異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

331話 レジーナに迫る危機 -2-

公開日時: 2022年1月28日(金) 20:01
文字数:4,246

 その日は、本当に穏やかだった。

 

「ヤシロさん、お茶などいかがですか?」

「あぁ、悪いねぇ、ジネットさんや」

「うふふ。なんですか、それ?」

 

 ちょっと、祖父さんの気持ちが分かりかけてしまった。

 ここが食堂でなく縁側で、膝の上にネコでも乗っかっていれば、俺は今完全にジジイになっていただろう。

 

「縁側でも作るかなぁ」

「えんがわ、ですか?」

 

 知らない言葉を聞いた時のジネットの反応だ。

 果たして、こいつが知らない言葉はどのように耳に届いているのだろうか。

 ジネットの言語圏の中に存在する『縁側』に該当するものに翻訳されているのか、はたまた『ENGAWA』と日本語のまま伝わっているのか。

 

「庭に面した廊下にデカい窓を作ってな、床を30~40センチほど高く作っておいて、そこに腰かけて庭の植栽なんかを眺めながらの~んびりと日向ぼっこをする憩いのスペースだ」

「楽しそうですね。ウチにも作れるでしょうか?」

 

 この家の構造じゃ、ちょっと難しいかもな。

 中庭に面しているのは、厨房へ入るための廊下だし、居住スペースは二階だ。

 縁側を作るとなると、別館でも作った方が早い。

 

「ウーマロを酷使すれば、なんとか」

「では、今はやめておきましょう」

 

 今はやめておく。

 老後の楽しみにするには持ってこいかもな、縁側は。

 もしくは、年を取って足腰が立たなくなったころにウーマロを酷使する宣言だったのかもしれんが。

 それはそれで面白そうなので止めないでおく。

 

「縁側では、どんなことをするんですか?」

 

 季節にもよるが……

 

「俺がガキの頃は、でっかいタライみたいなヤツに水を入れてプールをしたな。あ、縁側でじゃなくて、中庭でだけどな」

「ぷーる、ですか?」

「水風呂みたいなもんだな。暑い日に、水に浸かって涼むんだ」

「それは楽しそうですね」

「親方と女将さんが縁側に座って俺を見ててな」

「女将さんたちは、ぷーるに入られなかったんですか?」

「子供用だったからな。でも……うん、楽しそうにしてたよ」

「そうですか。……そうでしょうね」

 

 ガキの頃の縁側を思い浮かべる俺の向かいで、ジネットが俺と似たような顔でまぶたを閉じる。

 何を想像したのか、不意に笑いをこぼし、はっとして口元を押さえる。

 

「俺の水着姿を想像したな? エッチめ」

「違います」

 

 ぷくっと頬っぺたを膨らませて抗議した後、すぐに笑顔に戻って想像した内容を教えてくれる。

 

「水着に着替えていない女将さんや親方さんに、ヤンチャなヤシロさんは水なんかをかけたんだろうなぁ~って、思っただけです」

「お前、見ていたのか……!?」

「やっぱり、イタズラしてたんですね」

 

「ダメですよ」なんて、楽しげな顔で言われても、叱られている気なんかまったくしない。

 

「今度、ウチでもやってみませんか? お庭ぷーる」

「誰が入るかによるな」

「カンパニュラさんやテレサさん。あと、お手伝いに来ているハムっ子さんたちでどうでしょう?」

「ハムっ子は水に浸けると暴れるから、許可できないな。俺は濡れたくない」

「ヤシロさんは、女将さんたちにイタズラしたのに、されるのはイヤなんですか?」

「ジネット。俺の故郷にはこんな言葉があるんだ。『それはそれ、これはこれ』」

「ふふ。では、ヤシロさんは親方さんたちとは違い、水着になって一緒にぷーるに入られてはいかがですか?」

「ジネットも入るならいいぞ」

「わたしは……あの……泳げませんので」

 

 どんな深いプールを作るつもりだ。

 タライサイズだぞ。

 

