「エステラ様。『ムラサキ』はネタ側に付け、舌にネタが来るように食べるのが通なのですよ」
「あぁ、ゲラーシー様。ネタとシャリを離してはいけません。それらは一つに重なってこそ芸術的な味を醸し出すのですから」
「イベール様。赤身というのは実に脂がのって美味しいものではありますが、まずは淡泊な白身から楽しまれてはいかがでしょう?」
「あ~、トレーシー様、そうではなくて……あぁ、どう説明すれば分かっていただけるのでしょうか、『にぎり』を楽しむ粋な心意気というものは……」
「「「「きゅ、給仕長が、クッソうぜぇ……」」」」
一足先に経験した給仕長ズが、これもんのドヤ顔で聞きかじったうんちくを垂れ流し続けている。
いつ習得した『ムラサキ』なんて言葉。
俺は醤油って言ってんのによぉ。
「ヤシロ! 今後一切、給仕長に毒味なんかさせないでね!」
「そうだぞ、オオバヤシロ! 給仕長など、主の次でいいのだ!」
「……四十二区に関わってから、デボラは変わってしまった……」
「あなたはあとでおしおきですからね、ネネ!」
領主たちからの圧がすごいすごい。
トレーシーは久しぶりの癇癪姫モードだし。
「分かった分かった。給仕長には出さなかった特上寿司を食わせてやるから落ち着け」
「特上!? 特別なお寿司があるのかい!?」
「ジネット」
「はい。準備できてます」
以前、いつだったかなぁ?
マーシャとデリアがイクラの話をしていたことがあった。
ってことはイクラの食い方は確立されてるんだろうと、マーシャに用意してもらっておいた。
筋子をほぐして、半日醤油漬けにしたイクラ。
初めての者が多いだろうから、ゆずの皮を入れて臭みを誤魔化しておいた。
シャリをパリッと炙った海苔で巻いて、そこにたっぷりのイクラを載せていく。イクラの軍艦巻きだ。
「綺麗な色だね」
「まるで宝石のようだろ?」
「うん。……もちろん、美味しいんだよね?」
「それは、食って確認してみろ」
「ヤシロ様。ここはまず私が毒味を――」
「下がって、ナタリア! これはボクが食べるから!」
「店長殿、こちらにも、早く!」
「コッチにもだ!」
「店長さん、是非私にも!」
領主たちが荒れている。
ジネットがわたわたと、でも手際よく軍艦巻きを量産していく。
実はウニもあるんだな。
ムラサキウニにバフンウニ。
コッチもしっかりと下処理がなされている。
食べたいと言ったら、マーシャが大喜びで準備してくれたらしい。
まだ広く知られていない海の幸が広まる予感に、マーシャは上機嫌なのだ。
こんな高級食材を惜しげもなく提供してくれた。
「えい、ウニ味見。……うんまぁ~!」
「コラ、オオバ! 貴様が食ってないで早くこちらに回せ!」
気品も何もあったもんじゃない領主たちが、血に飢えた獣のように唸る。
給仕長や執事たちが「いや~、これは仕方がないことなので~」と、散々見せびらかして食ったせいだな、うん。
イクラとウニの軍艦巻きが手元に来た領主から順々に、さっきの仕返しとばかりにこれでもかと給仕長たちに見せびらかして食い始めている。
ガキか、どいつもこいつも。
「……下克上です。いえ、戦争ですよ、これは」
給仕長たちの間に不穏な空気が立ち上り始める。
普段はなんでも主優先にしている給仕長たちを、ちょこっと労ってやるつもりが……なんか、主VS従者の戦争が勃発しそうな雰囲気に。
「んっふぅ~んふふっ、もぃひぃ~!」
イクラ軍艦を頬張って小憎たらしい顔で悶えるエステラ。
ナタリアがありありと殺気を放つ。
こらこら、仲間割れすんな!
明日、デッカい作戦が控えてるんだぞ、お前ら!?
「みなさん。……今宵、決起致しましょう」
「「「「ぅぉおおお!」」」」
「やめんか、従者チーム!」
大急ぎで止めた。
しょうがないので、死ぬ気で寿司を握りまくった。
領主も給仕長も、全員が満足いく量を、待たせることなく提供するために。
「ジネット、ここが踏ん張り時だ! 軍艦は任せた!」
「は、はい! にぎりをお手伝いできずにすみません!」
「うはぁ~、ウニ、あっまっ!」
「るせぃ! そんなしょーもない感想言ってるヒマがあったら黙って食え!」
なんのひねりもないしょーもない感想を述べた三十八区領主を威嚇して黙らせる。
ウニが甘い? 当たり前だろうが!
悔しかったら、宝石箱にでもたとえてみやがれ!
「ぷちぷちと弾ける一粒一粒が、海の香りを連れてきて、この小さなお寿司の中に新世界が誕生しているようだわ」
「マーゥルさん詩人~☆ でもそのイクラは川で取れたものなんだよ~☆」
いいじゃねぇか、マーシャ!
海で取れたことにしといてもさ!
ん、てことはイクラの提供者はデリアか?
