「はい、レジーナさん。玉子粥です」
時間を潰す間、ジネットが厨房で作った玉子粥。
やはり、レジーナが飯を食っていないことが気になっていたようだ。
「まだ卵あったのか」
「ウチのニワトリが生んだものですよ」
ほわっと出汁の香りが漂い、レジーナが腹を鳴らす。
「アカン、シモの音出てもぅた」
「お腹の音って言いなよ!」
エステラのツッコミをけらけらと笑って聞き流し「おおきにな。ほな、いただくわ」とジネットに礼を述べて玉子粥を口へ運ぶ。
「はふっはふっ! 上のお口が熱いわぁ!」
「お前、黙って食え!」
「もう、懺悔してください」
先ほどの慈しむような瞳ではなく、ほっぺたを膨らませた表情で睨まれるレジーナ。
お前はもっと叱られろ。
「とりあえず、話は終わったが……、みんな、今日はどうする?」
あらかじめ泊まると宣言しているルシアはともかく、結構夜が遅くなってしまったので、希望者がいればこのまま陽だまり亭に泊まってもらうつもりだ。
何より、ジネットが張り切っている。
「あたしは帰るね。父ちゃんに何も言ってないし、片付けしなきゃ明日お店開けられないもん」
「あ、じゃあ私が送っていくよ」
「あたしよりネフェリーの方がか弱いでしょ~?」
「そんなことないよ。これでもいざという時は頼りになるんだからね」
にこにこ笑い合って、パウラとネフェリーが席を立つ。
ここにいては、母親を思って泣くことも出来ないもんな。
パウラのことはネフェリーに任せるのがいいだろう。
「ネフェリー、よろしく頼むな」
「うん」
「パウラ。またな」
「うん。じゃ、おやすみ」
パウラとネフェリーが店を出て行く。
「ミリィも帰るかぃね?」
「……ぅん。みりぃも、明日の準備、しなきゃ」
「ほいじゃ、アタシが送ってあげるさね」
「あ。あたいも、マーシャ迎えに行かなきゃ。今晩泊める約束してんだ」
「ほんじゃ、一緒に行くさね。ミリィ、悪いけど、一度港に――」
「あたいは平気だよ。その代わり、ミリィのこと、しっかり頼むぞ」
ノーマの背中をポンッと叩いて、デリアが席を立つ。
「……デリア。お土産」
そんなデリアをマグダが呼び止め、腰の革袋から小さな袋を取り出してデリアに渡す。
「……仕事中、疲れたら摘まむ予定だったハニーポップコーン。まだたくさん残っているから、あげる」
「おう、サンキュウな。マグダのポップコーン美味いから――」
そこで言葉が途切れ、デリアの瞳からぽろっと涙が落ちた。
「――母ちゃんにも、食わせてやりたかったな。あたいより、甘い物が好きだったんだ」
ぐっと奥歯を噛みしめて、それでも無理やり笑顔を作って、明るい声で言う。
「じゃあ、また明日な! おやすみ」
ダッと駆け出すデリア。
マーシャが慰めてくれることを祈ろう。
「優しかったんだろうな、きっと」
デリアを見送ったマグダの背中に声をかける。
「だから、マグダの優しさで思い出しちゃったんだよ」
「……ん。デリアのママ親なら、絶対優しいに決まっている」
両親のいない寂しさを、マグダは知っている。
明日以降も、きっと気にかけてやれるだろう。
飛び出していったデリアを見て、ミリィの瞳にも涙が浮かんでいる。
「そんじゃ、アタシらも帰るさね。ミリィ、行けるかぃ?」
「……ぅん。じゃ……ね。ぉゃすみ……なさ、ぃ」
頑張って笑顔で言って、ミリィが頭を下げる。
俯いたまま背を向けたのは涙を見せたくなかったからだろう。
ノーマと視線が合ったので、よろしく頼むと目で合図しておいた。
ノーマはしっかりと頷いてくれた。
ミリィとノーマが出て行き、イメルダが小さく息を吐く。
「今晩くらいは、存分に思い出に浸らせてあげたいですわね」
みんなが出て行った扉を見つめ、イメルダはしみじみと言う。
