「ヤシロさん。お願いしてもいいですか?」
「ん?」
「グルグル回ってみたくなりました」
「おいおい……それは冗談で言ったつもりなんだが……」
「はい、分かっています。ですが、たった今、どうしても回ってみたくなったんです」
「あぁ……藪蛇だったか……」
ヤシロさんが手で目を覆い、天を仰ぎました。
この感じ。
こういう態度を見せる時は、「しょうがないな」と言いながらもこちらの願いを叶えてくれる時です。
……どうしましょう。少しドキドキしてきました。
子供たちのように大きな声が出てしまったらどうしましょうか?
はしたなくは、ないでしょうか?
「しょうがねぇな」
うふふ……ほら、やっぱり。
「んじゃ、一回20Rbになります」
「あら? 意外とお安かったんですね」
「初回限定価格だ。次からは500Rbもらう」
「まぁ、お得なんですね。では、是非ともお願いしませんと。うふふ」
話せば話すほど、心が軽くなっていく……本当に、不思議な方ですね、ヤシロさんは。
「大人はさすがに小脇には抱えられないからな、後ろから抱き上げる形でもいいか?」
「えぇ、構いませんよ」
向かい合って抱きしめられるのでなければ、きっと恥ずかしくはないはずですので。
「その際、不可抗力で仕方なく、抗うことは不可避となって、両乳を鷲掴みすることになるわけだが……」
「ヤシロさん。ちょうどさっき懺悔室があいたところなんですよ」
にこりと笑うと、ヤシロさんの口が止まりました。
そんなに怖い顔をしているつもりはないのですが、こうするとヤシロさんはいつも黙ります。
そんなに、怖いのでしょうか?
でも、ヤシロさんが悪いんですよ。
「じゃ、じゃあ、足を抱えて振り回すことにしよう。その際、遠心力でスカートが捲れ上がってパンツ丸出しになるが……」
「ヤシロさん」
ヤシロさんの表情が一層引き攣りました。
どうして、結果の見えていることを律儀なまでに行うのでしょう。
エッチな話をしないと、寿命でも縮まるのでしょうか?
「じゃあ……これで、いいか?」
そう言って、両腕をそっと広げるヤシロさん。
……あぁ、やっぱり、大人を振り回すとなるとしっかりと固定する必要があるのでしょうね。
向かい合うように抱き合って、私はヤシロさんの首に腕を回し……ヤシロさんは私の腰に腕を回す…………ということなのでしょう。
さっきのおふざけは、きっとヤシロさんもこの体勢が恥ずかしかったから、照れ隠しをしていたのでしょう。
なら、安心です。
恥ずかしいのは、私だけではなかったんですから。
「失礼します」
「ん……おう」
少し緊張しますが、私はそっとヤシロさんの胸に体を添わせ、首に腕を回しました。
ヤシロさんの腕が腰に回され、そっと抱き寄せられます。
…………かなり、恥ずかしいですね。
「じゃあ、回すぞ」
「は、はい…………」
耳元でヤシロさんの声がして……もう、顔を見ることは出来ません。
首にしがみつき、身を固くしました。
――と。
「ふんっ!」
「ぇ…………きゃあっ!?」
突然、私の体が宙に浮きました。
いえ、「回すぞ」と言っていただいたので突然ではなかったのですが、これまでに体験したことのないような浮遊感と疾走感に私の理解が追いついていかないのです。
「きゃあ! ちょ…………ヤシ…………きゃぁぁあああっ!」
足が持ち上がり、体が地面と水平になっているのではないかと思うような浮遊感に包まれ、油断すると吹き飛ばされそうな感覚に、思わずヤシロさんの首にしがみつく腕に力がこもりました。
こ、怖いです。
こんな怖いことを、子供たちはどうして何度もやってほしがるのでしょう?
