「でも、本当によかった」
椅子に腰かけ、ネフェリーが情報紙をテーブルに置いて言う。
「私、四十二区の子で」
テーブルに肘を突き、組んだ指に頬を載せる。
傾けた顔で前にいる人間を見れば、若干の上目遣いに見える。
こういうことをイヤミなく出来るのがネフェリーだよなぁ。
……ホント。顔がニワトリでなければ絶対可愛い仕草なのに。
…………あんまこっち見んな。ちょっと怖ぇよ。
「だってさ、領主がエステラで、ケガや病気をした時にはレジーナがいてくれるでしょ? それに、何か困ったことが起こればヤシロが助けてくれる。すごく恵まれてるよね」
「勝手に変な役割を押し付けるな。金取るぞ」
「ほんならウチは卑猥なご褒美でもしてもらおかな」
「『だったらボクはスッカスカ踊りを披露しよう!』」
「似てないモノマネやめてくれるかい、ナタリア!?」
「『だったらボクはスッカスカ踊りを披露しよう!』」
「いや、めっちゃ似ててびっくりしたけど、そーゆーことじゃない!」
似てないと言われた直後に、めっちゃ似せてきたナタリア。
ホント器用だよな、お前は。
エステラのモノマネが得意なのに、あえて似てないモノマネをしていたのか。悪意しか感じられなくてお前の愛情が歪みまくってるのがよく分かるよ。
可愛くてしゃーないのか。そーかそーか。
「まぁ、確かに、守ってくれる人間がいるって安心感はあるけどさ」
煙管を取り出し、指でなぞってノーマが俺たちを見る。
俺や、エステラを。
「無茶だけはするんじゃないさよ。守られるばっかじゃなく、あんたらのことを守ってやりたいって人間が、こんなにいるんだからさ」
そんなノーマの言葉に、パウラが頷き、デリアが力こぶを作る。
「頼もしいな、お宅の領民」
「だろぅ? 自慢の領民なんだ」
エステラは頬をうっすらと赤く染め、本当に嬉しそうに微笑む。
頼られるのも、守ると言ってもらえるのも、こいつには嬉しいのだろう。
「本当に、四十二区には見習うべきことがたくさんあります」
エステラたちのやり取りをじっと見つめていたカンパニュラが、握った手を胸に当て息を漏らす。
微かに上ずった呼吸から、若干の緊張が窺える。
一体何事かと思えば――
「私は、エステラ姉様のような、信頼を得られる領主になれるでしょうか」
自分とエステラを比べて、気負いしていたようだ。
「大丈夫ですよ、カンパニュラさん」
静かに、ナタリアが言う。
「案外大したことないですから」
「おぉーい、そこの給仕長! カンパニュラを元気づけたい意思は理解できるけど、君がそれを言うんじゃないよ」
主からダメ出しが入る。
「先日もお風呂場で――」
「その話は口外法度だよ!」
お前、また風呂場で何かやらかしたのか?
お前んとこの風呂場は面白事件のメッカだな。
「けど、ナタリアの言う通りでもあるんだよ。ボクだって完璧なわけじゃない」
エステラが柔らかい笑みを浮かべカンパニュラの頭を撫で――
「パンツの裏表を間違えることもある、普通の人間ですよね、エステラ様は」
「他にエピソードなかったかな!?」
――ナタリアがエステラをイジる。
お~お~、嬉しそうな顔しちゃってまぁ。
「どんなに年を取っても、どれだけの修羅場を潜り抜けたとしても、きっと完璧な人間になんてなれない。どんなにすごそうに見える人でも、苦手なものはあるし、うっかりすることもある。何か人には言えない弱点だって、きっとある」
「エステラ。あんまりドニスの薄毛をイジってやるな」
「イジってないよ!?」
「いや、年寄りで修羅場を潜り抜けた一見すごそうなヤツの弱点って言ったから、てっきり」
「ヤシロ様。ミスター・ドナーティーの薄毛は――チャームポイントです」
「もう黙って、ナタリア! ボク、今からいいこと言うから!」
「今からいいこと言うから」と宣言していいこと言うヤツも珍しいが、エステラはカンパニュラに何かいいことを言いたいらしい。
「……スタンバイ」
「サポートは任せてです、マグダっちょ!」
「そこの二人も! 面白くしようとしなくていいから!」
だって、そんなあからさまな『今からボケてもいいよ!』みたいなフリをされたらなぁ?
大喜利みたいなもんだろ、これ?
