「さっきの火花の正体はこいつだ」
と、俺は空中を指さす。
目を凝らして、俺の指さした辺りを睨むバレリア。しかし、何も見つけられないのか、訝しげな表情を浮かべる。
「何もないじゃないかっ。バカにしてんのかい!?」
声を荒らげるバレリア。それと同時に、バレリアの体から霧のようなものが噴き出してくる。
「それだよ、それ」
「それ?」
眉を歪めるバレリアに近付き、俺はそっと肩に指を触れる。
「な、何するんだいっ!?」
警戒心を剥き出しに、俺に触れられた肩を押さえて勢いよく後退るバレリア。
すげぇ怖がられてるなぁ。
「これだよ」
落ち着かせてやろうと、指先についたキラキラと輝く粉を見せつけてやる。
俺の指先に付着した粉。それは……
「鱗粉だ」
ヤママユガ人族であるウェンディとバレリアは、感情が高まると全身から鱗粉を噴出させる体質をしているのだ。
ウェンディが発光して見えたのは、体表面に付着していた光る粉が鱗粉に載って体から離れたことで、光の範囲が広がったためだろう。
そして、さらに感情が昂ると光は熱を帯び、この燃えやすい鱗粉に引火してスパークしていたというわけだ。
光が熱を帯びる仕組みは、粉のせいなのか、ウェンディの体温上昇によるものなのかまでは分からんが……火の粉に反応して火花を散らしていたところを見ると間違ってはいないはずだと推測できる。
なにせ、この火の粉の発する温度は『寝起きの布団』くらいのものなのだから。
そして、この一帯がくすんでいるのもその鱗粉が原因だろう。
この怒りっぽい性格のバレリアの住む家だ。ことあるごとに噴出された鱗粉が溜まり、空気中に漂い、ついには日光を遮るくらいにまで広がっているのだろう。
そんなところで母娘ゲンカなんかを繰り広げれば……やがてすべての鱗粉に引火して、家と渦中にいた二人を燃やし尽くしてしまいかねない。
その危険を、俺が事前に教えてやったのだ。
ウェンディは、こういうのを見せると気にし過ぎて、下手したら感情を殺すような方向に向かいかねないので、細心の注意を払いつつ後日説明してやるつもりだ。
普通にしていれば問題ないというのも、普段のウェンディが証明しているしな。激高しなければ問題ないのだ。
要するに、こいつら親子を仲直りさせてやれば、そんな大参事は起こらないってわけだ。
「話を聞いてくれねぇか?」
「…………ふ、ふん。そんな必要はないね。もう二度とあの娘に会わなきゃ、そんな大惨事も起こりゃしないんだろ?」
「それでいいのか?」
「………………あんたにゃ、関係ないだろ」
吐き捨てるように言って、バレリアは俺に背を向けた。
「帰っておくれ。あんたらを歓迎するつもりはないからね」
そう言って、自宅へと足を向ける。
話すことは何もない、という態度だ。
「出直すかい、ヤシロ?」
俺の背後にそっと近付き、エステラが小声で尋ねてくる。
出直し、か……
確かに、話をする前にいろいろと情報を集めた方がよさそうだ。
特に、『亜人』『亜種』『亜系統』ってやつについてはな。
「バレリア」
遠ざかる背に声をかけると、バレリアは足を止め、数秒後に首だけをこちらへ少し傾けた。
「……誰に許可取って呼び捨てになんかしてんだい。無礼な男だね」
温度の無い声が返ってくる。
怒っているようであり、呆れているようであり……感情が読み取りにくい口調だ。
呼び捨てがダメとなると……
「バレリアちゃん」
「なんでちゃん付けを選んだんだい、ヤシロ!?」
関係のないエステラが突っ込んでくる。
こいつはそばにいると、何かにつけて突っ込んでくるよな。構ってちゃんか? やっぱ犬的要素持ってんじゃねぇか?
