朝。
ジネットがそっと、そぉ~っと俺の部屋に入ってくる。
「大丈夫、きっと大丈夫です。わたしはヤシロさんを信じます……」
いや、着てるから、服。
「あ、あの、ヤシロさん……ヤシロさ~ん」
ちょっと遠くから声をかけてくるジネット。
マグダを起こさないように抑えられた声量はとても静かで、なんなら耳に心地よく二度寝でも三度寝でも出来てしまいそうだった。
「……暗くてよく見えません……着て……いる、ような……」
ぜ~んぜん信用してねぇじゃねぇか。
全裸で寝る習慣なんぞないわ。ナタリアじゃあるまいし。
……が。
面白いのでもうちょっと起きていないふりをしてみよう。
ジネットが一人で照れて身悶えている気配は、それはそれでなかなか面白い。
「ヤシロさ~ん、朝ですよ~、起きてくださ~い。あ、あの……近付いても、大丈夫でしょうか? ヤシロさ~ん、もしも~し、あの~、お、お~い」
ぷふっ!
ジネットの口から「お~い」ってのはなかなか出てこないワードだよな。
これ、放置しておけば「てめぇこら、さっさと起きねぇか」とか言ってくれないかな? ないか。
「や、やっほ~!」
やまびこか!?
おそらく、大きな声のイメージなんだろうな「おーい」と「やっほー」。
声の大小は本人の匙加減なんだが。
マグダを起こさないようにしつつ、俺だけを、なるべく近付かずに起こそうと奮闘するジネット。
「……ぷくく」
「あっ! ヤシロさん、起きてますね!?」
あ、ヤバ。バレた。
思わす笑ってしまった。
「もう、起きてるなら早く言ってください。いつから起きていたんですか」
「すやすや……」
「そんな寝たふりをしてもダメですよ! ……寝たふり、ですよね? あれ? 本当は寝てますか?」
この娘、本当によく今まで無事に生きてこられたよなぁ。
こんなに無防備なのって、ジネットかアルバトロスくらいなんじゃないか。
アルバトロスは、人間が接近しても逃げ出さず簡単に捕まえられてしまうことから、警戒心のない『アホウドリ』と呼ばれるようになったとかなんとか。諸説有り。詳しくはWEBで。
「あの、二度寝はダメですよ。起きてくださ~い」
「大丈夫……これは三度寝……すやすや」
「もっとダメです! もう、起きてください!」
「よし、飛び起きよう!」
「うきゅっ!? ま、待ってください! い、一応、念のため、向こうを向きますから!」
カッ! と目を開けて宣言すれば、ジネットが顔を隠して部屋の中でくるくる回り始めた。
どっちを向いていいのか分からなくなってんじゃねぇよ。
「安心してください、穿いてますよ!」
「……本当…………です、……ね。……あぁ、よかったぁ」
恐る恐る、腕の隙間、指の隙間から、そろ~りと俺の格好を確認して安堵の息を吐いたジネット。
「ちゃんと着て寝るって言っただろう?」
「それはそうなんですが……もし万が一……と、思ったら……」
黒い箱にしまい込んでおいた光るレンガの改良版、蓄光ランタンを取り出せば、ジネットの顔は真っ赤に染まっていた。
結構便利な道具なのだが、オンオフはもちろん光の調整が出来ないため「眩し過ぎる!」と割と不評な蓄光ランタン。蛍光灯に慣れていた俺はともかく、ジネットやマグダは進んで使おうとはしていない。従来の火のランタンの方が好きなようだ。
要研究だな。
今もジネットは「うきゅっ」っと眩しそうに手で目元を隠してしまった。
でも明るいからはっきりと分かる。
「顔、真っ赤だぞ」
「そ、そんなことは……っ」
髪の毛をわしゃわしゃいじって、前髪で顔を隠そうとするジネット。
あ~ぁ、折角梳かした髪がめちゃくちゃだ。
「……ヤシロさんのせいですもん」
「へいへい。悪かったよ」
もはもはしてしまった髪の向こうから、ジネットがこちらを睨む。
くっそ、前髪を撫でて整えるのと、膨らんだほっぺたをぷしって押すのと、ひと思いに抱きしめるのと、俺はどの行動を選択すればいいんだ、この状況!?
「とりあえず、一回寝る!」
「ダメですよ!?」
布団に潜り込むとジネットが慌てて毛布を引っぺがそうとする。
ので、死守!