「まったく……。あのね、カンパニュラ」
「なんですの?」
「君はカンパニュラじゃないよね!? 君の名はイメルダ!」
「くぅ~! あのタイミングはさすがです!」
「……今のところ、イメルダが一歩リード」
「真面目に話をさせてくれるかな!?」
その場にいる者が、絶妙のタイミングでボケようと身構えている。
というのに、エステラが全方位に威嚇して、俺たちを遠ざける。
笑いの分からんヤツだ。
「もしも今、カンパニュラがボクを見て、立派に思えたり、何かすごいなって思うことがあったり、もしくはボクがやってきた成果を称賛してくれるのなら、それはね、ボクを助けてくれたみんなのおかげなんだ」
「みなさんの……?」
「ボク一人でなんとかしようともがいていた時は、ホント、だめだめだったからね」
苦笑を漏らし、頭を掻くエステラ。
当時を思い出したのか、周りの者たちも苦い笑みを浮かべている。
けれど、そんな苦々しい記憶も今ではすかっり思い出となり、笑い話に出来るほどだ。
「最初はたった一人の、頭が切れるひねくれ者がボクの苦悩を見抜いてね」
くつくつと笑って、ちらりと俺に視線を向ける。
ので、視線を逸らしてやった。
誰がひねくれ者だ。
ま、お前ほどまっすぐではないけどな。心も体も。
「最初は本当に、手の届く範囲の人を助けたいって、そんな小さな動きだったんだ」
それが、いつの間にか他区の領主を巻き込み、三大ギルドを巻き込み、外周区、『BU』と、その影響力はどんどん大きく広がっていった。
ホント。最初は陽だまり亭の食い逃げを撲滅しよう~とか、マグダの狩りを成功させよう~とか、そんな話だったのにな。
「最近になって、ようやく気が付いたよ。領地を守るのは領主の責務だけれど、そこに暮らす領民の生活を守るのは領主一人じゃ不可能なんだ。領民みんなの協力があって、初めて成し遂げられるんだな、って」
エステラの言葉に、パウラたち『領民』が誇らしげに笑みを浮かべる。
そこには、確かな信頼関係が見て取れる。
領民は領主を信頼し、領主もまた領民を信頼している。
「だからね、もしカンパニュラが領主としてのボクの功績や行い、立ち振る舞い方や領民たちとのこういった関係性を良いものだと認めてくれていて、少しでもそんな部分を見習おうと思っているのだとするならね、ボクから君に言えるアドバイスはただ一つ」
カンパニュラの瞳を覗き込んで、エステラはここ一番の笑顔を咲かせる。
「君はもっと甘え上手になるべきだ。たくさん甘えて、甘やかしてもらって、それでも君のそばにいたいと言ってくれる人をたくさん見つけるんだ。そうすれば、一人では出来なかったことが出来るようになるし、一人では気が付けなかったことも教えてもらえる。行動を起こすための力と、細部まで見渡すことが出来る視野が、一人で抱え込んでいた時とは比べものにならないくらいに大きくなるんだ」
誇らしげにそう言った後、エステラは照れ笑いを浮かべる。
「勘違いだったら恥ずかしいんだけど、今のカンパニュラは、なんだかあの頃のボクに似ている気がするんだ。誰一人として苦しめたくはないから、自分一人で頑張らなきゃって」
それは、エステラの言う通りかもしれない。
カンパニュラは、この小さな体ですべての人を守りたいと思い、そしてそうなるよう行動しようとしている。
それは、じり貧で破滅に向かっていた四十二区を、なんとか生きながらえさせようとあがいていたエステラに重なる部分がある。
甘えることは逃げることではない。
甘やかされた分、きっちりと報いてやればいい。明確な感謝の気持ちと共に。
「甘えて、よろしいのでしょうか?」
「もちろんだよ。きっと、みんな思っているはずさ。『もっと甘えてほしいのに』って」
「そうだよ!」
ばっと、パウラがエステラの背中に飛びついて、首に抱きつく。
「あたしたちはずっと言ってるの、エステラに。『もっと頼って』って。ねぇ?」
「そうそう。なのにエステラは『気持ちだけで嬉しいよ』とか言っちゃってさ」
「えすてらさん、頑張り過ぎちゃうから、みりぃもちょっと不安、だな」
「だから、アタシらも考え方を変えたんさね。向こうが頼ってこないなら、こっちから押しかけてやろうじゃないか、ってさ」
「あたいも、エステラとヤシロのためならなんだってやるぞ!」
「エステラさんは、まだまだ甘えが足りないです! 甘え上手には程遠いですよ!」
「……甘え術において、エステラはマグダの足元にも及ばない」
「ワタクシに言わせれば、甘ったれていますけれどね」
口々にエステラへのダメ出しをする一同。
それを、困り顔で、でも嬉しそうに聞くエステラ。
見守るジネットとベルティーナも、おかしそうにくすくす笑っている。
「このように、皆様に慕われ、エステラ様も少しずつ素直に受け入れるということが出来るようになってきました」
あわあわするエステラに代わり、ナタリアが一同に向かって言葉を発する――
「パンツを裏表逆にして差し出せば、疑うことなく素直に穿いてくださるほどに」
「君の仕業だったのかい、裏表だったの!?」
――余計な言葉を。
「まぁとにかく、カンパニュラも練習してみるといいよ。……なかなか難しいけどね」
照れくささが前面ににじみ出ている困り顔で、にこっと歯を見せるエステラ。
カンパニュラはその顔を見て「くすっ」と笑い、「はい」と元気に返事する。
「これから頑張って、皆様にたくさん甘えさせてもらいますね」
カンパニュラが宣言すると、パウラとネフェリーが弾けるように飛びつき「望むところだよ~!」っと抱きしめる。
カンパニュラが甘え上手に成長したら、最強の領主になりそうだな。
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