「きゃあ! きゃぁああああっ! きゃぁぁぁあああああああっ!」
声が抑えられません。
自然と大きな声が口から漏れていくのです。
本当に怖い。
なのに……すぐそこにヤシロさんの温もりを感じるから、どこか、妙に落ち着く…………ヤシロさんの香り…………あぁ、子供たちが夢中になる理由が、少しだけ分かる気がします。
子供たちはただ、ヤシロさんに甘えたいんですね。
今の、私のように。
「ぬぅゎあいっ! おしまいっ!」
浮遊感がなくなり、私の足が地面につきました。
ですが……
「きゃ……っ」
「おい、大丈夫か!?」
ヒザに力が入らず、ヤシロさんにもたれかかってしまいました。
足が、がくがく震えています。
「す、すみません…………あの、少しだけ、このままでも?」
「……この状況で断れるかよ…………」
それは、「しょうがねぇな」という雰囲気を纏った声でした。
「……はぁ…………怖かったです」
「大人には、結構きついだろ?」
「でも……楽しかったです」
「…………次は500Rbだからな」
「では、頑張って貯金します」
照れ隠しに、そんな冗談を言い合って…………ふと、言いようのない寂しさが込み上げてきてしまいました。
先ほど言いかけて、言わなかった「とんでもないわがまま」を、どうしても、口にしたくなりました。
……それはおそらく、ヤシロさんを追い詰めて、苦しめる、利己的な思いで…………
「ヤシロさん…………」
シスターである私が、抱いてはいけないのかもしれない感情で…………
「私を、忘れないでください……っ」
なのに、そんな子供のようなわがままを…………つい、口にしてしまいました。
「…………ん」
ギュッと、私の頭が抱きかかえられ、ヤシロさんの胸に押しつけられました。
鼻の奥に、ヤシロさんの香りが広がり、耳には、ヤシロさんの鼓動が聞こえました。
「……前にさ。大食い大会の前、俺がすげぇ不安だった時にこうしてくれたことがあったろ? あれ、すげぇ落ち着いてさ」
その声は、まるでヤシロさんの心臓から聞こえてくるかのように温かく、鼓膜を震わせ、私の心へと浸透していきました。
「だから、いつかベルティーナが不安になった時は、俺がこうしてやろうって決めてたんだ」
「…………えっ!?」
思わず、本当はもう少しあの温もりに包まれていたかったのですが……私は体を引き離し、ヤシロさんの顔を覗き込んでしまいました。
「い、いま…………」
ヤシロさんは、『ベルティーナ』って……
「そのわがまま、聞いてやるよ。俺は、ベルティーナのことを忘れない」
「ヤシロさ…………っ」
嬉しくて……
そんなたった一言が、堪らなく嬉しくて……
目の奥に熱いものが込み上げてきて……
でも、泣いてはいけない。
まだ、不安を抱いている人がたくさんいるのだから、自分のことだけ考えて喜んではいけないと、精一杯自分を律し…………
「もぅ……また、呼び捨てにして」
精一杯の強がりを、彼に向けました。
「ははっ。いいじゃねぇか。初対面でもあるまいし。俺とベルティーナの仲だろう?」
まったく。
彼はズルい……
そんな無邪気な顔を見せられては……怒れないじゃないですか。
「ヤシロさんだけですよ」
……私を呼び捨てにしていいのは。
という部分は、口にしないでおきました。
「あ……」
不意に、ヤシロさんの服の中から一粒の種が落ちてきました。
これは、寄生型魔草の種……
「うっし! まずは第一歩だ!」
気合いのこもった声を上げて、ヤシロさんは拳を握りました。
第一歩……ということは、ヤシロさんは最初から諦めてなどいなかった。
最初から、全員の名前を思い出すつもりだったのでしょう。
そうですよね。
だって、ヤシロさんですもの。
ヤシロさんは、私たちを少しでも悲しませるようなことは……絶対にしません。
分かりきっていたことなのに…………私もまだまだですね。
「ヤシロさん」
これから、ヤシロさんは自分との戦いに挑むのでしょう。
魔草に負けない、強い心で。
そんな彼に手向けの言葉を贈るべきなのでしょうが、いけませんね、一度甘えてしまうと甘え癖がついてしまうようで……私は、素直な気持ちを伝えることにしました。
「一番最初にここへ来てくださったこと、嬉しく思います」
ヤシロさんが困った時に、真っ先に駆け込める場所。
そんな場所であり続けたい。
私は、ずっとそう思っています。
「何かあったら、いつでも頼ってくださいね」
「おう。分かってる」
そうですか。分かっていてくれたんですか。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
「はい。頑張ってください」
腕を上げて駆けていくヤシロさん。
その背中が見えなくなるまで、私はずっと見送っていました。
ヤシロさん。
忘れないでくださいね。
私はいつでも、いつまでも、あなたを見守っていますからね。
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