「さん付けが普通だろ、こういう場合」
「『バレリアたん』?」
「『さん』!」
「……バカにしてんのかい、あんたら?」
首だけを微かに向けていたバレリアが、完全にこちらに向き直っていた。
……………………あっ、うん。作戦通り。
「さん付けとかメンドウクセェ。バレリアでいいだろ?」
「……ったく、人間はいつも強引だ…………」
「その場しのぎに取り繕う偽善者より信頼できるだろ?」
「よく言うよ…………あんた、名前は?」
「ヤシロだ」
「ヤシロ…………か。しっかり覚えておいてやるから、あまりバカげたことはしないことだね。アタシは一生涯人間の悪評を言い触らして回るつもりだからね」
「捏造でなければ好きにしろよ。で、なんて呼べばいい?」
「………………好きにしな」
バレリアが折れた。
これは、一歩前進と言っていいだろう。
すべてを拒絶しているわけではないということが分かっただけでも、今回は収穫があったと思おう。
「ところでババア」
「誰がババアだいっ!?」
好きに呼んでいいっつったくせに! なんて嘘吐きだ!? 五秒で意見を覆しやがった!
「バレリア。俺たちは、ウェンディの結婚式を四十二区で行うつもりだ。二人の門出を祝う式典とパーティーだと思ってくれればいい」
「……ふん」
と、拒絶のポーズは取るものの、その場を去らないということは話に興味はあるのだろう。
自分の娘の結婚を祝う式典なんてもの、この世界の人間には考えられないもののようだからな。
「その結婚式に、ウェンディの両親にも出席してもらいたい。もちろん、祝福するために、だ」
ここへ来た本来の目的を伝えておく。
こちらの目的を明示しておけば、次からはその話に持っていきやすくなる。
俺の顔を見たら「結婚式の話をしに来たんだな」と思うようになるだろう。
少なくとも、圧力をかけて虫人族に危害を加える意思はないってことくらいは理解してくれるはずだ。
「今すぐには無理だろうが、首を縦に振ってくれるまで何度でも通わせてもらうつもりだ」
「やめとくれ。時間の無駄だ」
「無駄かどうかは俺が決めるさ」
「なら、きっぱり言ってやる! お断りだね! 祝うほどの価値も無い。ただの奴隷契約じゃないか……っ」
バレリアの顔が歪む。
その表情がこいつの本心なのだろう。
つまり、こいつは嫌なのだ。
可愛い我が娘が、憎い人間の奴隷にされてしまうことが。
なら話は簡単だ。
こいつの、その凝り固まった偏見と思い込みをなくしてやればいい。
もっとも、何度か往復することにはなりそうだけどな。
……馬車、どっかでレンタルとかした方がいいかな?
ハビエル、馬くれねぇかなぁ……
「とにかく帰っておくれ。そして、出来れば二度と来ないでくれると嬉しいねぇ」
踵を返し、しっしと手を振るバレリア。
「分かった。また来るよ」
「何が『分かった』だ! まるで分ってないじゃないか!」
背を向けたまま声を張り上げるバレリア。けれど、鱗粉は噴出していない。
それが答えだ。
「『出来れば二度と来ないでくれると嬉しい』なんてのは、俺たちの世界では『素直に認めたくはないけれど本当は強引にでもこっちの考えを変えてほしい』って意味で解釈されるんだよ」
「…………勝手な世界があったもんだね。あんたみたいなわがままな分からず屋が多い世界なんだろうね、きっと」
「あぁ、そうだ。だから、お前のことも救ってやれる」
「アタシは別に……っ!」
「また、来るからな」
落ち着いた声で、ゆっくり、はっきりと告げる。
それで、俺の思いは通じたのだろう。
バレリアはしばらく黙った後で、ため息交じりにこう言った。
「………………好きにしな」
バレリアは、説得できる。
今の言葉を聞いて、俺はそう確信した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!