「本当に……前もってベッコさんを帰らせておいてよかったですわ」
「そういえば、あいついつの間にかいなかったな!?」
「食品サンプルを大至急作るようにと申しつけて、ヤシロさんがウーマロさんを連れて行った頃合いで帰らせましたわ」
「なんでまた……」
「女子だらけになるかと思いましたので。ワタクシ、お風呂にも入りたかったですし」
「お前は泊まっていく気満々なんだな」
「ルシアさんのお相手をヤシロさんが引き受けてくださるというのなら、このまま帰りますけれど?」
「いや、是非泊まっていってくれ。女子部屋のことはお前とジネットに任せた」
ルシアの相手をさせられては堪らない。
「ふん。私はジネぷぅの部屋で休む。貴様は近寄らぬようにな」
「へーへー。普段からジネットの部屋には近付かないようにしてるっつの」
「ほぅ? そうなのか、ジネぷぅ?」
「え? あ、はい。ヤシロさんは、普段からわたしの部屋へはあまり近付かないようにしてくださっていますよ」
「ほぅ。どのような人間でも、一つくらいは褒められるところがあるようだな」
そこだけかよ、俺が褒められるところ。
「……ただし、マグダの部屋へはフリーパス」
「朽ち果てろ、カタクチイワシ! エロスの権化!」
「あぁもう、面倒くさい。ギルベルタ、たぶんまだ沸いてないけど、ルシアを風呂に入れてきてくれ」
「了解した、私は」
「いや、せめて沸いてから!」
ルシアを引き摺っていくギルベルタをエステラが追いかけていく。
「私たちも、今晩はお世話になった方がよさそうですね。お願いできますか、店長さん?」
「はい。歓迎します」
ジネットに泊まる許可を得て、ナタリアがぺこりと頭を下げる。
そして、風呂場へ向かった三人を追いかける。レジーナの首根っこを掴まえて。
「いやっ、待って!? なんでウチまで!? ウチ帰るで!? ご飯食べたら帰るって……ちょう、聞いてやぁー!」
なぜか巻き込まれたレジーナ。
まぁ、さっきの顔見てりゃ、一人で帰すのはちょっと不安かもな。
ナタリアなりの気遣いだろう。
しかし、風呂場に変人が集結しているな……よし。
「イメルダ、出番だぞ」
「まったく、忙しのない人たちですわね」
嘆息し、イメルダも浴室へ向かう。
「ロレッタ、おねむのガキどもをさっと洗ってやってくれ」
「分かったです! ほら、マグダっちょもカニぱ~にゃもテレさ~にゃお風呂行くですよ」
「……むぅ」
少し眠たそうにしているマグダたちの背を押し、ロレッタがお子様たちを引き連れて風呂場へと向かう。
「あの……本当に、まだ沸いていないと思うんですが?」
「まぁ、多少ぬるくても大丈夫だろう。今のうちに寝室の準備をやっちまうか」
「はい。では、お手伝いをお願いできますか?」
「おう」
ジネットと二人で二階へ上がり、客室とマグダの部屋、そしてジネットの部屋に布団を運び込む。
客室は一応カンパニュラの部屋としているが、ほぼ毎日ジネットかマグダと一緒に寝てるので部屋は一切散らかっていない。布団を運び込めばそのまま客室として使えるだろう。
部屋割りは……もう、好きなところで寝かせればいい。
俺は部屋から出ないようにしておけば問題ないだろう。
「……と、思っていたんだがなぁ」
俺は今、一人、毛布を体に巻いてフロアにいる。
部屋が整い女子連中が風呂から上がった後、ジネットが風呂に入るというので俺も早々に部屋へ入ったのだが、ジネットがいなくてヒマだったのか寂しかったのか、ルシアが二階を歩き回りやがってなぁ。
ぱたぱたぱた……
「うっせぇぞ!」と怒って部屋から顔を出せば「きゃあ! 淑女の寝間着を見るな、カタクチイワシ!」と、妙に照れた顔をしやがって……なんか俺が悪いみたいな感じになって一階に避難してきたんだよ。
ウーマロ?
