「ガスライティングにより引っかかりやすい人間は、イメルダとジネットのどちらだと思う?」
そんな問いを投げかける。
一同がイメルダとジネットの顔を見る。
名指しされた二人も互いの顔を見合わせる。
「えっと……わたし、でしょうか? イメルダさんはしっかりされていますし、わたしは、その、……ほんのちょこっとだけ、のんびりしていますから」
わぁ、ジネット。自分のことすげぇ過大評価してんな。
どこが「ほんのちょこっと」だ。
そんなジネットの自己分析には、他の面々も同意のようだ。
誰も反論を口にせず、近くの者と視線を合わせて頷き合っている。
ジネットの方が、イメルダよりも騙されやすい。
そう思うのは当然だが……今回はハズレだ。
「俺の経験上、ガスライティングに引っかかりやすいのは、イメルダの方だ」
「ワタクシですの?」
不服そうにイメルダは唇を尖らせる。
「自分に自信があり、また周りからの評価が高く、ある程度ちやほやされた経験がある者の方が『自信』を壊しやすいんだ」
有名人や企業の偉いさんが胡散臭い占い師や宗教家に騙されてしまうのは、そういう側面があるからだ。
「そういう人間は、自分の行動に自信を持ち、決断を下すのに迷うことが少ない。だからこそ――」
「自信を崩された時には脆い……って、ことだね?」
「そういうことだ」
いつになく真剣に聞いているエステラ。
誰よりも、ガスライティングの危険を感じているのかもしれない。
「たぶんイメルダは、『前の方がよかった』と言われ続ければ精神を摩耗させる」
イメルダの作る物は芸術性に富み、品質はもちろんその見た目も美しい。
それはもちろん、木こりとしての仕事ぶりや、自身の姿かたち、そして過去作ってきた物も含まれる。
周りにちやほやされた経験がある者は、その時の成功例があるがために、「あの時の作品はいい物だった」と、自己評価も、周りからの評価も高かったと確信している。
どんな人間も、過去を超え続けるのは難しい。
いつかは超えられるかもしれんが、毎回というわけにはいかない。それは誰もが自覚していることだ。
だからこそ、「前の方がよかった」と言われれば、過去の成功例と比較して「確かに、前のに比べれば劣るか」という小さな自己批判が心に芽生える。
それが続けば、小さな自己批判はどんどん積み重なり大きくなって、「もう過去の作品は超えられない」「自分の才能は枯渇した」「自分はもう終わった人間だ」と思い込んでしまう。
歌手や作家や漫画家が、ヒット作の後に失速してしまうのは、そんな『過去の成功例との比較』に苦しんでしまうからだ。
「過去は過去! 今作ってる物が最高!」と言い切れる人間でないと、その苦悩からは逃れられない。
「仕事でもオシャレでもなんでもいい。たとえば、去年のヘアスタイルの方が素敵だったと言われたらどうだ? 『昨年のドレスは素晴らしかった。もう一度でいいからあのような素晴らしい着こなしを見せていただきたい』と、遠回しに『最近の服ダッサいな』と言われたら? 『テメェのセンスが悪いんだよ』と突っぱねられるか? 相手が誰であっても」
「それは……人に、よりますわね」
詐欺師ってのは、もれなく肩書を偽装しているもんだ。
貴族ぶった詐欺師にそんなこと言われたら、傷付かないまでもイラっとして、ちょっと気になってしまうのではないだろうか。
その『ちょっと』が、『小さな自己批判』を生むのだ。
一度芽生えた自己批判は、その後加速度的に大きくなっていく。自分でも気付かないうちにな。
「逆に、ジネットみたいに誰かに指摘された時に『そうですね、精進します』とあっさり言えてしまうヤツの方が引っかかりにくいんだ」
「なるほどね……じゃあ、ジネットちゃんは安心だね」
「ところがだ、エステラ」
そんなジネットでも、ガスライティングで追い込むことは可能なのだ。
「ジネット。お前は包丁の並び順を固定しているな」
「はい。毎日決まった順に並べ、決まった場所にしまっています」
「その順番が変わっていたら、どう思う?」
「えっと……どなたかが使用されたのかな、と」
ジネットが包丁を並べる順番は、もうすでに体に染みついている。
うっかり並べ間違えるなんてことが起こり得ないほどに。むしろ、無意識の時ほどいつも通りに並べてしまうほどに、ジネットの中で包丁の並び順というのは固定されているのだ。
その順番が変わっていれば、他人を疑うのは当然。
「だが、俺もマグダも触っていないと言えば、どうだ?」
「でしたら、わたしが置き間違えたのだと思います」
ジネットならそうだろう。
「その日はきっと、いつもよりもほんのちょっと気を付けて、決まった順番に包丁を並べるだろうな。だが、翌日。また並び順が変わっているんだ」
「それは……」
ジネットが眉根を寄せる。
たとえばの話で事実ではない。だが、それでも十分に薄気味悪い話だ。