「だーめーでーすっ! 出てきてください!」
「あと五分! いや十分……えぇい、あと三十分だけでいい!」
「増えてます! 二度寝すると起きた時に体が怠くなりますよ」
まぁ、確かにそうなんだけども。
「しかし、二度寝に入ろうというあの瞬間は、至高の幸福感だとは思わんか?」
「……それは、……その、まぁ、経験がないわけではありませんので……」
ほほぅ。ジネットも二度寝をしたことがあるのか。
それは意外だ。
「ジネットは二度寝の経験がないのかと思った」
「ありますよ。お祖父さんがいた時ですけれど」
「よければ聞かせてくれないか?」
「え? ……そんな楽しいお話ではないですよ? ただ、わたしがだらしなかったというだけで」
「いやいや、是非聞いてみたい」
「そう、ですか……」
毛布を引っぺがそうとしていた手を止め、ジネットはこほんと咳払いをする。
「お祖父さんは、毎日毎日、わたしを起こしに来てくれていたんです。『今日も素晴らしい朝だよ』って」
「あぁ、ジネットがたまに言ってるヤツな。アレは祖父さんの起こし方だったのか」
「はい。そう言って起こしてもらえるのが、わたしは嬉しかったので……ご迷惑でしたか?」
「いいや。俺もアレは好きな起こし方だ」
「なら、よかったです」
うふふと、本当に嬉しそうに笑う。
「……あ」
そこで、蓄光ランタンがふっと消えた。
日中光を当てておけば明け方までもってくれるはずなのだが、日によって切れる時間が変わる。
こればっかりは機械じゃないのでしょうがない。
要改良、だな。
「消えてしまいましたね。ランタンをお持ちしましょうか?」
「いや、いい。どうせもうすぐ日が昇る」
「そうですね。……それで、どこまで話しましたっけ?」
「祖父さんが毎日起こしに来てくれたって」
「そうでした」
明かりの消えた部屋で、ジネットの声だけが耳に届く。
「ある日、わたしは少し夜更かしをしてしまったんです。理由は忘れましたが、なぜだか眠れなくて、次の日の朝はとっても眠たかったんです」
「そんなお前の様子に、祖父さんは気が付いてくれたのか」
「はい。顔を見るなり『眠そうだね』って。そして、『今日だけは特別に二度寝をしてもいいよ』って」
「特別なんだな、二度寝は」
「禁止されていたわけではないんですが、なんだかそう言ってもらえたら気が楽になったんです」
「まぁ、後ろめたさは二度寝とは切っても切れない感情だもんな」
覚えがあるのか、ジネットはくすくす笑って「そうですね」と言った。
「それで、お祖父さんがベッドに腰をかけて、わたしの体をぽ~んぽ~んってゆっくりと叩いてくれたんです」
言いながら、ジネットが俺のベッドに腰を下ろして、俺の体をぽ~んぽ~んとゆっくり叩く。
心地よい振動に、自然とまぶたが降りてくる。
「重かったまぶたを閉じると、じわ~って体がお布団の中に溶けていくような感覚がして……あれは気持ちがよかったですね」
あぁ、分かるなぁ。
これは、気持ちいいわ……
「それで、いつの間にか眠ってしまって、起きたらすっかりお日様が昇っていたんです。起きた時はすごく焦って、後悔の念が渦巻いて、大急ぎで厨房に駆け込んじゃったんです。……ふふ、お祖父さんに笑われてしまいました。とっても、恥ずかしかったです」
二度寝の心地よさは後ろめたさを一時忘れさせ、目覚めた時に四倍くらいにして突き返してくる。
二度寝から冷めた直後の「やってもうた!」感は、どこの世界でも共通なようだ。
そんな風に焦るジネットなら、俺も少し見てみたいかもな。
祖父さんが笑っていた気持ちが、分かる気がする。
急がなくていいのに、急いで駆け込んできたジネットが可愛くて仕方なかったのだろう。
「今でもたまに思うんです。いつか、思い切って二度寝をしてみようかなって。……でも、今は朝起きると楽しいことがたくさん待っていますから、もったいなくて眠っていられないんです」
ジネットにとって、今の日常が楽しいのならそれが一番だ。
でもまぁ、いつか二度寝して、寝坊して、慌てる姿を見せてくれると嬉しいけどな…………むにゃむにゃ。
「はっ!? ヤシロさん。ヤシロさん!? 寝てませんか!? 二度寝はダメですよ!? ジャムを作るんですよね!? フルーツ、間もなく届きますよ! ヤシロさん!」
その後、ジネットに肩を激しく揺さぶられ、毛布を剥ぎ取られ、スパルタに叩き起こされた。
でも、ベッドから体を起こすと――
「おはようございます。今日も素晴らしい朝ですよ」
――そう笑ってくれた。
これはこれで、やっぱ悪くないなと、思ってしまうんだよなぁ。
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