでなくても、田舎に行けば毎年夏ごろに田んぼの周りで大合唱をしている。
……あれ、そういえば。
「この街にはカエルっていないのか?」
「いるじゃないか。さっきも見ただろう?」
「いや、あのカエルじゃなくて、生き物の方の。カブトムシとかトカゲとかコオロギとかいるだろ? あんな感じでさ」
カブトムシやトカゲやコオロギはこの街で見たことがある。
コオロギやスズムシなんかは夜中にやかましいくらいに鳴いている時がある。……そういえば、四季はないのにスズムシが鳴く時と鳴かない時に違いがあるのはなんでだ? 繁殖期かどうかの差か? ……うむ、分からん。
「田んぼにオタマジャクシとかいないのか?」
「さぁ。少なくても四十二区では見たことがないね」
カエルはいないのか。
もしかしたら、あのカエルを嫌って駆逐されたりしたのかもしれないけどな。
『カエルを見るとカエルにされる』なんてジンクスが広がれば、あっという間に害虫認定されそうだ。
「俺の故郷では害のない生き物だったからな。一部の毒持ちを除いては」
作物を荒らすこともなく、家屋に浸入することもほとんどなく、人を襲うなんて聞いたことがない。まぁ被害と言えば夏の夜にうるさいくらいのもんだ。
「黒目がちでくりっとしてて、見つめられるとうっかりきゅんとしてしまう、そんな生き物なんだよなぁ、俺の故郷では」
まぁ、カエルに抱く印象は個人差があるだろうが。
俺は両生類や爬虫類が平気な方なので嫌悪感も忌避感もない。
日本では女性にも人気だったみたいだしな。カエルのカレンダーとか、毎年売ってたし。
「あの時、カエルが泣きそうな顔でじっと見つめてきたから助けちまったんだろうな、きっと。ゴロツキの顔で同じことされても、グーで前歯をへし折ってたところだ。やっぱカエルが可愛いからいけないんだよ、うん」
「なんだ。そういうことか」
俺の緻密で的確な分析を聞いて、エステラが笑みを含んだ声で言う。
「要するに、善行の言い訳にしているわけだね、カエルの可愛さを」
「言い訳じゃなくて、事実に基づく分析がだな――」
「あ~はいはい。可愛い可愛い」
言いながら俺の後頭部をわしゃわしゃと撫でる。
てめぇ、その『可愛い』は俺にかかってないか?
雑に撫でるな。デミリーの足音が聞こえてくる。
「でも、初めて見たよ。カエルが人間に戻るところなんて」
俺の髪を弄んでいた指が離れていき、エステラが胸を押さえる。
効果音を付けるなら「かつん」だろうな。
かつんと胸を押さえる。
「……なに?」
「かつん」
「ごつんするよ?」
両手を上げて首を振る。
「ノーノー、ごつんノー」の合図だ。
「まったく……」と呆れ顔のエステラ。
その視線がもう随分と遠くなった監獄の方へと向けられる。
「話には聞いていたけれど、半信半疑だったよ」
「俺もだ。だから、実験をした」
エステラが唇を引き結ぶ。
何かを言おうとして、それを堪えたのだろう。
こちらを向いた顔は、また泣きそうになっていた。
……泣くなっつの。
「いつか俺が、どこぞのキレ者にカエルにされそうな時は、一足早くお前にカエルにしてもらうことで『精霊の審判』を回避できるかもしれん」
カエルになった者に対し、『精霊の審判』は効かないのではないかというのが俺の推論だ。
カエルはこの街で保障される人権を剥奪される。
つまり、この街の人間が誰しも持っている物が消えてなくなるのだ。おそらく、『会話記録』も。
『精霊の審判』は『会話記録』を基準に嘘の判定を下す。
俺の『会話記録』をチェックした時、そこには虫や動物の鳴き声は記されていなかった。
やかましく鳴くスズムシの声も、耳元で鳴きやがった牛の声も。
道端で野良猫に『にゃーにゃー』じゃれつかれて「おぉ~よしよし、可愛いでしゅね~」なんて話しかけると、『会話記録』にはかなりイタイ独り言として記録されることになる。
『人』でないものの声は、『会話記録』には記録されない。
ならば、『会話記録』を根拠として嘘を裁く『精霊の審判』では、『会話記録』に声が残らない動物は裁けないということになる。
つまり、カエルになった元人間は、『精霊の審判』では裁けない――可能性が高い。
過去の発言はきっちり残されていて、重ね掛けされる可能性もあるけどな。
まぁ、回避できる可能性があるなら保険をかけておくことは有効だろう。
「というわけで、お前のパンツを貸してくれ」
「お断りだよ!」
「大丈夫。ちゃんと返すから」
「そんなしょーもない嘘を命の保険にしないでくれるかい!?」
なんでだよ!?
