「トレーシー!」
延々とネネを叱責していたトレーシーだったが、俺に名を呼ばれると肩を震わせ、身を縮めてこちらに視線を向けた。
蛇に睨まれた蛙のように身を縮め、冷や汗をダラダラ流している。
……本当に失礼なヤツだよな。
だがしかし! それもここまでだ!
あと数分もすれば、お前は俺を「可愛い」と思うようになる!
俺は両手を軽く握って可愛らしい子猫のポーズをとり、トレーシーに向かって愛くるしい声で鳴いた。
「にゃ~ん」
「ぴぃっ!?」
……トレーシーも鳴いた。いや、泣いた。
だがそれも想定内だ!
さぁ、カモン! エステラ、ナタリア、お前たちの出番だ!
「………………うわぁ……」
「想像以上にきっついですね……」
「って、おぉーい!」
ドン引きしてんじゃねぇよ! 可愛がるんだよ! つか、今のだってそこそこ可愛いだろぅが!
想定外の裏切りに合いいきなり躓いてしまったが、まだ挽回できる!
俺は二人に目配せをして作戦決行を促す。
「…………はぁ」
ため息吐くな、エステラ!
可愛いやろがぃ! ほらよく見て!
「わ、わぁ~、ヤシロは、かわっ……かわい……だなぁ」
誰だよ、「カワイ」!? ちゃんと「可愛い」って言いきれや!
「エステラ……」
「な、なんだい……?」
「…………撫でても、いいよ?」
「…………ぐ、……グーで?」
それは「撫でる」じゃねぇな。
一向に絡んでこないエステラ。これじゃあ作戦が台無しだ。
仕方ない。向こうが来ないならこっちから行くまでだ!
「にゃ~ん!」
「えっ!? わっ、ちょっ!?」
俺はエステラに飛びつき、ぐりぐりと頭をこすりつけた。
「わぁっ!? ちょっ、待っ、ヤシ、ヤシロ! 分かった! 可愛い! 可愛いからっ!」
「にゃにゃ~ん!」
「ふなぁぁあああ! くすぐっ…………くすぐったいって……きゃははははっ!」
エステラはわき腹が弱いらしく、頭でぐりぐりすると笑い転げ始めた。
「ヤ、ヤシロッ、人目っ、人目があるからっ!」
「もふ~ん!」
「鳴き声なんで変わったの!? ちょっ、やめっ、きゃははははっ!」
なんだか面白くなってきたっ。
よぉし、エステラ! 足腰立たなくしてやるっ!
「ナ、ナタリアッ!」
「了解です!」
しかし、エステラは劣勢だと悟るやすぐさま援軍を要請した。
一騎当千、ナタリアの投入だ。
俺は首と肩をがっちりと固められ、あっという間に拘束されてしまった。見動きが……取れないっ!
「はぁ…………はぁ……よくもやってくれたね…………さぁ、ヤシロ…………たっぷり可愛がってあげようじゃないか……っ」
「ま、待て、エステラ! その目は可愛がる時の目じゃない! 捕食者の目だ! 落ち着け!」
「問答…………無用っ!」
エステラが両腕を広げ、十本の指をわきゃわきゃ動かしながら飛びかかってくる。
俺の全身を悪寒が縦横無尽に駆け回る。……身の危険っ!?
「よ~し、よしよしよしよし!」
「ぅおい、エステラ! 嫁入り前の娘がどこ触って……にょほっ! にょははははっ!」
「ナタリア! 君も存分に可愛がってあげるといいよ!」
「ではお言葉に甘えまして……よ~しよしよしよし!」
「や、やめろぉ~! にょほほほほっ! こちょばっ……こちょばゆい!」
「よ~し、よしよしよしよし!」
「よ~し、よしよしよしよし!」
「お前ら一体、ナニゴロウさんだっ!? むはははははっにょほほほっ、し、死ぬっ! 死ぬからっ!」
正直に話そう……俺は、くすぐりが大の苦手だ。
「悪かった! さっきはちょっと調子に乗っただけなんだ! だから、もう、やめっ……!」
「ヤシロは可愛いなぁ~、ね、ナタリア?」
「えぇ。とても可愛いですね」
「もういい! もういいからぁ!」
「可愛い可愛い」
「可愛いですねぇ、お~よしよし」
満面の笑みを浮かべる悪魔が二体、俺を覗き込んでいた。
ヤバい……このままじゃ…………殺されるっ!?
そんな命の危機を感じ始めた頃……ついにヤツが食いついた。
「あ、あのっ、エステラ様っ!」
透き通るような白い肌をほのかな桃色に染めて、トレーシーが両方の瞳をキラキラと輝かせていた。
心持ち落ち着きなく、そわそわとした態度で抑えられない衝動を吐露する。
「わ、私にも、その可愛い生き物を撫でさせていただけませんかっ!?」
「「………………えっ?」」
言葉を失ったのは、俺を挟んで拘束していた二人だった。
やはり、俺の読み通り――トレーシーは感情が状況に大きく左右されるヤツなのだ。
トレーシーの変貌ぶりに、エステラもナタリアも驚いているようだが、俺は内心ほくそ笑んでいる。これで確信できたからな。
トレーシーの『癇癪癖』は直せる。そして、こいつを味方に取り込むことも可能だ。
……ただまぁ、笑い過ぎて体力が尽きかけているので、指一本動かせないんだけどな、俺。……エステラ、ナタリア……やり過ぎだ。
「撫でたいです! 可愛いです!」
「え、……っと…………本気で?」
「はい。可愛いです」
あり得ないものを見るような目でエステラとナタリアがトレーシーを見つめている。
いや、可愛いは可愛いだろうが。
「じゃ、じゃあ……どうぞ。噛まれないようにね」
誰が噛むか。
つか、何勝手に許可出してんだよ!?
俺もう体力ないんだからな? 検証も終わったし、これ以上可愛いキャラ続ける必要ないんだぞ。分かるよな? 説明したよな?
「では、オオバヤシロさん。失礼します」
エステラの真似のつもりか、十本の指をわきゃわきゃ動かしながらトレーシーが近付いてくる。
おい……やめろ…………もういいんだ、それは……やめ……っ!
「えいっ!」
「にょはーははははっ! ひゃっひゃっひゃっひゃーっ!」
「あぁ、可愛い。可愛いです、とっても」
「おまっ、お前! さっきまで怖がって目も合わせられなかったクセに……にゃははっ!」
「たった今、オオバヤシロさんの可愛さに気が付いたのです!」
「気付いたんじゃねぇ、流されただけだ!」
「撫で撫で」
「やめろぉおぉ! ふひっ、ふはははっ……くそっ、こうなったら恐怖を思い出させてやる……っ! カエルにするぞ! ウサギさんを頭から丸かじりにするぞぉっ!」
「うふふ。そんなこと言って……可愛いですね。撫で撫で」
「変わり過ぎだろ、お前ぇ!?」
こいつは、ある意味恐ろしい。
恐ろしいまでに主体性のないヤツだ。
こんなもんが領主なんかやってたら、ほんのちょっと働きかけるだけでその区を乗っ取るなんて容易いんじゃねぇか?
もしかして、『BU』の領主連中ってみんなこのレベルなのか…………だから、アホみたいな豆政策なんかが可決しちまったのかもしれない…………怖ぇ……多数決、怖ぇ。同調現象、超怖ぇ……
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