「あと、縁側でスイカを食って、種飛ばしをするんだ」

「お庭がスイカ畑になっちゃいますね」

「ガキの頃は、本当にそうなると信じてたんだが……なかなかうまくはいかないもんだ」

「スイカ、お好きなんですね」

 

 結局、種を飛ばしたくらいじゃ発芽すらせず、庭がスイカ畑になることはなかった。

 

「そういえば、夏野菜は好きなものが多かったな」

「なつ野菜ですか?」

 

 この街には四季がない。

 だから、夏ってのが分からないんだよな。

 

「俺の故郷では、毎年三~四ヶ月ほど、猛暑期のような気候が続くんだ」

「四ヶ月もですか!? それは大変ですね」

「だから、庭でプールをしたり、スイカを食べたり、涼しく過ごす知恵がたくさん編み出されたんだ」

「なるほど。だから、ヤシロさんは猛暑期の過ごし方が上手なんですね」

 

 上手だという自覚はないけどな。

 水着祭りがなければ、存在する意味が見出せない代物だしよ、猛暑期なんて。

 

「あ、もしかして、豪雪期のような気候も長く続くんですか?」

「そうだな。それも三ヶ月くらいか」

「……食料は、なくなりませんか?」

「まぁ、ここほどは雪が降らないから」

 

 この街の豪雪期は本当に酷い。

 日本の北国といい勝負をしそうだ。

 ……北国の人、頑張ってたんだなぁ。日本にいる時には気にも留めてなかったけど。

 

「やっぱり、この街とは随分と違うんですね、ヤシロさんの故郷は」

 

 湯のみを握り、ジネットが呟く。

 まるで湯のみの中に俺の故郷が映し出されているかのように、じっと覗き込んで。

 

「けど、食い物は似てるんだよな。つか、まったく同じ物が割と多い」

 

 トマトやキャベツ、それにフルーツなど、俺にとっても馴染みのあるものがほとんどだ。

 サトウダイコンなんてものまであるんだもんな。

 よかったよ、『ババゲルギ』みたいな珍妙な名前の、なんだかよく分からない謎の食材を食わされるような世界じゃなくて。

 

「遠く離れていても――」

 

 ジネットは湯のみの中を覗き込んでいた視線を天井へ向け、そして、ふいっと窓の外を振り返る。

 

「ちゃんと、繋がっているんですね。この街と、ヤシロさんの故郷は」

 

 繋がっている。

 その可能性は限りなく低い。

 だが――

 

「……そうかもな」

 

 

 もしかしたら、どこかで微かに繋がっているのかもしれない。

 俺がこの世界に迷い込んできたように、野菜や動物がこの世界に迷い込んできた可能性だってある。

 逆に、実は日本で食っていた野菜が、この世界から迷い込んできたものの子孫だったなんてことだって、完全には否定できまい。

 

「食い物が口に合うってのは、なんにしてもありがたいことだよな」

「はい。そう思います」

 

 と、そこまで穏やかにほんわかした表情を見せていたジネットが、突然はっとした顔をして、大きな瞳をこちらに向けてきた。

 キラキラと光を反射するその瞳には、多大なる期待が込められている。

 ……なんだ? 俺はこれから、何をやらされるんだ?

 

「ヤシロさん、もしよかったら――」

「これから一緒に水風呂に?」

「ち、違いますっ! ……お店も、ありますし」

「じゃあ、夜にだな」

「よ、夜でもダメですっ! ……もう」

 

 そうかぁ。

 水着を着てでも構わなかったのだが。

 もちろん、水着を着ないのも大歓迎ではあるが。

 

「あの、今日はみなさん、お出掛けされてますよね?」

「あぁ。おかげで静かだ」

 

 客も来ないしな。

 

「お出掛けと言えば……?」

 

 なんだ?

 こいつは俺に何を言わせたいんだ?

「お出掛けと言えば」?

