「ほら、ヤシロ! こっちはドーナツだよ! カレー、こんな感じでいい?」
「おう。じゃあ、次はあんこだな」
中身だけ作って寝かせておく。
ドーナツを揚げるのは寄付から帰ってからになりそうだ。
煮込んだ後しばらく蒸らした小豆を熱湯ごとザルに流し込む。
むわっといい香りのする湯気が顔面に襲いかかってくる。熱いが、幸せな気分になれる。
「うわぁ、いい香り~!」
「あんこ作りの醍醐味だな」
米や小豆を炊いた時の湯気は、その香りだけでもうご馳走だ。
指の腹で小豆を潰して、芯がなくなっていれば上出来だ。
そこへ砂糖を入れて小豆と混ぜ合わせ、あんこを練っていく。
あんこ作りは手間がかかるから、ここらへんのコツは追々ジネットに教わるといい。
以前、俺も「小豆は水の中で踊らないようにしなきゃダメですよ」と指摘を受けた。俺よりもジネットの方があんこ作りはうまい。格段に上だ。やっぱ、火加減水加減では勝てねぇわ。
小豆は他の豆と違って、一晩水に浸けておかなくてもいきなり炊ける、比較的難易度の低い豆だ。一般公開用のあんこは、かなり簡単な作り方になるだろう。
味は、段違いだけどな。
そこはほら、やっぱ「プロのは美味ぇ!」って言われたいじゃん?
そうそう真似できない味なのだよ、あんこは。奥が深いのだ。
「ヤシロさん。今日の小豆なら、お砂糖は少なめで大丈夫ですよ」
プロの目、すげぇな。
小豆によって分量変えるんすか?
しかも、仕込みの合間にチラ見で分かっちまうんすか。パネェっす、ジネット先輩。
「最後に、ちょっとだけあんこを小鍋によそって、水飴と混ぜて、混ぜたあんこを元の鍋に戻して、全体的に混ぜ合わせるように練る」
「わぁ! あんこがつやつやになった! 美味しそう!」
「ジネット、味見を頼む」
「はい。……うん。とても美味しいです、ヤシロさん」
ジネットの合格が出た。
適度に粒が潰れた粒あんだ。
「これを裏ごしすればこしあん?」
「いや、こしあんは砂糖を入れる前に漉しておくんだ。作り方が違う」
「うへ~、面倒くさそう」
当たり前だ。
和菓子の世界では小豆を炊けるようになるのに何年もかかるんだぞ。
あんこ作りは店主だけだって店もあるくらい、難しくて大変な工程なのだ。
「簡略化は可能だから、自分に合ったレベルのあんこを使うといい。……しばらく陽だまり亭のあんドーナツは安泰だなぁ、これは」
「むっ! ちゃんと美味しい作り方覚えてやるもん!」
あんこ作りは一日にしてならず。
当面はジネットの優位が揺らぐことはないだろう。
「あ、そうだ。モリー」
「はい、なんでしょうか?」
野菜を切っていたモリーが手を止めてこちらを向く。
「ドーナツ以外のお菓子なんだけどな、どれも砂糖を結構使うから、イベント前からちょっと需要が増すかもしれないんだ」
「そんなに、ですか?」
「どんなにかは、四十二区の連中のはしゃぎっぷりによるかな」
連中がこぞって作ってみたくなったら、それなりの量が売買されることになると思う。
「……在庫は十分ありますけど、増産しておきます。四十二区が始めたことは他区に広がっていく傾向にありますから」
簡単に出来るものだからな。もしかしたら他区へも広がっていくかもしれない。
けれど、それらはわざわざ陽だまり亭で販売するような物ではないので、広がるなら広がればいい。
「ごめ~んくださ~い!」
まだ日も昇る前だというのに、妙に上機嫌なオッサンの声が聞こえてきた。
「アッスントの声だな。ロレッター! 鍵を閉めておいてくれ」
「なんでです!? 確実に今日のイベントのお話をしに来てるですのに!?」
んばっと、ロレッタが厨房へと飛び込んでくる。
おいお~い、鍵閉めろっつったのに戻ってくるなよ~。
そんなやりとりをしていると、アッスントが厨房へと顔を出した。
