レジーナの家を後にして、陽だまり亭へと向かう。
その道中。
「ウチらは、もうえぇ大人や。せやな?」
「へいへい」
レジーナがめっちゃ釘を刺してくる。
通りすがりの呪いのわら人形が「えっ、ちょっと、もうやめたげて! 刺し過ぎで見てらんない!」って言いそうなくらいに釘を刺してくる。
要するに、空気を読めと。
命に関わるような大きな冒険を乗り越えて、ようやく安心できる場所に帰ってきたのだから、そりゃあテンションもおかしくなるし、ほんのちょこっと箍が外れたような言動も目に付くだろう。
せやけど、そーゆーこと、あるやん?
人間って、そーゆーもんやん?
確かにらしくないことしたよ?
したけど、しゃーないやん?
なぁ?
分かるやん?
ほなら、今見聞きしたことはどーするべきか……分かるやん?
ということなのだろう。
……心配せんでも、頼まれても言えるか、こんなもん。
しゃべるかもと考えただけで尻からモロヘイヤ生えるわ! 恥ずかし過ぎて!
「いやん! 恥ずかし過ぎて、なんか恥ずかし過ぎる不思議現象起こっちゃった!?」みたいなことになるわ!
「んぁぁぁあっ! アカン! 恥ずかしぃて、尻からモロヘイヤ生えそうや!」
「同じこと考えてんじゃねぇよ!」
こんな奇抜な発想でカブるなよ!
なんか、それも恥ずかしいわ!
「なぁ、シリヘイヤ」
「誰がシリヘイヤだ」
俺がシリヘイヤなら、お前ももれなくシリヘイヤだろうが。
「ウチな、めっちゃ嬉しかってん」
大通りを抜け、陽だまり亭へ続く街道へ足を踏み入れる。
レジーナはこちらを向かず、自分のつま先付近に視線を落として頬を緩めて言葉を続ける。
「帰ってきたら、いろんな人が『ありがとう』『ありがとう』って。……ウチの薬、喜んでくれはって」
『湿地帯の大病』の特効薬。
それがあれば、もう二度と四十二区に同じ悲劇は起こらない。
人々の心に暗い影を落としていた過去の惨事が、ほんの少しだけ救われた。少なくとも、未来への憂いはかなり減った。
「自分と出会う前は、どんなに説明しても、だぁ~っれもウチの薬使ぅてくれへんかったのに」
薬の材料も怪しければ、薬を作る薬剤師も怪しかったんだ。それは仕方がないだろう。
でも、そうやって避けられている間もずっと、レジーナは誰かを救いたいと思い続けていた。
「せやから、ウチ、今めっちゃ嬉しいねん」
おそらく、この街に住む誰も見たことがないであろう、レジーナの無防備な笑顔に、思わず視線を奪われた。
普段からそんな顔を見せていれば、きっとこいつの周りには数多の男が群がっていたことだろう。
それこそ、乙女ゲームのヒロインのように、将来有望なイケメンばかりを侍らせることだって出来るほどに。
だというのに。
「ウチ、しばらくはこの街のために全力でいたいねん」
そこらのイケメンをバッサリと袖にするような、晴れやかな笑顔を見せる。
「バオクリエアに戻って、より一層そう思ぅてん。確かに、向こうは技術も学問も進んどる。設備もすごいもんが揃ぅとる。せやけど……こんなん、言うの恥ずかしいんやけどな……オールブルームに戻ってきた時『あぁ、帰ってきたなぁ』って思ぅてん。いつの間にか、ウチの故郷は、この街に――この四十二区になっとってんな」
四十二区で暮らしながらも、心の半分はバオクリエアにいるのだと思っていたのだろう。
レジーナはどこか、『自分は余所者だから』という発想を持っているように見えた。
今回も『バオクリエアに戻る』というつもりだったのかもしれない。
だが、オールブルームに足を踏み入れてみれば、『帰ってきた』と感じたのだ。
それはつまり、もうとっくにレジーナの居場所はこっちになってたってことだ。
「せやから、また、今まで通りよろしゅう頼むわ……な?」
うっすらと頬を染めてこちらを窺うレジーナは、少し不安そうで……ズルいぞ、その顔。
「ま、イヤでもお前には働いてもらわなけりゃいけないからな」
こっちをじっと見上げてくる視線を遮るようにレジーナの頭に手を置く。
ぐいっと顔の向きを変えさせ、こちらを向いた耳に告げる。
「今まで通り、よろしくな」
熱に浮かされたままに飛び出していくのは、きっとさぞや気分がいいのだろう。
だが、熱で膨張した空気はいつか必ずあっけなくしぼんでしまう。
そうなった時に後悔をしない生き方をしなければいけない。
無責任に突っ走っていろいろなものを傷付けるワケにはいかない。