 

「留守番?」

「そうですね。それで、留守番の時にすることと言えば、なんだと思いますか?」

「下着あさり」

「ダメですよ!? ヤシロさんはみなさんが帰ってくるまで二階への立ち入り禁止です」

 

 俺の部屋も二階なのに……

 

 だが、留守番の時にやることってなんだ?

 両親がいない隙に、居間の大きなテレビでエッチなビデオを……いや、ジネットがそんな誘いをしてくるわけがない。というか、この街にはテレビなんてもんはない。

 じゃあなんだ?

 

「あ、あの……前回、わたしたちがお出掛けした際に、ノーマさんがされていたことです」

 

 ノーマが?

 ん~……

 

「『今日はアタシが厨房を預かるさね。(そわそわ、そわそわ)……小料理屋、キツネのしっぽ亭、オープンさね。……くふふ、なんてね』『楽しそうだな、ノーマ』『ぅひゃぁあ!? ヤシロ、いつからそこにいたんさね!?』――みたいなヤツか?」

「いえ、そうではなくて」

 

 知られざるノーマの痴態を聞き、ジネットが短く笑う。

 ノーマ、小料理屋やるのがちょっとした夢っぽいんだよなぁ。

 でも、現役でいられるギリギリまで金物作ってそうなんだよなぁ、ノーマは。やめられないんだろうなぁ、きっと。

 

 にしても……ノーマがやっていたことって…………あ。

 

「もしかして、煮びたしを教わったってことか?」

「はい!」

 

 正解らしい。

 ジネットの笑顔が花を咲かせる。

 

「つまり、みんなが出かけている今、自分も何か新しい料理を覚えたいと」

「はい!」

 

 八分咲き。

 

「……んじゃあ、何か作るか」

「はい!」

 

 満開だ。

 とはいえ、ジネットが知らない料理なんか、まだ何かあったっけなぁ?

 もう、何を教えて、何を教えてないか覚えてねぇよ。

 かといって、あんまり食堂からかけ離れたものは教えたくないんだよなぁ。麻婆を教えて危うく中華料理屋になりかけていたこともあるし、カレードーナツの時のようにジネットが料理を作れない時間が増えたなんてこともある。

 陽だまり亭に相応しく、かつ、ジネットでなければいけない、ジネットだからこそ美味いみたいなヤツで、かつ俺が食いたい料理……

 

 以前、ミックスモダン焼きを教えると言ってはいたが、お好み焼き系はマグダとロレッタの領分でもあるし、あんまりジネットが手を出す感じじゃないんだよな。

 もっとこう、ジネットが喜びそうな…………

 

「あの、すみません。わがままを言ってしまって。難しいようでしたら、別に構わないんですが……」

 

 と、そんな残念そうな顔で言われたら、無理やりにでもひねり出したくなるだろうが。

 ん~……何かないか……何か…………ん?

 

「なぁ、冷やし中華って教えたっけ?」

「いえ。何度か耳にしたことはありますが。ヤシロさんがたまに『はじめました』って」

 

 そうだな。

『冷やし中華はじめました』は、何かと口にしたくなるタイミングが多いからな。

 だが、本格的な中華麺を作るのが億劫でそこまで手を出してはいなかったんだよな、実は。

 

 中華麺……というか、タマゴ麺かな。

 黄味がかっていて腰のある、かん水くさいあの独特の麺。

 

 ……うん。よし、やってみるか!

 あれがあれば、熱い時は冷やし中華、寒い時はラーメンが作れる。

 

 食堂でラーメンってどうなんだろう?

 親方の家の近所にあったおんぼろ食堂では、中華そばってのを出していたし……まぁ、あり、かな。うん、ありだろう

 

「よし、じゃあ今日はとことん突き詰めてみるか! ……ただし、奥が深いから、覚悟しておけよ」

「ヤ、ヤシロさんが、あんなに楽しそうな顔を……、はい! 頑張ります! 楽しみです」

 

 夏の思い出から冷やし中華に行きついたが、ここ最近日が暮れると肌寒い。

 今日はラーメン祭りになるかもなぁ。

 

 

 

 

 

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