「いや、誰っ!?」
エステラが微笑むベティ・メイプルベアを指さして吠える。
対するベティはけらけらと笑っている。
おぉ、笑ってる。
「ベティ。お前、ちゃんと生きてるな? おっぱいついてるよな?」
「あれれぇ? おかしいですねぇ。私の故郷では、亡くなった人が失うのは足なんですけどねぇ」
「それは、脚フェチどもが捏造した設定だ」
「胸フェチのあなたが今の設定を捏造したんじゃないんですか?」
「そうだな、いきなり信じろと言われても難しいよな。なら、論より証拠だ。触って確認をしてみよう」
「私、と~っても強烈な防犯魔草仕入れてきたんですよ☆ 試して、み・ま・す?」
「……痛いのか?」
「もげます☆」
「どこが!?」
「うふふ」
「そこ濁すの、怖っ!?」
「いや、だから、誰なのさ!? 随分と親しげだけども!」
俺とベティの会話に、エステラが割り込んでくる。
「まぁ、エステラさんっ! お久しぶりです!」
エステラの前へ躍り出て、にゃんこの手を口元に添えるぶりっこポーズでベティはエステラを見つめる。
その勢いに、半歩身を退いたエステラを見つめ、ベティが言う。
「お変わりないようで安心しました☆」
エステラの、乳をガン見しながら!
「ホント、まったく変わってないからな」
「うるさいよ!」
「お変わりなくてよかったです☆」
「君も失敬だよ!?」
相手が誰か分からなくてもしっかりと突っ込むエステラは、きっと天職がツッコミなのだろう。
「ん、待って……ベティ・メイプルベア……このふざけた名前、どこかで?」
記憶の奥の方で、何か引っかかるものを感じたらしいエステラが唇に指を添えて考え込む。
そんな真剣に悩むようなことじゃないんだが……
きっと、コイツは恥ずかしがってるんだろうよ。
素直に「ただいま」って言うのをな。
いい加減、ネタばらししてやれと、ベティに視線を送る。
すると、ベティは無垢な瞳をきゅるんっと細めて、照れくさそうに頷いた。
そして、おもむろにカンパニュラの前に歩いていくと、カンパニュラを見つめながら満面の笑みで言った。
「ちょっと見ない間に、大きくなりましたね」(ぽぉぃ~ん!)
「レジーナ!? そのくだらなさ加減、君、レジーナだね!?」
「いやん、バレてもぅたなぁ~」
耳で聞いた情報と、実際目で見る光景では受ける印象が違うのか、ようやくエステラが正解にたどり着いた。
けらけらと笑って、無垢な美少女のオーラをかなぐり捨てるレジーナ。
緑の髪はふわふわ揺れるツインテールになっているし、メイクも表情を明るくする暖色系がメインになっているので、ぱっと見では分からない。いや、じっくり見ても気が付けないだろうが、こいつは紛れもなくレジーナ・エングリンドその人だ。
「も~お! 何やってるのさ、紛らわしい! 誰さ、ベティ・メイプルベアって!?」
「誰て、領主はんが判子押して生み出した架空の人物やんか~」
「……あぁ、今鮮明に思い出したよ。突然ヤシロが持ち込んだ無理難題と不可解な設定の数々……」
あの時は時間がなかったからなぁ。
反論も質問もさせずに全部を丸呑みさせてやった。
「レジーナを守るためだ」と言って。
「それにしても……完全に別人だよね」
「せやろ? ウチですら、鏡見る度に『誰やねん!?』てツッコミたぁなっとってんで?」
散々レジーナを見てきた四十二区の連中でさえ気が付けなかった。
というか、正体を明かした今でさえ「え、レジーナ? 誰が?」「いやいや、さすがにそれはないだろう」「あれ? 視神経バグった?」とかいろいろ言ってる始末だ。
「あんな、ウチな、今回の長い長い船旅の間中、ずっと考えてたことがあんねん」
にわかに信用されていない雰囲気の中、レジーナは真剣な瞳で語り始める。
長い船旅で考えていたことを。
何もない海の上で、波に揺られ、一人でずっと考えていたということを。
「『Ship』――『S』を取ったら、『お尻』やね」
「「「このしょーもなさ加減、間違いなくレジーナだ!?」」」
よかったな、認識してもらえて。
その認識でいいのかどうかはさておいて。
「船ん中でメイク落とすわけにはいかへんかったから、家に帰るまでこのままやけど、堪忍してな~」
行きはともかく、帰りは元の顔に戻っても問題なかったはずだが……まぁ、照れ隠しだろうな。
こうしてギャグにしてしまう方が、コイツはやりやすいのだろう。
だが、そんなのをお構いなしに感情を破裂させたヤツがいる。
エステラだ。
「レジーナ!」
ずっと心配して、心配して、心配して、さらにずっと寂しかったのだろう。
その正体が分かるや否や、おどけるレジーナに飛びつき、力一杯に抱きしめた。
目尻に涙を浮かべて。
「もう! そんなふざけたことより、もっとちゃんと言うべきことがあるだろう! まったく、君というヤツは!」
こういう時に、エステラは人前で涙を見せることを厭わない。
それ以上に大切なことがあると、理解しているからだ。
「……せやね。ごめんな」
「……まったくもう」
「いや、ちゃんと言わなアカンなぁ~とは思とったんやけど、四十二区に帰ってきたら、ちょっと躊躇ってもぅて……」
「ダメだよ。……ちゃんと言って。ね?」
「せやな……ほな」
こほんっと、咳払いをし、レジーナがエステラの腕から抜け出して、エステラと向かい合う。
まっすぐに顔を見つめて、柔らかく微笑む。
そして、両手で大きく弧を描きながらエステラに言う。
「ちょっと見ない間に、大きくなりましたね」(ぽぉぃ~ん!)