なくしちゃいけないものが、まぁ一応、いろいろとあるからな。
「『えぇ大人』、だもんな」
「……せやね」
それでいいのではないだろうか。
命がけの航海へ出る時に「帰ったら結婚しよう」なんて約束をすれば、九割以上の高確率で死亡エンドだ。
俺たちは、まだ誰もエンディングを迎えるほど達観しちゃいない。
まだまだプロローグが終わったところに過ぎない。
俺がこいつとどうにかなるような未来があるのかどうかは分からん。
が、それはまだまだ先の話で、今は全然そんな時期じゃない。それだけははっきりと分かる。
「……あとまぁ、他の人らぁとも、ウチ…………」
ぽそっと呟き、途中でやめてしまう。
その続きを問い質すようなマネはしない。
そっか。
そうだな。
初めて出来たお友達だもんな。存分に味わうがいい。
全然思い通りにならない、けれど心底信頼できる、そんなかけがえのない連中との特別な時間を。
「俺も、少しは満喫してみるかなぁ」
「自分は精一杯楽しんどるやん」
「バッカ。いっつも仕事に追われてひーひー言ってるっつーの。見てみろ。俺の両肩に『重責』って文字が載ってないか?」
「いや? その字ぃ『重責』やのぅて『尿結石』ちゃうかな?」
「なんで俺の双肩に『尿結石』が載ってんだよ!? 何を背負って生きてるんだ、俺は。どんな星の下に生まれてきたんだよ」
尿結石の宿命の下に生まれたんだとしたら、なおのことゆっくり休まないとな。
ストレス、よくないみたいだし。
「とりあえず、えぇハンドクリーム作らなな。店長はんには、早急に必要やろうし」
「お前もそう思うか?」
「思うわな。あんだけ動き回っとったら……服ん中でおっぱいぶるんぶるん揺れて、ブラジャーで先っぽこすれて肌荒れなってまうわ」
「マジか!? でも、ハンドクリームっておっぱいに塗っていいのか? ハンドって言ってるのに……おぉ、そうか! 俺のハンドにクリームをたっぷり塗って、それをジネットの荒れたおっぱいの肌に塗り込んでやればみんなが幸せになれるWin-Winだな!」
「残念やなぁ。それ、Winなん、自分だけやで」
「でもハンドクリームだしさぁ!」
「『でも』の意味が分からへんわ。……あっほやなぁ」
にひひと、レジーナが呆れ顔で笑う。
なんとなく、これで戻れる気がした。元通りの俺たちに。
また明日から、くだらない話で笑い合える気がしていた。
「……でも、気ぃ付けなアカンな」
もうすぐで陽だまり亭というところまで来て、レジーナが呟く。
「なんや、今回のことで、甘え癖が付いてまいそうや」
人との接触をなるべく避けて生きてきたレジーナ。
ここ最近は、本当にいろんな人間と接する機会が多かった。
そんな中で、いろんなヤツにいろいろと気遣われて――それが心地よかったのだろう。
テレサやカンパニュラと同じだな。
お前も、甘え方が下手なんだよ。
一回、溺れるくらい誰かに甘えてみろよ。そうしたら、いつかいい塩梅の甘え方が見えてくるかもしれないぞ。
「そういや、出会って間もないころのナタリアも似たようなことを言ってたな」
「『尿結石』かいな?」
「違ぇわ。その単語、お前とでなきゃ絶対出てこないから」
「ほなら『シリヘイヤ』やな!」
「どこで確信を得たの? そのドヤ顔の意味を知りたい」
そうじゃなくてだな……
「あいつも困った顔で言ってたよ、『あまり甘やかさないでください。もっと甘えたくなってしまいます』ってな」
「へぇ、あの給仕長はんがそんなこと言ぅたはったんや」
それから、徐々に徐々~に、ナタリアは他人に甘えられるようになっていったんだよな。
そして、あいつの周りには気の置けない友人が増えた。
給仕長的に、それがいいのか悪いのかは分からんが、ナタリア的に考えればきっといいことだったのだろう。
「だから、お前も。な?」
「……せやね」
レジーナははにかみ、ぐっと腕の筋を伸ばしてにへらっと笑う。
「ほな、そうさしてもらお」
これから、少しずつでも甘えられる誰かを増やしていけばいい。
「けど、そうなったら……ウチも下ネタとか言うようになるんやろか? 給仕長はんのように!」
「いや、お前はもう手遅れだよ! っつーか、元祖だからな!?」
「困るわぁ」じゃねーんだわ!
けらけら笑うレジーナの声が夜空に響き、俺たちは陽だまり亭へと戻ってきた。
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