目隠しの塀を越えると、そこにミリィがいた。
「ミリィ」
「ぁ、てんとうむしさん」
「あぁ、ミリィ。悪い」
「ぇ? なにが?」
「ここからは覗けないんだ」
「覗かなぃょ!?」
こんな何もない裏庭にミリィがいる理由が他に思い当たらない。
まぁ、隠したいよな、年頃だもんな。
「今度ウーマロに言っといてやるからな。『ちゃんと覗ける余地を残しとけ』って」
「ダメだょ!? 余地があっちゃ、みんなこまるから、ね?」
ウーマロのヤツ、こーゆーところではホンット融通利かないからなぁ。
「で、何してるんだ?」
「ぅん。ぁのね、森の野草が生えてきちゃったって、じねっとさんに聞いてね」
「森の野草?」
「ぅん。繁殖力が強くて、ちゃんと除草しないと建物を飲み込んじゃうくらいびっしり生えちゃう怖い野草なの」
あぁ、そういう植物あるよなぁ。
知識のないヤツが観賞用に植えちまって取り返しがつかなくなったことが、どっかの国であったはずだ。
「そんな野草がなんで?」
「水道を作る時、誰かの服に付いてきちゃったんじゃないかな?」
「大工どもめ! 工費を値切ってやる! 無料だったけど!」
「じゃあ、もう値切れないね」
冗談だと受け取ったようで、ミリィがくすくすと笑う。
「それで、ミリィが除草してくれるのか?」
「ぅん。繁殖力を抑えるお薬があるの。人体には無害だから、安心して、ね?」
「ちなみにそれ、『はぁぁあん蝕力』は抑制できないのか?」
俺の知り合いに一人、『はぁぁああん!』に蝕まれている残念な大工がいるんだが?
「ぅん、ごめんね、うーまろさんには、たぶん効かない」
誰の話かが正確に伝わったようで何よりだ。
「てんとうむしさんは、どうしてお風呂から?」
「あぁ、さっきルシアと中にいたんだけどな――」
「一緒にお風呂!?」
「違う違う!」
「そういえば、さっき悲鳴聞こえた、かも!?」
「それの原因、俺じゃないから!」
ミリィにあらぬ誤解をされては堪らない。
ルシアがどんな陰口を叩かれても知ったこっちゃないが、俺が穢れた大人だと思われるのはイヤだ。特に、ミリィには。
「虫が出てな」
「むしさん?」
「ミリィは平気か?」
「ぅん。プロ、だから」
生花ギルドともなれば、虫との付き合いは切っても切れないものだろう。
じゃあ、ムカデ・レベルMAXを見ても平気かもしれないな。
「こいつだよ」
ムカデ・レベルMAXを包んでいた雑巾を開く。
すると、ミリィはぱぁっと顔を輝かせて、ムカデ・レベルMAXを覗き込んだ。
「ぬめり虫だぁ! すごい、こんなに大きいの、初めて見た、かも」
すごい食いついた!?
やっぱ四十二区の女子は虫に強いんだな。
パウラは虫騒動の時に虫が苦手っぽい感じだったけど。
「てんとうむしさん、この子、名前はなんてぃうの?」
「飼ってないからな!?」
名前とか付けてないし、今後も付けないし!
「えっと、もし欲しいなら、あげようか?」
「ホントに? いいの? わぁ、ありがとう!」
えぇ~……
怖くないどころか、大好きな感じ?
「飼う、のか?」
「ぇ? ぅうん。森に持っていくの」
なんでもムカデ・レベルMAXは、生花ギルドではぬめり虫と呼ばれており、益虫としてありがたがられているようだ。
なんでも、植物に寄生するカビを食べてくれたりするそうで、菌に弱い作物の畑に放っておくと育ちが良くなるのだとか。
白絹病とか、植物の天敵とも呼べる厄介な病気も防いでくれるのだそうで、生花ギルドでは人気の虫らしい。
……場所によって、受ける印象って違うんだなぁ。
「ぅふふ。てんとうむしさん、やさしい」
「いや、虫くらいいくらでもやるよ。捨てに行くところだったんだし」
「ぅうん。そうじゃなくて、ね」
いつものポシェットから取り出した口広の瓶にムカデ・レベルMAXを入れ、蓋をしっかり閉じてミリィが俺を見上げてくる。
「こういう虫さんって、見かけたら駆除しちゃう人がほとんどなのに、てんとうむしさんは逃がしてあげるんだなぁ~って」
いや、だからそれは家主の意向というか……
「ジネットのせいだと思う」
「くすくす」
責任転嫁をしたら笑われた。
く……これがベッコだったら握りッペの一つでもお見舞いしてやるのに、ミリィには手荒な真似が出来ない……
おのれ、ベッコめ!