この街の鮭は川で捕っても美味いからなぁ。
日本だと、人が口にする鮭やイクラは川へ還る前に捕ったものがほとんどだった。
川に戻るころには鮭が体力を使い果たし味が落ちるからな。
筋子も、川に戻るころには皮が固くなっていることがほとんどだ。
でも、四十二区の川にいる鮭は美味い。
この街は本当に食に恵まれてるよなぁ。
年中作物が育ち、連作障害も寄せつけない畑とか、日本に輸入したら大富豪間違いなしだぞ。
「エステラ様。数々の暴言、申し訳ありませんでした。こんなに美味しいウニをいただけるのは、エステラ様のおかげです。一生付いていきます!」
なんか、ナタリアがウニに感動して物凄く素直になってる!?
えっ、そんなに!?
ウニの力って、そこまでのものなの!?
「ウニが美味し過ぎて……馬糞まで好きになりそうです!」
それはやめて!?
ただの名前だから! バフンウニに馬糞との共通点とかほぼないから!
それはなんかもう、左利きってだけで「犯人!」って決めつけるくらい強引なこじつけだから!
「マ、マグダさんとロレッタさんをお呼びすればよかったですねっ」
おぉっと!? ジネットが珍しく弱音を!?
「港の完成記念イベント……恐ろしいことになりそうだな」
「はっ!? ……そうでした。あ、ぁぁ、あのっ、い、一体どうすれば……」
ジネットが青ざめるほどの忙しさ。
いや、この熱気と圧がそうさせるのか……
イベントなんて人が集まる日にこの状況になったら……死者が出かねん。
「マグダとロレッタに軍艦を教え込み、にぎりは俺とジネットとマーシャで乗り切るぞ」
「えっ!? 私も!?」
語尾に『☆』を付ける余裕もなく、マーシャが目を丸くする。
もちろんだ。
旅は道連れ。
明日からしばらくは陽だまり亭で修行してもらうことになりそうだな。
「これは……当分陽だまり亭はバラチラシフェアが確定ですね」
相当な練習量を予想して、ジネットがきりりっと眉を持ち上げる。
基本前向きなんだよな。
困難に打ち勝ちたいって思いは伝わるんだが……俺はもっとのんびりしたいんだよなぁ。
「ヤシロ、おかわり!」
「お前は気楽でいいな、エステラ!」
こいつにも、絶対何か手伝わせてやる。
そう心に誓い、俺とジネットは長い夜の激闘を見事に戦い抜いた。
陽だまり亭に帰り、ジネットと二人で一息吐く。
「お疲れさん」
「はい。ちょっと、大変でしたね」
マグダが淹れてくれた茶を飲んで、厨房で椅子に座る。
今日の閉店作業はロレッタとカンパニュラが引き受けてくれた。
テレサはちょっと前に帰した。連日外泊させるわけにはいかないし、あいつはあくまでお手伝いだからな。
それを言うと、カンパニュラもなんだが。
「……店長がこんなに疲れているのは珍しい」
「少し、緊張したせいもあるかもしれませんね」
「……領主が多かったから?」
「へ? ……あ、そうですね。でも、そこは、そんなに緊張しませんでした」
ジネットは、相手が誰であろうと、どんな大物であろうと緊張はしない。
そこらの貧乏人にも、大金持ちの貴族にも、同じように接している。
きっと、王族が相手でもこいつの態度は変わらないのだろう。
捉えようによっては不敬なのだろうが、ジネットはそれでいいと思っている。
それがジネットらしさであり、ジネットの長所だ。
「でも、それ以上にわたしが至らなくて、みなさんを待たせてしまっている状況が心苦しくて」
「あんな連中は待たせておけばいいんだよ……好き勝手言いやがって。これだから貴族は」
「ふふ。ヤシロさんは、本当にどのような方といても態度が変わりませんね」
貴族だからって謙ってやるような相手もいなかったしな、今日は。
「そういう平等なところは、ヤシロさんらしくて、わたしはとてもいいと思います」
「……そか」
俺と同じことを……
「思うように動けなくても、ヤシロさんが隣にいて『頑張れ』って、『大丈夫』って言ってくださって、とても心強かったです。ありがとうございます」
「いや、あれは……まぁ、俺が巻き込んだようなもんだしな」
「いいえ。わたしが望んだことでもありますから」
正直、今回はジネットがいなかったら回らなかっただろう。
「この次。港の完成記念イベントまでには、もっと手際よく、美味しいものが作れるよう頑張って練習しますね」
どこまでも前向きで、どこまでもポジティブで。
こいつがこんなに楽しみにしているなら――
「んじゃ、そん時はまた一緒にカウンターに立つか」
「はい。隣にいてくださいね」
――そのイベントを心から楽しめるように、きっちりとケリを付けてこないとな。
「あ、マグダとロレッタには特別任務があるからな」
「……では、マグダが一足先に教わって習得する」
ロレッタより一歩でも先に進んでいたいのか。先輩だもんな。
「じゃあちょっと耳を貸せ。軍艦巻きって言ってな」
「……店長が昼間に練習していたヤツ?」
「はい。そうです。大変ですけれど、マグダさんならきっとマスター出来ると思います」
「……任せて。ロレッタに気付かれる前に、こっそりとコツを教えてほしい」
「ふふ。では、こっそりと――」
くすくすと笑ってこっそりと練習を始めるマグダとジネット。
こりゃあ、明日あたりロレッタが楽しげに大騒ぎしそうだ。
そんな感じで穏やかに時間は過ぎていき――
決戦の日を迎えた。
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