港を離れ街門まで戻ってくると、そこでメドラとハビエルが待っていた。
「何かトラブルがあったようだね、ダーリン」
「詳しく聞きたいところだが、それは後日にするぜ」
大ギルドのギルド長は、今、まず何をすべきかをよく理解している。
「とりあえず、街門はしばらく封鎖するよ。内と外から、しっかりと門を見張らせる。もちろん朝も夜もなくね」
港の工事が中止になったので、街門を通る者はいなくなる。
だからといって警備を疎かにすると『通してはいけないモノ』の通過を許してしまいかねない。
たとえば、カエルの仕業だと決めつけたい腹黒領主の手先の工作員が港に行って悪さをしでかすかもしれない。
たとえば、洞窟内で目撃された『何か』が、マジで招かれざるモノで、そいつが外から街の中へと入り込んでくるかもしれない。
とにかく、当面は街門の通行を禁止した方がいいだろう。
通るのは、洞窟の調査に向かう者と、警備を担当する狩猟・木こり両ギルドの者たちだけでいい。
「状況は分からんが、今ここで騒ぐのは悪手だ。ソレこそが連中の狙いだってこともあり得るからな」
ハビエルが西側の崖の上を睨みながら言う。
『カエルが出たぞ』と騒ぎ立て、結束しかけた大工たちを攪乱させるのが目的かもしれない。
四十二区に集まりつつある者たちとエステラの間に溝を作るのが目的かもしれない。
……『呪いをもらうぞ』なんて、エステラが耳にすればどんな感情を抱くか、想像するまでもないからな。
もし、これらがすべてウィシャートの仕組んだことなのだとしたら、俺はヤツを見直すかもしれん。反吐が出そうだが、エステラの心を砕くにはこれ以上の作戦はないだろう。
そこをピンポイントで突いてきたのだとしたら、敵ながらうまいとしか言えない。……その分、もしそうだったら塵ひとつ残さずこの世界から抹消してやるがな。
だが、案外ウィシャートが絡んでいてくれた方が気分的に楽なのは事実だ。
これが、ウィシャートの攻撃でなかった場合、その原因は俺たちの認識外の、人智を超える力である可能性を否定できなくなる。
そう。
精霊神が絡んでいる可能性が、出てきちまうのだ。
「メドラ。一つ確認したいんだが――外の森では、どこまで『強制翻訳魔法』が効力を発揮している?」
「え? 『強制翻訳魔法』かい? ……そうだねぇ」
「う~ん……」
メドラの隣でハビエルも腕を組んで考え込む。
「森のすべてを調べたわけじゃないけれど、アタシたちが踏み込んだ範囲では言葉が通じなくなることはなかったねぇ」
「ワシらもだ。ほれ、以前ヤシロの悪巧みの一環で木こりたちと勝負をしたことがあったろ? 誰が一番いい木材を取ってこれるかってよ」
セロンとウェンディの結婚式の際、俺はハビエルを焚きつけて一勝負挑んだことがある。
誰が一番いい木材を用意できるかってな。
まぁ、結果は最初から俺が勝つように仕組んであったわけだけども。
「あの時はウチの木こりが結構奥まで行ったみたいだが、会話が出来なくなったって話は聞かなかったぜ」
あの時、ハビエルは孤軍奮闘で、なおかつ「絶対に勝つ」と意気込んでいたため誰とも会話をしていなかったようだ。
ハビエルは街門から2kmほど奥まで行ったそうだが、『強制翻訳魔法』の効果があったかどうかは分からないらしい。
だが、他の木こりたちはチームを組んでいた。
他の木こりたちはみんな会話が出来たらしい。
とはいえ、当時は鬱蒼と茂った深い森で、なおかつ恐ろしい魔獣が跋扈していた外の森だ。
行き来するだけでも相当に時間がかかったはずだ。
今みたいに200メートルの距離をすいすいと行き来は出来なかった。
他の木こりたちは200メートル程度しか進んでないかもしれない。
ちょうど、あの港の辺りまで……まぁ、これはあくまで予想でしかないけどな。
「それがどうかしたのかい、ダーリン?」
「俺がこの街に初めて来た時、三十区の街門に続く街道の途中から急に『強制翻訳魔法』の効果が現れたんだ」
あの時、馬車はすでに行列に並んでいた。
おそらく街門から1kmは離れていなかったと思う。
