「あ、あの……ルシア様は……人間が、お嫌いなのですか?」
恐る恐る、ジネットがルシアに尋ねる。
ルシアの目がジネットを捉えて……柔らかく弧を描く。
「そんなことはないぞ。私は何より差別が嫌いなのだ。人種で好き嫌いを決めることはない。ただ、キャルビンやそこのカタクチイワシみたいな男が気持ち悪くて心底不愉快なだけだ」
「物凄い男女差別を受けてる気がするんだけども!? つか、まず、キャルビンと一緒の括りに俺を入れるな!」
「差別が嫌い」と言ったその口で差別を始めやがった。
なんてヤツだ。
エステラが怖がっていたのは、貴族で集まる際に、ルシアの気に入るような人物がそこにいないからなんだろうな。マーシャみたいなのがいれば上機嫌だが、そうでなければずっとイライラしていそうだ。こいつはそういうタイプだ。
イメルダよりも性質が悪そうだ。
そんな性質の悪そうなルシアが、腕を組んで俺を真正面から見据える。
すごく敵愾心溢れる視線を向けてくる。
「それで……私の私室に押しかけて…………何がしたいのだ、貴様は?」
「お前がウチの仲間を連れ去ったから助けに来たんだっつの!」
何が押しかけてだ……と、ウェンディに視線を向けると……なんでかウェンディが泣いていた。
……えぇ…………なんで?
「……英雄様が…………私を、仲間と…………助けに来たと…………か、感激です!」
「いや、まぁ……そんな大袈裟なことじゃねぇから。泣くな、な?」
「……はい」
涙を拭い、ウェンディが優しく微笑む。
……が、その微笑みは、ウェンディの隣から発せられる禍々しい怒気によって覆い隠される。
ルシアが、俺とウェンディの間に体を割り込ませ、般若のような顔を俺に向けてくる。
「マーたんに続き、ウェンたんにもこんないい表情を向けられて! 貴様が憎い! 処刑!」
「ちょっと待てコラ!」
この人、ホントに領主!? どっかの園児じゃねぇの!?
つか、ウェンたんって!? センスの欠片も感じられない!
「ギルベルタ、その者を外へ摘まみ出せ!」
「申し訳ない思う、私は。……ただ、何より大切にしなければいけない、友達は」
「な…………ギルベルタまで…………っ」
おそらく、これまで逆らったことなど一度もなかったのであろうギルベルタが命令を拒否したことで、ルシアは驚愕の表情を浮かべる。ヒザがかくかくと震え始める。
「き、貴様……っ、私から何もかもを奪う気か!?」
「いや……ギルベルタはともかく、ウェンディもマーシャもお前のじゃねぇから」
なに、この独占欲の塊……
「ヤシロ……口調っ」
エステラに小声で注意されるも、今さら敬語なんか使えるか、このどっちかって言ったら変態寄りな美女に?
「いいじゃねぇか、別に。本人、あんま気にしてないみたいだし」
「気にするしないの問題じゃないだろう? 相手は貴族で、領主なんだよ!?」
「つまりお前と対等なんだろ? じゃ、俺より格下じゃねぇか」
「いつからボクが君より格下になったのかな!?」
いろいろ助けてやっただろ?
恩義を感じて舎弟にでもなってろよ。
焼きそばパンとか買いに行けよ。
「エステラッ!」
「は、はい! な、なんですか、ルシアさん……?」
エステラが緊張を張りつけたような顔でルシアに向き直る。
苦手意識でも持っているのだろう。ぎこちなく引き攣った笑顔を浮かべている。
「そこのそれはなんだ? そなたの連れ合いか?」
「つっ!? そ、そそ、そんなっ! そんなんじゃ、なななな、な、な、な、……な?」
「いや、こっちに振られても……」
「な?」じゃねぇよ。
素直に「違う」って否定しとけよ、ややこしくなるだろう。
「あ、あのですね」
襟元を正し、エステラが話を切り出す。
「まずは、馬車の世話をしていただいたことに対するお礼を言いたくて」
「ん? あぁ、それくらい容易い。同じ領主同士、何かあれば融通し合うのが当然だろう。……だが、その律義な性格は嫌いではないぞ」
「あ、ありがとうございます。……で、ですね。一つお願いがありまして」
「願い? 奇遇だな。私もそなたに一つ頼みたいことがあるのだ」
「え? ボクに……ですか?」
「うむ。どうだ? お互いの頼みを互いに叶え合うというのは?」
「はい! 是非!」
おぉ。エステラがうまく話をまとめてくれた。
これで、花園の花が四十二区でも栽培できるかもしれない。偉いぞエステラ。
「では、そこのカタクチイワシをオールブルームから追放してくれ」
「なんでそうなるっ!?」
こいつ、とんでもない願いをしてきやがったな!?
