異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

328話 悪魔の花 -2-

公開日時: 2022年1月16日(日) 20:01
文字数:4,601

 俺も、エステラも、何も言えなかった。

 何を、どう言えばいいのか、脳が処理落ちしたみたいにまったく思い浮かばなかった。

 

 俺たちが何も言えないでいると、レジーナが別人の顔のまま改めて口を開く。

 

 

「大勢の人間を無差別に殺戮する細菌兵器を生み出したんは、このウチ――レジーナ・エングリンドなんや」

 

 

 その声に、ようやく脳が起動する。

 

「そうか」

 

 短く肯定し、そして本題へ移行する。

 

「で、黒幕はどいつだ?」

 

 単純な話だ。

 レジーナが好き好んで大量殺戮兵器なんぞを作るわけがない。

 こいつは以前、『誰かを苦しめるための薬なんか、粉一粒かて売ったらへん』と言っていた。

 使い方を間違えれば危険な薬であっても、それは人を助けるために用意されているのであって、使い方を間違えそうな相手には売らないようにしている。

 

 つまり、レジーナ・エングリンドという薬剤師は、頭に『超』が付くくらいに徹底したプロフェッショナルであり、人の命を誰よりも重んじているヤツなのだ。

 

 そんなレジーナが、細菌兵器なんぞ作るわけがない。

 

 

「誰かに作らされたのか? それとも、研究を盗まれて改悪されたか」

「…………自分、すごいな」

 

 赤い目で俺を見て、口角を持ち上げる。

 今度は、幾分自然な感じで。

 

「ほとんどアタリや」

 

 あの細菌兵器は、レジーナが作ろうとして生み出されたものじゃない。

 だが、その誕生にレジーナが深く関わっているのだろう。

 

 以前レジーナの家で聞いた、レジーナの過去の話。

 

 こいつは、バオクリエアの割と中枢にいて、そこで薬の研究を行っていた。

 国の偉いさんに連れられて、バオクリエアが支配している街の視察に引っ張り出されるくらいに。

 そして、現国王とは考えを異にする権力者が引き抜き、引き込もうとするくらいに力を持っていた。

 

 そういうヤツが居る場所には、それに近しい技術や知識を持っている者が大勢いるものだ。

 

「ウチは、父親に薬学と医学の基礎を叩き込まれたんや。ウチの父親はバオクリエアでも五本の指に入るほど優秀な薬剤師やった」

 

 そんな父親から英才教育を受け、レジーナは幼くして薬学の第一人者になった。

 七歳のころに水質汚染により引き起こされる疾病に対する特効薬の開発に成功する。

 それをもって、レジーナは薬学の最先端をひた走るバオクリエアにおけるトップ集団、薬学会へと承認された。

 最年少記録にして、最高位の称号を得たレジーナは、それから国の中枢を担う学者として薬学の研究に邁進することになる。

 

「……いや、お前、すげぇな」

「まぁ、オトンが親馬鹿で、『まだイケる、まだまだイケる』いうて詰め込んどったさかいに……」

 

 身内の話で油断したのか、ぽろっと普段の呼び方がこぼれる。

 詰め込まれた知識を自分のものにしちまったんだから、レジーナは十分にすごい。

 

「ほんで、ウチが九歳になったころ、オトン――ウチの父親が病気で死んでしもたんや」

「天才薬剤師がか?」

「まぁ、せやね。医者の不養生や思ぅわな。けどな、そういぅことやないねん」

 

 バオクリエアの薬剤師は、日々新たな薬を生み出していた。

 未知の細菌。

 誰も克服できていない凶悪な細菌。

 それらに打ち勝てる特効薬の開発に挑み続けていた。

 

「ウチの父親は、当時克服不可能やと言われとった恐ろしい細菌に打ち勝つ薬を研究しとった。感染したら致死率は100%。どんな薬も治療も効かへん恐ろしい細菌やった」

 

 その研究をするということは、その細菌のそばにいるということだ。

 黄熱病の研究をして黄熱病を患い亡くなった野口英世のように。

 その細菌への対抗策が確立されていない状況で罹患したとすれば、抗うことは出来ないだろう。第一人者が最も危険であることは、疑いようもない。

 

「自分らは、『免疫』っちゅうんを知っとるか?」

 

