「おい、オオバヤシロ。発行会に動きが……って、貴様どうしたのだ、その傷は!?」
リカルドを交えた話し合いをしていると、呼んでもいないゲラーシーがイネスを従えて陽だまり亭へとやって来た。
「まさか、あの後また一悶着あったのか!? なぜ私を呼ばぬ!? イネス、報復の準備をせよ! もはや、事は四十二区内で留まることではない!」
「まずは落ち着きましょう、ゲラーシー様」
「あぁ、なんと痛ましい……気をしっかり持つのだ、オオバヤシロ! 今度の敵は厄介ではあるが、私はそなたの味方でいてやるからな!」
などと、ゲラーシーが暑苦しい台詞を吐きながら、俺が座る席の隣まで来て、おもむろに俺の頭を抱きしめやがった。
「ちかーん!」
「うわぁ……野郎同士の抱擁ってのは、見苦しいもんだな」
「君も同類なんだよ、リカルド。ミスター・エーリンとは気が合うと思うから仲良くするといいよ。出来れば四十二区を飛ばして」
金の話が終わった途端、リカルドに対する態度が通常営業に戻ったエステラ。
お前、キャバ嬢だと二流だな。
その気にさせ過ぎた客に刺されないように気を付けろよ。
「ゲラーシー様。昨日、ナタリアさんより話を聞いていたはずです。コメツキ様のあの傷跡はフェイク。偽物です」
「これが偽物だと!?」
言いながら、俺の左腕を乱暴に持ち上げるゲラーシー。
イテテ!?
痛ぇっつの!
フェイクの下に本物の傷があるんだっつの! ジネットたちが心配するから言わないけど!
「まるで本物だな……」
傷口を指で押し広げて「うわあ……」と顔をしかめるゲラーシー。
こいつは本当に、四歳児みたいな思考回路だな。
気になる物があると、気が済むまで弄り倒しやがる。
「イネス。あと十年くらいすると、お前の下着をこっそり盗むようになるかもしれないから気を付けろよ」
「誰がするか、そのような破廉恥なマネ!?」
「気を付けます」
「そなたも真に受けるな、イネス!」
いやいや。
ちょっとアレなヤツは、女兄弟の下着にまで興味が向いてしまう時があるのだ。
中学の時のクラスメイトにもいたよ。姉貴のパンツを盗んで、バレて、両親と姉貴からぼっこぼこにされてたヤツが。ちょうど十四歳の頃だったなぁ。
「ゲラーシーの精神は、あと十年で思春期のピークを迎えるだろう」
「とうに経験済みだ、思春期など!」
「えっ!? まさか姉貴のパンツを!?」
「誰が盗むか、あんなオバハンのパンツなんぞ!」
「あらあら、ゲラーシー。大きな声だこと」
突然、マーゥルの声が聞こえて、ゲラーシーの顔が黒く染まる。
いやもう、青なんて生ぬるい色じゃない。土気色? いやいや、腐葉土も真っ青などす黒さだ。
「身内にも、敬意は払うものよ。失言をした自覚があるのなら、指摘される前に謝罪をして訂正なさい」
マーゥルがゲラーシーに微笑みかける。
あ。あの笑顔、直視すると魂抜かれるヤツだ。
マーゥル、日本の企業にいたらすっげぇパワハラ上司って言われてたんだろうなぁ。……よかった、アレの部下じゃなくて。
「た、確かに、失言がありました。深くお詫びいたします、姉上」
「そう。過ちを認めるのはいいことだわ。では、訂正なさい」
「はい。姉上のパンツにも興味を持ち、機会があれば拝借いたしたいと思いま――」
「それじゃないわ、訂正する箇所は。それから、あなたには、当面私の屋敷への接近を禁じます」
『オバハン』を訂正するんだよ、バカゲラーシー……
で、なんでマーゥルは俺を困ったような顔で見てるんだ?
俺のせいじゃねぇからな? ゲラーシーに素養があっただけだろう。
……開花させたのは、俺、か? いやまさか。そんなまさか、そんな、ははっ。
「まぁ、これが特殊メイクなのね? 痛そうだわぁ」
と言いながら、『傷口』の下にある本物の傷口をぐりっと押してくるマーゥル。
受けた辱めの咎を俺に押しつけやがった。
俺、関係ないのに!
ヤなオバハンだこと!
