異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

326話 湿地帯を探る -1-

公開日時: 2022年1月7日(金) 20:01
文字数:4,154

「あまり奥までは行かないようにね」

 

 慎重に足を動かし、沼地を進む俺たち。

 すっ転ぼうものなら全裸で帰る羽目になっちまう。

 一応、替えの服とやらも用意してくれているらしいが。

 

「この先は深くなっているようです」

 

 一人、集団から離れて沼地の深さを調べていたナタリア。

 2メートルほどのまっすぐな棒を沼に突き立てている。

 あの棒の近くへは近付かないようにと、エステラからお達しがあった。

 

 湿地帯は、四十二区の北西部に位置する。

 北西というか、西側の端っこの北側という感じだが。

 面積はさほど広くはない。

 それでも、実際目にしてみれば随分と大きい沼だ。

 

 深くなっているのは、崖のある西側と、鬱蒼と茂る森へと通じている南側。

 南側の原生林を超えると下水処理場などがある場所に出るのだろう。

 

 そっちの方を調べて、外壁の外に通じているような抜け穴がないかを調べたかったのだが……この装備では無理か。

 ウェットスーツでもあればよかったのだろうが。

 

 泥の毒素の解析が済み、問題がないと実証されたら、全身泥だらけになるのを覚悟の上で沼の隅々まで調べられるんだが。

 

「すんすん……ニオイは、特にあらへんなぁ」

 

 小瓶にすくい取った泥に鼻を近付けてニオイを嗅ぐレジーナ。

 手で風を送る様は、科学者のようで様になっている。

 色は若干灰色っぽい。

 油が浮いていることもなく、じめっとはしているがニオイはなく、不快感はさほどない。

 

 少し肌寒いか。

 

「ミリィ、大丈夫か?」

「ぅ、ぅん。平気だょ。ぁりがとぅね、てんとうむしさん」

 

 両親のことがあり、湿地帯を怖がっていたミリィ。

 今は普通にしているようだが、恐怖やストレスは感じていないだろうか。

 

「なんだかね、てんとうむしさんが捕食されて、緊張してたのがどっかいっちゃったの」

「そんなにユニークだったか」

「ぁ、そぅいぅんじゃなぃ……ん、だけど……ぇへへ、ちょっと、ユニークだった、かも」

 

 けっ。

 それでミリィの恐怖心や忌避感が薄れたならまぁいいさ。

 食虫植物どもは絶対許さないけどな!

 

「マグダも平気か?」

「……平気。ただ、不思議な感じ」

 

 沼の中に立ち、ぐるりと辺りを見渡すマグダ。

 湿地帯に立ち入ったことはないそうなので、これが初めて見る湿地帯ということになる。

 

「……もっと陰鬱で禍々しい場所を想像していた」

 

 鬱蒼と茂る原生林のせいで辺りは昼間でも薄暗く、空気は湿って肌寒い。

 だが、日中で明るいからなのか、そこまで陰鬱な雰囲気はない。

 

「きっと、ヤシロさんがいるからですわね」

「せやね。歩く面白マシーンのおかげやね」

「誰がだ、こら」

 

 つか『マシーン』はなんの翻訳なんだよ?

 あるのかよ『マシーン』?

 

「……面白マシーン2号。ちょっといい?」

「やめてんか、トラの娘はん。ウチおっぱい魔神はんとは別のカテゴリーやさかい」

「……あはは。面白い冗談」

「ほなせめて、おもろそうに言ぅてんか」

 

 まったくの無表情で笑うマグダ。……笑ってるようには見えないし、たぶん笑ってないんだろうけど。

 

「……あの花。外の森で見かけた花に似ている。たしか、毒があるとメドラママが言っていた」

「どれや? 案内してんか」

「……こっち」

 

 マグダに先導され、レジーナが沼の中を移動する。

 マグダは後方のレジーナを意識しつつゆっくりと前進するが――

 

「危なっ!」

 

 沼の泥に足を取られたのか、つるっと滑って倒れそうになった。

 咄嗟にレジーナが腕を伸ばしてマグダの体を支えてやる。

 

 おぉ、珍しいな。

 マグダは滅多に転んだりしないんだが。

 

「……今、足下に何かいた」

 

 自身の肩を掴むレジーナの腕を掴んで、マグダが沼の中を注視する。

 すると、しばらくして沼の表面にぽこぽこっと気泡が立ち、そこから拳大くらいの丸い物体が浮かび上がってきた。

 

 

「ぷぁ……」

 

 

 拳大の、里芋みたいな見た目の『ソイツ』は、沼から顔を出すと口らしきモノを開いて息を吐き、そして何事もなかったかのように沼の中へと潜っていった。

 

「なんだ今の!?」

 

 巨大なナマズのような動きに、俺は警戒を強めて身構える。

 だが、レジーナは手をひらひら振ってその必要がないことを知らせてくる。

 若干、目が輝いているように見える。

 

「大丈夫や。今のは生き物やあらへん」

「いや、だって、息継ぎしてたじゃねぇか!」

「きっと、トラの娘はんに踏まれて驚いて浮かんできただけやろな」

 

 踏まれて驚いたって、やっぱ生き物じゃねぇか。

 

「あれは、マンドラゴラの一種や。栄養価の高いえぇ土壌でしか繁殖せぇへん高級な薬草なんやで」

「……動いてたが?」

「そら動くわな。マンドラゴラやもん」

「…………生き物、だよな?」

「植物や」

 

 納得できんのだが?