「今度こそ俺やマグダが触ったんじゃないかと思って尋ねる。だが、俺たちは知らないと言う。そんなことが三日、四日と続けば、さすがのお前もおかしいと思い始める。ついには、部外者が厨房に入り込んで並び順を変えているんじゃないかと疑い始める。だが、そんなことあり得るわけがない」
「…………」
俺の言葉を聞いて、その状況を想像しているのだろう。
ジネットが難しい顔をして口元を手で覆い隠す。
「そんなことを繰り返すうちに、俺がこう言うんだ。『ジネット。お前、最近おかしいぞ?』と。そうすれば、お前はこう思う。『……わたしが変なのかもしれない』」
浴室は、水を打ったように静まり返る。
「ついには、並び順を確認するのが怖くなり、順番を無視してメチャクチャに置き始める。そんな様を見たエステラが尋ねる。『ジネットちゃん、どうしたの? 以前のジネットちゃんなら、こんなことしなかったよ』と。そうしたらこう思うよな? 『わたし、おかしくなってしまったんじゃないでしょうか?』。そしてマグダが言う、『……店長、少し休んだ方がいい』。そしてロレッタが『陽だまり亭は、あたしたちが守るですから』と。息苦しくなってお前は助けを求めるように俺を見る。そしたら俺はお前にこう言うんだ。『大丈夫。お前がいなくても、三人でなんとか回していける』と」
もし、本当にそんなことを言われれば、ジネットは……
「そうしたらお前はこう思うよな。『あ、わたし、陽だまり亭に必要ないんだ』って」
「…………っ」
ジネットの瞳が揺らめいたので、ほっぺたをつねっておく。
信じるな。たとえ話だ。
「心配するな。陽だまり亭にはお前が必要だし、お前が困っている時は俺たちが全力で協力する。今のは、俺たち全員がお前を陽だまり亭から追い出そうと画策していたらという絶対にあり得ないたとえ話だ。断言する、俺たちは全員、お前のいない陽だまり亭なんか見たくもないし認めない。俺たちが好きなのは、ジネットがいる陽だまり亭だ」
両頬をつねって、目の前で、まっすぐに瞳を見つめて断言してやる。
ガスライティングで揺れ動かされた心には、はっきりと明確な『味方』の存在を知らしめてやることが重要だからだ。
「そうだよ、ジネットちゃん」
「……マグダは、陽だまり亭以上に店長が好き」
「あたしも、店長さん大好きです! 陽だまり亭には店長さんがいてくれなきゃ嫌です!」
「……みなさん」
わっとジネットの周りに集まり、ジネットに抱きつく三人。
俺が勝手に名前を使ってしまったエステラにマグダにロレッタだ。
肌の温もりを感じ、ジネットの顔に柔らかい笑みが戻る。
「怖がらせて悪かったな」
「いえ……でも、はい。怖い、お話でした」
罪滅ぼしにジネットの頭をわしゃわしゃと撫でておく。
「あの、ヤシロさん」
「ん?」
ジネットが、窺うように俺を見上げてくる。
「あの……ありがとうございます。陽だまり亭を好きだと言ってくださって。その……わたしの、いる……」
ジネットの視線が逃げ、顔が俯き、視線だけが返ってくる。
湯にでもあたったのか真っ赤な顔をして、俺を見上げてくるジネット。
相当不安にしてしまったのだろう。
ここは、大サービスをしておくか。
「当たり前だろ」
「……えへへ」
ジネットの頭を撫でていた俺の手を両手で掴み、そっと包み込んで、ジネットは潤んだ瞳を笑みの形に変える。
「今の言葉、一生忘れません」
……風呂場で、水着とはいえ混浴してる時に、そんな顔でそんなことを言うな。
思わず抱きしめかけちゃうだろうが。
…………鼻血を噴いても「のぼせた」って言い張れば誤魔化せるかな?
「ヤシロ氏!」
「ぅおう!?」
潤む瞳で微笑むジネットの前に割り込んでくる泣きそうなベッコの顔。
お前、絶景の直後になんちゅうブラクラ画像を放り込んでくるんだ!? あまりの落差に眼球抉れるかと思ったわ!
「拙者も、まだ心が苦しいというか、寂しいというか、とにかくもやもやしているでござる! 何卒、拙者にも優しいお言葉をお願いしたいでござる!」
まぁ、こいつの心も抉っちゃったしなぁ……しゃーない。
「ベッコ、安心しろ」
「ヤシロ氏……っ!」
「お前の顔は、ちゃ~んと面白いぞ☆」
「そうではござらぬ! 欲していたのはそういうのではなくっ! ヤシロ氏、拙者のこと好きでござるか!? 嫌いではござらぬか!? ねぇ、ヤシロ氏っ!」
「バカっ! 泣きながら寄ってくるな! 唇触れそうになったろ!? 怖いから落ち着け!」
「好きだと言ってくだされ、ヤシロ氏ぃぃいい!」
号泣する半裸のベッコにしがみつかれ、腹部に頬をすりすりされて……俺は耐え切れずに「LIKEだよ!」と叫んでいた。
……こんな拷問、聞いたこともねぇよ。強烈過ぎるだろ、マジで。
ともあれ、たとえに利用した二人がガスライティングの後遺症から抜け出したようで…………よかった、のか? なんか俺だけ損してないか? ……くそ。
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