精々400~500メートル程度だろう。
その直前までは、俺を乗せてきてくれたノルベールの言葉が一切理解できなかった。
『強制翻訳魔法』の範囲外だったんだ。
「『強制翻訳魔法』の効果範囲は、場所にもよるが、オールブルームの外壁から500メートル程度だと言われてるな」
「三十五区の外は1kmほど会話できるんだよ~☆」
「四十一区の外は割と短くて、外壁から300メートルくらいだね。だから、アタシらは外壁に沿うように森を移動するのさ」
そういえば、マグダと一緒に四十一区の街門から森に出た時は、50メートルほど進んだ後外壁に沿って西へ移動したっけな。
三十五区の街門を出ると、なだらかな下り坂の先に砂浜があるとギルベルタが言っていた。
港は砂浜とは少しズレるが、その下り坂の向こうにあるのは同じだ。
おそらく、砂浜の時点で200~300メートルはあるのだろう。
そこからさらに海に出て、しばらくは『強制翻訳魔法』が効力を発揮しているらしい。
「四十区の街門の外はどうだ?」
「そうだなぁ……ワシらはあんまりしゃべらず、森の中ではブロックサインで意思の疎通を図ってるからなぁ」
外の森には魔獣がいる。
音を立てれば見つかって襲われかねない。
木こりは戦いがメインではないので、避けられる魔獣は徹底して避けまくるようだ。
「でも、そうだな。おそらく200メートルもないな。100~120メートルってところじゃねぇかな。俺らは街門を背にして奥まで進むことも多いからよ。基本的に『会話は出来ないもの』として考えてるぜ」
長い木こりギルドの慣習の中で、『外の森では会話は出来ない』という認識が出来上がっているのだとすれば、本当に『強制翻訳魔法』の範囲が狭いのかもしれない。
「街の中心を起点に直径何kmってわけじゃないんだな」
三十五区の外が広範囲に亘って『強制翻訳魔法』の効力が及ぶ範囲内ならば、魔法の起点が街の中心よりも三十五区側にズレている――という考え方も出来るが、四十二区より四十一区、四十区の外の範囲が狭いとなるとその推測は成り立たない。
どこを起点に効力を発しているのか、そもそも『強制翻訳魔法』の効果範囲は綺麗な円形なのか、それすら分からない。
何かの思惑のもと、効果範囲の広い場所と狭い場所が生まれているのか。それともまったくの偶然なのか。
はたまた、何か意味のある形になっているのか……
一個分かることがあるとすれば、『強制翻訳魔法』はそうそう簡単に『こうだ!』と定義づけることは出来そうにないってことだ。
「『強制翻訳魔法』と今回の件が、何か関係あるのか、ヤシロ」
「……さぁな」
その問いに答える言葉を、俺はまだ持ち合わせていない。
だが、ある仮説は思い浮かんでいる。
今回、崖を切り崩して洞窟を拡張するなんて、これまで誰もやってこなかった大掛かりなことをおっ始めた俺たちが直面したこの事態。
それは、もしかしたら精霊神的にも想定外の出来事だったのではないか。
まさか、崖を切り崩して凶悪な魔獣が跋扈する森の最奥に港を作ろうとするヤツなんか現れるはずがない。
そのために三大ギルドを束ねて、一つの事業に協力させるヤツが出てくるなんてあり得ない。
そんな危険なことをやろうなんて考えつくヤツがいるはずがない。
そんな風に思っていたんじゃないのか、精霊神?
だからちょっと油断していた。
そして、うっかりと切り崩されてしまった。
本来なら、人間が踏み入れるはずもない『ある場所』を。
仮説。
『強制翻訳魔法』が効力を発揮するのは精霊神の治める領土内に限定されており、人間が勝手に建造した『外壁』とはなんの関係もない。
つまり、『強制翻訳魔法』が効力を発揮するその場所には精霊神の力が及ぶ場所が存在する。
精霊神の領地。領海。領空。
そして、その範囲は、地下にも及ぶ――
俺たちが掘り当てちまったのは、もしかしたらそんな、精霊神の隠れた領地だったのでは、ないだろうか?
……ま、あくまで仮説だけどな。
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