「お疲れ様でした」
陽だまり亭の前で、ジネットが俺たちを出迎えてくれた。
「あ、レジーナさん。よかった。サイズピッタリですね」
「いや、とある部分がぶかぶかやけど?」
そこは仕方ないだろう。
なにせ、ジネット級の山脈はジネットしか持ち合わせていないのだから。
デリアやノーマでも持て余すさ。
「風呂、使えるか?」
「はい。エステラさんたちもお使いになるかな~と思いまして」
「ありがとう、ジネットちゃん。体の芯から冷えて、寒くて泣きそうになってたとこ」
「だから、そのように胸が縮こまって……」
「縮こまってないよ、うるさいな!?」
「……ナタリア。エステラのこれはもともとこう」
「それはそれでうるさいよ、マグダ!?」
などと戯れながらも身を寄せ合う三人。
寒いらしい。
大衆浴場の方が近かったのだが、万が一にも泥が残っていた場合、不特定多数に被害を拡散させる危険があるため陽だまり亭の風呂を使うことにした。
ここなら、最悪の場合でもここの従業員までで感染は収まる。
その人数なら、レジーナ一人でなんとかしてくれるはずだ。
ま、丹念に泥を洗い落としてきたからこそ、こいつらはこんだけ震えてんだけどな。
「あたしも入っていいですか? 出来れば妹たちも」
風呂上がりの妹を両脇に抱え、ロレッタもぷるぷると震えている。
デカいたらいで洗濯をして、こいつも随分濡れちまったからな。
なんにせよ、四十二区は日が落ちると肌寒いのだ。
「では、みなさん早く浴場へ」
「はぁはぁ、店長はんの私服、はぁはぁ!」
「その欲情じゃねぇよ。黙ってろ、変質者」
思いついたことは全部口にしないと死んじゃう病患者か、お前は。
「レジーナさんは、あとで懺悔です」
「はぅっ!? なんかウチ、ここでの扱いが自分と同レベルになってきた気がするわ」
「なんで『俺と同レベルに落ちた』みたいな言い方なんだ?」
俺の方がお前より格上だっつーの。
「それじゃ、本当に限界だからお邪魔するね」
「では、レディーファーストで私から」
「全員レディーだよ、ナタリア! ……くっ、速い」
「……お先」
「あたしも限界です」
「あ、待ってってばぁ!」
置き去りにされる領主。貴族。この区で一番偉いヤツ。
あいつ、自分の扱いに関して、一回怒った方がいいんじゃないかな?
本人がそのポジションを気に入ってるんだから、効果はないとは思うけど。
「レジーナさんも入っていかれますか? 外ではゆっくり温まることも出来ませんでしたよね?」
「あぁ~、ウチはかまへんわ。もう、誰かに見られながらお風呂入るんはこりごりや」
ロレッタや妹、エステラたちに見られたもんな。
今後は分からんが、今日のところはもう勘弁してほしいのだろう。
――と、そんなことを思っていると、ジネットと、客席にいた常連どもが全員俺を凝視していた。
「……ヤシロ、お前、まさか……」
「見られながらって……」
「一緒に? ……それともこっそり?」
「どっちにしても羨ま……許せねぇ」
ん?
……はっ!?
「違うぞ! こいつが見られたのは――」
「ヤシロさん」
ジネットが、ぐっと手を握り、「ここは心を鬼にして」みたいな表情で俺を見上げる。
「懺悔、してください」
「言い方が重いなぁ!? ここイチで重いな!? 違うっつーの」
事情を説明し、その時の状況を語って聞かせる。
ロレッタに覗かれたことや、妹と一緒に風呂に浸かったことをバラされてレジーナは顔を赤く染めて悶絶していたが、俺の身の潔白を証明することが最優先だ。レジーナには犠牲になってもらうほかはなかった。
「けど、カーテン越しにレジーナと……」
「ヤシロ、羨まっ!」
「カーテンの向こうにはナタリアがナイフを構えて待ち受けていたわけだが……越えてみるか、死のカーテン?」
「「「いや、無理」」」
だろ?
俺は、それを知らされずに試されていたんだぞ?
お前らみたいな脆い自制心しか持ち合わせていなければ、今頃俺はここにはいなかっただろう。
湿地帯に埋められていたか――教会の懺悔室に四泊させられていたか。
「ほな、ウチ帰るな。服、洗ぅて返す――んは、無理やさかい、洗濯屋はんに出しとくな」
「構いませんよ、気を遣っていただかなくて。そのままでいいですから」
「せやけど――」
ちらりと、レジーナが俺を見る。
「嗅ぐやん?」
「どっから湧いてくるんだ、その絶対的な自信?」
「こちらで即座にお洗濯しますので」
「わぁ、ジネットもその可能性を否定してくれない」
本気で嗅ぎっ子になってやろうか? えぇ、こら。
「ウチも洗濯くらい出来たらえぇんやけどなぁ」
「お教えしましょうか?」
「ほならまず、やる気の出し方教えてんか?」
「それは自分でなんとかしろ、このずぼら薬剤師」
やる気の有無は本人次第だっつーの。
「あの、レジーナさん」
くだらない冗談を言いながらも体が出口に向いていたレジーナを、ジネットが呼び止める。
「もう少しだけここで休んでいかれませんか? 迷惑でなければ、夕飯をご用意しますから」
「いや、でも……」
「ヤシロさんを助けるために、湿地帯の沼に飛び込んでくださったと聞いています」
そんなことまで伝わってんのか。
……ん? じゃあ俺が沼に嵌った理由も?