「聞こえていますよ、ヤシロさん」
恨み節を垂れながらも、顔はにこにこ上機嫌なアッスント。
別に何を注文したわけでもないのに勝手に入ってくるなよなぁ。
「本日のイベントに必要な物がないか、あらかじめ聞いておこうと思いまして。イベント開始までにすべて揃えておきたいですので」
「そうだな。とりあえず砂糖と、サツマイモ。あと酒が少し欲しい」
「お酒、ですか?」
「ヤシロ、まさかまた甲羅みそ焼き作る気?」
パウラがうっと両手で鼻を押さえる。
「飲むんじゃねぇよ。お菓子に使うの」
「お酒を、ですか? 子供たちが食べても平気なんでしょうか?」
ジネットが不安そうに言うが、問題はない。
砂糖と混ぜてみりんの代わりにするだけだ。
「あと、加工が簡単な薄い鉄板があったら融通してくれ」
「大きさは?」
「幅は3センチくらいで、長さは30センチくらい。簡単に切れるなら長くてもいい。ただし、限りなく薄くしてくれ。折ったり曲げたり出来るように。当然、加工の段階で割れないような柔らかいヤツでな」
「それは……ノーマさんに伺ってみないと分からないですね」
「あと、ついでにお玉をいくつか用意してくれ。木じゃなくて鉄製の」
「お玉、ですか? いよいよ何をなさるおつもりなのか想像が出来なくなってきましたね」
アッスントがメモを取りながら、眉間のシワを深くする。
「わたしも、見当が付きません。サツマイモのお菓子……なんでしょうか?」
「そうだなぁ、今、簡単に作ってみるか」
反応も見たいしな。
「あっ、それじゃあマグダっちょ起こしてくるです! 絶対見たいはずですから!」
「じゃあ、ついでにハム摩呂も頼む。俺の部屋にいるから」
「任せてです!」
どたばたとロレッタが飛び出していった後、俺は竹串をナイフで削る。
型がないので、今は簡易的な物でいい。
「薄い鉄板は、こうやって型を作りたいんだ」
削った竹串で三角形を作る。
真っ直ぐな竹じゃ、こんな単純な型しか出来ない。
「鉄板を曲げて作れれば、もっと複雑な型が出来るだろ?」
「なるほど。鉄板は型を作るんですね」
「人気が出れば、ノーマに頼んで何種類かの型を作ってもらえばいい」
俺がイメージしているのはクッキー型のような物だ。
それがあれば、どこのご家庭でも簡単に可愛いお菓子が作れるようになる。
「ジネット、サツマイモを一口サイズの乱切りにして、油で揚げてくれ」
「はい」
「あと、酒を少し分けてくれ」
「料理酒で構いませんか?」
「それでいい」
そうして、マグダが来るまでの間に俺は準備を進める。
アッスントも興味を引かれたらしく、厨房の奥まで入ってきている。きちんと手を洗わせて、見学用のエプロンを身に着けさせた。
「ジネット。重曹ってどこにあったっけ?」
「レジーナさんが作ってくださったヤツですね。今お持ちします」
「え……レジーナの薬も使うの? ねぇヤシロ、それって本当にお菓子なの?」
パウラが小鼻にシワを寄せる。
薬じゃねぇよ、重曹は。
レジーナの店で見つけてから、定期的に購入している物だ。いろいろ役立つからな、重曹は。
「はい、ヤシロさん。重曹です」
「サンキュウ。じゃあ、サツマイモを常温の油に入れて揚げてくれ」
「常温から入れちゃうんですか?」
「その方が型崩れしないんだよ」
二度揚げしてカラッとさせる方法もあるが、面倒なので今回はお手軽なやり方を採用する。
レンジがあるともっと楽なんだけどなぁ。
そうこうしているうちに、マグダとハム摩呂が厨房へとやって来た。
「爽やかな、お目覚めやー!」
「………………同じく」
いやいや、マグダ。
物凄く眠たそうだから。
爽やかさの『さ』の字もないから。
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