大浴場は陽だまり亭の裏庭、薪置き場のさらに奥に建設された。
以前は切り出した丸太が何本も置かれていた場所だ。
かつてはその丸太を切り出して椅子を修理したり、薪にしたりしていたのだが、最近はもっぱらイメルダに依頼して木材を譲ってもらうようになっているため資材置き場は必要なくなったのだ。
なので、残っていた丸太は今回の大浴場建設で全部使い切ってもらった。
そして、どどーんと誕生した大浴場。
裏庭に出るドアはあるものの、裏庭側からは入れない。風呂場からのみ解錠できるようになっている。
風呂場に入るには、厨房を越えた先、中庭に出る廊下に新設された大浴場へのドアをくぐっていくことになる。
「足元、気を付けてくださいね」
「あれ? 廊下が軋まなくなってるね」
「はい。これもウーマロさんが直してくださったんですよ」
「……中庭へ出るドアも」
「全然軋まなくなったですよね! ウーマロさん偉いです!」
「やはは……それほどでも」
そこら辺は……えっとなんだったかなぁ……まぁ、何かの時の貸しを返してもらった結果だ。たぶん、俺がウーマロの喜ぶような何かをしてやったのだろう、うん。
「ウーマロさん、ちょっとヤシロに贔屓し過ぎ~」
「だよねぇ。だったらウチの階段も直してほしいなぁ~」
「い、いやいや、これはギブアンドテイクというヤツッスから……まぁ、時間がある時だったらご相談には乗るッスよ」
「やった~!」
ネフェリーとパウラに詰め寄られ、背を向けたまま弁明しようと試みたウーマロだったが、結局パウラの家の階段を直すことになりそうだな、あれは。
それはそうと、ちゃんと女子と会話が成立しているじゃないか。顔こそ見ていないが。でも、これは進歩だな。
「ウーマロも成長したなぁ」
「すっごく小さい一歩だけれどね」
そう言ってやるなよ、エステラ。
その小さな一歩がきっかけで、ヤツの病気が治るかも……いや、それはないな。うん、ないない。
「では、こちらが浴室になります」
ジネットが先導して廊下のドアを開ける。
ドアを越えると短い廊下があり、その先に引き戸がある。
その引き戸を開けると、そこは脱衣所だ。
「わぁ、可愛い飾り! なにこれ?」
ネフェリーとパウラが浴室のドアにかけられた暖簾を見て声を上げる。
暖簾は二種類。赤い布と青い布で『湯』と書かれたシンプルなものだ。
本当は『男湯』『女湯』としたかったのだが、一般家庭の風呂だしな。
男湯も女湯もないのだ。
「ドアが二つあるさよ?」
「男と女で分かれるのか?」
陽だまり亭には俺もいるからそんな風に思ったのだろうが、そうではない。
「こちらは一人用の浴室なんです」
この辺はウーマロに説明をさせてもよかったのだが、女子が多いため家主であるジネットが説明をしている。
心なしか楽しげだ。
ウーマロも、後ろの方から満足げにみんなの反応を楽しんでいる。
ジネットが一人用の浴室のドアを開ける。
そこには、ヒノキを贅沢に使用した一人用の浴槽がある。
一人用といっても、俺が足を伸ばしても余裕があるくらいゆったりとした浴槽で、詰めれば三人くらいは入れるだろう。
男でも二人なら余裕で浸かれる。
「ねぇねぇ、ジネット。一人用なのになんで浴槽が二つあるの?」
「こちらの小さい方はお湯を沸かすための浴槽なんですよ」
パウラに問われ、ジネットが鉄砲風呂の説明を始める。
「この鉄製の窯の中で薪を燃やして、この小さい方の浴槽のお湯を沸かすんです。煙突が煙を室外へ廃棄してくれるので安全です」
日本の鉄砲風呂には煙排出用の煙突など付いていなかったのだが、ウーマロがあった方がいいというので取り付けた。何から何まで同じにするより、こっちの連中の知恵や技術を生かして四十二区オリジナルにしておこうと思ったのだ。メンテナンスとか、やらせるのはこっちの人間だからな。
……あ、「やってもらうのは」か。
「そして、注目しろ! これが水道だ!」
自分が関係した場所をこれでもかとドヤ顔で自慢するデリア。
デリアはこの一人用の浴槽には入ったことがある。
水道の確認をした時にな。
なので、他のヤツよりも少しだけ得意顔だ。
まぁ、隣の大浴場はまだ見せてないけども。
「これが、新しい技術かぃね?」
「ワタクシ、水を出してみたいですわ」
「いいけど、無駄遣いすんなよ?」
許可を出すと、イメルダがコックを捻る。
水が勢いよく流れ出し、歓声が上がる。
「すご~い!」
「これ、ウチにも欲し~い!」
それはみんなそうなんだろうが、川から遠い場所にはムリだ。
また新たな技術や知恵が必要になる。その辺は追々だな。
ちなみに、水道の下にはくるくると稼働する延長水路が設けてあり、水道からの水を沸かす用の浴槽にも、入る用の浴槽にも引き入れられるようにしてある。
浴槽に入れたくない時は、洗い場に流すことも可能だ。
どんな用途でも使えるようにな。
浴槽があるなら、スイカを丸ごと冷やしとくのもありかもなぁ。
水道のコックをしっかりと締め、服を着たままパウラとネフェリーが浴槽に二人で入る。