 俺はもちろん知っているが、エステラは少し自信がなさげだった。

 

「抗体っちゅうんは、体に入ってきた悪い細菌を退治する、体の持っとる自己防衛のための武器みたいなもんなんや」

 

 人間は、生まれつき備わっている『自然免疫』とは別に、新たに侵入してきた細菌を記憶し二度目以降速やかにそれを排除する機構を生み出す『獲得免疫』というものを持っている。

 その獲得免疫が生み出すのが抗体だ。

 インフルエンザの予防接種などは、この抗体を体内に生み出すために行われる。

 

「で、その抗体を含めた『免疫』っちゅうんは、体を細菌から守ってくれるありがたいモンなんやけど、ちょっと困った性質もあってな――たまに過剰反応を起こして、逆に体を痛めつけてしまう時があるんや」

 

 花粉症やアレルギーは、免疫が過剰反応をして引き起こされる。

 それは、度が過ぎると人の命を脅かす恐ろしいものだ。

 

「アレルギーは酷くなると、呼吸を奪い、視界を奪い、感覚を奪い、やがて命を奪ってしまうこともあるんや」

 

 食物アレルギーで呼吸困難となり命を落とすケースは世界中で報告されている。

 アレルギーくらいと軽視している者も多く存在するが、決して侮ってはいけないものなのだ。

 

「免疫の過剰反応を引き起こす細菌の中には、ちょっと厄介なヤツがおってな……。一度アレルギーを起こした後、もう一回体内に同じ細菌の侵入を許すとショックで命を落としてしまうこともあるんや」

「アナフィラキシーだな」

「せや。ウチの父親が死んだんは、それが原因やってん」

 

 レジーナの父親が研究していたのは、人体に過剰なアレルギー反応を引き起こす細菌で、人間の持つ免疫を暴走させるなんとも厄介なものだったそうだ。

 毒物を体内に送り込むのではなく、元から体内にある抗体を暴走させて人の命を奪う。

 なんて恐ろしい細菌だ。

 

「父親が亡くなった後、ウチは国の機関の一つに入り、父親の跡を継いでその細菌の特効薬を研究しとった。その所長は父親の友人であり、ウチも子供のころからよぅ知っとる人やった。家族を失ったウチを快く迎え入れてくれて、何不自由ない生活をさせてくれた」

 

 その父親の友人は、いくつかある国の機関のウチの一つを任されている人物で、レジーナが身を寄せた研究所の所長だった。

 

「レジーナ。君の母親は?」

「ウチが小さいころ、父親と同じ病気でな。ほんで、父親は何がなんでもその細菌を倒す薬を作ったる言ぅて張り切っとってん」

 

 同じ病気で両親を亡くしたのか。

 そして、その意志を継いでレジーナがその特効薬の研究を始めた。

 

「父親の死後、採取しといた父親の血液を調べていくうちに、ウチはある法則に気が付いて――まぁ、その辺は長ぁなるから省くけど――ついに特効薬の開発に成功したんや」

 

 それは世紀の大発明と言われたそうだ。

 薬学の最先端を独走するバオクリエアの、国が誇る複数の機関の、そこに所属する何人もの学者が誰一人として生み出せなかった薬を、若干十歳の少女が作り出してみせた。

 

 年齢もさることながら、その偉業は国中に知れ渡り、レジーナは一気に国のトップへと躍り出た。

 ナンバーワンではないが、少なくともトップテンには入るという、それくらいの権威を認められた。

 

「過剰反応する人間の免疫を一時的に鈍らせる。ほんで、症状が抑えられている間は抗体に代わって疑似抗体が体内にいる細菌を排除してくれる、そういう薬やった」

 

 元から持っている抗体を停止させ、人工的に生み出した人体に害のない抗体に体を守らせる。

 そして、免疫を暴走させる細菌を死滅させる薬。

 

 攻撃にも防御にも特化した素晴らしい薬だ。

 

 

「――それが、悪用されたんや」

 

 

 そして、そんな画期的な発明は、金と力を生んでしまう。

 

 

「ウチの研究を無断で持ち出して、ウチの知らんところで改悪して、とんでもない恐ろしい細菌兵器を生み出したんは――ウチが信頼しとった、父親の友人。研究所の所長やった」

 

 