「それじゃなぁーい!」
「えっ!? 社交辞令を強要されたんとちゃうのん、ウチ!?」
「強要とか言わないでくれる!?」
「『精霊の審判』があるこの街で、権力を振りかざしてまで、ウチに大嘘吐かせたんちゃうのん!?」
「大嘘って言うな!」
「せやかて、大きなってへんやん!」
「やかましい!」
びっしー! と、エステラの胸を指さすレジーナの手を叩き落として、エステラが憤慨している。
そうこうしている間も、レジーナは照れくさそうに口元を緩めていた。
そして、一歩。エステラに近付き、今度はレジーナからエステラを抱きしめる。
「心配かけてごめんな。……ただいま」
「ん……おかえり、レジーナ」
ほんの十数秒。
二人は無言で抱き合っていた。
「はい、おしまい!」
ぱっと体を離し、くるっと体を反転させ、こちらに背を向けるレジーナ。
耳が真っ赤だぞ、おい。
「あ~、恥ずかし! もうこれ、領主はんが代表して全員分受け取ったってことにしといてもらわれへんやろぅか。ウチ、こんなん、あと何回もよぅせんわ」
「ふふ。残念だけどね、レジーナ。そういうわけにはいかないと思うよ」
「えぇ~、なんでなん――」
エステラの言葉に、照れ隠しの苦笑を浮かべて振り返るレジーナ。
そんなレジーナの言葉は、強烈な突撃によって封じられる。
レジーナより一回り以上大きなデリアが、その体を覆い隠すように抱きつき、抱きしめ、締め上げる。
「いたたっ!? 痛い! 痛いて、クマ耳はん!?」
「…………った」
「はぇ?」
「寂しかったっ!」
叫んだ後、デリアは人目も憚らず「ぴぇぇええ!」と泣き出してしまった。
体の大きな子供に泣きすがられ、レジーナが所在なさげにおろおろとする。
助けを求めるように俺やエステラに視線を向けてくるが……それは無理だな。
「自分で蒔いた種だろう。甘んじて受けておくべきだよ、レジーナ」
「……かなんなぁ」
諦めたのか、肩をストーンと落として、そっとデリアの背を撫でる。
「ウチ、こんな対応に困る種、始めて蒔いたわ」
薬草のスペシャリストをもってしても、自分で蒔いた種の対処には手を焼くらしい。
知識だけじゃ、どうしようにもないからな、こればっかりは。
「……ぐすっ。おかえりぃ、レジーナ……」
「ん。ただいま」
「……うん」
「あ~……クマ耳はんでこれやったら、他の人らぁ、もっと大変そうやなぁ……」
レジーナとデリアは、そこまで仲がいいという間柄ではない。
レジーナなら、ネフェリーやミリィ、ノーマあたりの方が話す機会は多かっただろう。
100%アウトドア派のデリアと、1000%インドア派のレジーナじゃ、話もそこまで噛み合わないだろうし。
あ、レジーナのインドア率は10000%くらいか。それ以上か。
でも、同じ四十二区の仲間だという意識はあるのだろう。
この街の連中は、すぐお友達になっちまうからな。
「クマ耳はん。この後、ウチいろいろ謝りに行かなアカンねん」
「……ん」
「ごめんけど、付いてきてくれへん? ウチ、一人やと心細いわぁ」
「うん。いいぞ」
ずびぃーっと、鼻を鳴らして、デリアが目尻を赤く染めたまま笑う。
「困った時は、あたいを頼れ! 絶対助けてやるからな!」
どんっと胸を叩くデリアに、レジーナの方が面食らったようで、きょとんとした後で不意に笑い出した。
「ふふふ……ほんま、四十二区に帰ってきたんやなぁ、ウチ」
この空気が、四十二区なんだよな。
「レジーナ、おかえりぃ」
まぶたの裏に残っていた涙を流しきるように、デリアがレジーナにしがみついて頭を胸にこすりつけた。
母熊に甘える子熊のように。
「うん。ただいまや。……心配かけて、ごめんな」
「……うん」
じゃれ合うレジーナとデリアなんて珍しい光景を見ながら、エステラがぽつりと呟く。
「……なんか、ボクの時より、声が優しくない?」
「妬くなよ、そんなことで」
拗ねるな拗ねるな。
今からでも甘えてくりゃあいいだろうが、じゃあ。
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