 

「植物も、生きてるから、ね? てんとうむしさん」

 

 あれ?

 なんか俺だけが納得してない感じか?

 ミリィはあの謎の生き物を受け入れるのか?

 

「もしかして、ミリィ。生花ギルドではマンドラゴラなんかも栽培してるのか?」

「ぅうん。みりぃも、今初めて見た。不思議な植物だね」

 

 ……の割に落ち着いてるな。

 

 チラリとエステラを見やれば。

 

「…………」

 

 驚いたのか気持ち悪かったのか、ナタリアにしがみついていた。

 そのナタリアも、どうしたものか考えあぐねているような表情でじっとマンドラゴラが沈んでいった一点を見つめている。

 

 あ、よかった。

 俺だけじゃなかった、驚いてるの。

 

「レジーナさんの知り合いは、植物まで変なんですのね」

「待ってや、木こりのお嬢はん。知り合いちゃうで」

 

 そして、残念なことにお前はレジーナの知り合いなんだぞイメルダ。

 自分で自分を『変』なカテゴリーに入れちまったな。

 

 で、そのマンドラゴラを踏んづけてしまったマグダはというと……

 

「…………」

 

 ぎゅ~っとレジーナの腕にしがみついていた。

 ちょっと気味が悪かったらしい。

 尻尾が太っとぉ~くなっている。

 お~お~、怖がっとる。

 

「大丈夫やで、トラの娘はん。危害を加えてくることはあらへんし。まぁたま~にけったいな声で歌い出すことはあるんやけどな」

 

 それは、十分な危害だな。

 沼の中であんな生き物が歌ってたら、俺なら三日三晩うなされる自信がある。

 

「せやけど、マンドラゴラがおるっちゅうことは、ここの沼、そないに汚染されとらへんのちゃうかな?」

 

 マンドラゴラにも種類があるようで、今見たマンドラゴラは水質の綺麗な場所に生えるタイプなのだそうだ。

 中には、恨みを持って命を落としたモノの血が染み込んだ場所にしか咲かないマンドラゴラもいるようで。そういうのは呪術に使用されるらしい。……おっかねぇな、おい。

 

「あ~、おしいなぁ。泥の成分が調べられてへんから採って帰られへんなぁ」

 

 折角見つけた高級素材をみすみす見逃さなければいけないことを嘆くレジーナ。

 ここの泥が、湿地帯の外に出た瞬間に有害化すると言われている以上、みだりに泥の付いたマンドラゴラを持ち出すことは出来ない。

 ここの泥を調査して、問題がないと実証できたら取りに来るつもりなんだろうな。

 

「でもよ。マンドラゴラって引き抜くと絶叫を上げて、それを聞くと死んじまうんじゃなかったか?」

「それは呪草じゅそうの方やね」

 

 呪草……なにその禍々しいカテゴリー?

 他に何があるの? 聞きたくもないけど。

 

「ちなみにやけど」

 

 レジーナがぐるりと、俺たち全員を見渡す。

 

「試しに、どんだけ自生しとるか確認してもえぇかな?」

 

 さっきのマンドラゴラがここにどれだけ生えているのか。

 それを確認したいそうだ。

 確認ってどうやるんだ?

 もしかして、沼の底を踏んで回るのだろうか。

 

「まぁ、ボクたちはボクたちで調査を進めるから――」

「そうだな。自由にすればいいんじゃないか」

 

 エステラから視線を投げかけられ、結論を俺が出す。

 何かあった時は呼ぶし、一人で遠くに行かないのであれば問題ないだろう。

 そう思って気軽に返事したのだが……やめておけばよかった。

 

「ほなら、ちょっとビックリすると思うから、覚悟だけはしとってな」

 

 言うが早いか、レジーナは人差し指と中指を唇に当て、「ピィィィー!」と甲高い指笛を鳴らした。

 鼓膜がキィーンとするくらいの高音が湿地帯にこだまする。

 

 すると、沼のあちらこちらからぽこぽこと、ぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこと、ぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこと、ぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこと、気泡が立ち上ってくる。

 

 いやいやいや!

 多い多い多いっ!

 

 俺たちが立っている沼の表面を埋め尽くす勢いで気泡が沼の底から湧き上がり、次の瞬間、水面に拳大の里芋みたいな質感のマンドラゴラが次々に浮かび上がってきた。

 

「ぷぁっ」

「ぷはぁっ」

「ぷぁっ」

「ぴゃっ」

「ぷぁっ」

「ぷぁっ」「ぷぁっ」

「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」

「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」

「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」「ぷぁっ」

 

 

 

 多ぉぉおーいっ!

 

 

 

 遠くから近くから足下から、マンドラゴラが顔を出しては口のようなくぼみを開けて「ぷぁっ」と息継ぎをして再び沼へと潜っていく。

 めっちゃいるじゃねぇか、マンドラゴラ!?

 

 エステラとイメルダが揃って「ひぁぁぁあああ!?」と女の子らしい悲鳴を漏らし、ナタリアが自身の両腕を抱えるように珍しく取り乱して、マグダが全身の毛を逆立て、俺が「ぎゃぁぁあああ!」と高らかに叫び、ミリィが「わぁ、ぃっぱい、だね」とにっこり笑う。

 

 ……ミリィ。実はお前、ちょっと変な娘なのかな?

 ヌメリ虫とかコレとか、反応、間違ってない?

 

 

 とりあえず、俺たちは心臓の大暴走が収まるまで、沼を出て陸地で休憩を取ることにした。

 

 

 

 

 

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