「今度、ぬめり虫のお礼、するね?」
「じゃあ、ミントの飴を頼む。あれ、眠気覚ましによさそうだから」
「ゎあ! ぅん、そうだね。そんな使い方も出来そうだね」
新発見を喜ぶミリィ。
全人類がミリィだったら、きっと世界から不幸なんてものはなくなっていたに違いない。
「じゃあ、いっぱい持ってくるね」
「いっぱいくれるなら、もうちょっと手伝いをしないとな。除草のやり方、教えてくれるか?」
「ぅん! 一緒にやろう」
えへへ~っと、嬉しそうに笑うミリィ。
なにこの可愛い生き物。カバンの中にえっぐい見た目の蠢く虫をしまい込んでるなんて信じられない。
「じゃあ、まずはこのお薬を散布して、あとはこの熊手でね……」
ミリィに教えてもらいながら、俺は三十分ほど裏庭の除草作業を手伝った。
気が付けば、空はすっかり暗くなっていた。
「はぃ、おしまぃ。ぉ疲れ様、てんとうむしさん」
「あぁ、お疲れ。風呂に入っていくか、ミリィ?」
「ぅうん。今日はもう帰る。ぬめり虫にご飯あげたいし」
あんなもんのために風呂を諦めるなんて……
「じゃあ、今度来た時はサービスして背中を流してあげるからな」
「へぅっ!? ぃ、ぃらなぃ、ょ?」
なんて謙虚!
遠慮なんかしなくてもいいのに。
「それじゃ、もぅ帰る、ね」
「家まで送るよ。せめてそれくらいはさせてくれ」
「ぅん、ぁりがと、ね。てんとうむしさん」
表へ回り、ジネットに一言断ってから向かおうと思ったのだが、どうやらジネットはルシアの対応に行っているらしい。
エステラ共々姿が見えなかった。
「マグダ。ちょっとミリィを送ってくる」
「……了解。片付けは任せておいて」
「じゃ、頼むな」
マグダに伝言を託し、俺はミリィの家へ向かう。
光るレンガのおかげで夜道は明るくなった。
とはいえ、夜の一人歩きは危険だ。特に、ミリィのような可愛い女の子の場合は。
「この辺は物騒だからな」
「そぅ、かな?」
「物騒だぞ。ハビエルとかルシアって凶暴な生き物が出没するからな。そして、妹やミリィみたいな可愛い子を狙うんだ」
「もぅ、てんとうむしさん。るしあさんに悪い、ょ?」
ハビエルは変質者扱いでも問題ない、と。
ミリィの認可が下りた。今後積極的に広めていこう。
「それに、みりぃ……そんな、可愛くなぃ、し」
「よせミリィ! カエルにされちまうぞ!?」
「そんなこと、なぃ……ょぅ」
なぜ自覚しないのか!?
こんなに可愛いのに!
客観ではなく主観で攻めてみるか。
「俺の目には、ミリィは可愛い女の子に見えてるけどな」
「はぅ…………ぁ、……ぁり、がと……ぅ…………うきゅっ」
両手で顔を覆い隠すミリィ。
と、不意に「あっ」っと声を漏らし、てってってーっと街道脇の雑草へ踏み入っていく。
「もう一匹みつけた」
ミリィの手に、でろ~んとムカデ・レベルMAXが摘ままれている。
……そんな、可愛らしい笑顔で見せつけられても。
「でも、てんとうむしさんの方が、おっきぃね」
俺が捕まえたムカデ・レベルMAXが、な。
「一緒の瓶に入れたら、ケンカしちゃう、かな?」
「俺が捕まえた方はジェントルマンだと思うぞ、俺に似て」
「ぅふふ。じゃあ、みりぃが捕まえた方は、みりぃに似てる、の?」
「あぁ、だったら食べちゃうかもしれないなぁ」
「はぅっ!? ……ゃめて、ね?」
ほらほら、そんな可愛い顔をすると、食べちゃうぞ~。
「ぁ、仲良しさん」
同じ瓶に入れられた二匹のムカデ・レベルMAXは互いに頭をこすりつけ、身を寄せ合って、上になったり下になったりして仲良く瓶の中をぞるぞる歩き回っていた。
……うん、一切和まないな、この光景。
ネコやイヌなら和んだんだろうけどなぁ。
「送ってくれて、ぁりがとう、ね。てんとうむしさん」
ミリィと歩くとあっという間に感じる道程を歩ききり、ミリィの家へとたどり着く。
この後、もう少し仕事をしてから寝るそうで、であるならばさっさと退散するのがジェントルマンというものだろう。
さっさと仕事を終わらせてゆっくり休むといい。
短い挨拶を交わし、俺は陽だまり亭を目指して歩き出す。
自分の手を見てみれば、指先が土で真っ黒になっていた。
帰ったら風呂に入ろう。