泥のように眠って、相当大きな声で騒いでてもまったく起きる気配がなかったよ。
つか、寝間着を見られたくなければ部屋に閉じこもってろってのに。
……元婚約者だったという三十四区領主ダックとのことでなんか、こう、俺がヤキモチ焼いてるとか勘違いして、それ関連でちょこちょこあったせいで、ルシアが過敏になってやがるんだろうな、きっと。
「きゃあ」って……お前、今までそんな女子みたいな反応したことなかったじゃねぇか。
「しょうがねぇ。明日の下拵えでもしてから寝るか」
体は疲れているが、まだ寝る気にはなれなかった。
ジネットが今風呂に入っているが、厨房より向こうへ行かなければセーフだろう。
……風呂場の前を通り越してこっちに来たことは、まぁ、大目に見ようじゃないか。な。
陽だまり亭の下拵えはジネットの予測がないと、何をどれくらい準備すればいいのか分からんから、明日の寄付の仕込みをするとしよう。
ここ最近寿司ばっかりだったから、明日は餃子にでもするか。ガキどもとベルティーナなら、朝から全力飯でも平気な顔して食うし。
そう思って餃子の皮を作っていく。
捏ねて丸めて少し休ませる間にタネを作る。
そうこうするうちに、「ヤシロさん?」と、ジネットが厨房へ顔を出した。
……風呂上がりっ!
残念ながら、バスタオル一枚とか、噂のバスローブ姿とか、そんな嬉しい格好ではないが。
いつもの寝間着に身を包み、濡れた髪で寝間着が濡れないようにケープのようにバスタオルを肩にかけている。
頭にタオルを巻いて濡れた髪を上げるということは、ジネットはあまりしない。
タオル帽子も使ってないしな。
「お夜食ですか?」
「俺はベルティーナか」
夜食でこんな何十人前も食わねぇよ。
「くすくす……もう、ひどいですよ、ヤシロさん」
「笑ってるお前も同罪だろう」
笑いながら、いつもの足取りで厨房へ入ってくる。
「折角洗った髪に小麦粉が付くぞ」
「気を付けます」
入ってくるなと言ってるんだが。
まぁ、入ってくるよな。
「二階は女子に占領されてな。仕方ないんで明日の寄付の仕込みだ」
「餃子ですね」
「おう。いい加減、生魚に飽きてな」
「うふふ。ずっとでしたからね。今日の魔獣のソーセージはとっても美味しく感じましたね」
イベント中に差し入れてもらった、カンタルチカの魔獣ソーセージ。「肉っ!」って感じが美味かった。
「お手伝いしましょうか?」
「ん……」
ジネットの顔を見る。
眠たそうではあるが、それ以上にやりたいと顔に書いてある。
「じゃあ、ちょっとだけな」
「はい」
「でも、その前に――」
水瓶で手を洗い、手ぬぐいで手を拭いて、ジネットを抱き寄せる。
「……へ?」
ぽんぽんと、濡れた頭を叩いて、栗色の髪に向かって声を落とす。
「お前もムリするな。胸ん中でぐちゃぐちゃしてるモン、吐き出しちまえ」
ジネットは『湿地帯の大病』で親族を失ったわけではない。
それでも、祖父さんがいなくなった直後に起こった騒動で、当たり前だった日常が激変した一人だ。
一番大切な祖父さんがいなくなり、祖父さんと一緒に見ていた景色がどんどん変わっていく様は、きっとこいつの心を傷付けただろう。
「……わたしは、パウラさんやデリアさん、ミリィさんのように、怒ったり、悲しかったり、悔しかったりは、しなかったんです……」
「……ん」
「です……けど……」
きゅっと、ジネットの手が俺の服を掴む。
「ヤシロさんの言うように、頭がごちゃごちゃして、胸が、なんだか……もやもやして……」
「……ん」
「でも、……今、全部出て行っちゃった気分です」
「…………ん」
それからしばらく、ジネットが落ち着くまでの間、俺は濡れた栗色の髪をぽんぽんと叩き続けた。
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