「イネスも見たかしら?」
「はい。拝見しました。昨日、ゲラーシー様が『偽の傷を作るというのはこんな感じに違いない』と、インクで頬に傷を描いておられたのですが、見当違いも甚だしくて鼻で笑いたい気分を今精一杯我慢しております」
「そんなことを考えていたのか、イネス!?」
「笑っていいわよ、イネス」
「では、失礼しまして。……ふっ、全然違うじゃん……しょっぼ」
「貴様、イネス!? 主に向かってその口の利き方はなんだ!?」
「マーゥル様の許可を得ましたもので」
「くぅ……オオバヤシロ! 貴様と会ってからイネスがおかしくなったのだ、責任を取れ!」
「自分で再教育しろよ……」
というか、どう見てもナタリアに悪影響を受けてんだろ、こいつは。
主を小馬鹿にする時の表情がそっくりだ。
「それで、ヤシぴっぴ。今度は何をするのかしら?」
興味深そうに、しれ~っと俺の前の席に陣取ったマーゥルが笑顔を向けてくる。
ざっくり説明はしたろう?
情報紙を廃刊に追い込むんだよ。
「そうそう。情報紙発行会に動きがあったわよ。どうやら、三十区や二十二区に本部を移転する計画は頓挫したみたいね。予想通りなのだけれど、土着の貴族の反発が大きかったようよ」
隣の区のことだ。喜々として情報収集をしていたのだろう。
「姉上!? それは私がオオバヤシロに伝えようと持ってきた情報ですよ!?」
「あら、ゲラーシー。情報というものは鮮度と速度が重要なのよ? 出すタイミングを逃しているようでは話にならないわ」
「ぐぬぬ……っ」
何をやってもマーゥルには勝てないゲラーシー。
お前はもっと基礎からやり直せ、いろいろと。
「シーゲンターラー卿とトルベック工務店の棟梁さんがいるということは、素敵やんアベニュー関連のお話ね?」
面子を見て当ててくるマーゥル。
これくらいはお手の物か。
「素敵やんアベニュー、まだ未完成だったけれど、面白くなりそうね。少し遠いのが玉に瑕だけれど」
「見に行ったのか?」
「えぇ。見違えるほど華やかになっていて驚いたわ」
情報が早いと言うより、フットワークが軽いな、このオバハン。
え、なに? その年齢でも「綺麗になりたい」とか、まだ思ってんの?
「シンディが通いたいって、うるさいのよ」
「焼け石に水って言葉を教えておいてやってくれ」
いや、マーゥルのとこのオバチャン給仕長シンディなら、仕事の合間に四十一区まで通っちまうかもしれないな……アグレッシブな主従だこと。
「発行会が動いたとこいうことは、間もなくこちらに接触してきそうですね。ナタリア、準備をしておいて」
「もうすでに」
エステラとナタリアが瞳を輝かせる。
発行会を四十二区へ誘致する。避難させてやると言うべきか、罠にはめてやると言うべきか。
エステラの瞳の輝きは、憎い相手を罠にかけられることへの喜びか、莫大な家賃収入に対する期待か――家賃収入だな。あいつはどこまでも貧乏性だからなぁ。
「ついでに、カワヤ工務店の人員もこっちに回すように通達しておいてくれ。ニュータウンにいろいろ作らせる」
「港はどうするんだい?」
「そっちはオマールとウーマロに任せて、それぞれの二番手をこっちにもらおう。ヤンボルドと組むことになるカワヤ工務店のナンバー2には申し訳ないが……」
「アイツ、見ず知らずの他人相手でも自重しないッスからねぇ……」
まぁ、不安は残るが、仕事はきちんとするだろう。大工としてのプライドは高めだし。
「あ、そうだ、ウーマロ。ルシアさんがね『発行会が使用したマンションに泊まるのは御免だから、大至急新たなマンションを建設するように』って。『出来れば四階建てで』だそうだよ」
「『月の揺り籠』級のものを大至急は無理ッスよ、さすがに!?」
この街一番の高級(笑)宿クラスのマンションを大至急か。
「ウーマロの知り合いって、無茶ぶりするヤツしかいないのか?」
「きっと、みんなヤシロさん基準で物事考える癖がついたんッスよ……」
こんなところでも俺が責められる。
俺、何もしてないのに。
ヤ~な感じぃ~。
「じゃ、ウーマロ。素敵やんアベニューの体験教室用の支部を三日でよろしく」
「それッスよ! 方々に悪影響与えてるのは!?」
「マグダ――」
「……ウーマロ、がんばっ」
「やるッス!」
「……君の態度も問題なんだと思うな、ボクは」
という感じで、むさい男たちの密度が上がりつつある陽だまり亭で、情報紙廃刊へ向けた作戦が動き始めた。
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