うっわ、恥っず!
「何か温かいものをお持ちしますので、せめて髪の毛が乾くまでは。……ね?」
「ん~……」
困り顔で両手を微妙な位置に上げ下げしていたレジーナが、恨みがましそうな顔を俺に向ける。
「こんなん、ズルない?」
「だろ?」
断れない空気になるんだよなぁ、ジネットが強引な行動に出ると。
普段は控えめだからこそ、なおさらな。
「……ほ、ほな。呼ばれよ……かな」
「はい。では、すぐに準備しますね。ヤシロさんも、座って待っていてください」
嬉しそうに言って、ぱたぱたと厨房へ駆けていくジネット。
「……遅っそ!?」
うん。
慣れてないと驚くよな。
今日のは、アレでもスピード出てる方だから。
「カンパニュラ」
「はい。お勤めご苦労様でした、ヤーくん、レジーナ先生」
「おちゅとめ、ごくりょーしゃー!」
「……なんやろ。ウチら今日出所したんかいな?」
「身に覚えがあり過ぎるから『お勤め』がそーゆー意味に聞こえるんだよ、お前は」
「いやいや、自分こそ」
俺を仲間に引きずり込むな。
完全に別カテゴリーだから、俺とお前は。
「留守をありがとな。マグダもロレッタも抜けて、大変だったろ?」
「いいえ。テレサさんもいましたし、ジネット姉様もフロアにたくさん出てくださいました。それに、みなさんがとても温かく見守ってくださったので大変なことはありませんでしたよ。ありがとうございます、みなさん」
「「「いやいや、カンパニュラちゃんを見守るのは当然だから、えへへ~」」」
「奇怪なお客はんが増えたもんやなぁ、陽だまり亭は」
ホント。一回イメルダのデビルアックスを喰らえばいいと思うぞ、お前ら。
「イメルダ姉様はご一緒ではなかったのですか?」
「あいつは自分の家に帰ったよ。給仕が心配してうるさいからって」
イメルダが湿地帯に行くということで、給仕たちが物凄く心配していたようだ。
早く帰って無事な顔を見せなければあとがうるさいとかなんとか言って、そそくさと帰っていった。
イメルダは愛されているからなぁ。イメルダ自身も、給仕たちを大切にしてるし。今頃、向こうは向こうで風呂にでも入っているのだろう。
「それはそうと、お前たち飯は食ったか?」
「いいえ、まだです。せめて、みなさんが帰ってくるまでは業務を優先しようと思いまして」
なにこの責任感!?
九歳なんだよ、この娘!?
「んじゃあ、この人見知りのお姉さんと一緒に飯を食ってやってくれ。接客は俺がやるから」
「え、でも、ヤーくんもお疲れではないですか? それに、レジーナ先生はヤーくんと一緒の方が嬉しいのではないかと……」
「そんなことあらへんで。可愛い娘と一緒の方が食欲とかアレ欲とかいろいろそそられるさかいに」
「お前は大人しい服を着てても大人しくならないな」
「大人っぽいエロスも子供っぽいエロスも取り揃えとるさかいな」
子供っぽさの中にエロスは含まれねぇよ。
レジーナは今日、人前で入浴するという慣れないことをした。
まぁ、人に見られる入浴に慣れてるヤツなんかいないだろうけども。
その上で、人に見られながら飯を食うなんて慣れないことをさせるとストレスが溜まるんじゃないかと思ったのだ。
ほら、こいつ。大食い大会の選考会に参加した時、観衆の視線にさらされて一口も食えなくなってたし。
カンパニュラとテレサならノーカンかなって思ってな。
なんて思ってると、ジネットが大きなトレーを持って戻ってきた。
「今日は、折角レジーナさんもいらっしゃるので、みんなで一緒にお食事しましょう」
ジネットの予想では、この後しばらく客は来ないらしい。
夕方の時間なのだが、こいつの予想は当たるからな。きっと客は来ないのだろう。
何より、ジネットがレジーナと一緒に飯を食えることを喜んでいるように見える。
レジーナも、そんなジネットの顔を見ては断れまい。
じゃあ、一緒に食うか。
もし客が来たら……ま、どーせ大工だし待たせればいいか。
「今日の賄いはカレーです」
そう言って、レジーナの前に揚げナスの乗ったカレーが置かれる。
「レジーナさん、ナスもお好きですよね」
へぇ、知らなかった。
レジーナ、いつジネットの前でナスなんか食ってたっけ?
ほんのわずかなチャンスでしっかりと箸の進み具合なんかを見ていたのか、こいつは。
「店長はん、他人の心読む能力でも持ってはるんか?」
「それはない。もしジネットが他人の心を読めるなら、俺は今の三倍くらい懺悔室に入れられているはずだ」
「そんな常に桃色なんかいな、自分の頭ん中」
えぇ、桃色ですが何か?
「……なんやろ」
目の前に置かれた揚げナスカレーを見下ろして、レジーナがもぞっと体をよじる。
「自分の好物知ってもろてんのって、……こそばゆいな」
嬉しいよな。
誰かが自分のことをよく知ってくれているってのは。
「お口に合うといいんですけれど」
「え、お乳に?」
「食べ終わったら、懺悔してくださいね」
そして、そんな軽口を叩いてくれるのもな。
……不貞腐れてんじゃねぇよ。
お前はもっと懺悔しろ。俺のように。
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