きゃっきゃっと楽しそうだ。
服を脱いで入ってもいいのに。
「服を……」
「あっといけない。ナイフを落としちゃった」
言い切る前に、俺の足元にゴトリと禍々しいナイフが落ちる。
お前、こんなもん持ち歩いて……日本だとすぐ職質されちゃうぞ。この危険人物め。
「二人でも余裕だね」
「マグダくらいなら、もう一人入れそう」
「じゃあ、あたしが入ってみるです!」
「いや、マグダがいい」
「なんでですか、パウラさん!? 一緒に入りたいです!」
「ロレッタが入ったら、お湯が減る!」
「今は一滴もお湯入ってないですのに!?」
まぁ、ロレッタと一緒に風呂に入ったら、物凄い勢いでお湯が減りそうだよなぁ……暴れそうだし。
「浴槽に余裕があるのは、足を伸ばして入れるようにだ」
「あぁ、気持ちよさそう、それ~」
ネフェリーが浴槽の縁に腰掛けて、パウラが足を伸ばす。めっちゃ余ってるな。俺が余裕で足を伸ばせるようなサイズだし当然だが。
「あたいでも足伸ばせるかな?」
「大丈夫そうさね」
浴槽に入ってみたくてうずうずしているノーマとデリア。
ここで全員入っていると時間がかかるんだが……
「なぁ、ジネット。向こうって」
「残念ながら、もうお湯を張ってあります」
「そっかぁ……」
大浴場はすでにお湯を張ってあるらしい。
「じゃあ、デリアとノーマには服を脱いで……」
「ここで入ってもらいましょうね」
にっこりと、言葉を遮られた。
ちぇ~。
「ノーマたちも入ってみろよ。折角だし」
「いいんかぃね?」
「んじゃあ、あたいが先な!」
「ちょっ、デリア!? ……ったく、早く代わるさよ」
パウラとネフェリーが浴槽から出て、デリアが浴槽に入る。
長い足が伸ばされる。やっぱ長いなぁ、足。
「おぉ、伸ばせるぞ、足!」
ほらほらと、伸ばした足を持ち上げてアピールしてくる。
ハリウッド女優がユニットバスの泡風呂でやっていそうなポーズだ。
浴槽だからか、あっけらかんとしたデリアだというのにほんのちょっと色っぽく見えた。
ちらりとウーマロを見ると、背中を向けていた。照れてやんの。
デリアが出て、ノーマが入る。
デリアよりも背の低いノーマだから当然足を伸ばして入ることは出来るのだが……
「あぁ……これは、気持ちいいさね」
お湯が張ってあるのかと錯覚しそうなほどの色香!
なんか、ノーマの入浴を覗き見しているような妙な興奮がっ!?
吐息とか、超色っぽい!
艶っぽい!
「お盆に熱燗を浮かべて飲むと、一層温まるぞ」
「それはいいさねぇ。豪雪期の時に、ちょぃとお願いしてみようかぃねぇ」
ころころとノドを鳴らし、上機嫌なノーマ。
その際は、必ず誰か付き添いを従えておくこと。
湯あたりと泥酔が怖いからな。
「俺の故郷では露天風呂って言ってな、湯に浸かって熱燗を引っかけながら、開放的に開け放たれた景色を眺めるんだ。雪景色なんか、最高だろうなぁ」
「それはいいさね。アタシも体験してみたいさね」
「だろ? だから、是非大浴場の壁を取っ払うための署名に記入を――」
「まだ諦めてなかったですか、お兄ちゃん!?」
「……その案は廃案され、再考されることはもうない」
「ヤシロさん。めっ、ですよ?」
くそぅ、ダメかぁ……
「それはそうと、イメルダさんが大人しいです」
「……言われてみれば。普段なら真っ先に浴槽に飛び込んで一番大はしゃぎしそうなのに」
「ワタクシの家にも浴室はありますもの。水道とこの鉄砲風呂という物には興味がありますけれど、この程度の広さの浴槽でしたら我が家の物と大差ありませんわ。ウチの浴槽、エステラさんのところの浴槽より立派ですので、おほほほ!」
「うるさいなぁ! ウチよりあとに出来たんだから当然だろう!? それに、君の館と違って、ウチの館はウーマロの設計じゃないし……建て替えようかな?」
スゲぇな、ウーマロへの信頼。
もはやブランドだな。
「では、拙者も一つ、ご相伴にあずからせていただくとするでござる」
「じゃあ、隣に向かうぞ~」
「ヤシロ氏!?」
「お前の疑似入浴シーンに需要などない!」
「供給するつもりも毛頭ござらぬが!?」
折角のノーマの色っぽい疑似入浴シーンを台無しにする気か!?
記憶にしっかり焼きつくまで、妙なもんを見せんじゃねぇよ。混ざったらどうする!?
「マグダたちはいいんかぃ? こういうの好きそうじゃないか」
「……マグダたちは、すでに経験済み」
「隣の大浴場ででんぐり返しまでしたです!」
陽だまり亭メンバーは先に堪能している。
まぁ、まだ誰も『入浴』はしていないがな。
まだ大浴場という本命を見る前のウォーミングアップだというのにこの食いつきよう。
もっと気軽に手入れが出来るようになれば、風呂はあっという間に四十二区中に広まっていくだろう。
はしゃぐみんなの顔を見て、そんなことを思った。
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