もし俺がどこぞのキレ者に『精霊の審判』をかけられそうになったら、一足先にお前が『精霊の審判』をかけてくれりゃ俺は助かる見込みがあるんだぞ?
おまけにそういう一大事が発生するまで、合法的にお前のパンツを所有できる権利も発生する。
「いいこと尽くめじゃないか!」
「君にとってはね! ……別にパンツじゃなくたって、なんだっていいじゃないか」
まぁ、それはそうなんだが。
「興味がない物は捨てかねないからなぁ……」
「ボクの物を勝手に捨てるなと言うべきか、パンツに興味を持つなと忠告するべきか悩むような発言は控えてくれるかな」
パンツに興味を持つなとか、魚に泳ぐなと言ってるようなもんじゃねぇか。
俺に死ねというのか!?
「……パンツ渇望症殺人事件」
「死なないでくれるかい、そんなくだらないことで。あと、渇望症とやらを発症したなら殺人じゃなくて病死だよ」
「俺の墓前にはシルクのパンツを……」
「お断りだよ」
こいつには血も涙もないのか!?
「まったく、乳も涙もないヤツだ」
「血だよ、血! そして三つともある!」
「三つとも!?」
「ある!」
どうしよう。
今こそ『精霊の審判』の真価が問われる場面なんじゃないだろうか?
やるか?
やっちゃうか!?
「君はくだらないことしか口に出来ない病気のようだね」
「お前が俺をそうさせるのさ」
「なにカッコつけて言ってんのさ。カッコよくないよ、全然」
苦虫を噛み潰したような膨れっ面でぶっすぅ~っと顔を顰めるエステラ。
物凄い仏頂面だな。
仏頂面界の役満や~。
「はむまろ?」
「おぉおう!? どうしたハム摩呂、こんなところで?」
「棟梁の、お遣いやー!」
ウーマロに言われて四十一区に行っていたらしい。
……ハム摩呂一人で行かせるなよ、危ねぇな。
「どんなお遣いだったんだ?」
「領主様が先走って変なことしてないか見てこいってー!」
「それはすごく重要なお遣いだね。ハム摩呂お疲れ様。本っ当にお疲れ様」
自身の幼馴染が起こす暴走の面倒くささを熟知しているエステラがハム摩呂を労っている。心底労っている。
あのバカ領主なら、「大衆浴場を作るぞ!」とか言って、計画を立てる前に予定地を勝手に決めて、立ち退きまで始めかねん。
ウーマロとしっかり話し合ってからでないと危険だな。
様子見は必須か。ウーマロ、分かってるな、やっぱ。
「おにいちゃんは? 釈放?」
「誰がだ、こら」
「仮釈放だよ」
「執行猶予おめでとー!」
「なんも理解してないガキに面倒な言葉教えんなよ、面倒くさいことになるから」
こいつらは覚えた言葉を使いたがるんだぞ……ったく。
「真っ平さんに3000点」
「どこで使うのか知らないけれど、余計な言葉を教えないように」
倍率ドン、さらに倍だぞ?
使い道くらいいくらでもある。
あきれ顔で嘆息しつつ、ちらりと俺の顔を窺い見て、エステラの唇は緩やかに弧を描いた。
いつもの雰囲気に戻って安心した。
そんな感情がありありと見て取れる微笑だった。
気を遣い過ぎだっての。
ま、今回はそばにいてくれて助かったけどな。
「じゃあ、陽だまり亭に戻って飯でも食うか」
「そうだね。ジネットちゃんのご馳走だよ。期待に胸が膨らむよ」
「「え、どのへんが?」」
「ヤシロ! ハム摩呂にまで悪影響が及んでいるのは明確に君のせいだからね! 懺悔したまえ! ご馳走の前にね!」
俺の背中によじ登るハム摩呂ではなく俺にばかりに非難を向けるこの街の領主は差別主義者だと思います。
いつの日か、糾弾される日が来るであろう。きっと、そう遠くないうちに。うん。
「悪は滅びると言うしな」
「諸悪の根源が一向に滅ぶ気配すらないから、その言葉も眉唾物だよね」
エステラの猫パンチを肩にもらい、俺たちは大通りを抜けて、陽だまり亭へと向かった。
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