ルピナスとタイタが四十二区へ引っ越してくると聞き、カンパニュラがそわそわし始めた。
嬉しさが滲み出しているのだが、どこか遠慮しているようにも見える。
「あの、父様、母様。……ご無理は、されていませんか? 他区への引っ越しというのは、とても重大ごとですし、父様は生まれた時からずっと三十五区で……」
「カンパニュラ」
泣き顔になりかけたカンパニュラの言葉を、ルピナスが遮る。
「母さんも父さんも、あなたのそばにいられるのが一番の幸せなのよ」
「そうだぞ、カンパニュラ。三十五区へはいつだって遊びに行ける。川漁ギルドの連中が腑抜けてないか、抜き打ち監査をしてやろうと思ってるくらいだ。それにな――」
タイタのデカい手が、カンパニュラの小さい頭をがっしりと力強く包み込む。
「この年齢になって新しいことが始められるって、トーチャンはわくわくしてんだぞ。みんな、カンパニュラのおかげだ。ありがとうな」
「……父様」
両親がしゃがんで、カンパニュラに視線を合わせる。
すると、カンパニュラは照れくさそうにはにかみ、幸せそうに笑った。
「では、父様と母様の優しさに、存分に甘えさせていただきます」
「ウチの娘、可愛いっ!?」
「よし、もう今日からここに住む! 今から荷物取りに行ってくる!」
「落ち着きな、あんた!」
「でもカーチャン! オレはもう一日たりともカンパニュラと離れたくねぇよ!」
「だからこそだよ。よく考えな……ウチにある家具、そんなに大切かい? 買い替えりゃいいじゃないか。三十五区に戻る時間すら惜しい! あんたはそうじゃないのかい!?」
「カーチャン、かっけぇ!」
「そろそろ落ち着け、親バカ夫婦」
感情が昂るままに重大な決定を下そうとしていたバカ親二人を黙らせる。
「いきなり来られても、住ませる家がねぇよ」
ルピナスは元貴族だし、タイタにしたってギルド長だ。
そこらのボロ屋に住み着かせるわけにはいかない。
「あら、大丈夫よ。トルベック君がいるじゃない。あなた、すごいんですって? 私たちの家くらい、一日でぱぱ~っと出来ちゃうわよね?」
「い、いいい、いや、あの、あのあのあのっ」
「なんだ、この大工? カーチャンを見てあわあわ言い出して」
「あぁ、気にするな。ウーマロは美人を見ると緊張でこうなる病なんだ」
「おっ! そうか、お前、カーチャンの美しさが分かるか! いい目をしてんな! この大工ならいい仕事をしてくれるに違いない! オレも信用するぜ! 家、よろしくな!」
「いや、無理ッスよ!? 特に今は絶対無理ッス!」
嫁を褒めれば仕事をくれる。
なんてチョロイ顧客だ。
だが、今ウーマロを貸し出すことは出来ない。
「ウーマロは貸さん。これはこれから俺が使うんだ」
「あの、ヤシロさん……『これ』って……いや、いいんッスけどね」
ウーマロを背に庇いタイタを睨みつけると、タイタは視線をふいっと横へ向けて表情を輝かせた。
「おぉー! カワヤがいるじゃねぇか!」
「あら、ホント。御無沙汰ねぇ」
「やぁ、これはこれは。オルソーさん。まさか四十二区でお会いするとは」
カワヤ工務店の棟梁、オマールを見つけてタイタとルピナスが声をかける。
知り合いのようだ。
そういえば、オマールはルシアが推薦した三十五区の大工だったっけな。
三十五区の領民同士なら、顔を知っていてもおかしくはないか。
「カワヤ工務店の腕は確かだからな。よし、カワヤに頼もう!」
「そいつも使うんだよ」
ここにいる大工は、みんな使うの!
使うから呼んだの!