ルシアももう帰ってるだろうし。
でも、結構遅くなったし、ジネットたちに先を譲ろう。
そんなことを考えている間に陽だまり亭へと帰ってくる。
店はもう終わっていて、ドアに『Close』の札が下がっていた。
店内に入ると、微かに餃子のにおいがした。
空間におい消しでも、レジーナと研究してみようかな。お部屋にシュッとする消臭。需要はあるだろう。
「ジネット~。マグダ~?」
呼びかけてみても返事はない。
寝たか? あ、風呂かも。
厨房を覗くと、片付けはすっかりと終わっていた。
どうやら、ミリィとの散歩が楽しくて、俺は結構時間を食っていたらしい。
風呂も入ってないし、手伝いもしてない。
こりゃ、明日は張り切って手伝わないとな。
「ジネット、中か?」
廊下に出て、浴室へ続くドアをノックする。
返事はない。
まぁ、脱衣所を挟んでいるので、廊下のドアをノックしても聞こえないんだろうけど。
軽くノブを回すと……ドアが開いた。
鍵がかかっていない。
……ってことは、入浴中ではない、ってことか。
そ~っとドアを開けて、耳を澄ませる。
……話し声も、水の音も聞こえない。
やっぱり風呂には入っていないようだ。
じゃあ、もう寝てるのか?
陽だまり亭の照明は、光のレンガを使っているため消灯する必要がない。
夜中トイレに来ることもあるので、明るいままにしてあるのだ。
なので、フロアが明るいからといって起きているとは限らない。
「あっ、いっけね」
ふと、裏庭へ続くドアが一つ開きっぱなしになっていることを思い出した。
ギルベルタに風呂場の鍵をかけるように言ってしまったから、その先の塀のドアの鍵が開いたままなのだ。
俺のミスだな。先に塀の施錠をしてもらうべきだった。
そこを突破されると、風呂を覗かれる恐れがある。
後回しにして忘れてしまわないよう、速やかに施錠へ向かう。
一応、脱衣所へ入る前に声をかけるが、やはり反応はない。
そ~っとドアを開けると、風呂場はやはり無人だった。
……ほっ。
なんか、無駄に緊張した。
人がいないことが分かったので、あとは気楽に行動する。
ドアを出て、塀のドアを施錠する。
これでよし。
今度ミリィに言って、風呂場に虫除けのポプリを作ってもらおう。
小窓があるから、虫が入ってくるのだ。
温かいし、水気もあるし、虫には快適空間なのだろう。
人間にとっても、快適空間だしな。
脱衣所へ戻り、そこのドアもしっかりと施錠する。
これでよし。
「さて……」
声をかけてから、一人用の風呂場を覗く。
誰もいない。
入って確認すると、薪はもう消されていた。
だが、お湯はまだ温かい。
うん、これなら十分浸かれる。
脱衣所へ戻り、手早く服を脱ぐ。
サクッと洗って、ゆったり浸かって、さっさと出よう。
明日も仕事だ。
というか、明日から大衆浴場の工事がスタートする。
早く休まないとな。
浴室に入り、体に湯をかける。
きっともうみんな寝ているだろうから、なるべく音を立てないように。
手についた泥を落とし、体の汗を流し、髪は……明日でもいいか。
ざっと汚れを落として湯船に浸かる。
少しぬるいがそれがかえって心地いい。
「あぁ……気持ちいい」
浴槽に背を預けて足を伸ばす。
肩まで湯に浸かれば、体の中から疲れが溶け出していくような気がする。
「これは、ヤバいな……」
湯に浸かると、一気に疲労を自覚した。
なんだかんだ、疲れていたようだ。
まぶたを閉じて息を吐けば、たまらなく満たされた気持ちになった。
あぁ、まどろむ……
抗うことが出来ず、俺は、ほんの少し意識を手放した……
――どれくらい時間が経っただろうか。
不意に、水の音がして、意識が現実へ引き戻された。
「いけねっ、寝てた」
慌てて体を起こすと、派手な水音が「ザバッ」と鳴る。
そして、それに反応するように――
「ふぇっ!?」
隣から、奇妙な声が聞こえてきた。
薄い壁を一枚隔てただけの、隣の浴室から……
「え、えっ……あの、……ヤシロさん、ですか?」
なんか、ジネットが隣で風呂に入ってるんですけど!?
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