 七歳から頭角を現し、もしかしたら父親以上の才能の片鱗を見せていたかもしれないレジーナを囲い込んだのは、それが目的だったのだろうか。

 

「所長は、ウチが作った特効薬の中から『人体の免疫力を一時的に休止させる』効果だけを取り出し、それを増幅させて人体の免疫力を奪う毒薬を生み出した」

 

 免疫力を奪われた人間は、細菌に対して無防備になる。

 ちょっとした風邪が命を奪いかねない驚異へと変わる。

 

「おまけに、神経の伝達を阻害するような改悪を加えとった……」

 

 免疫が失われ感染しやすくなったうえ、脳からの信号が阻害されて体を動かすことや呼吸、消化などが妨げられる。

 酷いダルさに襲われて、立ち上がることすら出来なくなりそうな状況だな、それは。

 

「そして、それを効率よく拡散する方法まで、あの悪魔は生み出してしもぅた」

 

 レジーナの体がわなわなと震える。

 髪が逆立つような勢いで怒りがこみ上げてきているのが分かる。

 

 自分が生み出した、人を助けるための薬を毒薬に改悪され、そしてそれを拡散する術まで――

 

「もしかして、あの花が?」

「せや」

 

 レジーナの目が、沼の中に咲く不気味な花へと注がれる。

 

「あの花は、開花すると同時に辺り一帯に恐ろしい細菌を撒き散らす悪魔の花なんや」

 

 水気のある場所に種を撒き、三日三晩放置するだけで花が咲き、それと同時に悪魔の細菌が辺り一帯に拡散される。

 

 まさに、細菌兵器だ。

 

「細菌は、花の持つ胞子に乗って空へ舞い上がり、風に乗って広範囲に広がっていく。あの花一つで、半径数キロは汚染されてまう」

 

 

 半径数キロ。

 この場所からなら、陽だまり亭を超えて大通りの手前くらいか。

 それはまさしく、湿地帯の大病の範囲と合致する。

 

「そして人から人へと感染して……計算上では、あの花が五つ咲いたら、町が一つ壊滅するっちゅう話や」

 

 

 エステラが、ごくりと喉を鳴らす。

 

 

 

「そんな悪魔の花の原型を生み出したんが……ウチなんや」

 

 

 

 それが、レジーナがずっと抱え続けてきた心の中の闇。

 こんな重たいものを抱えて、こいつはここまで逃げてきたのか。

 

「せやから……みんなの親御はんや前の領主はんの病気はみんなウチのせい――」

「そんなわけないじゃないか」

 

 ガバッと、エステラがレジーナの顔を抱きしめる。

 

「ちょっ!? アカンって、沼の泥付いてまうで!?」

「構わないよ、そんなこと」

 

 腕に力を込め、エステラはレジーナの顔を自身の胸に押しつける。

 これ以上、悲しい言葉を話させまいとするように。

 

「痛い痛い痛いっ! なんか頬骨にゴリってしたん当たる!」

「やかましいよ!」

 

 あ、そこは「構わない」と大目に見れないんだ。

 あばらって、ごりっとすると痛いもんなぁ。

 

「君が行ったのは、今も昔も変わらず人助けのための研究さ。それを悪用した悪いヤツがいる。それだけの話だよ」

「せやかて――」

「もし、君のことを悪く言う者がいたなら、ボクがそいつに説教してやる。『未来なんか誰にも分からない。レジーナは今、誰かを助けるために全力を費やして生きているんだ。悪いのは悪用した者であって、レジーナを悪く言うのはボクが許さない』って」

 

 硬そうな胸からレジーナの顔を離し、両頬を両手で包み込んで、瞳を覗き込んで言い聞かせる。

 

「それは君も例外じゃないよ、レジーナ」

「……へ?」

 

 赤い髪を揺らして、エステラがにっと笑う。

 

「ボクの友人を悪く言うのは許さない。たとえ、君自身であろうとも、ね」

 

 

 そんな言葉に、レジーナは何も答えなかった。

 ただ静かに、レジーナの頬に涙が伝い落ちていった。

 

 レジーナの顔を見つめ、エステラが満足そうに微笑む。

 平らな胸元に沼の泥をべったりと付けて。

 

「ヤシロ、顔がうるさい」

 

 そして、俺には怖ぁ~い目を向ける。

 差別だよなぁ、これって。

 

 

 

 

 

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