「そもそも、どこに引っ越すかも決まってないッスよね?」
「それなら決めてあるわ。このお店の前に空き地があるでしょう? あそこを買い取って家を建てたいの。いいかしら、エステラさん?」
「へ!?」
急に話を振られて、エステラが目をぱちくりさせる。
確かに、陽だまり亭の前には結構な広さの土地がある。
陽だまり亭の庭は、二号店七号店を停めた上で、ベビーカステラ等の試作を行うのに十分なほど、結構な広さがある。
そしてその『陽だまり亭の庭』と認識している部分のさらにその向こうには、街道沿いであり森に侵食されていない、何も建っていない真っ平な土地が広がっている。
草が生え、砂利だらけではあるが。
豪雪期に『かまくら~ざ』やミニ雪まつりををやる時には大いに活用させてもらっている。
そこの土地を買って一軒家を建てろって……こいつら、何気に金持ってんだな。即決できるもんじゃないだろう、それ。
「あ~……残念ながらルピナスさん、陽だまり亭の前の土地は空き地じゃないんですよ」
「あら、そうなの?」
そうらしい。初耳だ。
俺もてっきり空き地だと思っていた。
だって、草が生え放題だし、整地もされていないし。
ジネットがたまにずーっと向こうの方まで草刈りをしているのだが、あれは公道を掃除するボランティアのようなものだと思っていた。
他人の土地なのかよ。
管理しろよな、ったく。
「あそこは、陽だまり亭の土地だよ。ね、ジネットちゃん」
「えっ、そうなんですか!?」
ジネットが驚いている。
知らなかったらしい。
「ジネットちゃんのお祖父さんが購入した土地なんだけど、何も聞いてない?」
「はい。わたし、てっきり空き地だと思っていました。ですから、お掃除も出しゃばり過ぎにならない範囲でと思っていました」
それは、『湿地帯の大病』が起こるよりもずっと前。
ジネットが陽だまり亭に来て一年が経ったころ。
祖父さんが店の前の空き地を購入したのだそうだ。
「いつか、ジネットちゃんが大人になって結婚をする時、その土地に大きな一軒家を建ててプレゼントするつもりだったそうだよ。実はボクも、西側の再開発に向けて資料を読み返していて、つい最近知ったことなんだけどね」
ジネットがいつか結婚し、それでも陽だまり亭で働きたいというのなら、その土地に新婚夫婦のための家を建ててやろうとしていたらしい。
結婚を機に陽だまり亭を出るつもりなら、その土地を売って結婚資金としてジネットに持たせるつもりだったという。
領主に宛てた手紙が権利書と共に保管されていたそうだ。
今度持ってくるよと、エステラがジネットに約束する。
「お祖父さんが、そんなことを……? 初めて知りました」
祖父さんは、それを伝える前に逝ってしまったらしい。
もっと早く知っていれば、陽だまり亭が困窮していた時、金に換えることも出来ただろうに。
……いや、ジネットなら金には換えなかっただろうな。
祖父さんの思いが詰まった土地を、こいつが手放すわけがない。
「祖父さんが保管していた権利書とかはないのかよ?」
「お祖父さんの部屋に……もしかしたら……」
「あの部屋、これまで結構あさってきたけど、そんなもんはなかったぞ」
「お祖父さん、隠し書棚とかが好きで、あっちこっちに仕掛けてあるんです。もしかしたら、まだ知らない場所があるのかもしれませんね」
そういえば、厨房に隠し金庫のような、壁に埋め込まれた戸棚があったっけな。
布袋に入った金が隠してあったのを見つけたので、そっとしまっておいた。へそくりかもしれないし、祖父さんからもらったものかもしれない。
俺が手をつけていいものではないし、俺が知っていていいものでもない。
なので、隠し戸棚を見つけたことは、ジネットにも言っていない。
「今度、探してみますね」
嬉しそうに笑って、ジネットがこちらを向く。
「お手すきの時で構いませんので、手伝ってくださいますか?」
「おぅ。宝探しは得意だ」
「うふふ。財宝は見つからないかもしれませんけれど」
「分からんぞ。いつかジネットが大人になった時のためにって――とってもセクシーなランジェリーを用意してるかもしれん!」
「ないです!」
言い切ったなぁ。
祖父さんがやったことなら、知りようもないだろうに。
あるかもしれないぞ?
夫婦初めての夜は是非これで――って。
……はは、ねぇーわな。
「というわけで、陽だまり亭の前に家を建てるのは諦めてくださいね、ルピナスさん」
「そうなの。……まぁ、そういう素敵な理由なら、仕方ないわね」
ルピナスがにっこりと笑って、ジネットへ視線を向ける。
「いつか結婚したら~」なんて話の後で見つめられたせいか、ジネットが少し照れた様子でルピナスから視線を逸らした。
あらまぁ、初々しい。
「じゃあ、『民宿・陽だまり亭』も、建設は無理ですね」
ロレッタががくりと肩を落とす。
そういや、そんな話をしてたな、豪雪期の時に。諦めてなかったのか。
「いや、相続されて、今はジネットちゃんの土地だから、ジネットちゃんが許可すれば問題ないよ」
「なるほど! では店長さん!」
期待のこもった瞳でロレッタがジネットを見る。
「民宿も楽しそうですけれど、もし、マグダさんやロレッタさんがご結婚されて、それでもまだ陽だまり亭で働いてくださるというのなら、そこにお家を建てるのも素敵ですよね」
「あたしやマグダっちょのお家が建つですか!? そ、それは……すっごい魅力的です!」
「……店長はマグダの育ての親も同然。同じ家に住むのもまた当然。二世帯住宅を希望する」
「じゃあ、マグダはずっと陽だまり亭に住んでろ」
「……ふむ。それもまた、よき」
結局、他人には渡さずに、身内のために使う土地となりそうだ。
使用用途まで引き継ぐんだな、お前は。
祖父さん、喜べ。
あんたの意思は、しっかりと娘に伝わったようだぞ。
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