「ではこの世から抹消してくれ」
「酷くなってるぞっ!?」
「塵と化せ」
「それもうお願いじゃなくて命令じゃねぇか!? 聞かねぇけどな!」
なんだか、とことん嫌われてしまったらしい。
俺が何したってんだよ……
「あ、あの、ルシア様。ヤシロさんはとても優しい方ですので……あの……その、あまり厳しいことは……その……」
勇気を振り絞って――そんな感じでルシアに訴えかけたジネット。
そんなジネットを見て、ルシアはスッと目を細める。
「ふむ……そなたは心根の優しい娘のようだな」
「そんな……わたしはただ……」
「こんないい娘にまで大切にされおって! 悔しい! 極刑!」
「聞いてたか、ジネットの話!?」
なんなんだ、このバカ領主は!?
どこのわがまま娘だ!?
「すまない思う、私は。少しわがまま、ルシア様は、友達がいないから」
お前が言うなよ、ギルベルタ。
つか、友達がいないからこんな性格なんじゃなくて、こんな性格だから友達が出来ないんだよ。
「ね~ぇ、ルシア姉~? ヤシロ君たちのお話聞いてあげてよぉ~。お・ね・が・い☆」
「よし、聞いてやろう。で、ヤシロというのは、そこのカタクチイワシのことか? ならばさっさと話すがよい」
だから、誰がカタクチイワシだ。
まぁ、折角話を聞いてくれるってんだから、変に抗って台無しにするのは得策じゃないな。我慢我慢。
俺は、努めて平静を装い、真面目な表情で交渉に臨む。
「花園の花を譲ってほしい」
「断る」
……早い。
「利益面での問題で……か?」
「利益などどうでもよい。そもそも、現在我が領は花園から利益などを得てはおらぬ」
「では、なぜ?」
「貴様には、あの花々の飼育が不可能だからだ」
てっきり、あの美味い蜜の独占が目的なのかと思ったのだが……これは、意外と簡単に譲り受けられるかもしれないな……
「あと、私は貴様が大嫌いだから、些細な願いも聞いてやりたくはない」
……前言撤回。
すげぇ難航するかも……
「ルシアさん。我が領内には植物を育てるスペシャリストがいるんです。彼女に任せれば、きっと花園の花も育てられると思います」
エステラがすかさずフォローに入る。
だが、ルシアは不敵な笑みを浮かべ、淡々とした声で言った。
「費用はどうするのだ? あの花の飼育には莫大な費用がかかるぞ。あの蜜で商売をしようなどと考えているのであればやめることだ。赤字は明白。いたずらに植物の命を弄ぶだけに終わるだろう」
「そんなに……お金がかかるんですか?」
「かかる。我が区の財政を圧迫するほどにな」
エステラの顔から血の気が引いていく。
そんなに維持費がかかるのか……材料費が嵩むのであれば、陽だまり亭で出すわけにはいかなくなるな……
「では、花の蜜を定期的に譲っていただくというわけには……?」
「いかぬ」
これまた、きっぱりとした否定の言葉が返ってきた。
「あれは、亜人たちの……特に亜種のために私が用意したものだ。そなたたちの商売相手は人間なのだろう? そのために、亜種たちの負荷になるようなことは一切するつもりはないし、また、させない」
そして、これまでのおふざけがすべて幻だったのではないかと思わせるような、迫力と威厳のある視線が俺たちに向けられる。
「絶対に、だ」
それは、たった一言で交渉を終わらせるほどの威力を持っていた。
一言聞いただけではっきり分かる。
「あ、これは無理だ」と。
取り付く島もない……というのとは違う。
敬虔な信者に、信仰する神の像を足蹴にしろと言って拒絶されるよりももっと明確な拒絶。考える余地もなく「不可」だと思い知らされる、この上もない拒絶だった。
このルシアという領主は、俺が思っている以上に獣人族……特に虫人族に強い想いを抱いている。
それが、保護欲なのか、同情なのか、使命感やその他の感情なのかは分からん……分からんが、こいつの信念はちょっとやそっとでは曲げられない。それだけは、嫌というほど分かった。
「……出直すか」
「そう、だね」
花を譲ってもらう交渉は、これ以上粘っても無意味だ。
ならば早々に引き上げるのが吉だろう。
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